ナチュラルラバー

宇月朋花

再会片思い編

第1話 初めましてじゃないですよ?

高校時代の友人から、結婚しました!の写真付き報告はがきが届いたのはつい先日のことだ。


今年に入ってすでに一度結婚式に招待されており、年末にも一人結婚予定の友人がいる。


25を過ぎてから、ポツリポツリとご報告やら招待状やらが増えて来た。


所謂結婚適齢期なのだから、可笑しい話でもないのだが、この二年彼氏がいない広瀬千朋にとっては、なかなか胸に刺さるご報告である。


このご時世正社員で働いているだけでも御の字だと開き直ってはみるものの、実家住まいの為、届いた幸せな便りを目にした母親からの突き刺さるような視線は何度経験してもやり過ごすのに苦労する。


それならと親戚の伝手を頼って用意されたお見合いは上手く行かず、くたびれただけの娘の様子を見た母親からの小言が、ここ最近は収まっているのが不幸中の幸いだ。


「広瀬、中野!ちょっと」


終業間近の17時、広瀬千朋と同期で友人の中野マキが揃って営業部部長である渡辺に呼ばれた。


同じ営業事務ではあるが、担当が違う二人が一緒に呼ばれることは珍しい。


待たせると不機嫌全開になる部長なので、急ぎ足で部長のデスク前にたどり着く。


ちらっと顔を見ると笑顔だったので、お説教ではないようだと、少しだけ肩の力を抜いた。


「ウチの部署も手狭になってきただろ?営業と総務一緒だし、デスクも一杯だしな」


ぐるりとフロアを見渡して部長がひとり頷く。


確かに手狭だけれど、これに慣れてしまっているので特に不便を感じたことはなかった。


「はあ・・」


否定すると話がややこしくなるので、マキと目配せし合ってここは穏便に頷いておく。


「そこでな、営業二課だけ隣のビルにフロア借りようと思ってるんだよ」


「隣、ですか?」


オフィス街なので、通り沿いには同じようなビルがいくつも並んでいる。


「そう、ちょうど3階が空きになっててな、支店もこの際一箇所に統一して、営業も事務も働きやすいようにしようって話が出て、支社長が乗り気になって役員会で承認下ろして来たから」


だから移転ね、と言われてもう一度マキと視線を合わせる。


確かに隣に移動する程度なら、特に仕事の不便さは感じられないし、これまで地域分担いしていた営業が纏まると事務としては売上関係の処理がしやすくなる。


IT電話と社内ネットワークシステムを取り扱う会社は、横浜の本社、関西、九州に支社を持っており、その下に複数の支店を構えていた。


一般企業をターゲットにした営業一課と、医療機関や医療関係の企業をターゲットにした営業二課に別れており、千朋とマキは、営業二課のアシスタント事務員だ。


「あの・・ちなみに引越しは?」


「二週間後の予定だから。君たち二人と、東地区と西地区の営業所の事務の子2名と、営業が6名。10人なら、向こうのフロアも広々使えるぞー、良かったなぁ」


「え、二週間後ですか!?」


いくら隣のビルに移転とはいえ、余りにもスケジュールがタイトすぎる。


「月末は締めがあるし、出張やら計画会議が立て続けなんだよ。こっちはすぐ隣に移動するだけだから、対して手間もないだろう?」


というわけで、色々よろしく頼むよ、と念を押して戻って良しと解放される。


千朋は無言で隣を歩くマキと顔を見合わせて、げっそりと肩を落とした。


ありえへんー!!!


営業仕事に関してはとことんせっかちな性格の癖に、その他の事に関しては驚くくらいルーズになる部長の性格は熟知していたつもりだが、これはちょっとかなり酷い。


湾岸沿いに新しく設置された国営の総合医療研究施設との大口取引が纏まったのは先月の事なので、売り上げアップを盾に支社長が役員会議を通したことは容易に想像がついた。


せめてそういう心づもりがあること位事前に教えてくれればいいのに。


こうして急な移転命令のおかげで千朋とマキの仕事は3倍に膨れ上がった。


隣への移転とはいえ、新たに備品や消耗品は必要になるし、持って行く書類やデータ関係、資料の準備の為に深夜まで残業の毎日。


入社当時からフォローし合ってきたマキとの共同作業だったので何とか当日を迎える事が出来た。


せめてもの救いは、隣のビルは、昨年改修工事がされたばかりでかなり内装が綺麗だったことだ。


そうして迎えた引っ越し当日。


業者が備品を設置して帰ってから数時間、どうにか見られる室内になったのは夜の21時を回った頃だった。


疲労困憊状態で千朋が叫ぶ。


「マッサージ行きたいー!」


「ほんとですねー」


新しく加わる事務員の斉藤が千朋の言葉に大きく頷く。


控えめで可愛らしい彼女は現在社内恋愛中。


マーケティング企画部の先輩社員と付き合っている事を初日に教えてくれた。


「この辺りって、安いマッサージ屋さんてあるんですか?」


もう1人の事務員の藤田が皆にお茶を配りながら言う。


彼女は今年配属になったばかりの新入社員だ。


何を教えても初々しい反応が微笑ましくて、ついつい世話を焼きたくなってしまう。


「あるある、駅前の店、行った事あるやんね?マキ」


「うん、引っ越し終わったらみんなで行こうねー」


マキの言葉に二人がキャーと嬉しい悲鳴を上げた。


肩も腰もぼろぼろなんですー、と可愛い声を上げる後輩達。


こちとらもっとボロボロです!とはいえずに苦笑いする。


「もう遅いし、残りは明日に回そかー」


木曜日とはいえ、もう一日あるのでこれ以上の残業は正直キツイ。


千朋の提案にマキが頷いて、今日はここまで、と声を掛ける。


「明日はみんなで荷解きがんばろな」


千朋は拳を突き上げる。


マキが同じように拳を突き上げて叫んだ。


「マッサージ行くぞー!」




★★★★★★



翌日から新しい営業部での仕事がスタートした。


それぞれが持ち込んだデスクは以前も使用していたものだけれど、場所が変わるだけで気分は随分変わる。


隣のビルの頃は雑然としていたフロアも、綺麗に整列された資料が並ぶキャビネットと、新しく購入したミーティング用のテーブルセットのおかげでぐんとお洒落に見える。


引っ越しの手間はかかったけれど、ここで働けるなら肩こりも腰痛も目を瞑って見せましょう、なんて現金なことを思ってしまう。


何より、給湯室が広いのが嬉しい。


通常通り外回りに出ている営業達も、時間を割いて自分の机周りを片付けに戻って来ていた。


今週末で引っ越しを完了させるのが目標だ。


今回の移転で、千朋と同じ隣のビルから移って来た営業は2人。


部長と、係長だ。


残りの4人の営業も入れ替わり立ち代り、挨拶と片付けをかねて新しいオフィスに顔を見せた。


全体会議や営業連絡会の時に、何度か顔を合わせた事のある営業もいるが、今年営業二課に転属になった営業に関しては当然ながら初めましての挨拶をすることになる。


此処のところ続いていた怒涛の忙しさで、千朋の古い記憶はすっかり薄れて、擦れてしまっていた。


その方が千朋にとっては都合が良かったし、このまま記憶の彼方に飛ばしてしまうつもりにさえしていた。


だから、彼と会ったときも、まったく何も思い出さなかった。




ちょうどお昼時で、後輩二人は先にランチに出ていて、部長たちは支社で会議中。


電話対応があるので、大抵事務員は交代制で昼休みを取る様にしていた。


マキは部長の机の上に山積み書類と格闘中。


千朋は、資料棚の整理をしていた。


備品は全部収まったけれど、資料や書類関係の設置場所はまだ大まかにしか決まっていないのだ。


しかも、部長は未決済書類を抱えたままで、ほぼ一日今後の営業体制を確認する会議に入っている。


「お疲れ様」


電話も鳴らず、静かなフロアに突然男性の声がした。


支店のドアを振り返ると、スーツ姿の男性四人が立っていた。


「お疲れ様です」


「今日付けでこっちに配属になった、松村です、コレは俺の部下」


その名前と顔にピンと来た千朋はぺこりと頭を下げる。


以前、営業会議の時に挨拶を交わしたことのある相手だった。


残り三名はとくに見覚えが無い。


「松村課長ですよね?事務の広瀬です、向こうにいるのが・・・中野さんです。よろしくお願いいたします」


「こちらこそ。えーっと、まず机の場所教えてもらえる?向こうの退去に手間取ってこっちの作業任せちゃって申し訳なかったね」


島が二つ作られた机を見回して松村が尋ねる。


千朋は資料を棚にとりあえず置いて、向き直った。


「いえ、大丈夫ですよ。マキ!新しい課長さんいらしたよ!」


部長の隣の課長席に案内しながらマキに声を掛ける。


二人が挨拶を交わしているうちに、残りの営業の下へ。


マキと松村は何度か仕事を一緒にした間柄らしく、会話が盛り上がっている。


残りの営業の席を確認しつつ、ちらっと視線を向ける。


年は・・・近い感じかな?あ、1人だけ、新入社員ぽい子がおる・・


「えーっと、営業さんの机はこっちなんですけど、新しい机用意して貰ってるんで、席順は自由に決めて貰えれば・・」


営業達の定位置はこちらには分からないので、ご自由にと手で示す。


事務員の机は古いままで、営業職の机だけ新しくなっている事には若干の作為を感じるがそこは飲み込むしかない。


千朋たち事務員のデスクは、一昨年の監査で鍵付きのタイプに変更されていたので、文句は言えない。


「とりあえず、自己紹介しょーかぁ。俺は秋吉。こっちが河野な、そんで」


秋吉が、左横に立つ一番年下らしき童顔の営業の肩を叩いた。


「森です。今年で二年目になります。まだまだ新人なので・・よろしくお願いします」


あ、可愛い子。


ニコリと笑った顔がすごく人懐こくってこちらまで笑顔になる。


少しだけ新入社員の藤田と印象が被った。


「初めまして、広瀬です。宜しくお願いします」


営業達見回して軽く頭を下げる。


森の笑顔ばかり見ていたので、この時、千朋を見ていたもう一つの視線には、これっぽっちも気付かなかった。


自己紹介の後、取引先に行かなくてはいけない河野は片付けもそこそこにすぐに支店を出て行った。


松村課長も部長たちの会議に合流するために支社に出掛けてしまう。


マキは、お昼をまともに取れそうにないと読んで、千朋と自分のお昼を買いにコンビニへ出かけて行った。


支店に残ったのは三人だけになった。


「秋吉さんと森君は?外回りの予定とかは・・」


「あ、すぐ書き込みます!」


森がホワイトボードに向かう。


真新しい綺麗なホワイトボードには部長、課長、係長をカッコで括って会議とだけ書かれている。


社内イントラでスケジュール確認することも出来るが、支店内ではホワイトボードのほうが有効活用されていた。


森は黒のペンを取り上げて、秋吉を振り返る。


「14時から、商談ですよね?秋吉さん」


「その後、木島医療に見積もり提出な」


「あ、はい」


「そやったら、今日はそのまま直帰ですか?」


「うん、そやね」


秋吉が、千朋を見てにこりと笑った。


・・・ん?


その顔に違和感を覚える。


秋吉の表情は穏やかそのものなので、特におかしなところはないのだが。


第一印象は大事だ。


これから一緒に仕事をしていくんだから、と反射的に笑みを返す。


が、なんだか腑に落ちない。


何かが引っかかる。


疑問を抱えたまま、千朋は給湯室に向かった。


愛用のマグカップに、抹茶オレの粉末を入れてお湯を注ぐ。


飲み物の種類を好きに出来るのが事務員の特権だ。


リクエストを事務員の間で募って、何種類かのドリンクを買い置きしている。


えー・・・なんやろ、なにが気になってるんやろ・・


スプーンでカップの底をぐるぐる混ぜていると、後ろで人の気配がした。


ちらっと振り返って、千朋は目を瞠った。


まさに渦中の人がそこにいた。


秋吉さん・・・?


「な、なんか飲みます?」


とりあえず、給湯室に来たのだから、飲み物が欲しいのだろうと結論付ける。


が、千朋の質問は無視して、秋吉は給湯室の壁にもたれかかった。


「初めましてじゃないですよ?」


その言葉に思わずスプーンを混ぜる手が止まった。


はい・・・?


これまでは係長のアシスタント事務員だったので、彼と関わりのある営業達とは何度か顔を合わせたり、電話でやり取りをして来た。


けれど、その中に秋吉はいなかった筈だ。


河野と秋吉は去年の秋の異動で営業二課に転属になったのだろうと思っていたのに


目を丸くした千朋の顔を見て小さく笑う彼。


「昔過ぎて、忘れてもたん?」


「え・・あの・・・ごめんなさい・・・」


必死に思い出そうとするけど、記憶のどこにも彼は存在しない。


千朋の謝罪に、秋吉が懐かしそうに呟いた。


「文化祭で」


文化祭?いつの?中学?高校?


そこで、一気に記憶が蘇ってきた。


深い深い記憶の海の底に押し込めていた”封印”したい過去。


ぶんかさい!!!!????


秋吉俊哉!!


フルネームが浮かんだ瞬間叫んでいた。


「あー!!!」


最低最悪や!!


秋吉の顔を見れなくて、千朋は給湯室を飛び出す。


フロアのドアに体当たりする勢いで廊下に出る。


「広瀬!」


呼ばれたって止まれるわけない。


エレベーターを待っていられなかった。


非常階段を駆け下りる。


ローヒール履いていて良かった。


でなきゃ確実に転げ落ちている。


決して運動神経は良くないのに、こういうときだけは足がいつもより軽い。


というか、逃げる事に必死だった。


猛ダッシュでビルの玄関を抜けて、立ち止まった。


え・・ちょっとまって・・どーすんのよ・・逃げたってしゃーないのに・・・


むしろそこはサラリと流して、ああ、懐かしいねとか言って誤魔化せばよかったのだ。


けれど、どうしてもできなかった。


高校生の頃の自分が、さらに可哀相な子になってしまう気がして。

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