俺だけの異世界イイ世界
ぶんぶん
プロローグ「英雄、死す」
「名は体を表す」という言葉があるが、白馬王子(はくば ぷりんす)について言うなら、それは必ずしも適切ではない。白馬はその名以上の存在だ。
白馬は、総資産5000兆円を超える白馬グループの御曹司である。海外の名門大学に留学し首席で卒業。ラグビーのワールドカップでは主将としてチームを率い、見事優勝に導く。その後自ら会社を立ち上げ成功を収めるも、すぐに後進にその地位を譲り、慈善活動に励む日々を送っていた。細く整った眉に、母譲りのブロンドの髪の毛をツーブロックにしている。さらに、父譲りの高い身長、鍛え上げられた肉体、気品と自信に満ちた眼。外見から立ち振る舞いまで、その全てが見る者を圧倒する。富も名声も、彼のためにあると言っても過言ではない。そんな白馬を世の淑女が放っておくはずもなく、国内外から、縁談が日に300件は来るのであった。富裕層の婚活を専門とするプロのコンサルタント5人が厳しい審査を行った後、ようやく一人目の候補者が決定された。物語はそのお見合いの日から始まる。
灰色の雲がどんよりと浮かぶ日であった。銀色のメルセデスが停車し、運転手が恭しくドアを開ける。中から現れたのは白馬グループ総裁、白馬王(はくば きんぐ)、そしてその愛子、王子(ぷりんす)だ。帝王ホテルには既に、王子の縁談を嗅ぎつけたマスコミが大量に押し寄せていた。カメラのフラッシュが一斉に焚かれ王は目を細める。インタビュアーが詰めかけるのに対し、ガードマンが二人の前に壁となるが、腕を上げたカメラマンにはあまり意味がない。王子の背は、体格の良いガードマンよりも更に頭一つ分大きいからだ。ふと、何かに呼び止められたような心地がして、王子は後ろを振り返った。道路の向かい側にある公園で、少年が一人、サッカーの練習をしていた。王子の嫌な予感は的中した。コントロールをミスした少年のボールは、公園の柵を飛び越え、道路に転がり込んだ。慌ててボールを追いかける少年。迫り来るダンプカー。しかしその状況を見ていた王子の足は速かった。マスコミをかき分け、こちら側の柵を飛び越えると、ダンプカーの前に飛び出した。キキーッという鋭いブレーキ音が辺りを包み込む。誰もが「あっ」と息を呑み、その光景を目に焼き付けた。サッカーボールが宙を舞う。しかし少年は無事だった。王子のたくましい腕に抱きかかえられながら、命を取り留めた。ギリギリのところでダンプカーをやり過ごすことができたのだ。周囲に、窓ガラスが割れんばかりの拍手が沸き起こる。再びフラッシュが焚かれ、翌日の新聞の一面は決まったかに思われた。
しかし運命は残酷である。王子の命は、英雄の鏡は、高貴なる魂は、その場に居合わせた通り魔によって奪われた。公園を徘徊していた変質者は、狙っていたサッカーの少年から、世にも有名な王子に狙いを変えたのだった。長く鋭い刺身包丁が、王子の分厚い筋肉の壁を背中から貫く。誰が予測しえただろう。子どもの命を救った男に、そのような仕打ちがなされようとは。その光景を誰もが唖然として見ていた。そして王子が次に目を覚ましたのは、異世界だった。
異世界召喚はいつでも突然だ。今時、異世界召喚など珍しくもないが、さすがの白馬にとっても、それは初めての経験であった。魔法陣の上にしゃがみ込む白馬。直前の記憶を辿る。
(あの少年は無事だっただろうか。刺されたのが自分だけなら良いのだが)
白馬はふと、自分の背中に触れてみるが、幸い、血のようなものは何も出ていなった。何となく刺されたような記憶はあるのだが、痛みも感じない。命は助かったようだ。周囲を見回す白馬。見たこともない木、見たこともない花や果物、そして未知の動物(猿のような顔の獣の背中に、蝶の羽が生えている)が、白馬を歓迎している。白馬はサブカルチャーにも造詣が深い。いや、そうでなくても、聡明な彼の知恵によれば、結果に大差はなかっただろう。そう、白馬は今自分が置かれている状況を完全に理解した。そして今必要なことが何かも分かった。
「そこのご老人」
白馬は、自分がしゃがむ魔法陣より3mほど向こうに立つ老人に話しかけた。老人はくすんだ青色のローブに身を包んでいる。顔は良く見えないが、長い白い髭が見えていたことから、白馬はその人間が高齢の男性であると判断した。
「私の言葉が分かりますか?」
老人はゆっくりと頷く。
「良かった。私をこの世界に召喚したのはあなたですか?」
老人はゆっくり頭を振る。
「違うのですね。私は白馬王子という名の者です。実は、こことは異なる世界からやってきました。自発的にではなく、誰かにこの場所へ召喚されたのです。今はとにかく情報が欲しい。もしご老人がよろしければ、私の力になってはいただけないでしょうか。もし助けていただけるのなら、――今すぐにとはいきませんが、いつか必ずお礼をいたします。哀れな若輩者に、情けをかけてはくださいませんか」
「良いですよ」
「本当ですか!?」
「これでも120年は生きておりますじゃ。相手の眼を見れば、どのような方が分かるというもの。あなたは中々に立派な方のようだ。儂から頼んででも助けにならせていただきますよ」
「それは本当にありがたい」
「ここで立ち話というのもナンじゃ。まずは町に行くとしますかな」
「喜んで」
白馬は老人の後をついていった。道中辺りを見回すが、見れば見るほどまさに“異世界”という感じだった。白馬は老人にあれやこれやと質問を投げかけた。最初はこの世界のこと、お互いの生い立ちなど話が弾んだが、段々と老人の口数が少なくなっていった。立て続けに質問したので困らせてしまったかと考え、白馬は口をつぐんだ。
それからずいぶん歩いた。あの魔法陣の位置から、既に1時間は歩いただろうか。老人の言う“町”は一向に現れない。
「ご老人、町はまだ遠いのでしょうか」
「この辺では凶暴な魔物が出るのじゃ。ゆえに、町はすぐには見つからぬよう、仕掛けがされておる。もう少しじゃ」
それから更に15分ほど歩き、老人は林の先を指さした。蛍光色の紫色の葉っぱを付けた木々に隠れるように、小屋が立っている。薄汚れた木の扉。石造りの壁。二人は戸の前に立った。上には看板が付いていて、白馬が見たことのない文字が書かれてあった。
「どういう意味の文章ですか?」
「“イエルの町へ”と書かれておる。この扉は地下通路への入り口じゃ。通り抜けると、イエルの町に出る。さぁ、道は案内した。扉は自分で開けるのじゃ。新しい未来を、自分の手で切り拓け」
「・・・分かりました」
白馬は錆びた取っ手を掴み、ゆっくりと戸を開ける。中は暗かった。電気も松明も無く、真っ暗で、しかも階段がある様子もない。そこは通路というよりは、むしろ・・・
「穴?」
その時、何か強い力で背中が押された。白馬はバランスを崩し、“穴”に落ちる。7mは落ちただろうか。白馬は身体が強く、幸い地面も土だったため、骨折などはしなくて済んだ。が、それでも落ちた痛みが堪える。しかしそうしているわけにもいかない。白馬はすぐに何かの気配に気が付いた。低い唸り声。生暖かい息づかい。何かが“いる”。それは白馬の背後から襲い掛かった。
穴の中から聞こえる魔物の咆哮、白馬の絶叫。甘美な音楽が奏でられたのを確認すると、老人は扉の前から去った。深く被っていたローブを脱ぎ、付け髭やカツラ、老い化粧を布で拭うと、現れたのは長い髪を後ろで結った黒髪の青年だ。長い前髪が目のあたりまで垂れ下がる。虚ろな垂れ目。黒いベストに白いシャツ。黒い革ズボンに手をつっこみ、先ほどの老人姿と大差のない猫背で歩く。
「ざまぁ」
物語の主人公は、そうボソリと呟くと、イエルの町へと歩いて行った。
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