第49話 先生の先生

「こんな八百長試合は無効だ! ──アドルフくん、キミはそこの問題教師ブレットに買収され、わざと負けるように言われたのだろう!」


 役員席で立ち上がったサイラスは、またいつもの演劇を始めた。


 そしてアドルフを説得するような──あるいは最後のチャンスを与えるというような様子で、こう続ける。


「今ならまだ間に合う。悪いのはそこの問題教師だ、そうだな? アドルフくん、本当のことを話すなら今しかないぞ! キミはそそのかされただけなのだ。今ならまだやり直せる。──さあ、本当のことを言いたまえ!」


 それはいつも通りに巧妙な、人の心の隙をつくような言葉だった。

 だが──


 サイラスも頭に血が上っているのか、相手を見誤っている。

 アドルフにそれは、逆効果だ。


 案の定、アドルフは激怒した。


「ジジイ、貴様……俺たちの戦いを侮辱するか……! 戦士の戦いを冒涜する者を、俺は何人たりとも許さん……それは貴様でもだ、サイラス!!!」


 激しい怒号。

 それを受けたサイラスは、一度はぬぐぐと呻くが、次には深呼吸をしてこう言った。


「そうか、アドルフくん……残念だよ。キミには期待していたのに……私は我が子に裏切られたような心持ちだよ。八百長に手を染めたりしなければ、キミはこの国の未来を背負って立つ勇者になれたはずだったのに……実に残念だ」


 サイラスはアドルフを切り捨てる方向に、瞬時に頭を切り替えたようだ。


 やつの作ったシナリオは、俺がアドルフを買収し、八百長試合をさせたというもの。

 どこまでも──どこまでも腐ったやつだ。


 しかし俺の立場からでは、このシナリオをひっくり返せない。

 問題の当事者として設定された俺が何を言おうと、聴衆には言い逃れとしか聞こえないだろう。


 サイラスのひとり舞台は、なおも続く。

 役員席の舞台役者は、観客に向かって演説を始める。


「今日この大会を楽しみにしてこられた皆様、まことに、まことに申し訳ございません。先ほど私のもとに告発がありまして、この決勝戦で八百長試合が行われたとのことでございます。これは私ども勇者協会の監督不行き届きにほかなりません。この通り、平にお詫び申し上げます。つきましては後日、協会のほうで事実調査を行い、問題の人物たちには懲戒免職などの厳重な処罰を──」


 サイラスの舞台演劇は、完遂されるかに思えた。


 八百長をした事実などなくとも、そんなものは裏でいくらでもでっち上げられるという具合だろう。


 組織腐敗と権力と権謀術数。

 あの勇者腐敗の象徴のような男を止められる者は、誰もいない。


 であるならば、あの一年前の出来事──

 俺がこの王都から左遷された、あの理事長室での出来事と何ら変わらない理不尽が、ここにまた再現されるしかない。


 もちろん俺の戦略ミスではある。

 この公の場なら、サイラスでも不実は働けないだろうと高をくくっていた。


 だが甘かった。

 あの男の戦い方は、大衆を前にしたときにこそ力を発揮する。


 どれだけ許せないと思っても。

 どれだけ真っ当なことを、真っ当にやってきても。


 世の中は、組織内政治と世渡りをうまくやったやつだけが、甘い汁を吸う仕組みになっているのなら──


 立ち尽くした俺は、拳を握りしめる。


 この場で暴れて、もう何もかも吹き飛ばしてやろうかと思う。

 だがもちろん、そんなことは許されない。


 教師なんて言ったって、教え子たちを理不尽から守ってやることすらできないのか。

 そうであるなら、俺は──


 ──だが、そのときだ。

 聞き覚えのある声が、会場に響きわたった。


「ちょーっと待ったぁ! その話、そこまでだよ!」


 観客席の一角に息を切らして現れたのは、顔なじみの女性教師、アルマ。

 それに、もう一人。


「サイラス先生、もうおやめなさい。見苦しいですよ」


 アルマの隣には、五十絡みの女性の姿があった。


 それを見て、俺は呆然とつぶやく。


「先生……。どうして、ここに……」


 それは十年ほど前、勇者学院で俺に勇者のいろはを教えて育ててくれた、担任教師の姿だった。



 ***



 俺のつぶやきを聞いて、イリスが驚きの表情を見せる。


「先生って……あのおばさまが、先生の、先生ってことですか?」


 そう聞いてくるイリスに、俺は重要な注意点を伝える。


「あ、ああ、そういうことだ。ところでイリス、『おばさま』はいいが、『ババア』とか言ったらダメだぞ。殺されるからな」


「はあ……。そんな失礼なこと普通は言いませんけど」


「だ、だよなー。アハハハハ……」


 蘇る、俺の学院生時代の記憶。


 先生に向かって口が滑って「クソババア」などと言った日には、俺は運動用のマットで簀巻きにされてミノムシのように木に吊るされたものだった。


「口のきき方には気を付けましょうね、ブレットくん?」などと言って、漆黒のオーラに身を包んで襲い掛かってきた先生の姿は、今思い出しても恐ろしい……。


 いや待て、今思えば立派な体罰だぞあれ。

 その何百倍もの愛情で育てられたからいい思い出みたいになっているが、あれは決して許してはいけない。訴えてやる。


 ……とかまあ、そんな過去の思い出はさておいて。


 俺が教わっていた当時からさらに十年ほどの月日がたち、当時行き遅れ感のある三十歳代だった先生も、今や四十歳を上回るナイスミディだ。


 先生の名前は、レオノーラ。

 そのレオノーラ先生が今、観客席でサイラスと向かい合っていた。


 ちなみにその横には、アルマの姿があった。


 アルマは俺に気付くと、パチッと可愛らしくウィンクを送ってきた。

 なおウィンクの意味はよく分からない。


 一方、呆然としているのは、先ほどまで舞台演説の主役を演じていたサイラスだ。


「レ、レオノーラ先生……なぜここに……」


 そのサイラスのつぶやきを聞いた周囲の観客が、にわかにざわめき始める。


「レオノーラ先生って……ひょっとしてあの伝説の勇者学院教師と言われた、レオノーラ先生のことか?」


「えっ、熱血授業で何人もの不良勇者を更生させて立派な勇者に育て上げたっていう、あの伝説のレオノーラ先生!?」


 ざわざわと、観客たちが湧き立ち始める。


 レオノーラ先生は確かに、「伝説」とまで謳われたほどの凄腕勇者学院教師だ。


 まあ、当時レオノーラ先生の授業を受けていた身としては、あれはそんないいものじゃないぞと抗議したいところだが。


 飴と鞭、愛と恐怖を巧みに使い分けた地獄の授業。

 それがレオノーラ先生の「伝説」の正体だ。


 最近はさすがに大人しくなったのか、俺が教師になってからこっちは、そんな噂が流れてくるようなことはなかったが……。


 どこぞの辺境の街の勇者学院で今も教師を続けているらしいという噂は聞いていたが、俺が学院を卒業して魔王ハンターになって以降は、直接会ったことはなかった。


 そう考えると俺も、ずいぶんと恩知らずな生徒だなと思うが──さておき。

 今はそんなことを考えている場合でもない。


 いったいどんな流れでレオノーラ先生がここに現れたのか分からないが、予想できるのは、おそらくはアルマが連れてきたのであろうということだ。


 そしてこの絶体絶命の舞台に、彼女らの登場は非常に心強い。


 一方で、「伝説の教師」レオノーラの登場に観客がざわつき始める中、「しまった」という顔をして自分の口をふさいでいるのはサイラスだった。


 人々は「名声」に後光効果を感じるものだ。

 サイラスが作り出した舞台演出をぶち破るのに、それは十分な効果を持つ。


 レオノーラ先生は、サイラスに向かって辛辣な言葉をぶつける。


「サイラス先生、またずいぶんとあくどいことをしているようですね。こちらのアルマ先生から、いろいろと聞かせてもらいましたよ」


 サイラスは、ぐっと言葉を詰まらせた。

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