第2話 変わったこと、変わらないこと
当時は毎晩魘される位に思い出しては泣いて打ちひしがれてめげた。
自分の行いを死ぬほど後悔して、本気で神様に記憶改ざんを願った。
けれど、記憶は消して貰えなかったから、自分で封印することにしたのだ。
無かったことにして、忘れた振りをして、そして、時が流れて本当に綺麗にその事を考えなくなっていた。
あーもう、帰りたい・・・いや、帰っても、明日が来る。
こうして同僚になった以上、彼とはこれから毎日顔を合わせるのだ。
いっそのこと異動願いを出す?
いまこのタイミングで?
あからさますぎるわ。
実現不可能な事ばかり頭の中に浮かぶ。
帰る事も、フロアに戻ることも出来ずに、隣のビルとの境界線として設置されている植え込みのブロックの端に座り込む。
大きく息を吐いたら、斜め上から声が降って来た。
「なんっで昔と同じで逃げるかなぁ・・?」
千朋の事を追いかけて来たらしい。
逃げるなよ・・・て、ゆーことね。
未だ気持ちは定まらないが、これ以上はどこへも逃げられない。
「いや、ほら、びっくりして・・・」
「こっちがビックリやわ」
隣に座られて、ますます逃げられなくなる。
千朋は顔を上げる事が出来ず、アスファルトに視線を向ける。
消えてしまいたい、というのはこういう状況を指すのだ。
「・・・ごめんなさい・・」
これしか言葉が浮かばない。
「あー、ごめんな。ちゃうねん・・俺の言い方も悪かった。やから、・・・気にすんなよ」
「・・・・気にするし・・」
あの日の自分の気持ちは。
さらりと流せるものじゃなかった。
こんな再会のしかたは望んでなかった。
もっと綺麗な・・・綺麗な・・・
「ほんま、ごめん・・やけど、俺も結構ショックやってんで?絶対覚えとるって思っとったのに・・・素知らぬ顔で挨拶してくるしさぁ。もしかして、わざと?とか思って」
「ないないない!それは絶対無いから!・・ちゃうねん・・・こうやって、もっかいどっかで会うとか、思ってへんかってん。秋吉くんは、うちの中で、18歳のままやしまさか、大人になった本人に会うなんか想像もせんかったから・・・ちょっと・・・びっくりして・・・逃げてもてん・・・」
記憶の奥底に閉じ込めた苦い思い出の蓋が開いてから分かった。
18歳の彼は、今もちゃんと心の中にいる。
あの日と同じ笑顔で、向かい合って立っているのだ。
暗幕が駆けられた薄暗い体育館の中で。
永遠に思えるくらいの時間。
実際には3分足らず。
それでも、一生のうちで一番緊張した瞬間だった。
たぶん、死ぬ時の走馬灯に間違いなく出てくるはずだ。
「なんやー・・・もう・・・めっちゃ焦ったわ・・・・そっか、ビックリしたんかぁ・・」
秋吉は、頷いてから安心したように微笑んだ。
見る人が心からホッとするような優しい顔で。
その懐かしい笑顔が、嬉しくて、胸が痛くなる。
ドキドキでも、キュンキュンでもなく。
ただただ懐かしさで、じーんとした。
昔と同じ・・・
胸に迫る様々な感情はいったん押し込めて、大人になった広瀬千朋をどうにか引っ張り出して貼り付ける。
「ほんまにごめんね?何や恥ずかしさと、驚きでさぁもういっぱい、いっぱいやってん。気使わせてもたねぇ・・・」
「ええよ、俺のせいやし。気にしてへんよ。これから一緒に仕事すんのに、気まずいんは困るなて思っただけやから」
そう、彼の言う通りだ。
今日から、どちらかが異動か、退職する日まで同じ場所で働くのだから。
気まずいだの、顔合わせ辛いだの・・・グチグチ言ってられないのだ。
8年も経ったのだから、あんな遠い過去に引きずられるわけにはいかない。
「大丈夫やで、全然。むしろ、知っとる人が一人でもおって安心やわ」
あの日の片思いと、告白は、目の前の現実とは無関係なのだ。
「それに・・・うちのことなんか忘れてるって思ってたから、覚えててくれただけでも、嬉しいわ」
悲しくないわけじゃない。
けれど、自分はもう大人で。目の前の現実をきちんと受け入れて、向き合って、折り合いをつけて生きて行かなくてはいけない。
苦い過去に浸っていられる子供じゃないんだから。
「忘れるわけないやん?・・・俺も、社内で同級生がおるんは嬉しいわ。これからよろしくな?」
秋吉の言葉は純粋に嬉しかった。
たった三年間一緒の学校に通った相手。
特別な接点があったわけでも、重なる記憶があるわけでもない。
ただ、千朋にとっては、一方的でも大切な相手だった。
そんな相手から、こんな風に言って貰える日が来るなんて。
「うん!こっちこそ」
今度は目を見て笑えた。
あの頃、18歳の広瀬千朋が、どんなに頑張っても出来なかった事を、今の広瀬千朋は出来る。
それが、嬉しかった。
ちっとも進歩していないと思っていた自分を数年ぶりに、褒めてあげたいと思った。
脱兎の如く逃げ出した18歳の自分を、26歳の自分が真正面から、しっかり抱きとめてこの片恋は、眠らせることが出来た。
少なくとも、この日の千朋はそう思っていた。
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