第26話
生まれたばかりの人間の子供は、だいたい30分おきに目覚めて泣いたりする。
成熟した個体と異なり、朝や昼や夜の活動サイクルが定着していないためだ。
一般的に、こういった現象を夜泣きと言う。
鳴き声を聞きつけて、となりで寝ていた渚は、ぼんやりとした頭のままゆりかごに手を掛けて、指先の感覚がしだいに戻って来ると赤ちゃんを抱き上げた。
「はいはい。ここに居るからねー?」
「すぴー・・・すぴー・・・」
ゆりかごの反対側には、将軍が居て、鳴り響く絶叫のなか、安らかな寝息を立てていた。
数時間前までは自分が面倒を見ると言い張って、渚を、2階の渚の部屋に押し込んだ張本人である。
「まったく、ショーグンってばどうしようないんだから・・・」
個人差もあるが夜泣きは1時間ほど続く場合もある。しかし、この赤ちゃんに関しては、渚が抱き上げて、少しの間揺らすだけで大人しくなった。
渚は、赤ちゃんをゆりかごに戻して、すぐにまた寝てしまおうかとも思ったが、この状況が朝まで繰り返されるのは何となく避けたかった。睡眠の妨げは、なんというか、『細胞が死んでいる』ような気にさせられる。
なので渚は、簡単にできる方法を色々と試してみる事にした。
渚は、赤ちゃんを抱えたまま立ち上がって、廊下へ出ると居間の障子を閉めた。
たったそれだけの事で、将軍の寝息は聞こえなくなった。
外は蒸し暑く、満月だった。
次に渚は、網戸を開けて、両足を投げ出すように座ってみる。
夜、と言うだけで。見慣れた景色はとても神秘的に見えた。肺を満たす空気でさえいつもと違って感じる。
渚は、少しだけ歌ってみる事にした。5秒か、10秒か、たったそれだけの鼻歌で、寝ぼけた頭が即興したものかもしれないし、むかし、誰かが歌っていたのかもしれない。どこの、だれ、だったのか、記憶は定かではない。
「渚」
「おばあちゃん?どうしたの?寝てていいよ?」
「子供が泣いてんのに、寝られるもんかい」
「あはは」
寝巻き姿のおばあちゃんが渚に近づいて両手を差し出したので、渚は、その上に赤ちゃんを乗せた。
「おー。おー。いい子だねェ」
「誰なんだろうその子?」
「さあね。世の中。訳の解らない事ばっかだよ」
「おばあちゃんでもそう思うんだ」
「当然さね」
渚は、足の裏を揃えて、両手でそれを掴んだ。まだ眠っていた足や背中の筋が伸びて、それは中々に気持ちがいい。
「それで。どうするんだい?渚」
「なんのこと?」
宣言しよう!おばあちゃんはこの後、とぼけんじゃないよと言うッ!
「とぼけんじゃないよ!」
ビンゴ!
「あの、能天気に寝息を立ててるやろうの事だよ」
「うん・・・ショーグンね?」
「いったい何者なんだい?蔵で訳の解らないもんを作ってるみたいだし・・・」
むかし、酒蔵だった家には、大きな蔵があって。昔はそこでお酒が造られていた。
でも、色々あって、今は将軍の工作室になっている。
「ああ、あれ?」
「なんだいあれは?」
「あれは、『全自動洗濯乾燥しわ伸ばし畳み機』おかげで最近すごく楽になったよ。今作ってるのは『全自動洗米炊飯器』だってさ」
「全自動ねェ。そんな大したもん、いったいいくらかかったんだい?」
「蔵にあった物で作ったから」
渚の顔に思わず笑みがもれた。
「タダだって」
みれば、おばあちゃんの顔にも笑みが浮かんでいる。
大抵の女は無料と言う言葉に弱いものなのだ。二人もその例外ではなかった。
「あんなガラクタで?もしかしたら大儲けが出来るんじゃないかい?」
「ううん。どうだろ?」
渚は、背中を伸ばして、塀の上らへんに視線を向けた。
「あんまり、目立ちたくないんじゃないかな?ショーグン」
「ふん。そうかね」
「あのさ。バイト、クビになっちゃったんだ。もう来なくていいって」
「そうかい。また急だね。まぁ、今時、珍しくもないよ」
「大丈夫かな?」
「どう転がろうが、なるようにしかならないもんさね。何とかなるさ」
「うん。そか」
渚は、すっと立ち上がって網戸を締めた。
相変らず蒸し暑く、満月の夜だった。
(お金があればな)
渚は、おばあちゃんから赤ちゃんを受け取って、庭に背を向けた。
その時、外でどさどさどさどさ。と音がした。
あたりがとても静かだったので、二人はすぐに音のした方を振り返る。
「なんだろう?おばあちゃん」
「ああ。なんだろうね」・・・ジャキン(薙刀)
背後を任せて、渚はササっと移動して赤ちゃんをゆりかごへ戻した。
それから、念のためジョンソンを起こす事にした。
「ショーグン!ショーグン!起きてって」
渚が、将軍の汗ばんだ肩を軽く揺らすと、将軍は、目を閉じたまま口の中でなにやらむにゃむにゃとやった。
「・・・ぅうん・・・ぼくハンバーグ」
「ハンバーグw(こんど由夏に話しちゃお)」
「渚!渚!ちょっと来てご覧よ!」
おばあちゃんが、めずらしく熱っぽく言うので渚も急いでおばあちゃんの元へと向かう。
「どうしたの?おばあちゃん?」
おばあちゃんは、一足先につっかけを履いて外にいた。
体を屈めていたおばあちゃんが手に持った何かを、渚に見せる。
「ええ!?どうしたのそれ」
「二人して、夢でも見てるんかね・・・?」
おばあちゃんはどこか若々しくそう呟いた。
その手には、見た事の無いお金が束になって乗っていた。
「まったく、まいったね」
「どうしようっか、おばあちゃん。貰っちゃう?」
「バカ言うんじゃないよ。こんな訳のわからないもん。タダより高い物はないって昔っから言うんだよ!・・・ま、とりあえず、今夜はばあばの枕の下に敷こうかね?」
「いい考え」
渚はくすくすと笑った。
「さ、さっさと寝るよ渚。明日は、お巡りさんのところに行って貰うからね?」
「うん」
渚は、屋根の上や、塀の向こう側が何となく気になっていたけれど、奇妙な事に不安は感じなかった。その理由は。わからない。おばあちゃんの言った通り世の中は訳の解らない事ばかりなのだ。おばあちゃんと同じく、渚も未知を受け入れていた。
でも、窓の鍵はきちんと確かめた。
おばあちゃんが一足先に部屋に戻り、渚も、ジョンソンと赤ちゃんがくっついて眠る居間へと戻る。
「・・・あれ?」
その頃には、すっかり夜目が効く様になっていた。
見えている部屋は、渚が慣れ親しんだ空間だった。部屋の真ん中でじっと立っていると遠くの波の音と、穏やかな寝息だけが聞こえていた。
渚は腕を組んで、首をかしげてみた。
「まいっか」
ドラマや映画のマネをしたところで、答えが見つかるわけではない。
それに何だかとっても眠い。
渚は、おばあちゃんの日頃の教え、細かい事を気にしない。をこの時も守ることにした。
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