二章 第13話 『諦めるにはまだ早い』
モニカの提案はヒガナにとってまさに寝耳に水だった。
「アリスを救う……そんなことできるのか?」
目を見開くヒガナに対して、モニカはこくりと頷く。
「はい。かなり強引な方法ですが勝算はあります」
「それってどんな……」
「おっと、これ以上は答えられませんよ。ヒガナさんが協力してくれるなら、お話してもいいんですけど」
チラチラと顔を伺ってくる桃髪の少女に、ヒガナはあざとさを感じてしまう。アリスを救う手立てがあるならそれに喰いつかない訳がない。
しかし、ヒガナは回答に躊躇う。
アリスを救いたい気持ちはある。
その反面、自分が関わることでアリスに更なる不幸を招き寄せるんではないか、という疑念が脳裏の片隅を叩いている。
──もう、このまま何もしない方が良いんじゃないか?
自分に対して疑心暗鬼になってしまったヒガナは口ごもり、モニカの首に付けられたチョーカーの様な奴隷霊装に視線を落とす。
「俺は……」
反応を見ていたモニカの表情がみるみるうちに険しくなっていく。紫紺の大きな瞳に疑念の陰りが現れていた。
「断ろうとしてますか?」
「正直、迷っている」
ヒガナの煮え切らない態度にモニカの感情は一気に沸点に達した。感情の赴くままに声を大きく張り上げる。
「なぜ迷う必要があるんですか! アリスさんはこのままだと処刑されてしまうんですよ! それをヒガナさんは黙って見ているんですか!?」
処刑、という言葉にヒガナはハッと顔を上げた。
「アリスは、やっぱり処刑されるのか……」
「明日、広場にて民衆の目の前で火刑に処される予定です」
「────っ!」
炎に包まれ皮膚は焼き爛れ、下から昇る煙に呼吸が出来ず苦悶するアリスのことを想像してしまったヒガナは吐き気を催して目の前が真っ暗になった。
「このままならアリスさんは確実に死にます。でも、私たちが、ヒガナさんが行動を起こせば死を回避することができるかもしれないのに! それなのに……一体何をためらっているんですか!」
「躊躇っているんじゃない……俺が動くと、返ってアリスの立場を悪くする。アリスを不幸にする……そう思うと……」
紫紺の瞳が苛烈に輝く。愛らしい顔立ちは怒りに染められ、ヒガナを糾弾する。
「バカッ!! ありもしない、無実の罪を被せられたまま死ぬことが幸福だって言うんですか!」
「──っ。そんな訳ないだろ!」
「でも、ヒガナさんは肯定しているじゃないですか!」
「……………………ぁ」
ヒガナは、モニカに言われて初めて気付いた。
いや、初めから気付いていたが知らないふりをしていただけだ。
騎士団に囲まれた瞬間から考えるのをやめ、アリスの死を肯定していた。
それは、唾棄すべき思考の放棄。
何が更なる不幸だ。
すでに最悪の結末は目前に控えている。
これ以上、どう悪くなるというのだ。
内心では理解していた。
それなのに逃げようとしていた。最悪から目を背け、耳を塞いでいた。考えることを放棄すれば苦悩から解放されると思っていた。
「正直に言います。こうして、ヒガナさんに声をかけたのは私たちの目的を遂行するためでもあります。ですが、アリスさんを救いたいと思う気持ちはまぎれもない本心です。でなければ王国にケンカを売るようなことをしません」
「………………」
「アリスさんはまだ生きてます。処刑までには少しですが時間があります。私たちがいます。ヒガナさん自身がいます」
一拍置いて、モニカは紫紺の瞳に柔らかな桜色の声に強い想いを宿す。
「──諦めるにはまだ早いです」
「────っ」
逃げ道はモニカによって打ち砕かれた。
彼女が現実を直視させた。最悪の事態かもしれない、それでも立ち向かえと、共にアリスを救おうと言ってくれた。
希望はまだ潰えてはいない。
モニカによってもたらされた希望の光がヒガナの背中を優しく押した。
「そうだ、そうだそうだっ。諦めるにはまだ早い、早過ぎる! それなのに俺は勝手に見限っていた。クソッ! 俺は何をしているんだ!」
自分の愚かさを痛感せざるを得ない。
だが、反省は後ですればいい。
ヒガナはずっと見れていなかったモニカの瞳に視線を向けた。
「モニカ、俺と協力してアリスを救ってくれないか?」
完全に立ち直った訳ではないが、ヒガナの表情に意志が確かに戻った。
「もちろん。最初からそのつもりです」
その言葉が聞きたかった、と言わんばかりの表情でモニカはにこりと笑った。
×××
モニカの案内でヒガナがやって来たのは、入り組んだ裏路地の進むと現れる広がった空間のさらに奥にある宿屋だった。
王都に建設されている建物にしては味がある、悪く言えば後ろ暗く不穏な印象を受ける、そんな宿屋だ。
フロントロビーの方に目を向けると、いかにも怪しそうな笑みを張り付けた男性やナイフを舐めて悦に浸る女性が居た。
「あ、あのモニカさん。ここって結構危ないところなんじゃ……」
「ヒガナさんにとっては危ないところかも知れませんね。ここは裏社会の住人御用達の宿屋です」
「裏社会……殺し屋とか?」
「はい、殺し屋の方も居ますよ。例えば、あのナイフ舐めてる女性はカチェリーナさん。通称バタフライ。殺した相手の腹を裂いて、腸をちょうちょ結びにするという変な趣向を持った人です。危険人物なので関わらないのが吉です」
「お、おう」
平然と危険人物の紹介をする桃色髪の少女に、ヒガナは少しばかり距離を感じた。
ヒガナからすれば非日常だが、モニカにとってはこれが日常なのだろう。彼女と同じ視点に立つとしたら、ヒガナは裏の世界に踏み込み、どれほどの時間を過ごせばいいのだろうか。
フロントロビーを抜けてから廊下を進んだモニカは、とある部屋の前に立ち止まりノック無しでドアを開けた。
促されて部屋の中に入る。煙草の匂いが鼻腔に無遠慮に入り込んできた。
モニカは咳込みながら、窓際で腰を下ろして口から紫煙を吐き出す人物を睨みつけた。
「けほ、けほ……そうやって毎日すぱすぱっ! 何箱吸えば気がすむんですか!」
無造作に生えた灰色の髪、やる気のなさそうな瞳、シックなスーツをだらしなく着こなす、大人の色気を醸し出す長身の男──ウォルトはモニカの苦言をスルーして、喫いかけの煙草をテーブルの上に置いてあった灰皿に擦り付けて消す。それから、ヒガナに視線を向けた。
「久しぶりだな」
「俺は久しぶりですけど、そっちは違いますよね。尾行していた。……目的はアリスですか?」
「立ち話もなんだ、適当に座ってくれ」
ヒガナは少しがたつく木の椅子に、モニカはベッドにちょこんと座る。
二人が座ったのを確認して、ウォルトは胸ポケットから煙草を取り出して火を付けた。
「モニカ、どこまで話した?」
「詳しいことは何も話していません」
ウォルトは理解し頷く。
「俺たちが尾けていた理由はヒガナがさっき言ってたのが正解。アリス・フォルフォードが目的だ」
「アリスをどうするつもりだったんですか?」
「依頼主の元に連れて行く予定だった」
「依頼主? ってことは、ウォルトさんとモニカは依頼のために俺たちを尾行していたんですか」
「本来なら依頼内容を他人に漏らすのは良くないが……」
少し迷ったのち、ウォルトはヒガナに依頼内容を開示する。
依頼内容は以下のようになっていた。
・成功条件はアリスを依頼主の元に連れて来ること。
・アリス及び彼女の関係者の意思を第一に尊重すること。
・強引な手段は禁ずる。
聞き終えたヒガナはある疑問が浮かんだ。
「その依頼内容なら、わざわざ尾行しなくてもセルウスで直接言ってくれれば良かったと思うんですけど。事情さえ話してくれればアリスも協力した筈です」
「俺もその意見に同意だ。それにストップをかけたのが、そこのちびっ子って訳さ」
「モニカが?」
ヒガナが目を向けた瞬間に、モニカは凄まじい勢いで顔を背けた。
怪しすぎる。
「だ、だって……ヒガナさんたちには目的地があったようですし。それに次の目的地は王都だと言うので」
頬を赤らめてもじもじと言い訳するモニカを見て、ヒガナは彼女がストップをかけた理由を察してニヤついた。
「モニカも王都に来たかったんだな」
「むぅ〜そうですよ! 依頼主から資金援助を貰えている今のうちに王都観光したかったんです。お金のことを気にせずに好きな場所に行って、好きな物を食べられるとか最高じゃないですか」
「相変わらず腹黒いな!」
「いいじゃないですか、ちょっとくらい息抜きしても! 大体、ヒガナさんたちが問題ばかり起こすから観光なんてロクに出来てませんよ! ウォルトさんも面倒なことは全部私に押し付けて! 少しは私をねぎらってください!」
明らかな八つ当たりだが、ヒガナは前の周回での件もあり申し訳なく思った。
「分かった。全部片付いたら一緒に観光しよう。俺もゆっくり観光したかったんだ」
ぱっと顔色が明るくなるなったモニカ。ヒガナの提案がよほど響いたのだろう。
「言質取りましたよ、ヒガナさん。絶対の絶対ですからね」
「あぁ、約束は守るよ」
満面の笑みを浮かべてから、モニカはウォルトに対して恨めしそうに言う。
「こういう気遣いがウォルトさんに少し、ほんの少しでもあれば良かったのに」
「そいつは悪かったな。なんならヒガナのところに行ってもいいぞ」
ムッと形の良い眉を寄せるモニカ。
「そうやって意地悪言うなら本当に行っちゃいますよ? いいんですか? 困るのはウォルトさんの方ですからね? 一人じゃ何もできないんですから」
肩をすくめて、「冗談だ」と言いウォルトは話の筋を元に戻す。
「確かにヒガナたちに話を持ちかければ簡単な話だった。だが、事態が一気に変わった」
「………………」
「アリスが処刑されたら、俺たちは依頼失敗だ。それだけは何としても避けたい……依頼主のためにも」
ウォルトの瞳には確かな意志が宿っているのを感じ、ヒガナは彼を、少なくともアリスの件に関しては信頼に足る人物と判断した。
「騎士団に身柄を確保されているとなれば接触は厳しい。救うにしても手立てがない……これじゃ手詰まりだ」
「いえ、あります。アリスさんを救出する唯一の機会が」
「そんな機会があるのか……いや待て」
顎に手を添えてヒガナは考え、ウォルトとモニカの狙いに気付き背筋に熱が走った。
「まさか、処刑の瞬間にアリスを救出するっていうのか? そんなの……」
「無謀だろうな。けど、それは俺とモニカ、二人だけの話だ。ヒガナが居れば勝機はある」
ウォルトは懐からある物を取り出し、テーブルの上に置いた。
鈍く黒い輝きを放つ凶器の登場にヒガナは目を丸くした。
「これから話す計画を聞いて、これを受け取るかどうか決めてくれ」
テーブルの上に置かれた銃はヒガナの覚悟を品定めしているようだった。
──何としてもアリスを救う。
その想いを胸に、ヒガナは厳かに頷きウォルトの声に耳を傾けた。
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