第15話 イリスのスキンシップ

 朝食を終えると、俺は教え子たちを連れて校舎という名のボロ小屋へと向かった。


 はっきり言って家で授業をしたほうが広いのだが、移動することで気持ちの切り替えになる。

 それにグラウンド相当と思われる庭はそれなりに広いので、実習には悪くなかった。


 午前中は、まずはウォーミングアップの運動とある程度の筋トレをしてから、次に武器戦闘の指導を行うことにした。


 全員天才だから教えることなど何もないかというと、さすがにそこまでではない。


 基礎は教えるまでもなく何となくできているという恐ろしさがあるのだが、技術的なこととなってくると、そこには勇者教育史が育んできた歴史がある。

 それは一人の天才がいきなり凌駕できる類のものじゃない。


 まあ、技術を学んでいって長じた暁には、彼女らがその歴史の一部を塗り変えるようなことも、あるいはあるのかもしれないが……。


 しかしそうは言っても、さすがに三人とも筋がいい。

 教えたことはすぐさまつかみ取る、天性の勘の良さがある。


 特にリオの剣術に関しては、バケモノとしか言いようがなかった。


「二段斬りってのはこう、まず右上段からの斬り下ろしから入って、振り切ったときの反動を利用して右手に切り返す技なんだが……」


「あー、なるほどね。こんな感じ?」


「ゲッ、だいたいできてる……」


「でも兄ちゃんのやったのとは、ちょっと違う感じなんだよな……。少し練習してみるね」


「お、おう」


「あとこれ、ちょっと体の使い方変わってくるけど、違う形でもできるよな。左下からの斬り上げから始めるやつとか」


「そ、そうだな。ただそれ普通、中級の技として教えるやつなんだが……」


 一般に、十を教えて一を学ぶのが普通の勇者、一を教えたら一を学ぶのが優秀な勇者なのだが。


 リオは剣に関しては、一を教えて十を学ぶ驚異的なセンスを持っている。

 教えているこっちが恐ろしくなってくるぐらいだ。


 もちろん筋がいいのはリオの剣だけじゃない。


 イリスの弓もメイファの槍も、初めて扱うにしては十分すぎるほどに見事な取り回しだ。


 あともう一つ良い点があって、それは俺という一人の教師が、三人だけという少数の生徒を手取り足取り見てやれるということ。


 王都の学院で教師をやっていたときは、一度に二十人から四十人程度の生徒を同時に見るような環境だったから、なかなか一人ひとりのペースに合わせた丁寧な教育を施すというのはやりづらかった。


 特に優秀な生徒の教育は難しい。


 生徒の才能には上から下まであって、授業のレベルをそのどこに合わせたものにするかという問題がある。


 集団を相手に授業をする際には、授業のレベルは「下から三割の位置にいる生徒にとって適正なレベル」に合わせるのが一般的だ。

 才能に劣る生徒を置いてけぼりにしないよう、なるべく平等に育てようとするとそうなる。


 ただこれだと、才能がある生徒にとっては、退屈で仕方のない授業になる。


 そういうときは、才能のある生徒にはいっそ教える側に回ってもらうというのも一つの手になってくるわけだが──


 教えることが自分の学びにもなるとはいえ、この方法だとやはり、ハイレベルな実力は身につけるのが難しくなる。


 その点、今の俺に与えられている教育環境は、ものすごく贅沢なものだ。

 何しろ三人だけを見ていればいいので、個々の特性にぴったり合った教育をしてやれる。


 ──と、そんなことを考えながら三人を見ていたら。

 ふと、我が天使イリスから、お呼び出しの声がかかった。


「あ、あの、先生……! ちょっと見ていただきたいんですけど、いいい、いいでしょうか……!」


 何やら緊張をはらんだ声だった。

 俺はイリスのもとに歩み寄る。


「どうしたイリス?」


「い、いえ、その……。私の弓のフォームとか、どうかなって、思いまして」


 イリスは何やら頬を染めて、ちらちらと俺のほうを見てくる。

 何か気になることでもあるんだろうか。


「んー、まあまあいいと思うけどな。ちょっと構えてみてくれるか」


「は、はいっ。……こ、こんな感じで、どうでしょう」


「うん、いいと思うぞ。……んー、でも……ちょっといいか、イリス?」


 俺は弓を構えているイリスの背後へと回り、彼女のフォームに手を添えて、少しだけ矯正してやる。


「このぐらいのほうがもっといいかもな──って、どうしたイリス?」


「ふあああっ……先生の手が、ぬくもりが……ふわああああっ……!」


「おーい、イリスー? 大丈夫かー?」


「はっ……! は、はいっ! ご指導ご鞭撻、ありがとうございます、先生っ……!」


「お、おう」


 なんだかイリスは、指導する前よりガッチガチに固まっていた気がするが──


 まあ、いくら天才児といったって、微細な部分まで教えてすぐにできるようになるわけじゃないだろうしな。


 指導したことによって逆に一時的に持ち崩すということはありうるし、そのあたりは本人の中で時間をかけて消化していってもらうしかない。


 と、そんな折、今度はリオからお呼びの声がかかる。


「なあ兄ちゃん、オレもちょっと聞きたいことあるんだけど」


「おう、リオ。待ってろ、すぐ行く」


 あっちからもこっちからも引っ張りダコだ。

 やれやれ、モテる男はつらいな──なーんて。


 そうして俺がリオのほうへと向かうと、その一方では、通りすがりのメイファがイリスに何やら声をかけているのが見えた。


「……イリス、お兄さんへの態度、分かりやすすぎ。……露骨」


「ううう、うるさいなメイファ……! それ以上言ったら、メイファでも許さないから!」


「……にひひ、怖い怖い」


「だいたいメイファはずるいよ、あんな立ち位置……」


「……だったらイリスも、ボクみたいにすればいい」


「で、できるわけないでしょ! メイファは先生に失礼! あと破廉恥はれんち!」


「……ふーん。……じゃあああやって、暗にスキンシップを求めるのは、破廉恥じゃないんだ」


「なっ、なななな、何を言ってるかなメイファは!? そそそそんなこと、私がするわけないじゃない……!」


「……ほんと、イリスは分かりやすい」


 ……?

 いったい何の話をしているんだ、あいつらは。


 まあ、姉妹の間でしか通じない何かがあるのかもしれないな。

 気にしないでおくことにしよう。

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