第16話 水属性の天才

 昼食をとったあと、午後は魔法の授業を行うことにした。


 校舎という名のボロ小屋の中で、数セットだけあった机と椅子を教え子たちが利用して、俺はこの教室唯一の教育設備である魔法黒板を駆使して解説をしていく。


「──さてそんなわけで、魔法を学ぶときには個々の呪文を覚える前に、魔法全般の基礎となる理論と感覚の話をしないといけないんだが──って、メイファのやつ、早速寝やがったな」


 黒板に必要事項を書き終えて振り向いてみると、俺が授業をしている目の前でメイファが堂々と机につっぷして、すぅすぅと寝息を立てていた。


 昨日徹夜した上に、昼メシも腹いっぱい食べて眠くなったんだろうが──


 いやしかし、三人しか生徒のいないこの狭い教室の中で寝るとは、ホントいい度胸してるなこいつ。


「ちょ、ちょっとメイファ……! せっかく授業してくれてる先生に失礼だよ! 起きなさいってば……!」


「……むにゃむにゃ……お兄さんの……おいひい……」


 イリスが慌てて揺さぶり起こしにかかるが、メイファは幸せそうによだれを垂らした姿で寝言をつぶやくばかり。


 目を覚ます気配がまるでない。

 ダメだなこりゃ。


「……あー、まあいいよ。メイファは【発火イグナイト】を使えたんだから、これから話す部分はクリアしてるはずだし、そのまま寝かせといてやれ」


「うぅ……ホントすみません……。メイファには、あとでよく言って聞かせます……」


「イリスのせいじゃないさ。それに言って聞くなら苦労はしないだろ」


「そうなんですよね……」


 俺とイリスは、同時に「はぁ」とため息をつく。

 そして、そのお互いの仕草を見て、一緒に噴き出してしまった。


 それを横で見ていたリオが──


「なーんか、兄ちゃんとイリス、いつの間にかいい雰囲気だな」


 と、何の気なしという様子で言った。

 だがそれを聞いたイリスは──


「な、なななななっ……!? ち、違うからっ……! 私は、そんなんじゃ……!」


 顔を真っ赤にして大慌てし始めた。

 なんだ、どうした我が天使よ。


 すると今度は、そんな風にわたわたとするイリスを見て、リオがははーんという顔でニヤニヤし始める。


「そんなんじゃって、どんなんだよイリス。オレは『いい雰囲気だな』としか言ってないぜ」


「ううう、うるさいなっ! ほらリオ、先生に早く謝ってよ……!」


「……? なんで兄ちゃんに謝るんだよ」


「だ、だって……私なんか、子供だし……先生に釣り合わないもん……そんなの、先生に迷惑だよ……」


 イリスはそう言って、真っ赤になってうつむいてしまった。


 ……うーん。

 いったい何の話をしているんだか分からないが──


「なんだか分からんが、私語はそのぐらいにしとけお前ら。一応授業中だぞ」


 俺がそう注意すると──


 リオは俺を見て、きょとんとした顔になった。


「えっ……? ……あ、あのさ兄ちゃん……え、あれ……?」


「なんだよ。俺何かおかしなこと言ったか?」


「いや、だって、今ので分からないとか……ひょっとして兄ちゃん、『鈍感』ってよく言われたりする?」


 えっ。

 なんでそれ知ってんのお前?


「まあ、王都の学院にいたとき、同僚の女性教師によく言われたが。でもそれが今、何か関係あるのか?」


「いや……うん、いいや。もう分かった」


 リオは何やらがっくりと肩を落とすと、隣の席に座っていたイリスの肩をぽんぽんと叩く。

 イリスのほうは、何やらホッと胸をなでおろしていた。


 うぅむ、いったい何なんだろうか。

 まあ、気にしなくてもいいか。


 それはさておき、本題の魔法の授業だ。


 俺はまず、リオとイリスの二人に、魔法の基礎理論と魔力コントロールの感覚についてひと通りレクチャーしていった。


 そして次に、初級魔法を各自に一つずつ教えることにする。


 それぞれの得意属性と、魔法の使い勝手の良さ、それに本人の希望も聞いて、リオには【発火イグナイト】の魔法を、イリスには【水作成クリエイトウォーター】の魔法をまず教えることにした。


 というわけで、最初は座学で、これから覚える魔法の理論をひと通り学んでもらうところから。


 リオは座学が苦手なようですぐに集中力を切らしていたが、イリスは真面目にこつこつと学び、俺の言うことにも一つ一つうなずいて、教えたことをぐんぐん吸収していった。


 やがてリオがぐったりと疲れた頃、座学を切り上げて庭での実習に入る。


 リオはようやく体が動かせるとばかりに張り切って、真っ先に庭に出た。

 俺とイリスが、苦笑しながらそのあとを追いかける。


 ちなみにメイファはいまだにすぅすぅと寝息をたてたまま揺すっても起きなかったので、そのまま教室に放置した。


 リオは庭に出ると、さっそく魔法を使おうとする。


「──【発火イグナイト】! ──【発火イグナイト】! ……あっれー、なんでできねぇんだろ」


 リオは薪に向かって手のひらを突き出し、一所懸命に【発火イグナイト】の魔法を使おうとしていたが──まあメイファじゃあるまいし、そう簡単にいくわけもない。


 リオの火属性魔法Bランクという素質も、凡百の勇者であれば一番の得意分野に分類されるぐらいのものではあるのだが、凡百の勇者ならば初学習のその日に魔法を使えるなんてことがあるはずもない。


 まあそのあたりは、徐々にフィーリングをすり合わせていくしかないところだ。

 リオの才能なら、一、二週間もかけて練習すれば、使えるようになるだろう。


 その一方で、注目すべきはイリスだ。


 イリスは庭に出るなり、手桶の前で瞳を閉じ、祈るように胸の前で手を組んで精神集中を始めていた。


 ──ざわりと。

 ほのかな魔力の輝きが、イリスの体からあふれだす。


 背中まであるふわふわの金髪も、わずかながらゆらゆらと揺れ始めていた。


 ──だがイリスは、そのまましばらく動かなかった。

 まだ本人の中で、魔法を発動できるというイメージが整い切らないのかもしれない。


 そして、そのイリスの対応は正しい。


 まずは体内で魔力を練り上げ、魔法を世界に具現化できるだけのイメージを整えるのが先なのだ。


 それができていない段階で闇雲に魔力を放出しようとしても、魔法が成功する可能性はゼロに等しい。


 そんなことはまだ教えていないのに、センスだけでつかみ取ってくる。

 このあたり、メイファだけでなくイリスもまた、魔法の天才ということ──


「なあイリス、さっきからぼーっと突っ立って何して──むぐっ!?」


 リオがイリスの邪魔をしそうになっていたので、その体を背後から確保して手で口をふさいだ。


 リオはむーむー言ってじたばたしたが、俺の全力をもって取り押さえる。

 我が天使イリスが自力で成果をつかみ取ろうとしているときに、邪魔をさせてなるものか。


 ──それはそうと。


 この腕の中のやわらかいもの、抱き心地がいいな。

 とてもしっくりくる。


 それが暴れるのをしばらく抑え込んでいたら、そのうちぐったりして動かなくなったので、何の気なくさらにぎゅーっと強く抱きしめておく。


 ああ気持ちいい。

 こんな抱き心地のいい抱き枕があったら、年収はたいてでも買うわ。


 そういえば、俺が今抱いているもの、何だっけ……。

 イリスの邪魔をしようとしていた何かだったと思うけど、忘れたぞ。


 まあそれはいいか。

 それよりも、今見るべきはイリスだ。


 イリスはそのまま数分ほど、瞳を閉じた状態でぴくりとも動かなかった。

 生きた芸術のように、美しい姿でたたずんでいる。


 だがその内側では、魔力をコントロールし具現化するイメージを整えるために、必死に戦っているはずだ。


 俺はその姿を、固唾をのんで見守った。

 腕の中にある、何か心地のいいものを抱きしめながら。


 そうして、そろそろ十分ほどもたつのではないかという頃になって──


 イリスが、ゆっくりと瞳を開いた。


 イリスは組んでいた手をほどき、左手で右手首を支えるようにつかんで、右の手のひらを手桶に向かって突き出すと──


「──【水作成クリエイトウォーター】!」


 幼いながらも凛とした声を放つ。

 同時に、イリスが突き出した手のひらに魔力の輝きが集まり──


 ──バシャアッ!


 イリスの手から水が飛び出し、手桶に向かって注がれた。

 結果、手桶をその七分目ほどまでが水で満たされる。


 しかも狙い過たず。

 手桶の周辺には、水が飛び散ったあとすらほとんどない。


「──よしっ」


 それを見たイリスが、満足そうな笑顔を浮かべた。

 その姿がとても嬉しそうで、俺も微笑ましい気分になった。


 ……いやしかし、すごいわ。

 メイファだけじゃなく、イリスまで学んだその日に魔法を使えるようになるなんて。


 まさに超が付く天才だ。

 鳥肌が立つほどのすさまじい才能を目の当たりにして、俺は感動すら覚えていた。


 と、そんなとき、イリスが横手で見ていた俺のほうをチラと見てきた。

 俺は力強くうなずいてやる。


 が──

 そのイリスの顔が、凍り付いた。


「えっ……せ、先生……何、してるんですか……」


「……ん? 何って──」


 最初、俺の顔を見ていたイリスの視線が、つつつっと下のほうへと動いていく。


 俺はイリスの視線を追いかけるように、自分の腕の中へと目を向けた。


「あっ」


 俺の腕の中には、お目々ぐるぐる状態でぐったりとした、黒髪ボーイッシュな少女の姿があった。


 謎の教え子失神事件に、俺は恐怖した。

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