第3話


「おはようございまーす!」


「おう、おはよう」


「おはようございますー!」


「うん、おはよう」


「おはよーせんせ」


「おはよう。おい、メットの紐ゆるんでるぞ!」


「おっすー先生」

「おはよう先生!」

「ギリギリセーフだね!」


「うん・・・おいお前ら!ギリギリだぞ!」


『はーい!すみません!』


「うむ!まぁいい、間に合ってるからな。だが、これから先に来る奴らは・・・」


 鍛え上げられた上腕二頭筋、大腿筋、大広背筋、太い眉毛に、男性ホルモンとの戦いに敗れた頭部(ちなみに本人曰く戦略的撤退)、男の名は松下五輪治(まつしたごりんじ)、南城西高校体育科の教師である。

彼はこの日も質実剛健、学校の風紀の守護者であった。

学校とは、いわば超小型化された社会そのものである。

定義もなされないまま巣立ってゆく生徒達の居場所となるこの世界は、巨大な社会という名の海原に浮かぶ小さな盃で、隔離された一つの異世界であると同時に、社会の一部でもあるのだ。一見、互いに一切の影響を及ぼさない、パラレルワールドのように見えていても、実際のところ、この聖なる地で起きる様々な事項は、プールの水面にさざ波が伝わるように、僅かだが外の社会にも影響することとなる。

当然、その逆もしかりである。


彼は子供のころから英雄にあこがれていた。

声ひとつ、行動一つで人を正しい道へと導くことのできる英雄に。

しかし、彼は自分がそれにふさわしくない事も知っていた。なので、彼は、彼なりに、この超ミクロ化された世界に秩序をもたらし、手の届く場所から、目の届く場所から、ひたむきに、地道に少しづつ時間をかけ人々を正しい方向へと導くことにした。

そうすれば、この地で起こった正義の意思がゆっくりと時間を掛けて確実に、外の世界へと流れ込むことになるのだ!それこそ、凡庸な彼に出来る精一杯の非凡であった。


悪は・・・。悪は決して許さん!!


「ゴリまつ~!!ゴリまつ~!!待ってえ~まだ閉めないで~!!!」

「なっ!渚!またゴリまつって・・・言ったら・・・怒られちゃうよ?松下先生に」

「おお。あれが君たちの学び舎か・・・とても綺麗で大きいな!」


遅刻!


定められた時間を超える事!つまり、交わした約束や掟を自分勝手な都合で無下にすること!時に伝統に唾を吐き、先人たちが築き上げてきた信頼に著しく背く行為!!これは最も身近で基本的な悪である!


「おまえら・・・・・」


今まさに、道を踏み外さんとする教え子の姿を前に、彼の正義感は上腕二頭筋を丈夫な風船のように膨らませた。


いかなる犠牲を払ってでも子供たちを正しく導かなくてはならない。

彼等は、あっという間に飛び方を覚えて巣立ってしまうのだから・・・・!


・・・うるっ!


(はっ!いけないいけない!つい、あの子らの卒業式の姿を思い浮かべてしまった。五輪治・・・汝、一切の甘えを捨てよ・・・わが両手は鬼、そしてわが心は仏ッ!!)


ゆくぞっ!


「・・・ああまずっ!!由夏!」

「うん・・・大丈夫かな?」

「あの者・・・いったい!?」


右手に携えた竹刀、竹を束ねただけのまがい物。

これでは原稿用紙を切ることすら出来ないだろう。

しかし、扱う者の内に秘めた意思の力によって、時としてこれは黄金に光輝き、どんな巨悪にさえ立ち向かえるだけの勇敢さと、それを粉々に打ち砕くだけの力を秘めているのだ!


・・・ゴゴゴゴゴゴ。


 教室では、一足先に到着した生徒たちのいくらかが窓際に張り付き、校門に注目した。特に、同クラスの者らはほんの少しだけ熱を帯びている。


「ああ見て。渚と由夏だ」

「ああほんとー」

「てかさあゴリまつも元気だよねー」

「それなー」



「おまえらあああああ!!!!!!」



 過ちを、強引に正しかっと言い張る若者だけの特権。がむしゃらな主張。

遅刻を遅刻と認めぬその無知さ、したたかさ、傲慢さ、気高さ、それらに任せて堂々と正面玄関から駆けこもうとする生徒が前方から3名!!

そうだ!全力でぶつかって来い!!それこそが!


竹刀が朝日を浴びて、輝きを放つ!!ゴリまつの渾身の一撃!!


「青春だッ!!!!!」


ブンッ!!!!!!!!!!


「よっと」


・・・さッ!


「おはよーゴリまつ!てかTシャツ小さすぎ(笑)」


「むぅ・・・・」


自分の正義が常に想定したとおりに実るとは限らない!

なぜならば、自分は凡夫であるから!

だからと言ってあきらめる訳にはいかない、決して、これは終わりのない戦い!

時として、遠回りを避け、禁じられた道理の通らない方法を用いて悪と対峙しなければならない!ジレンマを常に抱える呪われた方法!だが諦めない何度でも!何度でも!なぜならば自分は体育科の教師だから!


「おまえもかあああああああああ!!!!」


ブオンッ!!!!!!!!!


「・・・ひゃ!」


・・・・さささッ!!


「・・・おはよう、松下せんせ・・・遅れてごめんね?」


「むぅ・・・・・!!!!」


さらに続くは得体のしれない悪!(?)この美しい世界の住人に危害が及ぶその前に!!まずは自分でその危険性を確かめる必要があるッ!!なぜならば!


「むうううううっ!誰だお前はああああ!!!!」

「!!」


「渚ー!!由夏ーー!」

「一限目はじまるぞー!!」

「はやくはやくうー!」

「あれ?誰だろ?お前知ってる?」

「転校生?聞いてる?」

「制服?じゃないよね?」

「んあー誰?」

「・・・」



「ひゃ・・・!みんなに見られちゃってる・・・どうしよう・・・恥ずかしいよ渚」


「へーきへーき!あってか将軍!」


「あっ・・・」


グオオオオンッ!!!!!!!!


「・・・・ッ!?」


ばちいいいいいいんっ!!!


『!!!!!!』


「あいつ!」

「ゴリまつの一撃を」

「受けた!?」

「・・・死んだなあいつ」

「ああ」


「・・・むううう・・・・」


(この威力・・・・!?ガードの上からっ!?)


「チェストおおおおおお!!!!!!!」


「うわあああああっ!!!!!!!!」


「あっ・・・・将軍・・・」

「将軍様ああああああああ!!!!!!!!!!ああああ!!」

「うわぁっ!びっくりするなぁ・・・。大丈夫だって由夏。ゴリまつだってちゃんと加減してるよ・・・あれ?してるよね?」

「・・・わぁ、将軍様、お空飛んでる!あっ!落ちた。・・・授業で使うマットが偶然置いてあるところでよかったね渚?」

「そういう問題じゃないでしょ!行こ由夏!」

「うん!」


二人は行く先を改めて、将軍の方へと向かった。彼女たちに続いてゴリまつも暑苦しい顔を青くして将軍へと駆け寄った。

この学校の体育の授業を全て受け持つゴリまつの授業は、自己防衛術と銘打って彼の竹刀を躱す事から全てが始まる。それを受け止めるものなどいないはずなのだ。


将軍は、気を失っていたが呼吸は健全だったし、どちらかというと、極度の疲労によって眠っているかのように見えて、実際のところその通りだった。


「俺は・・・・俺は・・・」


ムキムキ・・・ムキムキ・・・。


「松下せんせ?・・・大丈夫、だよ?私たちが、保健室に連れて行くね?」


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」

「ひゃう!」

「ああ、ああ、だぁいじょぶダイジョブだから・・・ほら一限目の授業始まるよ?みんなゴリまつのところ待ってるよ?ん?ほら早く行きな?」

「・・・うん(醜い嗚咽)」

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