第19話

部屋は、そこに住む人間の心の鏡だと言う。

また、こうとも言う。

人の魂の帰る場所、とも。


さて、男子高校生の部屋と言われて、初めに思いつく物とはいったい何であろうか?

好きなアイドル。またはアニメのキャラクターなどのちょっとHなポスター?

調律の仕方も忘れてしまったアコースティックギター?それとも、使われなくなった記憶媒体に対応した大きなオーディオと、おしゃれな木目調のスピーカー?

派手な光を放つ最新のグラフィックボードを搭載したハイスペックゲーミングパソコンか?

漫画、雑誌、フィギア、ティッシュ箱?中学生の時に買ったドラゴンのキーホルダーだろうか?


どれも素晴らしい物だ。しかし、この部屋には、なにも存在しなかった。


ジャンチルの瞳が、一定のかんかくを開けて3度動いた。

壁、天井、そして、床。

功史朗の証言とは異なり、掃除の行き届いた部屋にネズミは見当たらない。

およそ80センチ四方の玄関があって、その隅に、ほとんど新品の革靴が置かれていた。

埃や汚れが付かないように、それはラップでぐるぐるに包まれていた。

思いのほか、部屋の中は明く、窓から飛び込む光の中には僅かな埃が舞っていた。

古臭い、建物の臭い。

窓の外に見える物干場は見るからに狭そうで、所々が錆びている。

ここから見えない所にある蛇口から、ぽた。ぽた。と、水が垂れて、それだけが時間の経過を知らせていた。

生活感も何もない。生物感すらも。

もしも。この日の午後に、部屋を引き払うのだと告げられたとしても、誰も疑う者はいないだろう。

そんな、半日も前に全てが終わってしまった後のようながらんとした。寂しげな空間だった。


異常だ。


月光は、そう思った。つまり、彼の兄弟たちもそう思ったという事になる。

功史朗の体を支える肉厚の手がじんわりと汗ばむ、彼は、発声に備えてつばを飲み込んだ。

彼はこうも思った。

自分たちが今、担いでいる人物は、実は恐ろしい性質を隠し持った危険な存在。


サイコ!


なのかもしれない!と。

兄として、また、従者としての勘が彼の内臓を縮み上がらせていた。

彼は肉体の奥底から湧き上がる恐怖に立ち向かい、ブルブルと震えた。


呼吸だ。


こんな時は、呼吸を整える。ひっひっふー。ひっひっふー。


落ち着け。落ち着くんだ。月光。一族の代表として、兄として。なにより、主を守る下僕として。冷静に現状を見定め、向き合うのだ。


ひっひふー・・・・。ひっひっふー・・・。


・・・よし。迎撃準備、完了だ。


「・・・なんというか」


彼は満を持して、功史朗に悟られぬよう言葉を巧妙に取り繕い、ほかの者らに伝えようとした。

ここは危ない。

ここは怪しい。

だから。

みんな!早くここから逃げたほうがいい!いますぐに!!急用を思い出したとか言って、この場を立ち去るべきだ!これから先、偶然、街などでこの男に遭遇する事があったとしても、お互いに目礼する程度の関係でとどめておくべきだと。

続きを待たずしてジャンチルが両手をならす。

「ぃい部屋じゃない!おじゃましまーす!」

『!』

そのままの勢いでジャンチルは靴を脱ぎ、壁から一足分空けた場所に揃えた。

空けたスペースには、部屋の主である功史朗の靴が収まる予定だった。

彼女は僅かな板間を横切り、畳の光の中に足を踏み入れる。

生み出された空気の流れの中で、宙を舞う埃が白く輝いて見えた。

部屋の中央でジャンチルが両手をぐっと伸ばしてくるりと回る。

「ぅんッ・・・はぁー・・・!ようやく人目を気にせず体が伸ばせるわ!そうだ!コーシロー?トイレはどこなの?電気のスイッチは?」

「トイレは左の奥。電気のスイッチは、キッチンの冷蔵庫の上でござる」

「了解よ!うぅーん。ふふ。とてもいい気持ち!ん?ほらあんたたちもそんなところでぼーっとしてないで早く上がんなさいよ!大丈夫!ネズミなんてどこにもいないわよ!」

『!!』

「タタミっ!これが畳ね!」

ジャンチルは横になり、ほんのりと温まった畳の上をころころと転がった。

「草の臭いがする!」


月光に衝撃走る。


これこそが、真に人の上に立つべきお人なのか。と。


人間とは、猜疑の生き物である。


疑う。という行為は、人間の発達した脳が見せる、ある種の未来予知のヴィジョンに適応するうえでの超自然的な行為であり。生存の確立を少しでもあげるという点において切っても切り離せない、いわば、人間の性なのだ。


だが、それによって、我々はいったい何を得たのだろうか?


はじめて目にする事象を、ハナから不利益をもたらす存在として扱い。疑い。表面上、徹底的に自分を無害と偽り。出来うる限り不干渉の姿勢を取る。

彼の親はどうだとか、彼はどこどこの出身だからだとか、彼の先祖はどうだとか・・・。そう言って、理解できないものを必ず、安全圏の外に置く。

その性質故、我々は通常、真冬の寒さをしのぐために寄り添い合う猫の様には決してなれはしないのだ。

では、我らが姫はどうだろう?

彼女は、この見るからに怪しげな部屋を開口一番に誉めた。

それはきっと、殺伐とした功史朗の心に一輪の花を咲かせたに違いない。

社会との不和によって、日々、摩耗する自分たちの心にも。

否定ではなく、肯定。否認ではなく、容認。

理解とは無理やりに相手から求めるものではなく、ふとした時に垣間見えるその人物の本質に対して、自然と差し出される物だったのだ。

クッキーなど、初めから必要なかったのだ。


「ちょっとコーシロー!湯飲みが二つしかないじゃないの!」

「あ。それはかたじけないでござる。すぐに買って来るでござるよ」

「いいわよもったいない!まったく、仕方ないわね。残りはお茶碗で代用しましょう」

いつの間にか、部屋の真ん中に小さなちゃぶ台が設置されていた。

規律の欠けた食器に次々と水道水が注がれて、それらが乗ったお盆をジャンチルが器用に運んでくる。

「まずは水分補給をしないと!」

「月光殿達も、遠慮せずに入るでござるよ。毒を食らわば皿までも、この国のことわざでござる」

「功史朗。我らはの事はそれぞれ呼び捨てで構わない」

「承知したでござる」

「では、お言葉に甘えて」


お邪魔します。


全員が席に着くと、ジャンチルが湯飲みを掲げた。

他の者らも調子を合わせる。

纏っていた独特のとげとげしさは影を潜め、途端に彼女は、どこかの令嬢に変身した。

余裕に満ちた口元は可憐でとても健やかだった。透き通る瞳の中にはきらきらと星が散りばめられているようにも見えた。

それは太古の人類が真夜中の洞窟で見ていたという精霊の類だったのかもしれない。

真相を解き明かそうとするものなど、どこにもいない。

盃が、さらに高く掲げられる。


「私たちの、この出会いに」


乾杯。


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