第6話 先輩とフォロー
新入社員には付き物の失敗。
もちろん千朋にも、経験がある。
さんざん怒られて、怒鳴られて悔しくて情けなくてトイレで泣いた。
当時の教育係だった先輩社員が後処理をして、泣き止まない千朋を慰めてくれた。
そういう苦い経験が糧となって少しずつ一人前に成長していくのだ。
今回千朋は、その先輩役に回る事になった。
新人、藤田の冒した失敗は、見積書の作成ミスだった。
必ず書類作成の際には、先輩社員がダブルチェックをして提出する決まりになっている。
仕事に慣れてきた事もあって、千朋もマキも見事にそのミスに気付かず、スルーして見積書を通してしまった。
担当営業も、ミスに気付かずその見積書を取引先に提出してしまった後で、単価違いが発覚したのだ。
先輩社員が確認したうえでの失敗だったので、殆ど千朋とマキの確認漏れのミスなのだが、藤田本人は部長から雷を落とされてぺしゃんこに凹んでしまった。
遠い昔の自分の姿とダブって、余計可哀想に思えてくる。
もっとちゃんと見てあげなくてはいけなかったのに。
「君達の指導力不足だ!」
机を叩いて怒鳴る部長に、千朋とマキが揃って頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
「相手は大口の取引先だぞ!先方が大事にしなかったから再提出で済んだものの、普通だったら価格交渉が決裂する可能性だってある!明日キチンと君たちどちらかが、営業と一緒にお詫びに行くように!頼むよ!」
「はい、必ずお詫びに伺います」
「まったく!なんでこんな初歩的ミスを冒すんだ?漸くここも落ち着いてきたところだったのに・・頭が痛いよ!」
「今後、同じミスが起こらない様に、再度手順や確認方法を検討し直します。本当に申し訳ありませんでした」
「わかったなら、もういい。戻りなさい」
もう一度謝罪をして、マキと並んでパーテーションで仕切られた部長スペースを出て溜め息を吐く。
起こしてしまったミスはしょうがない。
この後の挽回にかかっている。
気持ちを引き締めなくては。
それに、どっぷり凹んでいる藤田のフォローも大事だ。
引きずり過ぎない様に気遣ってやる必要がある。
これからのスケジュールを頭で整理しながら千朋がマキに問いかけた。
「明日お詫び行く時間取れる?」
「無理ー・・・末締めでいっぱいいっぱい」
よりによって、売上処理で慌ただしくなる月末にミスが発覚してしまった。
後処理と並行して通常業務もテキパキこなさなくては、支店売上が未達成という痛手を負うことになる。
「やんな。オッケ、うちが行ってくるわ」
マキが抱えている取引先は、殆ど売上処理が出来ていない。
その点、月半ばから少しずつ売上を計上していた千朋の方が、僅かに余裕があった。
「ごめーん、お願いできる?事務処理フォローしとくから」
「うん、そっちは任せるね。ごめんけど宜しく」
とりあえずこれからの予定は立った。
次は、落ち込んだ後輩を引っ張り上げる役目が待っている。
戻るなり、早速課長に呼ばれたマキに、任せて、と視線を送って藤田のもとに向かう。
涙目で机に向かっている彼女の肩を叩いて声を掛ける。
「ふーじ、ちょっと気分転換しょっか?」
「ちほさ・・・うっ・・・ひっ・・」
「うんうん、大丈夫やから。あとの事はちゃんとうちらがするし。な?」
目尻から涙が零れた藤田の頭を撫でて、落ち着ける所に行こうと腕を掴んでビルを出る。
肌寒いけれど、涙で腫れた頬を冷やすには冷えた空気が丁度いい。
「今回のミスはうちと、マキの確認不足が元で起こったことやから、藤は全く気にせんでええねん。うちらもバタバタして、チェックをおざなりにしてもたから」
いつかとは逆で、植え込みに座り込んだ藤田の前にしゃがみ込んで視線を合わせる。
千朋が膝の上に置かれた手を握ると、藤田はぶんぶん首を振った。
「でも・・・あたしのっミス・・・です」
ボロボロと涙を零す藤田を抱きしめて背中を叩いてやる。
こういう時は、なにを言われても自分が悪い、としか思えない。
そうして思考が悪い方へと流れて行って、ドツボに嵌まるのだ。
それを繰り返して、ちょっとずつ前進してきた。
経験者だからこそ、わかる。
「だーいじょうぶ!!今度は、うちもマキももっと気をつけるようにするからさ。泣かんでええんよ?うちも、ミスして泣かされて同じ様に先輩に助けてもらってん。もう辞めようって何度も思いながらなんとかここまで来たん。うちも、マキも、みんなもおるから。また明日から頑張れる?」
「・・・は・・はいっ・・・」
「うん、えらい!!そうやって返事できるなら大丈夫!部長はな、怒ると爆発するタイプやけど、1日寝たらコロっと忘れはる人やから大丈夫やで?」
「はいっ・・・」
ハンカチに顔を埋める藤田の肩を何度も撫でて、大丈夫と繰り返す。
そう、うちもそうやったわ・・・
思いっきり泣いて、鼻を噛んで、顔を上げて。
そうしてあったかいお茶飲んで、また頑張ろうと思ったのだ。
藤田の頭を撫でてやりながら、ビルの入り口をぼんやりと見ていると、森が出てきた。
缶コーヒー片手に辺りをキョロキョロと伺っている。
藤田を気遣って来てくれたらしい。
千朋は片手を振って合図した。
気付いた森が、声を上げそうになって、藤田の様子に気づいてぎょっとなった。
「・・!!」
まさか泣いているとは思わなかったらしい。
明らかに狼狽えている森に、大丈夫と頷いて手招きする。
声には出さずに、本当に側に行っていいのか?と首を傾げる森に千朋は笑顔で頷く。
「ふーじ、ちょっとは落ち着いた?」
「・・・はい・・」
「あんね、泣いたら喉渇くやろ?」
「良かったらどーぞ」
森が絶妙のタイミングで缶コーヒーを差し出した。
顔を上げた藤田が、どうしてここに森がいるのかと一瞬驚いたような表情を見せた。
けれど、頷いて缶コーヒーを素直に受け取る。
「僕もね、去年は散々失敗して皆に怒られて、謝りまくって来たから・・・全然、大丈夫だよ。部長も、新人相手に言い過ぎたって反省してるし」
森の一生懸命な慰めに、ハンカチで涙を押さえつつ藤田が頷く。
確かに、先輩社員の千朋があれこれ言うより年の近い森のほうが話しやすいかもしれない。
ここは役割分担して、後はお任せしてみようと決める。
「コーヒー飲んだら戻っておいで?もう暗いから、森君はボディーガードで置いていくし」
千朋の意図が分かったのか、森は笑顔で頷いた。
「任せて下さい!」
「頼むね。身体冷え切らんうちに戻っといでー」
千朋は二人を残して、ビルに入った。
これから片づけなくてはならない仕事がたっぷりと残っている。
「明日、俺も行くから」
机に戻るなり隣の席の秋吉がそう言った。
千朋は一瞬きょとんとなって、すぐに今回のミスの担当営業が彼だった事を思い出す。
移転前まで部長が対応していた大口を引き継いだのが、秋吉だったのだ。
ミスの内容訂正や、ミス報告ですっかりそのことを失念していた。
千朋は両手を合わせて頭を下げる。
「ほんっまにごめんね!うちの力不足で迷惑掛けてもて・・・先輩失格やあー」
「同じこと中野さんからも言われた」
「でも、ほんまにうちらのせいやから!バタバタしとった、は言い訳にならへん。でも、今回の件は藤は悪くないねん、あの子は責めんといて!」
「別に責めるつもりないし。そもそも俺もろくに見んと捺印したしなー・・・丁度同じような案件3つ抱えてたやん?広瀬と中野さんだけやなくて、俺も込みの連帯責任。他の営業の取引先やなくて良かったやん」
あっけらかんと言ってのける秋吉を前に、千朋はひたすら頭を下げるしかない。
こんな風にフォローして貰える立場ではないのに。
書類関係のミスでまず責められるのは担当営業なのだ。
今回のミスも、秋吉が先方にお詫びの連絡を入れた。
部長からも再度謝罪をしており、その際に事務員の作成ミスであった旨も伝えてある。
それでも、担当のミスと受け取られるのだ。
千朋は申し訳なさでいっぱいになる。
文句ひとつ言わない彼に、お詫びとして何か出来る事・・・
勿論こんなミスは二度と起こらないように徹底する。
けれど、それ以前に今回の迷惑料をどうにかして彼に受け取って欲しかった。
「ご飯行こう!奢るわ!!」
手っ取り早い方法は食事だ。
物は最後まで残るし、彼の事だから後々気を遣う可能性がある。
美味しいご飯を食べて、綺麗に流して貰おう!!
そうと決まれば善は急げだ。
月末になるにつれ時間は取れなくなる。
千朋は、秋吉の腕を強引に掴んだ。
とにかく、今はそれくらいしか思い浮かばなかったのだ。
どうせなら、と社内にいるメンバーに声をかける。
が、忙しいマキには当然断られ、泣きはらした顔の藤田を送って行くと気遣いを見せた森も不参加。
河野については取引先からそのまま直帰。
斉藤はこの後予定があるとの事だった。
というわけで、図らずも二人きりでお夕飯に行く事になってしまった。
「ほんで、何食べたいん?」
二人で支店を出て、駅に向かって歩く。
帰宅ラッシュも終わった中途半端な時間なので、人もまばらな駅前の通り。
思えばこうして二人きりで駅前を並んで歩くのは初めてだ。
嬉しさ半分緊張が半分と、どうにも複雑な心境を抱えて、けれど今日はお詫びが目的だと意識を切り替える。
車だと雑踏や人の話し声は遮断されてしまう車のエンジン音や行き交う人たちのざわめきが、妙に新鮮に感じた。
「そやなぁ・・・」
考える素振りを見せた秋吉に、先手を打っておく。
「あ、ほんま遠慮せんでええんよ?」
千朋の台詞に秋吉が目を丸くする。
それから、楽しそうに笑った。
「なんか、これ・・いつもと逆やな・・」
「あ・・・ほんまや」
車で送って貰うたび言われた言葉と同じだ。
自分から言うなんてなんだか変な感じがする。
今の自分が彼にしてあげられることがある事が嬉しい。
謝罪という形ではあるけれど。
「ほんなら・・・そこの店」
指差された先には”讃岐うどん”の看板。
「うどん!?」
「寒い時はうどんやろ?」
「え・・・ちょっと、もうちょっとええもんにしてよ!お詫びにならへんやん!」
「何でも食いたいもんゆーたん広瀬やろ?今はこれがええねん、うどんの気分やし、ほら行こ」
「ええ、ちょっと!」
千朋の反論を無視して腕を掴むと、迷うことなく店内に入る秋吉。
余りにも予定外過ぎる。
アツアツの月見うどんを二人で並んで食べながら、千朋は眉間に皺を寄せた。
なんか違うくない・・・?
「美味しいけどさぁ・・」
文句を言える立場ではないのだが、それでも言わずにいられない。
そもそもここ・・女の子と来る店なのか謎・・・
明らかに安い速い美味いを看板にしているそのお店は確かに味は良かったが、ゆっくり食事を楽しむ雰囲気のお店ではない。
ずらりと並んだカウンターテーブルに座っているのは殆どが仕事帰りのサラリーマンで、離れたテーブルに見えるのは塾帰りらしき親子連れ。
絶対にデート目的では使えないお店である。
これはデートではないのだから当然だが、ほんのちょっと淡い期待を抱いてしまった自分が恥ずかしくなった。
「たまにはええやろ?」
「ええけどさ、もうちょっと・・・都会的な・・おしゃれな店とかさぁ・・・」
店員に聞こえない様に声のトーンを落とした。
必然的に秋吉に近づくことになって、距離感に戸惑ってしまう。
秋吉はさして気にした様子もなく、箸を動かす手はそのままで尋ねた。
「うどん嫌い?」
「好き」
麺類が嫌いな女子はそないおらへんと思う・・・
手軽だし、食べやすいから。
「やろ?イタリアンとか、居酒屋もええけどやっぱりこーゆう店が落ち着いてええねん、俺は。広瀬やったら気兼ねなく誘えるしな」
コシのあるうどんはシンプルで、おつゆは出汁の効いた優しい味。
心も体もあったまる。
二人の距離を縮める微妙に調整された照明も、雰囲気のある大人なBGMもない。
狭い店内の片隅に置かれたテレビからは、今日のニュースが流れてくる。
話し声はあまりなくて、程よい静かさが逆に居心地いい。
まあ、馴染むっていうのは分かるし、気安く誘ってくれるのも嬉しいけど・・・
「他の子には気ぃ使うゆーことね」
「気心知れとる、ゆーことやん」
まあ、そうとも言うのかな・・・
ここはプラス思考で受け取る事にする。
うどんは美味しいから。
「もう一軒うまいうどんの店あるねん。今度連れてったるわ。まだ森も河野も連れて行ったことない店」
つまり、社内の誰も知らない店。
ああいう発言した後でいう事それ・・・?もう、ほんまになんなん・・・
どんなに自分に落ち着けと言い聞かせても、やっぱり期待は膨らむ。
どうしようもないほど膨らむ。
「絶対行く」
いつか弾けて消えるとしても。
恋には弱い女やけど。
死ぬ気で頑張ってみせるから。
ほんの少しの可能性は残してて。
どうか、神様。
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