第28話

18世紀後期から現在まで続くメーカーのインクの薫りに包まれた部屋だった。

椅子も、書類棚も、机も、全てが優れた木工職人によるオーダーメイドで、現在、人の手を離れたそれらは、時間によってその価値に磨きをかけ続けていた。

どれもこれも、時代の名工たちの手による傑作だった。


飴色のひじ掛けに、歳を取った大柄な男の手が乗せられている。指には、複雑な彫刻が施された金の指輪がはめられていた。唐突にその手はペンを取った。


ゆらゆらと揺れる燭台の火のもとで、上質な羊皮紙にすらすらと文字がしたためられ、それが、最後の宛名の場所に差し掛かるとほんの一瞬だけペン先が鈍る。

紙の上でインクが小さな円になってから、文章の最後には『dear son』(親愛なる息子へ)と綴られた。


全てが記入された羊皮紙は、正確に、三等分に折り畳まれる。

封筒は、机の2番目の引き出しの中に。


燭台が傾いて、一瞬だけ男の顔を映し出した。


黄金の蝋が正確にフラップの頂点を捕えた。


蝋燭を元の場所へと戻して、朽ち木のような指から指輪が外される。

それを、左手から、右手へ、そして、左手へ。


垂らした蝋は、早くも固まり始めていたが、急かされるような気配は無い。

まもなく。黄金の蝋に、印章が施された。

(〇の中に炎のような、または、捻じれた木の根のような模様が、中心部から外に広がり、それを存在しない◇の枠の中に正確に収めたような印章である)


手紙も含め、全ての物が、あるべき場所へと還り、空間は在るべき姿へと還り、男の人差し指が机の角を、3度叩いた。


天井のホログラム製造装置が起動する。


「やぁ、将軍。『エデン』の調子はどうかな?」


『こちらは、全てが片付いた。だが問題がある』


「なにかね」


『ヴィトだ』


「ふむ」


『我々にルドワンを観測する事は出来ない』


「まったくもって、出鱈目な種族だな。まぁ、それは、私達に任せてもらおうか。くれぐれも、君たちには目立たない様にして貰いたいものだね」


『指図は受けない。こちらはこちらのやり方でやらせてもらう』


「ふむ、では、我々がそれに合わせるとしよう。どのみち、似通うチェックポイントを持った筋書きだ。まぁ、その選択をする事で君にとって不幸な結末が訪れる時期が早まると思うが、一方が生き残るのも、今のように共存するのも、選別においては極々自然なケースだ。最終的には一人の勝者がいて、その他の敗者がいる。受精卵になる事を目指す哀れな精子たちと同じだよ将軍。極小単位の細胞の状態から、我々は少しも進歩してはいないのだからね」


『悪いが、君の国のジョークはまるで理解できない』

男は大げさに笑って見せた。

「それは残念だ。ところで、馬鹿なヤンキー共の掌握は出来たのかね?」


『それはまだだ』


「なら早く取り掛かってくれたまえ」


『了解した』


「他に必要なことはあるのか?」


『無い』


「では通信終了だ。こんなもの、うんざりする」


ここから見えない場所で、電子回路のコイルが静かに唸りをあげた。

ホログラム製造装置は機能を停止し、すこしの余韻を残して、空間は闇の中に消えた。

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