18.温泉
どうしてこうなったのか。
私は今、温泉街の温泉に浸かっている。
ロズ殿と話し合っていた時に街の者達がお礼をしたいとやって来て、結局泊まる事になった。
血の匂いは落としておきたかったし、どうも依頼された怪異とやらは話を聞くにロズ殿の様子であるから急ぐ必要がなくなったと言う理由もある。
ロズ殿曰く、ここから東、村が近くにある山間を暫く練り歩いていたとの事だ。
理由は自分探しなどと言っていたが、あの御仁はどうにも底が知れぬ。
ともあれ、悪意や邪気には人一倍敏感なスラーニャが懐いている事から、悪いモノではなさそうだ。
現に今も女湯に二人で入っている声が響いている。
そう言う訳で私は久方ぶりに一人で湯を堪能している。
風呂は良い、心身ともに癒されるような心地だ。
湯は緑白色の濁り湯で身体の疲れを癒す効能があると言う。
こうして温泉などの浸かると故郷を思い出される。
軍人の家系に生まれ、十歳の時に父母に病で亡くしてからは、祖父と年の離れた姉に妹ともども育てられた。
兄は軍人になどならんと祖父と大げんかした挙句に家を出て、数年後には外交部の名家のお嬢さんの家に婿入りしていた。
その為、次男の私が軍人になった。
祖父より無手の技を、先生より剣の技を学び、士官学校を出て戦地に赴いた。
私はそこでも剣を振っていた。
あの若い士官は剣に憑りつかれていると噂されていたようである。
確かに、銃、砲が戦場の花形となった今でも剣を振り続ける意味はあったのか。
確かに白兵戦はあった。
塹壕戦の苦しみに耐え、無慈悲な砲撃と銃撃に晒されながら、機を見れば敵塹壕へ白兵を仕掛ける戦いは。
その際に剣を振るう者は少ない、概ね銃剣かスコップが活躍した。
そこでも私は剣を振るい続けていたが、ある日、随分と若い兵士を斬った。
若いと気付いたのは斬ってからだったが、その兵士が一言、あちらの言葉で母を呼ばわり絶命した。
それで、私は戦場に嫌気がさした。
まるで源氏方の武士が平家方の若侍を殺した逸話のように。
私は仏門には入らなかったが、自分が熱中していた剣とは何かを考えあぐねていた。
殺し合いの技なのは百も承知、いかに若かろうと斬らねば私が死んでいた事すら百も承知しているが、自問し続けた。
答えは出ずに、士官学校の先輩の推挙で近衛第一部隊への配属が内定していたあの日、私はとある人物と戦い、そしてこちらに来た。
スラーニャに会わなければ私の道はどうなっていただろうか。
人斬りにでもなっていただろうか。
ただ、一つ分かる事はスラーニャは私の剣の進む道を照らしてくれる光である。
彼女が生きる為に剣を振るうのにためらいはない。
無いが……それは依存ではあるまいか?
思考がグルグルと頭の中を駆け巡る。
そろそろ出るか、湯あたりでもしかねない。
そんな事を思いながら立ち上がると、不意に風呂に飛び込んでくる影があった。
「おい、貴公! 大丈夫か! 倒れておら――」
身体に薄布を巻いただけのロズ殿だった。
彼女は立ち上がっていた私を見て、ギギギとさび付いた音でもたてそうなほどにぎこちなく視線を逸らして。
「いくら呼んでも返事がなかったゆえ、そのな。ぶ、無事なら良いのじゃ、無事なら!」
そう告げて脱兎のごとくこの場を去った。
そうか、呼ばれていたとは気づかなかった。
それほど長い間考え事をしていたかと反省していたが、不意に気づいた。
「見られた、か」
一人で風呂に入るのに前を隠す訳もなく、結果として見せる形になった事を大いに恥じ入る。
見られて困るものでは無いが、彼女が気分を害しておらねば良いのだが。
ともあれ、頭が少しぼんやりするほどには湯に浸かりすぎた。
眠る前に夜風でも浴びて熱を冷まさねばなるまい。
※ ※
昨夜は湯に入りゆっくりと眠った。
おかげで夜明けとともに起きてしまう。
スラーニャは隣のベッドでロズ殿と眠っている。
何故に彼女が我ら親子と同じ部屋に寝泊まりしているのかと言えば、同道者だと彼女が宣言したためだ。
同道を認めたのは事実であはあるが、部屋まで同じにすると言うのは解せぬ。
が、ロズ殿いわく貴公と一緒の方が安全だと言う事だった。
私の理性と言うか、そう言ったモノを評価しての事だと思うが、何故そうも容易く信用することができるのか。
子連れであれども鬼畜はいるであろうに。
そう難色を示す私に彼女は笑みを浮かべて小首を傾いで告げた。
「貴公は違うであろう? セイシロウ殿」
そう問われてしまえば、頷かざる得なかった。
どうにも、ロズ殿には先手を取られてばかりである。
そう嘆息しながら二人の姿を見やると、亜人とは言えロズ殿とは髪の色瞳の色もスラーニャと同じためか、親子のようにも見える。
或いは姉妹のようにと言うべきか? いや、しかし、それは少し無理があるか。
私はそんな事を考えながら部屋を出て外へと向かう。
娘が起きるまでの時間を用いて、剣の修練を行うために。
どんな時でも、それこそ剣について自問し続けていた時でも日々の鍛錬だけは欠かさなかった。
鍛錬しなかったときはスラーニャが病で寝込んだ時と一晩中戦っていた時くらいなものだ。
ただ、街中では立木打ちをする訳にもいかないので素振りを行うだけにする。
木の棒を剣に見立てて振るっていると、不意に声を掛けられた。
「朝から精が出るな」
私は一瞬、声が出なかった。
声の主はまったく気配を感じさせなかったからだ。
「……これはご老人、騒がしかったでしょうか?」
「わしの気配に気づかぬとは、お主もまだまだ未熟よな、ラギュワンの弟子よ」
そう告げた老人は微かに笑みを浮かべて続けた。
「奴より頼まれていてな、弟子に行き会う事あれば一つ伝授してくれとな」
「師のお知り合いでしたか。……伝授?」
「お主、呪術の炎たる黒炎を生み出せると聞いておるが、使い道が分からぬそうだな? 剣士であるお主にそいつの使い方を教えてやろう」
その言葉は私の剣が新たな段階に進む第一歩となった。
<続く>
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