第12話

将軍は食事をいったんやめて怪しげなその人物に対し礼節を持って答えた。

将軍が立ち上がり片手を胸に添えて軽く頭を下げる。


「初めまして。僕はジョンソン。君は?」


瓶の底のような分厚いレンズは依然として白く光を反射していた。綺麗に揃った前歯が僅かに露出して痩せた頬に皺が寄る。どこか興奮を隠せない様な声色でその人物が言う。


「拙者がどこの何者なのか?そんな事は今現在、人類と言う文明が立たされている幾星霜にもなる分岐点とそれぞれの到達点。更にはその上をなぞる事になる人類史を包括する点・Pに比べたら。わざわざ論するほどの価値も無い事でござるよ」


「点P!?到達点!?ど・・・どういうことだ・・・!君はいったい誰なんだ!学者だな!わかったぞ!君は学者だ!」


・・・どきどき(ハァハァ)。


「ふっふっふ」


動揺する将軍を見かねたのか。それともおばあちゃんの教えに従い、人の不親切を見逃せなかったのか、お弁当に入れた煮物の芋をじっくりと味わってから渚。


「おぉいもういいだろ?コーシロー。あんまり将軍をからかうなよ」


「ふっふっふ。そうでござるな。拙者こう見えて、自分から誰かに話しかけたのは初めての事。いわば初体験でござる。故に次になんといえばよいのか内心途方に暮れていた所でござるよ。いやはやかたじけないでござる渚殿」


「コーシロー君。眼鏡かけてるのに、恥ずかしがり屋さんなんだ?ね?私と一緒?だね?」


「ふっふっふ。由夏殿。眼鏡は関係無いでござるよ」


なにかを思い出したように将軍がハッとする。その口調、身に纏う雰囲気。極限まで無駄を削ぎ落した機能的な装い。将軍の両目が少年のそれのようにキラキラと輝いて語気には熱が籠められた。


「もしかして君はニンジャの末裔か!?」


それを聞いて何故か由夏も目を輝かせコーシローを見つめる。


「!!!」


「ちがうでござる」


「なんだ・・・」

「そうなのか・・・」


・・・しゅん。


「まったく・・それで?コーシローどうしたの?将軍になんのよ?」


「そうでござった。そうでござった。いやはや渚殿・・・」


コーシローは窓の外を見つめてそれから渚を横目で見た。

とても澄んでいて、どこか悲し気な瞳だった。

白いカーテンが音も無く揺れて、吹き込む風にはこの時も潮の香りが混ざっていた。ふと、瞼を閉じれば、いつでもその時の光景がよみがえる。

忘れもしない、初めて出会った時の事、初めて会話をした時の事、何気なく気にかけてもらった時の事、運動会ではいつもヒーローで、音楽界ではいつでもマエストロだった。女の子と言うにはあまりにも勇ましく、男の子と言うにはあまりにもいい匂いがして柔らかかった。中性的で優しく、海のようにおおらかで、どこか憂いを含んだ秘密があった。その姿を一目見るためにクラスのつまらない連中と徒党を組み、夏祭りに出向いた事もあった。


とても可憐だった。


浴衣姿。


刺激的だった。


プールの授業。


楽しかった。


修学旅行。(コーシローはこの時、月の石(屋台のおじさん曰く)を買った。)


それぞれが持つ全てが眩しく輝く太陽のような思い出で、決して塗り替えられる事の無い人生のハイライトだった。


あまりにも身近で、遠くにある存在が故に気付かないだけだったのだ。しかし今日、それに、気付いてしまった。コーシローの目から熱い涙が一筋零れる。


「ごけ・・・・ごけっこ・・・んとは・・・グヒッ!・・・拙者・・・こう見えて・・・・ヒッ!・・・渚殿の事が密かに・・・・す・・すきでござったのに・・・とうとう最後まで気持ちを伝えられず・・・結果を知ることが怖くて逃げ続けて・・・思いを伝えられない事がこれほどまでに悔しく切ないとは思わなかったでござ・・・る、ヒック!!ウウ!ぐヒィィっ!!」


コーシローは顔をくしゃくしゃにゆがめて嗚咽交じりに泣いた。それにつられて、クラスの男子たちも同様に肩を震わして醜い嗚咽を漏らした。

将軍のカミングアウトでショックを受けていたのは幸子先生だけではなかった。むしろ、彼等に与えたインパクトの方が大きかった。

勇敢な同志が一人の胸に収めるにはあまりにも大きな秘密と向き合い、受け入れ、正直になった事で、彼等を苦しめていた後ろめたさは清められ、それは光り輝く雫となりつぎつぎと頬を伝った。苦しみの日々は今まさに終わりを迎え、もう、何も、誰も、偽る必要など無いのだ。僕たちは、皆、渚が好きだった。僕たちは、皆、渚と結婚したかった!


それはもう叶わない!!!


「ぐヒィィィッ!!!!」

「ああもう!泣くな泣くな!ほら、ハンカチ」


「今・・・優しくしないでッ!かえって・・・辛いでござるッ!ブヒイイッ!!」

「・・・ぅぅ渚ぁ・・・」

「生まれて来てくれてありがとう・・・ッ」

「セ・・・せめてウエディングドレス姿だけでもみにいくぞ・・!くぅ!」

「守りたい!あの笑顔っ!!」

「くヒィィっ!!」


「なんだか僕も・・・ぅぅ・・・みんなぁああ!」

「しょうぐーんッ!!!」

『ウアアアアアアアッ!!!』

「渚を泣かせないでくれー!」

「渚殿を頼んだでござるよ・・・ッ!」

「・・・うんッ!」


「・・・」

「渚。お前なんでこんなにモテるんだよ」

「えぇ。これモテてるのかな・・・?あんまり自覚ないなあ。モテるならぁ!背が高くてぇ、目が青くて綺麗でぇ、お金持ちのぉ!イケメンがいいなぁ!」

「それは贅沢。わかるけど」

「男が寄って来る臭いでも出てるんじゃないのかぁ?このこの」

「人を植物みたいに言うなまったく!」

「たわわに実ったこの果実ぅー♪つっかまえたあ!にしし・・!」

「あっ!こっこらっ!もぅ・・・・やめてよね?」


『!!!』


校内でも有名な『揉み魔』の手によって歪められた渚の双乳の悲鳴を聞いたかのように、先ほどまですすり泣いていた青年共はそれぞれが必然的に統一化された個別の至極健全な精神を由来とする共通意識によって素早く動員された!


「ハレンチ禁止!ハレンチ禁止!」

「ハレンチ禁止!!」

『ハレンチ禁止!ハレンチ禁止!!ハレンチ禁止ー!』


「うわぁ!」

「なんだこいつら!」

「ははは!」


「はぁーあ。どぉーせ、かえってこれをおかずにオナるくせに白々しいわぁ。このおさるさん達・・・」


「・・・」

「・・・」

「・・・」


「アラー。気まずくなっちゃったかしら?やぁねジェネレーションギャップって、若いっていいわねぇ」


聞きなれているようで、まったく聞きなれていない声に、クラスに残った学生たちは一斉にそちらを向いた。教室の入り口から綺麗な白い両手と、頭がこちらに向いていた。


「ぁー。幸子先生?いたんだ?」

「いたわよ?」


見えていた部分が消えて、先生の本体が姿を現す。


「そぉ・・・もう終わっちゃったのね?」


学生たちに緊張が走る、余計な事を口にしようものならば、即時、全員を巻き込む事態になりかねない。

昼下がりの日差しに照らされている健康的で朗らかな笑顔には明確に、どす黒い闇が潜んでいた。

幸子先生が回答済みの幸子スペシャルの角を持ち上げてぱらぱらと捲った。


「次からは、あなたの分も計算に入れないとダメみたいね?ジョンソンさん」

「あ。幸子先生殿」


将軍が声を上げると、周囲は沈黙を用いてそれに答えた。

普段を知らない将軍は気が付かない!

自分が今まさにキルゾーンに踏み込もうとしている事に!

将軍がさらに続ける。


「問題集3の14の設問ですが・・・」

「その問題が。何か?」

「はいここ、幸男さんは酷い寿に悩まされています。それは座る度に彼を苦しめます。とありますが・・・・。ここは寿ことぶき(特にめでたいときに用いる表書き)ではなく(肛門に見られる疾患)の間違いではありませんか?つまり、字が違います」


教室がしんと静まり返っていた。それはとても長かったかもしれないし、または一瞬だったかもしれない。幸子先生が両手を鳴らして、にっこりと笑う。


「あ!そうだったかしら!いけないわねどうもありがとうジョンソンさん」

「お礼を言われるほどの事ではありません幸子先生殿。僕もよく間違いをします」

「面倒をかけたついでと言ってはなんなんだけど。一つお願いごと、この課題を資料室まで運んでほしいの。ダメかしら?ジョンソンさん?」

「面倒だなんて、幸子先生殿の力になれるなら是非やらせてください!」

「そう、よかった。じゃぁこっちついてきて」

「はい!じゃぁ渚殿、少しの間だが行ってきます」

「まぁ仕方ないかぁ。行ってらっしゃい将軍」


山のような紙の束を抱えて、将軍は幸子先生の後を追った。

他のクラスは授業中で、静まり返った廊下を進んで階段のいくつかを下り、さらに廊下を進んだ。資料室はその先にあった。幸子先生が資料室の南京錠を開けて中に入ったので将軍もそれに続く。


「ちょっと待ってね」

「はい」


幸子先生が奥の部屋に消える。天井ぎりぎりまで高さのある棚には茶色く変色した紙が乱雑に押し込められていた。日の当たらない、独特の歴史の匂いが立ち込める静かな場所だった。一瞬の知的好奇心が脳裏によぎり、間もなくして、背後で勢いよく扉が閉ざされたかと思えば、明かりの一切が消えた。


「なんだ!どうしたんだ!く・・・暗いっ!うわあああっ!!」


次に明かりがついたとき、将軍は椅子に座らされて真っ白な四角い部屋の中に居た。目の前には壁と同じ色で分かりにくかったが白いスクリーンがある。両手に持っていたはずの幸子スペシャルの山も、変色した資料も幸子先生も忽然と姿を消していて、そこにあるのは自分を拘束する椅子と、スクリーンのみであった。


「いったいここは!?幸子先生殿!」


将軍はすぐに立ち上がろうとしたが、身体はがっちりと拘束されていて、頭を僅かに回すのが精いっぱいであった。


「大丈夫、大丈夫よ?ジョンソンさん」


部屋のどこかに設置されたスピーカーから幸子先生の慈愛に満ちた声がして、目の前のスクリーンに映像がでかでかと映し出される。


3・・・・

2・・・・

1・・・・


寿


『はい。ジョンソンさん?この文字は?』

「・・・こ・・・ことぶき・・・」


返事は無かった。

しばらくして、スクリーンの文字が寿の文字から寿の文字に切り替わる。


『ジョンソンさん?この文字は?』

「こ・・・・ことぶき」


長い沈黙の末、資料室の中に悲鳴が木霊した。こうして、将軍もまた寿と痔の違いを認識する事が今後一切出来なくなった。


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