第42話 勇者精神

 リオたち三人を連れて医務室に行くと、そこではレナードの教え子のうち二人が寝台に横たわり、すぅすぅと寝息を立てていた。


 その脇には、椅子に腰かけて子供たちの様子を見守るレナードと、補欠の子、それに先の試合で最後まで戦おうとしていた少女がいた。


 少女はすっかり泣き腫らしており、背中に毛布を掛けた姿で床をずっと見つめていた。


 補欠の子はずっとおろおろしており、レナードはだいぶ疲れている様子だ。


 俺はレナードを手招きで呼び寄せると、そっと声をかけた。


「お疲れ様です、レナード先生。生徒たちの容体はどうです?」


「ありがとうございます、ブレット先生。……身体面での容体は問題ありません。今は体力を消耗して眠っていますが、しばらくすれば元気になるということです」


「それは良かった。……ところで不躾かもしれないですが、レナード先生。あの子のことは、叱ります?」


「ヘレナですか……」


 レナードの言葉に、俺はうなずく。


 ヘレナというのは、試合の場でアレックス少年の負傷を癒そうと、無防備な姿でしゃがみ込んで【月光治癒ムーンライトヒール】を使った少女のことだ。


 今は寝台で眠っているが、彼女が起きてきたあとのレナードの対応が、俺は少し気になっていた。


 だがレナードは、首を横に振る。


「……難しいですね。あれを魔王の前でやられたら彼女自身の命にかかわることですから、叱りたいのは山々なんですが……そうしたところで、今のヘレナが受け入れられるとも思えません。頭ごなしに叱るよりは、腰をすえてゆっくりと本人の話を聞いて、彼女の考えを肯定してやるところからでしょうね」


 そのレナードの言葉を聞いて、俺は安堵した。

 やはり余計な口出しはしなくて大丈夫そうだ。


 俺はレナードの肩をぽんぽんと叩いて、「お疲れ様です。いずれ機会があったら、また飲みにいきましょう」ともう一度ねぎらいの言葉をかけた。


 レナードはげっそりとしていて、すっかりやつれてしまったようにも見えたが、痩せっぽちなのは元々なので気分の問題かもしれない。


 一方、リオたち三人は泣き腫らした様子の少女を前に、どう声をかけていいか分からず困っている様子だった。


 リオは腫れ物に触るような様子で、不自然に明るい声を出して、少女に語り掛ける。


「ははは、残念だったな、もうちょっとだったのによ。──にしてもあいつら、ひでぇよな。あんなの勇者の風上にもおけねぇよ。勇者精神ブレイバーシップがなってねぇ。とんでもねぇやつらだ」


 リオは俺から教わった、にわか仕込みの勇者精神ブレイバーシップという言葉を使ってみせた。

 だが根っこにあるのは、彼女本来の正義感だろう。


 一方、毛布をかぶった少女は、そのリオの言葉に首を横に振る。


「……ううん。もうちょっとなんてこと、全然なかったよ。あのときは頭に血が上って、あいつら全員ぶっ殺してやるなんて言ったけど……先生が止めてくれなかったらあたし、あいつらにもっと、どんなひどい目に遭わされていたか……」


「「「…………」」」


 落ち込んだ少女の言葉に、どう返していいか分からないという様子のリオたち。

 少女はさらに、想いを連ねる。


「……結局全部、あたしたちが弱かったせいだよ。弱いあたしたちは、強いあいつらに嬲られて、蹂躙されるしかなかったんだ。……この世の中、そういうもんなんだよ。勇者精神ブレイバーシップなんて、全部嘘っぱち」


 その少女の言葉に、誰もすぐには答えることができなかった。


 勇者精神ブレイバーシップというのは、平たく言って勇者が守るべき倫理・道徳のことだ。


 勇者たる者、人に優しくあれ。

 勇者たる者、人々の模範となる人格者であれ。

 勇者たる者、善き存在であれ。


 ……などなど。

 まあ勇者ひとによっては、煙たいといえば煙たい内容だ。


 ただ──俺たち勇者は、勇者精神ブレイバーシップがなければ「力」を持っただけのただの人間だ。


 そして「力」を持っているからこそ、それを悪用したら大変なことになるわけで。


 口うるさいようだが、勇者精神ブレイバーシップってのは勇者が子供のうちから最低限教えておく必要はあるよな、実際それが本人のものになるかどうかはともかくとして──とまあ、そのぐらいに俺は捉えている。


 しかし、勇者協会の影響力が強い王都の勇者学院では、そのあたりの教育がスポンと抜け落ちているのだ。


 有力貴族や豪商のような富豪層にとっても、「力あるものは人格者でなければならない」なんて教えは煙たいわけで、勇者精神ブレイバーシップの教育には否定的な声が大きい。


 そんなわけで、王都の選手たち──“剛剣”アドルフ、“女王”ドロシー、“賢狼”ジェイクのような人格キャラクターができあがる。


 自分の愉悦に素直だったり、自分さえ良ければ他人のことはどうでもいいと考えたり、そういう風に育つわけだ。


 ……いや、あいつらに十代半ば近くになって今更勇者精神ブレイバーシップとか説いたところで、聞きやしなかったという話でもあるんだが。


 というわけで、王都のやつらにも教えていた時期が多少ながらある俺としても、少し耳が痛い話ではあるわけだが──


 一方で、リオたち三人は、どちらかというと俺の理念がそのまま伝わっている子たちだ。


 というより元々の個性の問題で、何だかんだ三人とも正義感とか強くて、勇者精神ブレイバーシップとの相性が良かったという話なんだが。


 その一人であるリオが、ふと、こんなことを言いだした。


「……やだ」


「は……?」


 リオの言葉に、自嘲気味に勇者精神ブレイバーシップを否定した少女が、疑問の声を上げる。

 リオはそんな傷心の少女に、こう言ったのだ。


「オレは……嫌だ。兄ちゃんが教えてくれた勇者精神ブレイバーシップが好きだから──オレは、それを嘘になんてしたくない!」


「え、ええ……?」


 少女もまさか、「嫌だ」とわがままを言われるとは思っていなかったようで、戸惑いを隠せない様子だった。


 リオはそんな少女の肩をつかんで迫る。


「なあ、オレたちがあいつらに勝ったら、勇者精神ブレイバーシップは嘘っぱちなんかじゃないって思うよな!?」


「え、えぇ……? そ、それは……ちょっと違わない?」


「違わない!」


「あ、はい……」


 リオに迫られ、勢いで押されて、傷心だった少女はついうなずいてしまったという様子だった。


 そして彼女は、次には、「ぷっ」と噴き出す。


「あははははっ、リオって変な子だね」


 目に涙を浮かべつつも、くすくすと笑う少女。

 それにリオは、胸を張って答える。


「そりゃあ、オレは変な先生の兄ちゃんに育てられてるからな。……なー、兄ちゃん?」


 そう言ってリオは、俺のほうを向いて同意を求めてきた。

 ……いや、それ俺にどうしろと。


 一方、レナードの教え子の少女は、リオに淡い笑顔を向ける。


「……でも、ありがとリオ。少し元気出たわ。あー、リオが男の子だったらあたし、今のでリオに惚れてるな~」


「んなっ……へ、変なこと言うなよ……」


 リオは頬を染めて、恥ずかしそうにする。

 それを見た相手の少女は、愛おしげにリオにほほ笑みかける。


「ふふふっ。じゃあ、愛しのリオちゃん──あたしたちの敵討ち、頼むね」


「おう、任せろ。……あいつら、ぜってーぶっ飛ばしてやる!」


 レナードの教え子の少女とリオとが、こつんと拳をぶつけ合う。

 そして二人で笑いあった。


 それからリオは、後ろにいたイリスとメイファへと向きなおる。


「ってわけで、イリス、メイファ。あいつら必ずぶっ倒すぞ」


「うんっ。……でもリオ、女の子にモテモテだね」


「……リオはいざというとき男前だから、しょうがない。……お兄さんがいなかったら、ボクもリオに……ん、んんんっ! ……な、なんでもない」


 メイファがちらと、俺のほうを見てくる。

 いまいち何だか分からんが、いろいろと複雑そうだな。


 ま、ともあれ──


「よし。じゃあリオ、イリス、メイファ──悪い勇者を倒しに行くか」


「「「はい!」」」


 ──その後、試合は進んだ。


 リオたち三人は順調に準決勝を勝ち抜き、王都の三人もまた、その圧倒的な力で準決勝の相手を蹴散らした。


 そして、ついに決勝戦。


 リオ、イリス、メイファの三人と、“剛剣”アドルフ、“女王”ドロシー、“賢狼”ジェイクの三人との対決の時がやってきたのだった。

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