剣鬼の見る夢

9.我が子との出会い

 夢を見た、昔の夢だ。


 私は血にまみれて大地に横たわっていた。


 遠のく意識の中で天にただ一つの恒星が輝く異常な光景を虚ろに見上げていた事だけは覚えている。


 命と言う物が血液と共に流れていく喪失感に苛まれながら、ただただ空を見上げていたのだ。


 そこに不意に影が差した。


 そして、老いた男が、呪術師ラギュワン師が私を覗き込み何事かを告げる。


 今ならばそれが生きているかと問うていたのだと分かるが、当時の私には耳慣れない言葉でしかなかった。


 傷の状態は悪く、そのまま捨て置けば早々に死ぬだろうとラギュワン師は気付き、一つの術を用いた。


 それは再生の秘儀、いや、肉体の再定義。


 異界に流された衝撃で幾つかの内臓が傷ついていた私は、常道の治療では生き残れなかった。


 その為の荒治療が施され、土の呪術に優れたラギュワン師が私の内臓を土くれのモノと置き換えた。


 それが比喩なのか、直喩なのか分からないが私はそう聞かされた。


 つまり私の内臓のいくつかは土で構成された呪物である。


 正直、それがどこまで本当なのか私には分からない。


 食事や排泄などの生理現象は何も変わった所は無いように思えるし、そもそも何故にラギュワン師が私を助けようとしたのかは未だに謎である。


 師が言うには一人練り上げた呪術、妖術の類を誰にも伝えずに朽ちるのは虚しく口惜しいと感じていた矢先に私が来たから、と言うのだが。


 ともあれ、大呪術師ラギュワン師に拾われた私は、彼により言葉を教えられ、この地の常識を教えられた。


 そして、暫くはラギュワン師の従者として過ごした。


 私は師にとっては良き弟子ではないだろうと今でも思っている。


 私が覚えることができた呪術は土を食み、その地の人々の歴史を垣間見る力と、黒炎を生み出す術が使えただけであるのだから。


 土食みのおかげで言葉を覚えるのだけは早く、三年も経てば師の使いを一人でこなす程度のことは出来た。


 その頃だった筈だ、黒かった私の瞳は呪術を扱う者の証である赤土色に染まったのは。


 簡易な術でも扱えれば呪術師と言う事になるのかも知れぬ。


 ともあれ、レベルが一より上がらぬ所為か、元より才能がなかったのか扱える呪術は僅かに二つとあっては大呪術師の弟子としては情けない限り。


 せめて、故国で習っていた武術だけは磨こうと日々鍛錬に明け暮れていた。


※  ※


 場面が荒天に変わった。


 あの日は酷い荒れ模様で駅馬車はその運行を止めて、駅で泊まる事になった。


 荒天の中、客の安全を確保できない以上は当然の措置と言えたが、先を急ぐのだと騒ぐ者達はそれなりにいた。


 私は一足先に体を休めようと配られた毛布にくるまり、眠ろうとしていた。


 その時だ、駅馬車の入り口が開け放たれ、風雨と共に傷だらけの女が赤子と共に駆け込んできたのは。


 女の必死の様相に客も御者も押し黙り、鉛のように重い空気が広がった。


 だが、駆け込んできた女はそんな空気に頓着せずに叫んだ。


「馬車は! 馬車は出ておりませんか!」

「――お客様、荒天のため馬車は皆止めております」


 その叫びに反応してようやく駅馬車を経営しているという初老の男が言葉を返すと、母親は膝から崩れ落ち掛けたが気丈にも耐え、初老の男に言いつのる。


「この子の命に係わる事です、どうか、どうか馬車をお出しください!」

「医者が入用でございましたら、馬車を出すまでもなく」

「遠くへ逃げねばならないのです! さもなくばこの子は――」


 話を遮るように駅の扉が激しい物音を響かせ開かれると武装した厳めしい男が入ってきた。


 扉の外には武装した荒くれ者達が雨に濡れながら居並んでいる。


 その様子から察するに特別な訓練を受けた兵士か、規律の厳しい傭兵たちと思われた。


「……ここまでです、お子を渡しなされ」


 厳めしい男は周囲を無視して若い母親に声を掛ける。


 言葉は丁寧に聞こえるが、その実は酷薄さにまみれていた。


「い、いやです! この子を渡しなどしません!」

「では、お子共々死んで頂かねばなりません」


 武装した厳めしい男がそう言い放つと、異様な状況なれど、駅馬車の経営者も他の客も、御者たちすらもその言葉には反応した。


「何と無体な!」

「赤子と母親を殺すなどとっ!」

「それでも人間かっ!」


 そう騒ぐも武装した厳めしい男は周囲をじろりと見渡して冷たい言葉を吐き出した。


「死にたくなければ黙れ」


 その殺意に周囲は一斉に黙ってしまった。


 駅馬車であれば野盗の襲撃も何度かあったろうに、皆はただ一人の男に気圧されてしまった。


 あのような殺意を向けられては致し方ないが、だからと言って流石に黙っている訳にもいかない。


「やれ、無体な者どもだ」

「黙れ若造。格好つけても命あっての物種、大人しく毛布にくるまっておれ」

「馬鹿を言うな、格好つけるのならば命張ってこそではないか」


 男と母子の間に割って入ると、幾人かが無茶だと呟いたのが聞こえた。


 レベル一では死ぬだけの話だと。


 そうかも知れないと思いながらも私は男に向かって言った。


「外に出ろ。ここは身を休むる場所、血の匂いなど充満しては休めるはずもない」

「吼えおるわ。だが、多勢で押し掛けた混乱に乗じまた逃げられても面倒か。……お子と今生の別れを済ませておくことですな、ラスメリア様」


 厳めしい男は母子にそう云い捨ててから外へと向かう。


 私もまた、その後に続いて外へと向かった。


 扉を開けると風雨が歓迎してくれた。


 ……この時の赤子こそが、スラーニャである。


<続く>

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