第10話

天気は快晴。風は北北西。この日も、ここ南城西高校は平和そのものであった。


ねぇねぇ!ゴリまつ昨日また夜中まで学校にいたらしいよ!

ああーだから今日げっそりしてたんだ寝不足で

何してたの?

えー!なんかねぇ・・・!保健室のぉ先生とぉ・・・!

えっ!

うそうそうそ!?

キャー!


っぁあー!テストおー!

んだな。

ああー!弁当!もう食っちゃったぁー!

んだなあ。


てかさ・・・夏って暑くね?

それなー

ずっと冬でよくね?だってさ、寒いのは服着ればいいけど、暑いのはどうしようもないし?

それなー。けどあたしさあ。プール結構好きなんだよねえ。

ああーわかるー!

てかさ今度プール行く?

行く行くー!


「・・・ここが、渚殿の学校ッ!」


「将軍学校行ったことないの?」


『渚!おはよー!由夏も・・・えーとあとそっちの彼も(笑)』


「おはよ」

「うん・・・おはよ?」


「・・・ぉはよぅ。・・・実は、ないんだ。教育はそれぞれの分野の専門家が家に来て行っていたから・・・」


「おっ!この人がうわさの将軍?おはよ!渚ー今度紹介してよー!」

「うわあー!すっごいイケメンじゃない?!」

「外人って聞いたけど言葉とかわかるの?」


「自分で聞きなよ?ね?将軍?」


「あ・・・ああ。しっしかし僕には渚殿という人が・・・・ッ!」(・・・ポッ)


「何照れてんのさ将軍?」


「ええー!?もう?!」

「ひえーこいつも?・・・やれやれ」


「ほんと、なんでこうなっちゃうかなぁ・・・」


「嫌味だぞ?渚!」


「え?そうかな?」


「世の中って不公平だよねぇ?」

「ねえ?由夏?」

「えっ・・・ふふ・・・うん。そうかも?」

『ねぇー?』

「ちょっと由夏まで!やめてよね!あ!先生来た!先生!」


『はいおはようございます。皆さんホームルームを始めますよ?席について下さい』


担任である寿幸子(ことぶきさちこ)は、出席名簿を教卓の真ん中に広げてそこに連ねている名前と生徒たちの姿を照らし合わせた。今日の幸子先生は栗色の髪をふわりと巻いた髪型と、あっさりとしたファッションでとても決まっていた。この日のコンセプトは『白いキャンパス』。まだなにものでもない無限の可能性を秘めた純白は対峙する者すべてに悩む喜びを教える事だろう。そして今日もキャンパスは、町はずれの優しく海風が吹く丘の上などで人知れず誰かに彩られるのを待っているのだ。


「あら?」


幸子先生の視線が名簿と、教室内の見慣れない人物とを何回か往復する。


「ええーと、だれかしら?部外者?転校生?何も聞いてなかったけど・・・」


「せんせーしらないの?」

「将軍だよ、将軍」


「しょう・・・ぐん?」


自然と全員の視線が収束して、ジョンソンはもともと正していた姿勢を発声の予備動作のためにもう一度整えた。


「お騒がせして申し訳ありません。僕はジョンソンと言います。この地から海を越えた所にある、大鮮麗たいせんれい人民共和国の国家主席、あなた達の言う所の将軍です」


「大鮮麗?って。あの?」


幸子先生は人差し指を顎に当てて首をかしげてそう言った。彼女がそのような態度を示すのも当然で、いま提示された点だけでは現在の状況をとても説明できはしないのだ。


「そんな人が何でここに?」


昨日から同様のもやもやとした疑問をいだいていた学徒たちは、自分たちが整理しきれず言葉に出来なかった事をいとも容易く口にする聡明な大人をこの日も尊敬した。

彼等もジョンソンに注目する。


「それは」


ジョンソンは少し考えて続けた。


「僕は渚殿の夫になる者です」


クラスの誰もが沈黙していた。


校庭からは奇声をあげて走り回る町内でも有名な変人とそれを捕まえんとする警官との激しいやり取りが聞こえて、窓から鳩が3羽も入ってきて教室内を飛び回り、羽をまき散らし、校内の誰かが火災警報のボタンを押して、けたたましい警報がこだましていた。けれど、クラスの誰もが沈黙していた。


騒ぎが収まると、ジョンソンは続ける。


「妻の事をもっともっと知りたいと思うのは、とても自然な事です」


差し込む朝日の中で教室はぴったりと枠に納められたモノトーンの絵画のように厳粛だった。唯一、色を持っている幸子先生がほがらかな笑顔を絶やさぬまま、教室内を一歩また一歩と進んで渚の前に立ち、その、若々しく、みずみずしい、柔らかい、血色のいい、キメの細かい、頬を思い切りつねった。


「あだっ!あたたたたっ!せんせえええー!」

「なっ渚殿ぉー!」


「・・・ふぅ」


「渚殿?大丈夫か?」

「平気平気・・・あーでも今日はちょっと痛かったなぁ・・・」

「さすろう!」

「ぁーありがと将軍・・・イタタ」


さすさす・・・さすさす。


「はーい。みなさーん♪」


定位置に戻りながら、幸子が言う。


「教師をしているとこんなことが良くあります!交際を始めた男女のカップルの内、女子だけがある日突然学校に来なくなるんです!どうしてですかねぇ?不思議ですね?大体・・・そうねえ、夏休みの少し前から付き合い始めたカップルでそれが終わって何か月か経った11月くらいに来なくなることが多いかしら?」


外ではセミが鳴いていて。夏の日差しが室内までじりじりと照り付けていたが、教室の中はまるで百物語でもやっている最中のように静まり返っていた。吹き込む風で栗色の頭髪が静かに揺れる。


「この中でいったい誰がそうなるのかしら?・・・なんちゃってー」


子が両手を鳴らして、振り返る。その角度は正確無比だった。


「あっそうだ!あなたたちがテストでいい点が取れるようにこーんなにいっぱい。問題作ってきたの!宿題よ?出来なかったらあなた達は留☆年。全員よッ?ああーこんな事してられないわ!私だってお嫁さんになるって夢があるんですもの!古風だって笑われたって行動を起こさないと!それじゃみなさんきっちり勉強するんですよ?わかりましたか?」


「・・・皆さんとは・・・?幸子先生・・・?」


「わかり。ましたか?」


「はっはいいいい!」


「ではさようならー!」


幸子先生は片時も笑顔を絶やさないまま扉の向こうへと消えた。

やがて、ざわめきの後、学生たちの日常が徐々に戻り始める。


「僕は幸子先生に何か悪いことをしてしまったのか?渚殿?」


「だいじょぶだいじょぶ。さっちゃんいつもあんな感じだから。さ!宿題やるぞー!」


心配そうに由夏もやって来る。


「渚?ほっぺ大丈夫?」

「うん、わたしは大丈夫!」

「そか、よかった。よぉし、私もがんばるぞぉ!えいえいおー!」


私も俺も僕もと、幸子先生お手製の課題、通称『幸子スペシャル』の山はあっという間に2割ほど減った。この課題は、クラスの学生たちの能力を細分化したうえで、放課後ギリギリにやり終えるようにかなり正確に調整されていた。無論、途中の昼休みの時間は除かれている。


「よぉし僕だって!渚殿!何か書くものを貸してくれ!」

「はい、どうぞ」

「ありがとう!」


カリカリカリカリカリ!


「次!」


カリカリカリカリ!


「次!」


・・・・・・。


どこかただならなぬ様子に、クラスの面々は次第にざわつきだした。

確かに、最近のニュースでは記憶をなくしたピアニストが突然どこかから現れたり、沿岸で超巨大UMAが観測されたり、死んだはずの人間が蘇ったりと、信じられないような出来事が頻発している。しかしそれは、やはりテレビやネットなど媒体を介した遠くの出来事で、自分たちの日常と干渉することは、これからも、きっと、ずっと、ないのだろうと誰もが考えていた。


「次は単語の書き取りか・・・渚殿そのペンも貸してくれ!」

「え?ほい」


『・・・!!!!!』


カリカリカリカリカリ!!!!!!!


(両手に持ったペンで!)

(あの幸子スペシャルを!)

(どっ同時に!?)


将来有望な若者たち気づく!


こいつは只物ではないと!!


「な・・・なぁ渚?こいつってさ本当に・・・」

「ううん。やっぱりそうなのかなぁ?でっかい玉みたいなのに入って打ち寄せられてたし・・・最初わけわかんない言葉でしゃべってたし・・・」

「玉ぁ?」

「打ち寄せられてた?」

「ウケるめっちゃ怪しいじゃん!」


この日、まるでらしくない図々しさを発揮して渚の隣に来ていた由夏も言う。


「息してなかったのを渚が心肺蘇生させたんだよ?ね?渚?あと、えへへ、よだれもたれてたんだよね?渚?(小声)」


「そうそーよかったよぉ、うまく行って。やっぱり学校でやることって意味あるんだねぇ」


(なんだと?)


男たちがざわめく。


(心肺蘇生・・・?)

(心臓マッサージか?ま!まさか!)


(((人工呼吸じんこうこきゅう!?)))


(渚が)

(あの、唇で・・・・?!)


・・・・ゴクリっ!


「ん?ああこらっ!お前ら!いやらしい目で人を見るな!全く!」


「渚殿はみんなから慕われているんだな!なんだか僕まで嬉しいぞ!」


(つ・・・つまり将軍のあの唇も間接的に・・・)

(よせっ!それいじょうはいけない!)

(・・・・)

(・・・よせ)


・・・どきどき。


「はーい!私も嬉しい・・・よ?将軍様・・・!」


「うん!由夏殿!僕たちはとても幸運だ!」


「ふふ・・・そうだね?」


『わーい♪わーい♪』


その場に集うのは、全員がなにかと思う事の多い年頃であったが、互いに手を取り無邪気にはしゃぐ二人を眺めていると、日頃、外側からの刺激で常に挑発されている状態だった心のがさつきがすっかり収まって、どういう訳か、何か、超常的な何かが、この日の彼等を勉学へと駆り立てた。


「・・・・全く、何者なんだよ?とりあえず幸子スペシャルかたづけっぺ」

「んだなあ」




「・・・」




「・・・」




「・・・」




「ンアーッ!もう無理ぃッ!勉強嫌いいー!」


「渚!もうちょっとなんだからがんばろーぜ!」

「頑張れ♪がんばれー♪」

「ファイトだぞ?」


「むー!」


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