7話--湯船と就寝--


 湯船に浸かりながら明後日に起こりうるダンジョンの出現に思いを馳せる。

 最初に出現するダンジョンは弱めのモンスターが多く、まるでスキルに慣れていない者達でも倒せるかのように設計されていたかのようだった。

 序盤のモンスターはスライム、ゴブリン、オーク、コボルト……そしてゾンビとグールだ。

 どのモンスターもゲームや空想上だと非常に弱いモンスターとして扱われがちだが実際に戦ってみると違った。

 スライムはゲル状のモンスターではあるが核が存在しないモンスターだ。

 倒すには再生できる限界の大きさにするか焼き切るしかない。


 ゴブリンは人間の子供のような大きさで知能もある程度あった。非常に狡猾で外敵をどう殺すか、という思考に特化しており舐めてかかった新人ハンターが何人も命を落としていた。


「――って、聞いてる? お姉ちゃん」

「聞いてるよ、沙耶が胸を大きくしたいってことでしょ?」

「全然違うよ……風呂で考えに耽るなんてやっぱり男が……?」


 猫のように、構え、と沙耶が顔を擦り付けてきたので抱きしめてホールドした。

 あたふたしている沙耶を無視してモンスターたちの特徴を思い返す。

 オークは豚の頭に大柄な力士にも似た体形で力が非常に強い。

 種族にメスが存在しない。しかし生殖能力が高く、他種族のメスであれば子を成すことができる……らしい。

 稀に異常個体で他種族のオスを好む個体も居るとかいないとか。


 コボルトは二足歩行のオオカミのようなモンスターだ。

 犬より鋭い嗅覚で獲物を群れで追い詰める。群れを率いる個体が存在するのが特徴的だ。


 そしてゾンビとグール。こいつらは厳密的に言うとダンジョンから発生したモンスターではない。ゾンビはダンジョンで命を落としたハンターの亡骸がダンジョン内の魔力によって動き出したモノ。

 人間だったころの本能で動き、三大欲求の1つ……食欲のままに生きるものを喰らいに動く。喰らったのが同族……つまり人間だった場合にのみグールへと進化するそうだ。


 装備が整っていない間はスライムとゴブリンのみの相手をするのが得策だろう。通常のモンスターよりも何かに特化した――特殊個体が出てきても、この2種であれば剣を装備した私であれば難なく倒せる。

 モンスターと戦う上で問題があるとすれば……この肉体がどこまで動けるか、と武器の耐久力だ。

 どこまで動けるかの問題は明日買い物から帰ってきたら試してみるとしよう。

 武器の耐久力の問題に関してはダンジョン内で発見される宝箱の中から稀に武器防具が出てくる。宝箱から出てきた武器防具は耐久力が非常に高く壊れにくい。

 市販のナイフや包丁なんてゴブリンを数匹切り裂いただけで使い物にならなくなってしまう。


 なので序盤は鉄パイプや金属バットなどの鈍器を主流に使っていくことになる。そのため、肉が厚くて打撃の通りにくいオークは狙わない。

 コボルトは倒し損ねると仲間を呼んで数が増えるため確実に仕留めきれる武器を得るまでは戦わないのが得策だ。

 ゾンビとグールはダンジョンが現れてすぐには居ないだろうから論外としよう。


 よし、一通り思い出したところでそろそろ風呂から上がろう――と意識を空想から現実へ戻したときに気がついた。

 正面を見ると力なく浴槽に浮かぶ沙耶の姿が……。


「あ、ごめん、のぼせた?」

「――お姉ちゃんのばかっ……のぼせてはないけど……」


 右腕で顔を隠して小さな声で言った。手足に力は感じられず、呼吸も浅い。

 これはのぼせているのでは……? と思ったが本人がそう言っているのであれば大丈夫、なのか……?

 ガッチリと沙耶をホールドしてしまったため切りの良いところで浴槽から上がれなかったのだろう。

 ううむ、と唸って沙耶を姫抱きして浴槽から立ち上がった。

 

「だっ、だいじょうぶだから! もうちょっと浸かってから自分で上がるから!」

「……本当?」

「本当だよ! もう、心配性だなぁ……お姉ちゃんは……」


 顔が紅潮してはいるが受け答えは問題ない様子の沙耶を疑り深く見る。

 確かに沙耶はいつも私が風呂から出た後に長湯をするから問題はないのだろうけど……私の心配のし過ぎなのだろうか。


「ほっ、ほら、お風呂から上る前にスキンケアとか色々やることあるから……」


 そう言って沙耶は浴室に持ってきたお風呂セットを私に見せた。

 化粧水や乳液、パックなどの一通りのケア用品が入っているものだ。記憶によると私は風呂から上がってケアをする派だった。沙耶は浴槽に浸かりながらケアする派閥なのだろう。


「そうならいいんだけど……私は先に上がってるからね?」

「うん、色々と終わったら上がるからさっ」


 私の背中を押して浴室のドアに行くように促してきた。

 スキンケア中は家族だろうと見せたくない気持ちは理解できるので渋々と浴室を後にした。

 歯を磨いてからリビングに戻って髪を乾かす。最低限のスキンケアをした後、沙耶が持ってきた寝間着を着て全身が映る鏡で姿を確認した。


「……クマだな」


 ゆるキャラのような見た目で着ぐるみ程ではないが、もこもことしていて肌触りがとても良い。寝るときに下着を着用しない私のような者には最適な一品のようだ。

 夏場に長袖長ズボンは暑いのではないか――と思ったが寝室はエアコンを効かせていて非常に涼しい。むしろ寒いときもある。

 暑い夏にエアコンの効いた部屋で服を着ずに毛布に包まるのは一度経験してしまうと戻ることは不可能だ。冬にこたつでアイスを食べるのと似ている。

 鏡の前で自身の寝間着姿を確認していたら沙耶が浴室の方から出てきた。


「お姉ちゃーん、ドライヤーどこー?」

「あ、ごめん。こっち持ってきちゃった」


 脱衣所の洗面台に置いてあったドライヤーを持ってきて戻すのを忘れていた。

 沙耶はドライヤーをコンセントに挿して私に渡した。

 

「乾かしてー?」


 そう言って私の前に座った。

 顔がふにゃりとしていてご機嫌なのか左右に揺れている。さては眠いのか? と思って時計を見たら24時になろうとしていた。

 良い子は寝る時間だった。

 ――手のかかる妹だ。と思いつつ頼ってくれる事を嫌ではない、と思う自身も居た。

 髪を乾かしている時間は案外長く、何か話題は無いだろうか……。


「そうだ。沙耶は浮ついた話は無いの?」


 見た目も可愛らしいし、明るく接しやすい。

 高校生程度の男ば少し優しくされたら自分に気があるのではないだろうか、と誤解してしまうはずだ。

 ……と、私の経験則が告げているが実際はその限りではないのだろう。


「無いよ~」

「そうなんだ、無いんだ……早く作らないと母さんがうるさいよ?」

「だって、私にはお姉ちゃんがいるし……」

「ん? ごめん、ドライヤーの音で聞こえなかった」

「あっ、いや、何でもないよ!」


 沙耶が返答した――が、後半の方は声が小さくドライヤーの音でかき消されて聞こえなかった。

 何でも無い、と本人が言っているのであれば大したことではないのだろう。


「お姉ちゃんこそ、何かないの? 会社の周りの人、男の人ばっかじゃん……」

「んー……全くない、と言えば嘘になるかなぁ」

「えっ…………そう、なんだ……」


 仕事をしているときは髪をしっかり整えて薄く化粧をしてスーツを着ているため、ちゃんとした人間に見えるようだ。同僚、上司や後輩に食事に誘われることは良くある。良くあるのだが……。


「食事に誘ってくるんだけどさ、何か高そうなイタリアンとかフレンチレストランばっかりなんだよね」

「やっぱり財力がある方がいい……よね……」

「私は普通にラーメンが食べたい。1品数千円する料理も美味しいけどマナーとかに気を使うのが面倒でね……」


 沙耶が驚いた顔でこちらを見た。丁度良く髪が乾かし終わったのでドライヤーを切る。


「え?」

「だから全部断ってる」

「あぁ……そっか、そうだよね。お姉ちゃんってそういう人だったもんね……」

「そういう人ってどういうこと??」

「高嶺の花に見えるけど実際はトリカブトみたいな感じ」

「酷い言われようだ」


 無駄に見た目が良いせいか高嶺の花のように扱われているのは事実だ。

 しかし沙耶よ……トリカブトは言い過ぎじゃないか??

 そんな毒なんてあるわけ――思い出されるクローゼットの中、脱ぎ捨てられた服。高級レストランを断って後、ラーメンを一人で食べに行く……トリカブトほどではないが仕事の私しか知らないなら確かに毒があるかもしれない。

 言いたいことを言えて満足したのか沙耶が私の目を見た。


「やっぱりお姉ちゃんは私が面倒みてあげないとダメだね!」


 満面の笑みを浮かべる沙耶の頭に自然と手が伸びた。

 優しく沙耶の頭を撫でる。


「そうだね。いつも掃除と洗濯してくれて助かってるよ」

「でしょ~? もっと褒めてもいいんだよ?」

「うーん、じゃあ、これあげる」


 そう言って沙耶の手に握らせたのは私の部屋の合鍵だ。

 母さんが沙耶をここに泊めるのを許可してしまっているので沙耶の性格上、間違いなく居座る。

 少なくとも夏休みが終わるまで……つまり一か月弱は居ることになる。

 その間に鍵が無くて外に出れないのは不便だろう、と思い私のスペアキーを渡した。

 状況が呑み込めていなくて首を傾げる沙耶。


「お姉ちゃん、これは?」

「私住んでるこの部屋の合鍵。要らないなら返して?」

「えっ!? いいの!? これでいつでも来放題ってことだよね!」

「夏休み終わったら返してもらうつもりなんだけど……」

「やだ。絶対に返さない」


 しっかりと握りしめて胸の前で大切そうに抱える。

 まあ……ダンジョンからモンスターが溢れ始めたら学校どころじゃなくなるからいいのか……?

 とりあえず返してもらうときに回収すればいいから保留としておく。


「えへへっ、無くさないように財布に仕舞ってこよっと」


 立ち上がって仕舞いに行った。そこまで嬉しそうにされると返してもらう時は一苦労するだろう。頑張れ、未来の私。

 スキップしながら沙耶が戻ってきた。

 

「よーし、今日は気分がいいから、このまま寝るぞー!」

「沙耶、パジャマは? 自撮りするんじゃなかったの?」

「うーん……明日でいいかなぁ。パジャマは着ないよ。私は抱き枕お姉ちゃんに抱き着いて寝るから」


 そう上機嫌に断言する沙耶。いつも寝る時は一緒に寝ていたから今更断るのは申し訳がない。

 かと言って別々に寝るには布団がない。


「ぐぬ……仕方ないなぁ……」

「やったー!」


 飛びついてきた沙耶を受け止めてベッドに寝転がる。

 私の寝間着でフカフカを堪能しているかのように顔を押し付けて左右に首を振っている。


「ぐふふ……お姉ちゃんの性格上、一回そうなってしまえば後はなし崩し的に……」


 私のお腹でもごもご、と沙耶が何かを言っている。

 少し肌寒いくらい室温のため毛布を掴んで被る準備をする。エアコンは切タイマーを付けておく。


「沙耶、寝るからもうちょっと上に来て」

「わかった~」


 もぞもぞと上に上がってくる。

 ちょうど私に腕枕されるような体勢になり、沙耶が足を絡めてきたので寝やすい体勢のために私も左足を沙耶の股の間に忍ばせる。


「ん、いい感じ」

「えへへ……」


 幸せそうに笑う沙耶の頭を撫でて、毛布を肩まで引っ張って部屋の電気を――消した。

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