第7話 謝罪と宴会

「広瀬、もう出れるか?」


「先に下りててええよ」



千朋は返事をして、机周りを片付けながら行儀悪くも、足で開けっ放しの引き出しを閉める。


腕時計を確認して、秋吉が上着を片手に立ち上がった。



「タクシー拾っとくからな」


「うん!すぐ行く!」



今日は、先日の見積もりミスのあった取引先の飲み会だ。


お詫びに行った際に、営業部長にどうしてか気に入られてしまった千朋が、次の飲み会には君もぜひ一緒にと声を掛けられた。


他にもいくつか取引先に声を掛けているから、と言われては断れるわけもない。


慌てて、自分も付いて行くことを条件に加えてくれた秋吉も一緒に。


見積書のミスを豪快に笑い飛ばしてくれた気のいい部長だが、実はお酒を飲むと絡むクセがあるお方らしいのだ。


部署内の女性社員は、飲み会の際には部長の側に近づかない様にと言い含められているそうだから、相当なものなのだろう。


そんな事前情報もあったので、挨拶をした後は出来るだけ接触を控えるようにと、秋吉からも強く言われていた。


「ごめんけど、後よろしく!」


「任せて、くれぐれも気をつけてね!絡まれないように祈ってる」


「すいません、千朋さん!」


マキの励ましに手を振って、安心させるように微笑んで、不安そうな藤田の頭を撫でる。


こういう後始末はベテラン社員が行くに限る。


新入社員の藤田を人身御供にするなんてあり得ない。


「もーええから、ほら、不安そうにせぇへん、もう謝らへんの。美味しいものいーっぱい食べてくるから気にせんといて。じゃあ、部長、行ってきます」


「おーい広瀬!栗羊羹持ったか!?」


部長が大声で訊いてくる。


あちらの営業部長の大好物だ。


「はい!この通り、手に持ってます!!」


事前に用意しておいたデパ地下限定の栗羊羹を持ち上げる。


安心したように部長が頷いた。


「くれぐれも、失礼の無いようにな!」


「はい!行ってきます!」


大声で返して千朋は営業所を出る。


エントランス前に止まっているタクシーの横で、秋吉が待ってくれていた。


急いで乗り込む。


「運転手さん、出してください」


千朋が手土産片手に乗り込むと同時に、秋吉が指示を出した。


今日はかなりのサービス残業になりそうだ。






「先日は誠に申し訳ありませんでした。本日はお招き頂きまして有難うございます。栗羊羹がお好きだと伺いましたのでお口に合うか分かりませんが・・・」


打ち合わせ通り、紙袋を差し出して挨拶をする。


並んで頭を下げる秋吉と千朋を交互に眺めて、部長は上機嫌で迎えてくれた。


「いやー、良く来てくれたね。二人とも!しかも手土産まで持って!これは嬉しい、私の好きな店だよ、ここ」


「本当ですか?良かったです!」


リサーチして、わざわざ開店時間に合わせて並んで買った代物だ。


これで気に入らないと言われたらお手上げだった。


一先ず、出だしとしては上々だ。


差し出した紙袋は丁重に受け取られ、席に案内される。


座敷の広間にテーブルが4つ。


座布団の数ざっと20枚。


千朋と秋吉の後からも、別の会社の人間がやって来ていた。


会場を見回して秋吉が呟く。


「俺らの他にも、ほんまに取引先が呼ばれとるみたいやなぁ」


「そやね・・・まあ、ちょっと安心した」


自分たちだけで無いのなら、他社の女性のお客様もいるはずだから。


問題の部長も社内の飲み会のように羽目を外したりはしないだろう。


この会社の営業部は、ベテランの中年事務員ばかりらしく、飲み会に花が無いと部長が散々ぼやいていたらしい。


「ところで、広瀬飲めるん?」


「ちょっとは」


千朋の返事に秋吉が心配そうな顔をする。


それを先に訊いておくべきだったと顔に書いてあった。


そのあからさまな態度に、笑いそうになる。


そんな顔されたら、ますます図に乗りたくなるやん?


「乾杯の後飲むなよ?」


「だーいじょうぶやから。当たり障りなくやりすごします。秋吉くんは自分の仕事しといて」


続々と会場に他者の人間が集まってくる。


女性客も数名見られて、千朋はこれなら大丈夫と確信を持った。


秋吉には、逆にこの機会をフルに使って欲しい。


部長以外にも名前を売って、新しい取引先を捕まえるまたとないチャンスだ。


謝罪と千朋の心配だけで終って欲しくはなかった。


席が近くになった他社の女性社員が、おそらく同年代のようで顔を見合わせてほっとする。


宴会の準備を手伝っているスーツの女性も、社内の人のようだった。


頭数3人なら、なんとかなりそうだ。


これはもう乾杯と同時にどんどん煽って飲ませるに限る。


お決まりの挨拶と乾杯の後、予想通り部長の両脇に案内された千朋と他社の女性社員は、結託したように交互にお酌をして、どんどん部長を盛り上げた。


面倒な人は、中途半端に酔わせずにさっさと潰したほうが良い。


これは長年の社会人経験から知った事だ。


ぐだぐだと絡まれるくらいなら、撃沈させてタクシーに押し込むに限る。


「部長、この冷酒有名なんですよ?」


「んー、どれどれ」


「こちらの焼酎も地方の名産品ですよ?」


「頂こうかなぁ」


次々と入れられる酒を空けていく部長。


会場準備をしていた女性社員は、若い男性社員に囲まれてご満悦の様子だ。


いつもは、部長の相手役をやらされて辟易していたんだろう。


少し離れた席で、仕事の話で盛り上がっている秋吉は、時折こちらの様子を伺うような視線を向けてくる。


安心して喋っといて、と笑顔を見せて、お酌を続ける合間に隙を見ては豪華な料理に箸を伸ばす。


今朝獲れたばかりという上等な鯛を中心とした懐石料理の数々。


茶碗蒸しは特に絶品で、その後のお寿司も部長はペロリと平らげた。


酒が進むにつれ、部長の機嫌はますます絶好調になった。


両脇を固める花の肩を抱いて、十八番の演歌まで歌う始末。


けれど、それも長くは続かなかった。


お酌されるままに飲み続けた酒がいよいよ回って動けなくなったのだ。


呂律が回らなくなった数分後には沈黙していた。


壁に凭れて居眠りを始めた部長を横にして、静かにそばを離れる。


千朋は会場をぐるりと見回した。


これで漸くお役目終了かなぁ・・・


最初に注がれた日本酒を飲んだせいかまだ少しボーっとする足。


酔いを醒ますために廊下に出る。


各個室が離れのような作りになっている店内は、砂利の敷かれた渡り廊下でつながっていた。


店のスリッパを借りてふらふら歩いていると、一緒に部長の相手をした女子社員が椅子に座りこんでいた。


顔色があまり良くない。


「大丈夫ですか?」


「あ・・・あなた・・・さっきの・・」


「気分悪いですか?」


「日本酒駄目なんだけど、断れなくって・・」


「結構キツイお酒でしたもんね。同じ会社から来られた方いらっしゃいましたよね?お呼びします。お名前聞いてもいいですか?」


「・・私、川上と言います・・一緒に来たのは、萩尾といいます」


ただでさえ白い顔が一層青白くなっている。


千朋は川上と名乗った彼女の手にハンカチを握らせた。


「すぐ呼んできますから、少しだけ待てますか?」


「はい・・・大丈夫です・・すみません」


「いいえ。お酌、助けていただいたおかげで、早く切り抜けられたんで、すごく有難かったです」



その場を離れて、まずレジ前の店員に声を掛けて、タクシーを頼んだ。


この時間なら10分もあれば来てくれる。


その後、座敷に戻って、萩尾という同行の男性を探して声を掛けた。


彼まで潰されていたら、と心配したが杞憂に終わった。


下戸の彼は一口も酒類を口にしていなかったのだ。


かなりの量の酒がこの宴会で消費されたようで、あちらこちらに畳の上で眠りこける営業の姿があった。


まるで忘年会の後の会場を見ているようだ。


「すいません、うちの社員がご迷惑おかけしまして」


「いいえ。ご本人も、少し休めば楽になるって仰ってるんで、そのまま帰らせてあげてください。もうすぐタクシーも来るんで」


「わかりました。すぐに行きます」


そろそろ店の閉店時間のようで、仲居がタクシーをお呼びしますと会場に声をかけてきた。


それを皮切りに、会場が一気に帰宅ムードになる。


川上たちが乗ったタクシーを見送っていると、続々と仕度を終えた人間が店の前に出てきた。


秋吉が千朋を見つけてそばにやって来る。


即座に顔が赤くない事を確かめて、秋吉が平気そうやな、と呟いた。


それに応える間もなく部長や営業たちがやってくる。


改めてお礼を言い、到着したばかりのタクシーが走り去るのを見送った。


残った平社員たちが後片付けをするのをいくらか手伝って、店を後にする頃には23時回っていた。


フロントに頼んで呼んで貰ったタクシーに、来た時と同じように秋吉と一緒に乗り込む。


「お疲れー」


ネクタイを緩めながら、秋吉が言った。


あまり飲まなかったようで、彼の様子もいつもと変わらない。


「お疲れー」


シートにもたれた途端、一気に酔いが回るのを感じた。


ぎゅっと目を閉じる。


漸く本日の業務は終了だ。


「全然酔ってへんやん?」


「うん、言われた通り乾杯の後は飲まんかったし・・・」


「広瀬の反対で相手しとった子は、酒強くなかったん?」


「あ、川上さんって言うねんけど、彼女は日本酒が全然アカンかったみたい。最初に部長に注がれてもて、断れんしうちも飲んでんけど・・・かなりキツイ清酒やと思うわ・・可哀相に・・・」


「そんなよーさん飲んだんか?彼女」


「ううん、グラス半分もないくらい」


「ほんなら大丈夫やろ」


「かなぁー・・・明日に響かんとええねんけど」


タクシーに乗り込む時の、彼女の辛そうな顔を思い出す。


仕事とはいえ、飲めない酒を飲む羽目になるなんて、気の毒以外のなにものでもない。


「タクシー呼んで、介抱して、全部1人で片付けてもたなぁ」


恨めしそうな顔で秋吉が指摘してきた。


「秋吉くんの仕事の邪魔したくないもん。別にそない大したことしてへんし・・川上さんの同僚さんもすぐ来てくれはったし。ああいう時、同性が介抱した方が安心やん?」


極々当たり前の事をしただけ、と告げる。


秋吉が何か言いかけてやめた。


暫く黙って、小さく呟く。


「無理そうな時は呼べよ」


呆れたような声。


咄嗟に返事が出来ない位、焦った。


まるで特別扱いされたような気になってしまったのだ。


たとえそれが社交辞令だとしても、今日一緒に行った価値があると思えた。


それ位、どうしようもないほど嬉しかった。


赤くなっていませんように、顔が緩んでいませんようにと祈りながら、しっかりと頷く。


「分かってるんやったらええけど・・・あ、その道を左で。公園のトコでええんやろ?」


窓の外に視線を向けた秋吉が、千朋に尋ねた。


もうこの辺りを二人で通る事に違和感を覚えなくなっていた。


「うん、って・・あーもう、また先に下ろそうとするし!!」


正しい帰宅ルートは、秋吉→千朋の順番だったはずなのに。


「心配やし、家まで送るわ。ゆーても、まあ、運転すんの俺ちゃうけど」


茶化すみたいに言って笑うから、肝心のお礼を言い損ねてしまう。


タクシーはいつもの公園の前で止まった。


千朋はタクシーを降りる。


さっきまでは平気だったのに、異様に体が重い。


ビールを飲んだ時とは違う感覚だ。


あ・・・やっぱり、ちょっとふらつく。


けれど、ここで気付かれるわけに行かない。


「ありがとう、遅くまでお疲れさま」


車内を振り返って笑顔を作って言う。


けれど、タクシーはいつまでたっても走り出さない。


怪訝に思っていると反対のドアから秋吉が降りてきた。


え・・・なんで・・・


疑問を口にする間もなく、腕を取られる。


「やっぱり、酔ってるやろ」


「大丈夫やから、ほら、家スグそこやし」


「タクシー待たせとくから・・ほら行こ。家の前で倒れたらその方が恥ずかしいやろ?」


門を開けた途端、石段に蹴躓くとか?


思わず、つんのめる自分の姿を想像しそうになってしまう。


「そうやけど・・・」


有無を言わせず、秋吉は千朋の家の方向に向かって歩き出す。


「なんでタクシー乗ってすぐ酔ったかもって言わんかったん?」


「こんな回ると思わんかったし・・・うちの事で心配掛けたくないんやもん」


彼とは仕事でここに来たのだ。


そもそも事の発端は事務側のミスが原因。


秋吉がそうじゃないと言っても、実際はそうだ。


只でさえ負担をかけたのに、これ以上自分の体調の事で迷惑をかけたくなかった。


「1人で無理して帰られるほうが、俺はよっぽど心配するけど?」


腕を引かれて歩きながら、千朋は真っ暗な夜空を見上げた。


酔いのせいで少しぼやけて見える藍色の空。


ただの夜空なのに、どうしてかうんと綺麗に感じる。


秋吉の優しさが、嬉しくて、苦しい。


「心配してばっかりやわ。秋吉くんはみーんなに優しいから!」


普段の自分なら絶対に言えない。


けれど、いまは二人きりだし、彼も承知の通り結構酔ってる。


少しくらい本音をぶちまけても許される気がした。



秋吉が、一瞬立ち止まって千朋と目を合わせる。


掴まれた腕はそのままだ。


「誰にでも優しいわけちゃうよ」


は・・・?どういう意味?


・・・・当然・・・訊けなかった。

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