断章 第2話 『王都への歩み』


 出発当日の早朝。

 屋敷の門前には、アルカへ向かうココ、アルベール、クラリス、ヨハン、ヒガナの五人。それを見送るウェールズとアリス、ウォルト、モニカが居た。

 今回の人選に不満を抱いているアリスがヒガナに声をかける。兎耳はいつもより力なく垂れていた。


「……ヒガナ」

「俺は大丈夫だから、アリスはウェールズさんを守ってくれ。あと、ルーチェの面倒も」

「……うん」


 少しでも安心させようとアリスの頭を優しく撫でる。艶やかな亜麻色の髪の感触を感じながら、ヒガナはウォルト、モニカに視線を向ける。


「ウォルトさんたちもお願いします」

「報酬分はきっちり働くさ」

「任せてください。ヒガナさんも十分に気をつけてくださいね」

「ありがとう、モニカ」


 互いの安否を願う。

 思えばウォルト、モニカとは異世界召喚初日からなんやかんやで交流が続いている。初日からこんなにも頼りになる二人と知り合えたのは幸運の一言だ。


「今回は危険と不幸に愛されている二人が別々ですからね。分散されて少しはマシになるのでは? 双方全滅もありえますが……そうなったら仲良く全員で土の下で眠りましょうか」


 朝が相変わらず弱いココは大きな欠伸をしながらヒガナとモニカを見つめて嘲笑する。

 モニカはむすっとして、ヒガナに苦言を漏らす。


「ずっと思っていましたけど、あの人感じ悪いです」

「それには激しく同意だ。本当に性格最悪だよな、この性悪美少女」

「そんなに褒めても何も出ませんよ」


 苦言などどこ吹く風のココ。暖簾に腕押しとはまさにこのことだろう。


 その後、ヒガナたちは馬車に荷物を乗せたりと出発の準備をする。

 数十分ほどで準備が完了し、ココは当主にカーテシーをする。ついさっきまで大きな欠伸をして眠そうにしていたとは思えないほど、彼女の所作は優雅で洗練されていた。


「それでは行って参ります」

「うん。気をつけてね、みんな」


 朝陽に照らされて青白い顔がさらに白く見えるウェールズが朗らかに言う。このまま昇天してしまうんじゃないか、とその場に居た全員が少し不安になった。



×××



 馬車は街道を進んでいく。

 御者はアルベールが務め、他は客車に座って談笑をしていた。

 正確に言うと談笑ではない。先ほどからヨハンがクラリスのことを延々と語っているのだ。ヒガナやココの反応は一切無視。とにかく自分が伝えたいことを機関銃のように喋っている。今はクラリスとの出会いを凄まじい熱を込めて話している。

 因みに自分のことをずっと話されているクラリスは顔を真っ赤にして俯いて動かない。


「──そして、オレは師匠に救われたんっすよ。その時に『オレもこんな風に人を救いたい!』と思って、師匠に弟子入りしたんす」


 頬づえをついて欠伸をするココ。彼女はこの話をかれこれ五十回は聞いている。最初こそ面白く聞いていたが、回数を重ねるごとに面白さは薄れていった。今では内容も完璧に覚えてしまっているので聞く気すら起きない。

 退屈を紛らわせるためにココは隣をチラリと見る。

 ヒガナは黒い瞳を輝かせて、感動で全身を震わせていた。


「すげぇ……良い話だ。クラリスさんこそ真の治癒術師だ! 医神だ! この世界のブラックジャックだ!」

「そうなんすよ! 師匠は神っす! 医神なんすよ! ヒガナなら分かってくれると思っていたっす!」

「お、おおお願いだからやめて……欲しい」


 ヒガナとヨハンが盛り上がる中でクラリスが恥ずかしそうに呟く。しかし、彼女のか細い願いは熱に浮かされている男子二人の耳には全く届いてなかった。

 続いて苦言を呈したのはココだ。


「盛り上がるのは結構ですが、神とかいう単語を出すのはやめてくれませんか? 頭が痛くなるんです」

「ココさん頭が痛いんすか? 出番っすよ、師匠!」

「本当に人の話を全て聞かないですね。それにクラリスが医神なる存在なら死んでも診られたくないですね」

「なっ!? 師匠の治療を拒むなんてありえないっす!」

「神に治療されたら返って具合が悪化しますよ」


 ヨハンが首を傾げる。

 ココの言っている意味がよく分かっていない様子だ。


「何で?」

「はぁ……クラリスのこと以外は記憶できないんですね。前にも言いましたけど、私は淫魔、魔族です。魔族にとって神は天敵なんですよ」

「あれ? あー、そういえば聞いた気がするっす。忘れていたっす、申し訳ないっす」

「別に構いません。絶対に覚えておけという情報ではありませんから」


 一連の話を聞いていたヒガナはあることに気がついた。


「そういえばソフィア居なかったな」


 見送りの時に白銀髪黒瞳の少女の姿がどこにもなかった。

 早朝ということもあってまだ寝ていたのかもしれないが、なんとなくソフィアらしくなくて腑に落ちない。


「ソフィア様なら昨日の夕食後に荷物持って出かけていきましたよ」

「そうなのか?」

「時々あるんですよ。何をしているかは知りませんが数日は帰ってきません。見送りされなくて残念でしたね」

「まぁ、そうだな。どうせなら見送られたかったかな」


 ここでヒガナはずっと気になっていたことを聞いてみる。


「ところでさ、何でソフィアは様付けなの?」


 ココが様を付ける相手は三人居る。

 一人は言わずもがな当主ウェールズ。

 一人は相談役という謎の立ち位置であるソフィア。

 一人はかつて魔族を束ねていた魔族の王ルーチェ。

 ウェールズ、ルーチェは分かるが、ソフィアは正直分からない。互いの性質だけを見れば天敵同士もいいところだ。


「あぁ、別に意味はないですよ。役職決めた時に何となく様をつけて呼んでいたら定着しただけです。今さら変えるのも変ですから」

「そうなのか。もっと深い理由があるのかと思っていた。実はソフィアはどこかの国の王女様でグウィディオン家が匿っているとか」

「そんなことあるわけないじゃないですか。そもそも彼女がどこの誰かも知りませんし」

「知らないって。……えっ!? 知らないの!?」


 グウィディオン家は懐が深いのか、脇が甘いのか……。

 少しだけ心配になったヒガナだった。




×××



 時刻は昼時となり、ヒガナたちは昼食を取るために馬車を停めた。

 馬車から降りたヒガナは大きく伸びをしながら、目の前に広がる草原を眺める。

 蝶や蜜蜂が花と戯れ、涼やかな風が草木を優しく撫でている。穏やかで心地良い景色に心が安寧に包まれるようだ。


 汚れないように大きめの布を敷いて、その上にランチバスケットを置く。中身はサンドイッチだ。使用人たちが丹精込めて作ってくれた一品。

 パンのふわふわ、卵のしっとり、野菜のシャキッとした食感が絶妙に合わさり、口の中に旨味が広がり幸福感に包まれる。

 ロケーションも相まっていつも以上に美味しく感じ、食事の手が止まらない。


「あとどれくらいで着きそうですか?」

「夕方には着くだろうな」

「そうですか。引き続きよろしくお願いします」

「ああ」


 アルベールに確認を取っているココをヒガナは物珍しそうに見つめていた。

 視線に気付いたココは咄嗟に身体を手で隠した。白縹しろはなだ色の瞳が忌々しそうに睨みつけてくる。


「油断も隙も無い。ここでアルベールに首を刎ねてもらいましょうか?」

「すげぇ、誤解されてんだけど!?」

「誤解? 私は厭らしい視線を感じました。被害者がそう感じた時点で犯罪は発生しているんです」

「違うって! ただ、食べてる姿を見るの初めてだったからつい……」


 それなりに生活を共にしているが、ココが食べる、寝るなどの行動をしているところをヒガナは一度も見たことがなかった。それ故に食事するココという珍しい状況に視線が向いてしまったのだ。


「この間はいつ寝ているのか、今回は食べているところ。次は性欲の話でもするつもりですか?」

「──っ!?」


 食事、睡眠は三大欲求に数えられ、残り一つはココが述べた通り。意図せずに流れができてしまっていることに今更ながら気がついた。

 顔を真っ赤にしてあたふたするヒガナを見て、ココは肩を竦める。


「ヒガナ君は本当に私のことが好きなんですね。全く困ったものです。ですが、好きだからって根掘り葉掘り聞こうとするのは悪手なのでやめた方がいいかと。ついでに言いますと、好きな相手こそ知らない部分を残しておいた方がいいですよ。知らないからこそ魅力的に見えるなんてことはざらにありますから」

「本当に違うって……その、ごめんなさい」


 しょんぼりするヒガナを眺めるココはとても満足そうだった。


 それから昼食を終えて、出発の準備をすることに。

 ココ、クラリス、ヨハンと目的地に到着した後の段取りについて話し合っていたので、ヒガナが片付けをしていた。といっても布をたたんで、ランチバスケットを馬車に戻すだけの簡単なものだ。川などがあればコップを軽く洗ったりもしたが、無いのでそのままだ。


「こういう時に魔術が使えれば」


 ヒガナは水魔術を操る少女──リノのことを思い出していた。

 関連して、ハンナ、ダリルのことも脳裏に浮かぶ。

 同時に七日間の手に汗握る冒険、悪辣なる人間のことを思い出して何とも言えない感情になる。心なしか腹が痛くなってきた。

 首を振って、綺麗な別れ方ができた三人に想いを馳せる。


「みんな、元気かな。今頃何をしているんだろうな」


 馬車に全部乗せたところで、アルベールが近づいてきた。

 鍛え抜かれた身体、身軽な服装、二本の剣を腰に差している出で立ちはヒガナの想像する剣士そのものだ。


 正直なところ、ヒガナはアルベールに対して物凄くカッコいい、仲良くなって冒険譚とか聞きたいと思っている。

 だが、当のアルベールが近寄りがたい雰囲気をこれでもかというくらいに出しているので、未だに顔見知り程度の距離感だ。


「──お前は馬鹿だ」


 いきなり罵倒されて、ヒガナは呆気に取られてしまう。

 水を勢いよく喉に流し込んで、水筒を馬車に音を立てて置き、同じ言葉を繰り返した。


「お前は馬鹿だ。グウィディオンには、ココには関わるなと忠告したにも関わらず、ココと仲良くし、挙げ句の果てには使用人になった。底抜けの大馬鹿クソ野郎だ」


 ここまで一方的に言われてヒガナも黙っていることはできない。眉間にシワを寄せて刺々しい口調で言い返す。


「なんでそんなこと言われないといけないんですか?」

「お前は分水嶺を越えてこちら側に来た。フォルフォードの件が片付いたら離れるべきだったんだ。もう、普通の世界には二度と戻れないと思うんだな」

「元々、この世界に俺の普通はありませんよ」


 ヒガナの発した言葉をアルベールは完全には理解できなかった。この意味合いが分かるのは、この世界でヒガナと同じ境遇の者──別世界から来た異邦人だけだ。


「……来たものは仕方ない。だがな、ココにだけは気をつけろ。奴は信用ならない」


 厳かな口調で言われた忠告は言葉以上の信憑性が確かにあった。

 ヒガナもココのことは完全には信用していない。というより、失われた世界での出来事が未だに尾を引いて信用できないのだ。


「そんなに警戒するってことは、アルベールさんはココに何かされたんですか?」

「俺はクソ淫魔の本性を知っているだけだ」

「………………」


 この件はこれで終わりだ、と言わんばかりにアルベールは話題を強引に変える。


「お前に聞きたい」


 罵倒の次は質問か。罵倒せずに最初から質問してくれれば答える意気込みも今とは違っただろうに、とヒガナは思いつつも質問に耳を傾ける。


「俺に答えられることなら」


 アルベールが質問してくるのを待つが、なかなか切り出そうとしない。何度も言い澱み、最終的には勢いに任せて言う。


「あ……あのガキの好きな物はなんだ?」


 想像していたのとは全く別の質問にヒガナは素っ頓狂な声を漏らす。


「へ? ガキって、誰のことですか?」


 アルベールからすれば屋敷の殆どの人物──ルーチェは見た目のみ──ガキだ。

 と言っても、誰のことを言っているのかは簡単に予想できるが、先程の仕返しと言わんばかりにヒガナはワザと聞き返したのだ。


「桃色の髪の……エルフの……ああ、クソッ! モニカ、モニカのことだ!」

「あ〜、モニカですか。分かりますよ、モニカ可愛いですもんね。プレゼントあげたくなりますよね」

「違う! 俺じゃない、コイツが聞けと煩いんだ!」


 アルベールは右の眼窩──紫紺の瞳を指差す。優しくて穏やかな色を灯す瞳。それだけがアルベールの粗暴な印象から浮いている。


「確か、フランチェスカって人の」

「覚えていたのか。いや……そんなことはどうでもいい。俺の質問に答えろ」

「モニカの好きな物は……甘いものです。屋敷のおやつの時間を一番楽しみにしてましたから」


 一瞬、お金と言おうと思ったがプレゼントしてもやらしくないものに即座に変更。

 それにアルベールがモニカに現金を渡している構図は何となく見たくはない。


「そうか。他にはないか?」

「特には……あ、そういえばアルベールさんと話したいようなことは言ってましたよ。フランチェスカって人のこと聞きたいって」


 モニカを気にしていたアルベールにとっては良い機会になるだろう、そう思って進言したヒガナ。だが、それは悪手だった。

 アルベールは深い古傷を無理矢理開かれ抉られたように顔を歪ませる。そして、罪悪感に塗れた口調で苦しげに呟く。


「フランチェスカのことを話す資格は……俺にはない」

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