41.共に歩まん
私が
準備を整え館の主に礼を述べてくると言って、芦屋卿が部屋を去るとロズ殿ががっくりと膝をついた。
狐の如き耳はだらりと垂れて、竜の尾に似た尻尾は力なく動くことは無かった。
「ロ、ロズさん!」
「だいじょうぶ、だいじょうぶじゃ……」
スラーニャが慌ててロズ殿に問いかけると、彼女は大丈夫と繰り返し震える唇で告げる。
「だいじょうぶ、思わぬ所で、思わぬことが分かったでな……。余はやはり」
「我らの大事な家族、そうであろうスラーニャ?」
「そうだよね、おやじ様!」
ロズ殿が悲観的な事を言いそうだと悟れば、私は即座にそう言い切りスラーニャにも確認を取ると、彼女は私の意を汲んでか、本気で言っているのか大きく頷いて見せた。
ロズ殿は目を
が、首を左右に振ると口元を引き結び。
「そう言ってもらえるのは嬉しい。じゃが、なればこそ、余が傍にいる事で二人に危険が及ぶのは忍びない」
「貴殿は命を賭けて我が娘の為に戦ってくれた。今度は私が貴殿の為に命を賭けるのは間違いではない筈だ」
「いいや、ならぬ。貴公が命を賭けるのはまずは娘御スラーニャちゃんじゃ、余などではない」
これは中々に頑固な。
私が次にどう言うかを言いあぐねるとスラーニャが私の傍まで急いでやって来て、耳元に口を寄せて伝えた。
「恩だけじゃないって言わないと」
「むむ……」
……見透かされていたのか? いや、この子は聡い。私がロズ殿に抱えていた、私自身が言いようのない思いがどんな物かとうの昔に見抜いていたのだろう。
私は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
そして、まっすぐにロズ殿を見据えて。
「共に今後も歩んで頂けまいか? いや、率直に言って……け、結婚を前提にお付き合いしていただきたい!」
「な、な、なっ!」
ロズ殿は顔を真っ赤にしてあたふたとたじろいだ。
「貴公は現状を分かっているのか? 余はどうやら屍神の実験とやらの末に生まれた怪物ぞ? そ、そんな女と結婚しようなどと……それにスラーニャちゃんとて」
「ママになって!」
スラーニャが力強くそう言った途端、虚を突かれたロズ殿はおろおろと周囲を見渡してから俯いてしまった。
狐耳は周囲の声を聞き逃さぬとでも言うかのようにピンと立ち、尻尾はゆらりゆらりと左右に揺れているから先ほどよりは元気が出たのだろうが。
しかし、私はその様子に不安になってきて思わず付け加えた。
「迷惑でなければ、だが」
その一言の効果は顕著で、緑色の双眸に怒気をみなぎらせてロズ殿は私の顔を見据えて強い口調で言う。
「迷惑だと思うならば等の昔に離れておる! ……ええい、貴公は何なのだ! 剣に耽るばかりの朴念仁かと思えば、殺し文句を時折投げて来おる! その割には妙に腑抜けた事を言いおって!」
「おやじ様は天然だってリマさんが言ってた!」
「一番性質が悪いわ!」
と、怒られた。
解せぬ……それに、それはどういう評価なのだ?
剣ばかりというのは心当たりがあるし、反省しなくてはいけない所かも知れないんだが、殺し文句とは一体?
リマリア殿の天然と言う評価はどう言う所から来ておるのだ?
そこまで世情とズレていたのだろうか?
自分では普通なつもりではあったが、そうでは無かったのか。
「じゃが、貴公はそれで良い。それで良いのだ……」
不意に落ち着きを取り戻したように声音を変えて、ロズ殿は大きく息を吐き出した。
そして視線を彷徨わせた挙句、一度スラーニャを見やる。
スラーニャが何やら頷くと、私を縦に割れた双眸で見据えてから頭を深く下げて。
「ふつつか者じゃがよろしくお願いする」
そう告げたのだ。
それは、つまり……そう言う事だろう……か?
き、聞き返しておいた方が良いのかもしれない、互いに齟齬があってはいけないし。
私はその様な暫し悩んでから口を開いた。
「それは、その、結婚を前提にしたお付き合いに対して了承を得たと言う事で」
「そうじゃ」
そうか、そうなのか。
…………夢か?
事が上手く運び過ぎてはいないか? いや、行く先を思えば大変なのは事実だが……。
「おやじ様!」
「なっ、なんだ、スラーニャ……いきなり大きな声を出すでない」
「ちゃんとお返事しなよ」
いきなりの大声に驚きそちらを向けば呆れた顔でスラーニャが私を見ている。
返事、そう言われてロズ殿に向き直り、何とも所在なさげな彼女を見て私も頭を下げた。
「お受けいただき有り難く思う。至らぬ点も多々あるだろうがよろしくお願いする」
「うむ。……とは言え、これからどうするのだ? アーヴェスタ家自体は主敵ではなかった、我らが子を守るために何とする?」
不意に今後の事を問われて、私は何とも言えない心地から目覚める。
この手の感情に耽溺している暇はない。
「それも大事だが、ロズ殿の事も大事だ。芦屋卿が旅立つ前にエヌピーシーとやらの情報が他に無いか問うておかねばならんな。きっとそれがスラーニャを守る事にも繋がっている。共に屍神が絡んでおるならば」
私の言葉にロズ殿は表情を引き締めて頷きを返したが、スラーニャだけはいつになく笑みを浮かべていた。
その後、私は起き出してラギュワン師に治療していただいたと言う傷口の具合を姿見で見る。
左足は腫れていたようだが、今では腫れも引き少しばかり痛む程度。
わき腹の傷はあって無いが如く薄くなっていた。
サレスの剣で斬られた腹の皮には薄っすらと傷が残り、こちらの方が傷があったと認識しやすい程に脇腹は綺麗だった。
思えば、内臓を土の呪物に変えて貰った時すら、縫合痕は殆どなかった。
ラギュワン師の治療の腕前は神域に至っているように思える。
治療のお礼を含めて一度話をせねばと左足を引きずりラギュワン師の書斎に向かうと芦屋卿もそこにいた。
「これはお揃いで」
「目覚めてすぐに起き上がるとは、大した頑強さだな、お前は」
芦屋卿が肩を竦める。
ラギュワン師も私の顔を見るなりに微かに笑みを浮かべて。
「少し見ぬ間に赤子を連れて来たかと思えば、今度は嫁も連れて来おった。順序が逆ではないか?」
そんな冗句を口にされた。
私は多少の気恥ずかしさを覚えながらも、そんな二人に礼を述べ今後の事について話し始めた。
<続く>
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