二章 幕間 『交わした約束』


 使用人見習いスオウ・ヒガナの朝は早い。

 寝坊してしまったら先輩であるココの肘が鳩尾に叩き込まれるので、意地でも早起きしなければならない。彼女の鳩尾打ちは容赦ないのだ。


 洗面所へと向かい寝惚けた意識を冷たい水で覚醒させ、自室にて身支度を整える。

 執事のような身なりになったヒガナは姿見鏡で自分の姿を念入りに確認。少しでも乱れていると他の使用人に指摘されるのだ。馬子にも衣装とはいったもので、通常の服装のヒガナより大人びて見えるから不思議だ。


「よしっ」


 自室を出てから、朝陽が射し込む長い廊下を進んでいく。すでに活動を始めている使用人とすれ違うたびに挨拶をする。

 すでに周知の事実だが、グウィディオン邸の使用人は全員が淫魔だ。

 淫魔たちの魅了という体質は最初こそヒガナを困らせていた。が、耐性がついた今では難なく使用人たちと会話を交わすことができるようになった。

 まぁ、美女、美少女たちなので話すのは緊張してしまうが。


 屋敷の外に出ると、お下げ髪の使用人見習いが洗濯物を干す準備をしていた。彼女はヒガナに気付いて花のような笑顔を咲かせた。


「おはようございます、ヒガナさん」

「おはよう、ベティー」


 同じ使用人見習い、アリス処刑騒動の件から関わりがあるので、ヒガナにとってベティーは最も気楽に話せる使用人になっていた。

 ヒガナのやることは、ベティーと一緒に先輩使用人にくっついて業務内容を覚えることだ。


 やはり、使用人たちにも個性はあり、指導が優しい、厳しい、適当などなど。特に厳しいのは当然というか給仕長で、適当なのはココだ。業務内容より、効率の良いサボり方ばかり教えてくる。因みに、何を教えようとしているか全く分からないのがナノである。



×××



 朝食後、いくつかの業務をこなし自由時間になったヒガナは、アリス、モニカと中庭に来ていた。

 アリスの件から二週間ほどの時間が流れたというのに、モニカがグウィディオン邸に逗留しているのには理由がある。


「ウォルトさんが一向に帰ってこないんですけど」

「……捨てられた」

「その同情したような言い方やめてくれませんか!? それに捨てられてませんし、ウォルトさんは私にぞっこんなんですから!」


 兎耳を悲しそうに垂らして辛辣な発言をするアリスに、モニカが金切り声で反論。

 ヒガナは執事服のジャケットを脱ぎ、ワイシャツを腕まくりしながら茶々を入れる。


「なるほど、モニカはウォルトさんにぞっこんと」

「そ、そそそんなわけ無いじゃないですか!」

「……顔真っ赤」

「〜〜〜〜っ!」


 顔を真っ赤にしてあたふたするモニカ。リアクションがいちいち面白いからからかってしまう。

 きっとウォルトも面白いからちょっかいをかけているんだな、とヒガナは思った。


「確か、ココの依頼にあたっているんだっけ?」

「そうです。私はウォルトさんを帰ってこさせるための保険ってことで置いてかれました。貴族の生活をまんきつできているので構いませんが」

「でも、ウォルトさんが居なくて寂しい?」

「はい………………あっ」


 ヒガナのニヤニヤ顔を見て、モニカはこれ以上ないくらいに顔を赤らめ涙目になりながら大声を張り上げた。


「ヒガナさんのバカーーッ!!」


 鼓膜を貫くようなキンキン声に、ヒガナは耳を、アリスは兎耳を塞ぐ。


「わ、悪かったよ」

「もう、知りません知りません! いじわるするヒガナさんとは話したくありません!」


 モニカは頬を膨らませて、そっぽを向いてしまう。

 こうする時は本当に機嫌が悪くなった時だとウォルトから聞き及んでいた。ついでにこうなった時の対応策もヒガナは聞いていた。


「そうだ、モニカ。後で王都観光しようぜ。ゆっくり観光したいって言ってたもんな」


 その瞬間、紫根の瞳が輝いて、むすっとしていた表情が一気に明るくなった。

 笑顔が一番映える可愛い顔をしている、とヒガナはモニカの笑顔を見るたびに思う。


「いいんですか?」

「もちろん。約束したもんな、一緒に観光するって」

「ありがとうございます! でも、そんな約束しましたっけ?」


 きょとんとするモニカを見ながら、ヒガナは寂しげに頷いた。

 今のモニカに覚えがないとしても確かに覚えている。──断絶した世界で交わした約束を。

 例え世界から消えていたとしても約束を守る。あの世界は確かにあったと胸に刻み込んでおくために。


「……そろそろ」

「わりぃわりぃ、待たせちゃったな」


 少しばかり距離を置き、二人は向かい合った。

 ヒガナはぎごちなく構え、対するアリスは自然体……というよりただぼんやりと立っているだけだ。


「行くぞ、アリス!」

「……どっからでも」


 手入れの行き届いた芝生を踏みしめ、アリスに向かって拳を伸ばす。

 軌道を読んで攻撃をいとも簡単に回避したアリスは、素早い動きでヒガナの懐に潜り込み、額にデコピンを喰らわせた。


「痛っ!」


 顔を顰めて額を押さえるヒガナを見て、アリスは呆れたように兎耳を萎えさせた。


「……弱い」

「それは分かっているけど、具体的にどこがいけないか教えてくれよ」

「……全部」

「抽象的過ぎる!」


 使用人見習い生活が始まってから、同時に始まったヒガナ強化特訓。

 この世界においてヒガナは弱い。あまりにも弱い。基礎的なスペックが低すぎる。

 それに、権能に関して絶大な信頼をおいているわけではない。

 時間遡行は死を伴い、自発的に発動した時の代償はあまりにも辛い。高速治癒の発動条件は不明。

 基本的に痛みを伴う力など使いたいと思うだろうか。

 いくら時間遡行でやり直すことができたとしても、死にたくないのが本音だ。


 死の可能性を少しでも下げるためには、ヒガナが強くならないといけない。

 そう思って始めた強化特訓。

 ココを筆頭に、アリス、ベティー、給仕長、時々アルベールの布陣で、スペックの底上げを狙っている。


 今日はアリスということで模擬戦だ。

 教えるのが絶望的に下手なアリスは実戦形式で、持っている技術をヒガナの身体に直接叩き込むという訳だ。

 因みにベティーは暗部で培った技術、給仕長は読み書きなどの一般教養、アルベールは剣術。ココは基礎トレーニングのメニュー作り、体調管理といったサポートをしてくれている。


『グウィディオン家は甘くありません。いつまでも雑魚のままでしたら三枚おろしにますよ』


 特訓開始時にココが言っていた言葉が頭によぎった。

 もちろん、ヒガナも雑魚のままでいるつもりは毛頭ない。

 今すぐ強くなることはできない。


「もう一回だ、アリス!」


 でも、それでも、一歩ずつ進むことはできるのだから。




 気付くとヒガナは広大な中庭の真ん中で大の字に倒れていた。右頬に鈍い痛みがあり、口の中にじんわりと血の味がした。

 ヒガナをノックアウトさせた張本人が、真上から覗き込んできた。


「……やっと起きた」


 真下から見るアリスはなかなかに乙だ。もし、スカートだったらパンツが丸見えだな、と下らないことを考えながらアリスに話しかけた。


「なぁ……アリスちゃん、いくらなんでも強くね?」


 記憶している限り、アリスの攻撃を一回、たった一回喰らっただけでヒガナの意識は飛んでしまった。


「……本気でやってない……ヒガナが紙耐久なだけ」

「紙耐久って……なんでそんな言葉知ってんだよ」


 相変わらずの現代的な語彙を使うアリスに驚きつつ上体を起こす。

 それと同時に、モニカが氷嚢を両手に抱えながら屋敷の方から駆け足でやってきた。


「あっ、ヒガナさん起きたんですね。あまりにもキレイな倒れ方に本気で心配しましたよ」

「俺のために貰って来てくれたのか。ありがとう、モニカはどこまでも優しいな」


 お礼を言ったヒガナは氷嚢を頬に当てる。氷の冷たさが痛みと熱を緩和している感覚に、少しばかり安堵した。


「べ、別に優しくありませんから」


 頬を赤らめて照れ隠しをするモニカはやはり可愛らしかった。



×××



 本日の特訓を終えたヒガナは、モニカ、アリスの二人と王都観光に繰り出していた。

 どこで手に入れたのか、観光スポットやオススメの店が記載されているガイドブックを片手に、モニカはウキウキ気分で石畳みが敷かれた道を弾むように歩き、紫紺の瞳を爛々と輝かせていた。

 ヒガナも王都を落ち着いて散策するのは、これが初めてだったのでモニカと一緒に感動を分かち合う。


 昔、王都に住んでいたアリスは、ガイドブックにも載っていない穴場を紹介したりと、案内役として素晴らしい活躍をしてくれた。

 視覚で、聴覚で、嗅覚で、味覚で、触覚で──五感全てで王都を堪能した三人。


 彼らが次に向かったのは、王都に来たら絶対に行きたいと、モニカが鼻息荒く言っていた王国最大の美術館──ミラ・クルム美術館。

 気品のある壮麗さを醸し出す重厚な建物は、至る所に彫刻や彫像があり、それ自体が最高の芸術品のようだ。あまりに巨大で終わりが見えなく、宮殿と言われても納得できる。

 入り口付近の広場には、数多くの観光客がひしめき合っており、はぐれたら合流するのに少しばかり時間がかかりそうだ。


「あー! うさぎさん!」


 幼い声が聞こえた。

 声の主である五、六歳くらいの女の子は無邪気な笑顔を見せながら、アリスに近付いてきた。


「おみみー」


 女の子の興味を引いたのは兎耳のようだ。

 アリスはもっとよく見えるように、しゃがんであげる。

 女の子が兎耳を見て大喜びしていると、母親らしき女性が慌てた様子で駆けてきて、女の子を抱き上げ、申し訳なさそうに頭を下げた。


「すいません、うちの子が」

「……気にしてない」


 安堵した母親は、アリスを見て「可愛い……」と小さく呟いた。

 すると、広場にいた人々が次々にアリスの存在に気付き、続々と集まってきて、数分もしないうちに囲まれてしまう。

 彼らの目には以前のような悪意や嫌悪の感情は一切なく、好意に満ち、口々に賞賛や褒め言葉を述べていた。


「………………」


 その光景を眺めるヒガナは、嬉しそうに頬を緩ませていた。

 足掻いて、這い蹲って、醜態を晒して掴み取った真実は、アリスに対する民意を反転させたのだ。今やアリスは陰ながら貴族の命を守り続けていた尊敬の対象となる人物となっている。

 結局、ヒガナが処刑台で叫んだことは殆どの人には届くことはなく、人々は民意の流れに乗って意見を述べているだけだ。


 ──それでも、アリスが慕われてるのなら良いじゃないか。


 ふと、モニカの方を見る。

 深く被ったフードの奥で光る紫紺の瞳には、どこか羨望の色が滲んでいるように思えた。

 なぜ、そんな眼差しをしているのかは本人に聞くまでもなかった。


 ウォルトの言葉を思い出した。


『アイツもさっきの魔神のように、ずっと孤独だったんだ。いくら気丈に振る舞っていても、内心には孤独という恐怖が深く根付いている』


 彼女の心に巣食う孤独がどれほどのものかは分からない。

 しかし、孤独の辛さや心細さは少しだけなら分かる。──それを多少なりとも癒す方法も。

 モニカに手を伸ばす。


「こんだけ人が多いと迷子になりそうだ。モニカ、俺が迷子にならないように手を握っていてくれないかな?」


 一瞬の驚き。

 喜びを浮かべるも、すぐに別の感情で隠して、


「しょうがないですね。しっかり握っているので安心してください」


 と言って、モニカはヒガナの手を優しく握った。



×××



「見てください、この色使い! それにこの迫力! やっぱり実物は全然違います!」


 巨大な油絵を見て、早口で魅力を述べるモニカ。

 モニカは芸術に関してかなり造詣が深く、美術品一つ一つを丁寧に情熱的に解説してくれるので、館内に入ってからずっとヒガナは聞き役に徹している。

 芸術を知るのは、世界の歴史を知ることを意味する。


 モニカの説明は上手いが、いかんせん熱が入り過ぎているので、傾聴するヒガナには若干の疲労が浮かんでいた。

 アリスはというと、ヒガナたちの周りをフラフラ歩き、たまに美術品をぼんやりと眺めていた。


 しばらく館内を散策していると、ヒガナはある絵画に目が止まった。

 幻想的な景色を背にした女性の絵だ。女性は全身が描かれている。法衣ともドレスとも捉えることができる服装。髪の色は濡羽色、顔はヴェールのような物で隠されているが、その奥は紺碧の輝きが二つ灯っている。


「この絵は……」

「これは、『終焉の魔女』という作品です。いつ描かれたのか、誰が描いたのか、何のために描いたのか……何一つ分かっていない謎多き名画です。謎を解き明かそうと多くの芸術家や専門家、考察者が挑み、散っていったんですよ。なんて罪な名画なんでしょうか……」

「そうなんだ」


 うっとりとしながら説明をするモニカを一瞥して、ヒガナは改めて絵画に目を向ける。


「気になりますか?」

「終焉の魔女ってのがどうも気になって。確かニルヴァトナっていう人の異名なんだよな?」

「異名とはちょっと違いますが……ヒガナさん、ニルヴァトナのことは知ってるんですね。なるほど、なるほど。そういえばニルヴァトナ関連の展示物があるので、見に行きましょう!」


 モニカに手を引かれるままに、ヒガナは館内を進んでいく。たまに後ろを確認してアリスがちゃんと付いて来ているかを確かめる。

 しばらく歩いたのち、展示物の前で立ち止まる。

 幾重にも張られた──おそらくは防犯対策だろう──魔法陣。中心に設置されている強固そうなガラスケース。その中に鎮座されている冠が目的の代物だろう。


「これこそ正真正銘、本物の『ニルヴァトナの聖遺物』です! そのうちの一つ『ゼラニウムの冠』!」

「ゼラニウムの冠?」

「はい。冥界を統べる者ゼラニウムが所持していたことから、そう呼ばれています。身に付けると魔法が使えるようになるそうですよ」

「冥界を統べる者、か。急にファンタジーだな」


 一見すると何の変哲もない冠だが、そう言われると妙な威圧感があるような気がしてくる。

 それに、心を捉えて離さないような──。


「……触らないほうがいい」


 気がつくと、アリスに右腕を掴まれていた。

 どうやら無意識に右腕を冠へと伸ばしていたようだ。


「何しているんですか。その魔法陣に触れた瞬間に警備の人に捕まってしまいますよ」

「わりぃわりぃ、つい気になって」


 呆れたように溜め息を零すモニカ。


「……悪い手」


 そう言って、アリスが手を握ってきた。その顔は読み取りにくいが嬉しそうでヒガナも握り返す。

 その後の美術館巡りは両手に花状態で、幸福感と少しの恥ずかしさがあった。



×××



 美術館を出てグウィディオン邸に戻っている最中も、モニカの興奮は冷める様子がなかった。


「素晴らしい王都観光ができました! 本当にありがとうございます、ヒガナさん、アリスさん!」

「……うん」

「俺も楽しめたからお互い様だよ。また美術館行こうな」

「絶対に行きましょうね! 今度はソロモンシリーズが見たいです!」


 そんな和気藹々とした会話をしながら貴族街を歩き、グウィディオン邸が視界に入った時、門前に誰か居ることに気が付いた。


「ソフィアか?」


 遠くからでもハッキリと分かる純白の髪が夕方の風になびいている。

 しかし、その姿が明確な像を帯びるにつれてヒガナの心臓は鼓動を早くする。


 彼女がヒガナたちに気付き顔を動かす。右耳にだけに着けられた逆十字架のイヤリングが心地良い音を奏でた。


 腰まで伸びた純白の髪に真紅の瞳。

 月すら劣等感を抱くであろう蠱惑的な美少女。その美しさは人間の領域から乖離している。

 百合と天秤の紋章が刺繍された白い外套、中の衣服も白を基調としているからなのか、彼女の清廉さが極限までに引き上げられていた。


「プリムラ……」


 ヒガナは驚きを隠すことができない。

 モニカはヒガナの反応に首を傾げる。

 アリスは警戒心を最大限にして臨戦態勢を整えようとする。


 三者三様。

 それに対して、プリムラは柔らかな笑みを浮かべる。


「こんにちは、ヒガナ。それともこんばんは?」

「あ、あぁ」


 ぎこちない返答。

 それだけでも満足そうにプリムラは微笑み、少し屈んでモニカを見つめる。

 真紅の瞳に捉えられて、モニカは少し居心地が悪そうな面持ちだ。


「そう、貴方が」

「何がですか?」

「いいの、こっちの話。それより名前を教えて。名前が分からないとグリザイアのハーフエルフって呼ぶことになるけど……そう呼ばれるの嫌でしょ?」


 紫紺の瞳が驚きに染まり、モニカは反射的に距離を置く。


「なっ、何で!?」

「認識阻害の術式なら効かないわ。それにグリザイアに対して偏見も何も感じてないから」

「ずいぶんと浮世ばなれした方ですね。……私はモニカと言います」

「プリムラ・アルビオン。よろしく、モニカ」

「よろしくお願いします、プリムラさん。ここへはヒガナさんに会いに来たのですか?」


 モニカの質問にプリムラは頷く。


「そうよ。だから貴方たちには悪いけど二人きりにしてくれない?」


 答えを聞いたモニカは「なるほど」とニヤついて、アリスを連れて屋敷の中へ向かおうとする。

 しかし、アリスはプリムラを睨みつけたまま、ヒガナの側を動こうとしない。


「安心して、ヒガナを傷つけたりしないから」

「……信じられない」

「それはヒガナの仲間だから? それとも血が拒絶してるから?」

「……?」


 ヒガナがアリスの肩を軽く叩いた。


「大丈夫だから。モニカと先に屋敷に戻っていてくれ」

「……でも」

「いざって時は屋敷に逃げ込むか、大声でアリスを呼ぶから」

「……うん」


 渋々納得したアリスはモニカと一緒に屋敷の中へ入って行った。

 気合いを入れてからヒガナは相手に視線を向ける。プリムラはやけに上機嫌な様子で近づいてきた。


「私のこと信じてくれたの?」

「別に。ただ、アリスからお前を遠ざけたかっただけだ」


 その答えを聞いて、プリムラの美しすぎる面貌は少しばかり不機嫌に歪む。


「プリムラ」

「え?」

「お前じゃなくてプリムラって呼んで。それにソロフォロニウス城のことは私の方が被害者だと思うんだけど。先に襲ってきたのはあの子の方」


 言っていることは間違ってはいない。ソロフォロニウス城で先に仕掛けたのはアリスだ。だが、正当防衛といえども、傷を治したといえども彼女がアリスに致命傷を与えたのは紛れもない事実だ。

 簡単に信用できるわけがない。

 そう、頭では思っているのに、心の方ではプリムラに不可解な信頼を抱いている。

 このちくはぐさは一体何なのだろうか。


「そうだな……お前呼びは良くなかったし、アリスのことも謝るよ。確かに先に仕掛けたのはこっちだ」

「いいよ。でも、ちゃんと名前で呼んでね」

「分かったよ」

「ところで、あの二人とは何してたの? 随分と楽しそうだったけど」


 探るような真紅の瞳にヒガナは何とも言えない後ろめたさが滲んできた。

 悪いことなど何一つしていないのに。


「王都観光していたんだ。モニカと約束していたから」

「へぇ、そう。そういえばさっき私のこと見てソフィアって言ってたけど、それは誰?」

「グウィディオン家の相談役の女の子だけど……。その、プリムラと同じ髪色で雰囲気も似てたから」

「私と? まぁ、いいわ。で、この屋敷って淫魔が沢山居るって聞いたけど本当なの?」

「あ、あぁ、まぁ、そうだな」


 まるで尋問されているかのようだ。

 プリムラはなぜか周りの女性たちのことを執拗に聞いてくる。答えるたびに妙な重圧がかかってくるような気がしてしょうがない。


「もしかして妬きもち焼かせようとしているの? だとしたら大成功、今凄く妬いてるから」

「そんなつもり毛頭ないんだけど!? つか、プリムラって本当に何者なの? 俺のこと知っているみたいだし、もしかしてどこかで会ったことある? 実は彼女とかいう展開だったりしたりする?」


 途端にプリムラは顔を真っ赤にして口元を両手で隠す。

 その反応にヒガナは驚きを隠せない。まさかの軽口が的中したというのか。仮にそうだとしたら、実の恋人を忘却している最低野郎の称号を手に入れることになってしまうが。


「もし、私が彼女だったらヒガナは嬉しいの?」

「ま、まぁ、こんなに可愛い子が彼女だったら嬉しいかな」

「も、もう! そんなおだてても駄目だよ!」


 露骨に機嫌が直るプリムラ。

 訳が分からないヒガナは後頭部をさすりながら苦笑いしかできない。

 その後、たわいのない会話を交わしてからプリムラは上機嫌で帰ってしまった。

 小さくなっていく彼女の背中を眺め、激しい鼓動を奏でる胸を押さえながらヒガナは呟く。


「一体何しに来たんだ? つか、結局何も教えてくれなかったし」


 しかし、不思議と確信があった。

 遠くない未来。

 再びプリムラと巡り会う気がする、と。



×××



 純白の髪を揺らして王都を歩く美少女が一人。その足取りは羽が生えたように軽く、誰がどう見てもご機嫌といった様子だ。


「そんなに楽しかったのー?」


 プリムラの隣で浮遊している桃髪の少女がニヤつきながら質問をする。完成された美しい肢体を惜しげもなく露出させた服装。その上に天秤と百合の紋章が刺繍された黒い外套を羽織っている。

 ルピナス・グリザイア。『国喰いの魔女』の異名を持つ存在であり、プリムラの相棒でもある。


「うん、とても楽しかった」

「プリムーが上機嫌になる相手とか全然想像できないなー。今度紹介してよ」

「機会があればね」

「やった! それで、あのことはちゃんと伝えたの?」

「あ」


 ルピナスのさりげない質問に、ヒガナに会いにいった理由を今更ながら思い出した。

 言葉を交わす。たったそれだけでも嬉しくて、それに加えてあんなことまで言われて完全に舞い上がっていた。


「もしかして伝えてないの?」

「うん。忘れてた」

「プリムーってそういうとこあるよねー。でも、良いんじゃない? 確率でいったら限りなく低いんだし」


 ルピナスの意見にプリムラは曖昧に頷く。


「そうなんだけど……ヒガナは危険を引き寄せるし、危険に飛び込むのが大好きだから」


 プリムラの不安そうな呟きは王都の喧騒に消えていった。

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