第22話

渚のアルバイト先は、近くの商店街にあるスーパーだ。

靴屋とケーキ屋に挟まれた小さなもので、渚が幼いころは、まだオーナーの代が変わる前だった。

先代のご主人には買い物の度に駄菓子を貰ったり、頭を撫でてもらったり、風船を貰ったり、兎に角、良くしてもらったのを覚えている。

出来るなら、恩返しをしたい。

他のアルバイトの求人も沢山あったが、ここを選んだのはそう言った理由があったりもした。もちろん、お金をもらう『仕事』なのだから、面接の時、その事は黙っていた。妙に気を使わせて、かえって面倒をかけてしまえば本末転倒である。


都会の立派な大学で経営学を学んだという現社長は2代目で、いつも不機嫌そうで、無口で、容赦なさそうなその人物が、渚は少しだけ苦手だった。

「おはようございまーす!店長!」

元気に挨拶をする。そう強要されたことは一度もない。

店長は、レジの奥のスペースでパソコンの画面とにらめっこしているようだった。

店内にある、誰も見ていないテレビには、ちょうど夕方の情報番組が映し出されていて、冷蔵庫の唸る音や、商店街の沢山の足音の中、不調和な賑やかさを演出していた。

店長からの返事はなかった。

渚は、さっそく更衣室も兼ねる女子トイレへと向う。

「あれ?」

ふと、レジテーブルの上にクリーニングされたばかりの制服とエプロンが置かれているのを見つけた。渚の物だ。本来であれば、ロッカーにしまわれているはずのものでもある。

「店長、これ?」

渚は思わず、店長に向かって声をかける。すると。

「クビ」

「え?」

店長は、渚を見ようともしなかった。

「クービ!」

「ええええッ!じょうだん?ですよね店長?」

渚は、急に恐ろしくなって反射的にへらへらと笑った。

店長が椅子を軋ませ、ようやくこちらを向いた。

「何か買ってくの?」

「え?」

「お客様、どんな商品をお求めでしょうか?」

このお店で働きだした時から、自分が良く口にしていた言葉だ。さながら、パブロフの犬の様に、渚も答えた。

「あ。いいえ・・・何も」

「出口は・あちらで・ございます」

店長はそれっきり、パソコンの画面とのにらめっこを再開した。


まるで、水でも掛けられたような、血の気が引いていくような、そんな気分だった。


渚の知る限りでは、お客さんの入りも、売り上げも上々だった。

今日だって、もう少しすれば、仕事終わりのおじさん達が大勢この店を訪れて、すっきりした様子でビールとおつまみなどを持ってレジの前に並び、一人一人が誇らしげにお金をおいていくはずなのだ。


それが、自分の給料になる。


見た目が可愛いだとか、スタイルがいいだとか、モテるだとか、そんな抽象的な評価じゃなく、自分の努力によって得られるものだ。

頂いたお金で、新しい靴下を買ったり、ノートを買ったり、下着だって出来るだけ新しいものを身に着ける。全てが渚の誇りだった。

しかし、どうやら、理由もわからないまま唐突にそれらが失われてしまう事が決定したらしい。


新しいバイトを見つけないといけない。

今日、ペットのカメの餌を買って行こうと思っていたのに。

今の出来事を、おばあちゃんに、言ってもいいのかな?

大人って、やっぱり怖い。

晩御飯どうしよう?


様々な考えが頭のてっぺんから通り抜けていった。

気が付いた時、渚はペット用の餌が並ぶ商品棚の前に立っていた。

安い方は800円。モデルのカメがパッケージの表紙を飾る方は小さいのに2800円もする。

お店の四隅には、監視カメラがあるけどあれらはみんな偽物で、本物はレジの近くの一個しかない。着替えを押し込んだ学生カバンのチャックは開いたままで、中から仄暗い闇が覗いている。

ドキドキと鳴っていた心臓はすっかり止まってしまっているようだった。

半年も前に自分が補充した商品を手に取る。箱の上には埃一つ乗っていない。

口を大きくあけて、サイコロ状の餌にかぶりつくつぶらな瞳のカメが横に倒されて、やがてそれは音も無く暗やみへと飲み込まれていった。


「いけない」


渚の心臓が、どきりと跳ねた。振り返ると、そこに将軍が居た。

カバンから、カメの顔が半分ほど覗く。


「そう・・・だよね?」

「うん」


そんな、密やかなやり取りが行われた後、カメは再び棚へと戻された。


何も買わない客が来て、それから出て行ったのを店の奥から見届けた。

どうせまた万引きだ。店長は、そう思った。


 簡単な買い物を済ませて二人は堤防沿いの道路を歩いていた。太陽は沈みかけていた。

「大丈夫だ渚殿!僕がいる。何も心配いらない」

「うん」

「おばあさまに言われて、買い物に来ていたんだ。ほら!」

「うん」

「面接も受けて来たんだ!ファミリーレストランだ!」

「うん」

「僕の食料の事はもう気にしなくていいぞ!」

「・・・うん」


・・・バカ。


渚は気持ちを切り替えた。


「しばらくは、お味噌汁の野菜を少なくすればいっか」

「うん!」

と、言いつつ、渚は、自分の食べる量を減らそうと考えていた。将軍がアルバイトに受かったとしても、それがすぐに、みそ汁の野菜に還元されるわけではないのだ。そうとも知らず、将軍は嬉しそうに頷いた。

「僕だって、一生懸命我慢するぞ!」

渚の心に平穏が訪れて、それは思っていたよりもずっとずっとたやすく訪れたので、彼女はちょっとだけ悔しいと感じた。同時に、身体にまとわりついていたベトベトの泥が乾いて、ペリペリと剥がれ落ちたような爽快な気分でもあった。

渚の両手が将軍の手に伸びた。

「ショーグン。半分持つよ」

「大丈夫だ!」

「いいから」

「あ・・・ありがとう。渚殿」

袋を渡す時にちょっと手が触れあったので将軍の心は、ときめいた!

きっと、これから先、良い事があるに違いない!将軍は、そう、思った。

いや、確信した!


「ただいまー。おばあちゃん」

「ただいま!おばあ様!粉ミルク。おむつ買ってきました!」

「へ?」


聞き間違いだと渚は思った。


『そーかいご苦労さん。さぁ。早く用意しとくれよ。ぐずぐずするんじゃないよ』

「はい!」


おばあちゃんの声と、赤ちゃんの、泣き声?


「あれ、将軍?」

「なんだ?渚殿?」

「あのさ、もしかしてなんだけど・・・」


『ジョンソン‼なにやってんだい‼早くしとくれ!!』


「あ!はい!すまない!渚殿急がないと!」

「あ。うん」


渚が帰ると、犬や猫や亀らが足音をあざとく聞きつけて寄ってきた。足元にまとわりつくそやつらを淡々と無視して、茶の間にたどり着いた時、渚は目を疑った。

渚の手から滑り落ちた買い物袋が音を立てる。


「しょう・・・ぐん?」

「・・・はっ!」


将軍はただならぬ雰囲気を察知した。

超常的な力でもって、渚の髪がざわざわと揺れているように見えたのだ!

犬や猫や亀らも、根源的な恐怖にざわめき、消え失せる。


「あっ!ああ!そうだ、渚殿」

「うん」

「実は、これ・・・」


誰かの怒りを治める時、真っ先に贈り物をするのは外交の基本中の基本だ。

将軍家に代々伝わる『人道百科千家万年書』にもそう書かれていた!

将軍は、頬を赤らめて、ポケットから何やら取り出して、こそこそと見せた。

封が切られて、中身がいくつか食われたグミだった。


「大丈夫だ。君の分もとってある」


申し訳なさそうに将軍がそう言った。続けて。


「君の好きなカボス味は残しておいたぞ?」

「なにコソコソやってんだい!!早くおし!!」

「はっはい!」


将軍はどたばたと、台所へと向かった。

探し物の後なのだろう、足元の収納も椅子を使わないと手が届かない上の収納も荒らされ放題荒らされた後だった。何故か、お米も床にこぼれている!冷蔵庫も開いているし蛇口から水も出っぱなしだ。


赤ちゃんがより一層大きな声をあげた。


渚の元へ、なぜか、将軍が小走りで戻って来る。慣れない台所仕事で顔は引きつっていた。将軍が嬉しそうに耳打ちする。


「すごい泣き声だ。将来は歌手になるのかもしれないぞ?」

「・・・かしゅ?しょうらい?」


渚には、将軍がなぜこんなに嬉しそうなのかが理解できなかった。


だいたい、まだ水が出っぱなし!

それに、好きな味はカボスじゃなくてスダチ!


「・・・な?なぎさどの・・・?」


渚の体がぷるぷると震えていた。喉の奥から虎の唸り声のような音も聞こえていた。

将軍は、しまった!と、感じた。次の瞬間。


『こらああああああッ!!!!!!!!!!!』

「ひっひいいいい!!!!」


将軍は、必死に謝りながら、左のポケットに隠し持っていたグミ(新品)を渚に献上した。幸運にも彼はそれで許された。

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