第18話

少し前。


久しぶりに実の妹と話せたことで、将軍の胸はいまだに高鳴っていた。

と、言うものの、およそ1年8か月ほど前から、彼女はある事件をきっかけにして、国内で反政府組織のリーダーになってしまったという噂だったのだ。

もちろん、将軍はこれを否定した。しかしながら、4度の送迎車襲撃、5度の国境警備隊駐屯地への襲撃、7度の同盟国連携先端科学技術センターのデーターベースへの重大なハッキング。それから、数えきれないほどの脅迫。ジャンチルが公の場から姿を消してから次々と巻き起こったそれらが、国家の重鎮たちの意思をより強固なものにしていた。


人間に限らず、生物は長寿と繁栄を求めるものだ。

そして、それを実現できるのはつねに競争を勝ち抜いた強者のみである。


彼は、いろいろな事態を想定していたし、覚悟もしていた。

が、やはり、将軍にとって、ジャンチルはかけがえのない可愛い大切な妹であり、唯一の肉親だった。目まぐるしく、世界が回転する中で、その事実は変わっていなかった。


彼は今朝まで、再会した妹に、もし、無視でもされたら?などと考えていた。食事が喉を通らない日もあった。なかなか寝付けない日も。そういう時に、彼はたびたび爺を頼った。爺は、優しく物語でも聞かせるように「お坊ちゃま、そういう時は羊を数えるのです」と言って、だいたいジョンソンよりも先に寝た。

話を戻そう。

では、今回のクーデター、いったい誰が?理由は?目的は?

混沌とした疑問や憶測が仮説という名の道を示しては、暗闇の中へと消えて行く。

・・・とにかく、ジャンチルは無事だった。

長い間、もやもやと漂っていた不安が一部解消された。

それが、ジョンソンの今日という日をより素晴らしいものにしていた。


自然と口元がほころぶ。彼は弾むように砂を踏んだ。

砂浜には手紙の入ったボトルが40個も打ち寄せられていて。ジョンソンはそれらすべてに返事を出した。同じTシャツを着たカップルに頼まれてシャッターを押し。コンブ漁をしている漁師の手伝いもした。

漁師は。「この辺りの昆布は質より量だ」と、得意げにのたまわった。将軍は笑顔で彼の話を聞いた。


このまま、海岸に沿って渚の家まで帰って、早速、今日あった出来事をお婆ちゃんに報告しようかと、考えている時だった。


『ほぎゃああああああほぎゃああああああ!!!!!』


さざなみの音をかき消して、とても必死な叫び声が聞こえた。

ジョンソンは思わず小走りになって、音のする方へと向かう。

砂浜がいったん途切れて、かわりに四方に張り出たタイプの消波ブロックがずらりと並べられていた。

その隙間で、まだ、生まれたばかりのあかちゃんが布に包まれた状態で顔をくしゃくしゃにして泣いていたのだ!


「なんということだ・・・」


不安定なブロックを乗り継いで、ジョンソンが泣き叫ぶ赤子を抱きかかえる。

近くで聞く、波の砕ける音はとても大きく感じた。

奇跡的に、あかちゃんは波をかぶるぎりぎりの場所にいたらしく、衣服は乾いていた。

彼は、上を見上げた。

高さ、3メートルほどのところに、さび付いた黄色い手すりが見えた。

あそこから落ちたのだろうか?

ともあれ。赤ちゃんは、とても元気そうだ。

彼は、ジャンチルが、まだ小さかった時の記憶を呼び起こし、唇を尖らせて、体を上下にゆらした。

抱き上げた時に冷たく感じた布が段々と温まって、やがて赤ちゃんが笑った。

ジョンソンの表情にも笑みがこぼれる。

彼は、わざわざひょい!ひょい!などと口にしてあかちゃんを喜ばせながら、堤防の階段を駆け上った。



「あー。スミマセーン」

「あのー・・・ちょっといいでしょうか?」


堤防を少し進んだところで、将軍は、自らが自然と笑顔になっていた事に、この時気が付いた。彼はしばらく下げたままにしていた視線を持ち上げて、内心、自らの行為に反省した。

前を見ないまま歩き回るなんて、とても危険だ!

「あのー、すみませーん」

見た目は、人当たりのよさそうな素朴な二人の警察官だった。名札には国家公務員のシンボルであるアザミの花のエンブレムと共に、それぞれ『堤』『二条』とある。

ジョンソンは、姿勢を正して、ついさっきまでぷにぷにのほっぺをマッサージしていた指先を額に当てた。

「ご苦労様です!お巡りさん!なんの御用でしょうか?」

真昼間から子供を抱えて、これといって何もない海沿いの道を歩き回る若者があまりにも堂々としていて、屈託なくそんなことを言ったので。二人の警察官は虚を突かれたのか。つづく言葉を詰まらせて、互いに顔を見合わせた。

「あの」「あの」と、二人が同時に声を上げた。

3人は思わず微笑んだ。場の空気がうららかな日差しのようにほぐれた。

気を取り直して。

堤が、背中寄りに吊るしているサブマシンガンのベルトをさらに後ろに追いやって、ベストの腹のあたりの収納からクリップボードを取りだした。

サブマシンガンも、クリップボードも、どちらもこの国の警察官が携帯することを認められている装備だ。当然、サブマシンガンの方が使われる事例は全国的に見ても年間を通して数件ほどで滅多にない上に、装填されている最初の弾丸5発は殺傷能力の無いゴム弾になっている。

堤は、引き続き、制服の左上腕部に差し込まれていた鉛筆をつまんで、クリップボードにあてた。

「2・3聞きたいことがあるんです。ご協力お願いできますでしょうか?」

よくある、職務質問だった。この辺りが、平和な証拠でもある。

「もちろんです。お巡りさん」

「どうも・・・ではまず」

「その前に、一つ質問してもいいでしょうか?」

鉛筆の先がピタリと止まって、警察官の笑顔もそのまま止まる。

「どうぞ」「もちろん」

「どうもありがとう」

将軍は、一息ついて、何も心配はいらない。と、伝えるように柔らかい頬に触れた。

「あなた達は、ふつうの警察官ではありません。なぜ、そのような格好をしているのですか?」

ジョンソンの突拍子もない発言に、二人はたどたどしく愛想笑いを見せた。

「僕たちはれっきとした警官ですよ?手帳も持ってます」

「ええ、しかしあなた達は、普通じゃない。だって、そのマガジン(銃弾を装填しておく交換式のカートリッジ)」将軍が、二条のサブマシンガンを指さした。

「青いラインが入っている」

警官は、やはり表情を崩さなかった。凍った様に固まった笑顔にはある種の不気味ささえ漂っている。

将軍の言った通り、本体に差し込まれたマガジン上部の、ほとんど隠されている場所にはくっきりと青いラインが刻まれていた。

「それは、315名からなるこの国の特殊機腕部隊(対テロ・対特殊犯罪組織)所属の零中隊(特殊工作課)および特科中隊(実働戦略課)のみに配備されるP・A・R・Aジャンク弾。つまり、対複合装甲被膜が施された特殊弾薬が装填されているマガジンだ」

つい先ほどまでの、のんびりとした雰囲気がまるでウソのように消え去って、3人の表情は冷たく冷え切っていた。

「正直に説明してくれ。僕が力になれるかもしれない」

ジョンソンの言葉を聞いて、二条が吊るしたサブマシンガンを後ろへと追いやった。

「映画の見過ぎだよ。君」

「・・・そうか」

鉛筆を構えなおして、堤。

「ご協力、お願いできますか?」

「ああ、もちろんだ」

それから行われた職務質問に、将軍は正直に答えた。

自分の名前、生年月日、職業、住んでいる場所、持ち物、今何をしていたのか?抱いている子供は何者なのか?などなど。

滞りなく、それらが終わるころには、将軍の腕の中で赤ちゃんが寝息を立て始めていた。

「ふむふむ。了解です。お時間取らせて申し訳ありませんでした」

「いいえ、とんでもない。お巡りさん達もご苦労様でした」

「では、『田中太郎』さん。ご協力ありがとうございました」

「はい」

ジョンソンは、人気のない海沿いの道路を横切って、民宿などが立ち並ぶ寂れた住宅地へと足を進める。


彼の姿が見えなくなってから、警官はアイコンタクトを交わす。そして、こっそりとサブマシンガンのセーフティを外した。

地理データによると、彼の行く先は、しばらく分かれ道の無い一本道のはずであった。見つけやすい地形というのは同時に、見つかりやすい地形でもある。

二人は、十分に時間をかけた。

田舎の駐在よろしく。平静を装い、それでも、建物の壁に張り付くように素早く角を曲がる。すると。

「・・・」

「消えた」

そこには、何の変哲もない、田舎の寂れた港町の景色が広がるのみであった。

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