呆れた顔で溜息をつきながら
泣くだけ泣いたら、少し気分が落ち着いてきた。軽く顔を洗って、ペーパータオルで涙混じりの水を拭き取る。鏡の中に自分の顔があって、それはやっぱり泣き腫らした情けない顔だったのだけど、思っていたほど酷い顔ではなかった。どこか憑き物が落ちたような、雨上がりの青空のような、清々しい気分ですらあった。
あーあ。みんなをびっくりさせちゃったな。きっとトイレの外にまで、私の声響いてたよね。お店にも迷惑かけちゃった。せっかくあんなに楽しかったのに、私が台無しにしちゃったな。早く戻って、みんなに謝らなきゃ。
トイレのドアを開けたら、すぐそこにサンナナの店長さんが立っていた。心配そうな顔で、私に声をかけてくる。
「あ、織木さん……大丈夫?」
「はい、なんとか。すいません、ご心配をおかけしました」
「みんなのところに戻れる?」
「はい、今戻ります。本当にすいません、とんだご迷惑を」
「いや、そんなのいいから、とりあえず戻ろうか」
店長さんのあとについていって、みんなのところに戻る。ほらっちさんもくびきさんも甘菜ちゃんも石積君も、みんな心配そうな顔で私に注目した。ああ……本当に、迷惑かけちゃったな。
「すいません、もう大丈夫です、びっくりさせちゃって本当にごめんなさい」
「あー……いや、俺らはいいんだけどさ、お客さん他にもいるから……自習スペースの方に。一言、言ってきた方がいいかもね」
ほらっちさんに言われて、ようやくそのことに思い至る。
「あ、そうですね、すいません、ちょっと行ってきます」
自習スペースには参考書を広げて勉強中と思しき男の人が1人いて、私は頭を下げて「驚かせてしまってすいません、もう落ち着いたので大丈夫です」と事の次第を説明した。男の人は困ったような顔で、「一応公共の場所だから、気をつけてね」と注意してくれただけだった。もう一度頭を下げて、「はい、すいませんでした」と断ってから、みんなのところに戻った。
「どうだった?」
「はい、注意してくれただけで済ませてもらえました」
「それは良かった」
ほらっちさんもみんなも、少し安心した顔になった。さあ、ここからは私からみんなにちゃんと説明しないと。しないと、ダメなんだけど……。
「……すいません、気分は落ち着いたんですけど、まだ頭の中で整理し切れてなくて……」
「あー、いいよいいよ、それは、今無理して説明しなくても」
ほらっちさんが慌てた様子で止めてくれた。本当に申し訳ないけど、今はその言葉に甘えさせてもらうことにする。今は応急処置で蛇口の水を止めただけのような状態だ。ちゃんと私の口から説明しようとしたら、また蛇口が開いてしまうかもしれない。これ以上、みんなに迷惑をかけるわけにはいかなかった。
「それで……どう? アグリコラ、続けられそう? 無理そうだったら」
「いえ、私は」
今度は私の方が、慌ててほらっちさんの言葉を遮った。
「……もし、みんながいいって言ってくれるのなら、最後までやりたいです」
あんなにうまく回ってたのに、あんなに楽しかったのに、ここでやめるなんて絶対に嫌だ。いや、そういう問題じゃない。たとえミスだらけで絶対に勝ち目のない展開だったとしても、ゲームを途中で投げ出すようなことは、しちゃいけない。でも、それはあくまで私の問題。私はゲームの空気を壊してしまった。もしかしたら、みんなはもうアグリコラを続けようという気分ではなくなっているかもしれない。だから、みんなの意思は確認しなくちゃいけない。もしここでやめようと言われたのなら、私は受け入れるしかない。みんなには、それだけ心配と迷惑をかけたんだから。
「私も最後までやりたいです!」
最初に手をあげてくれたのは、甘菜ちゃんだった。
「僕も」
続けて、石積君が手をあげる。
「やろう、織木ちゃん。こんな良い試合、最後までやらないのはもったいないよ」
くびきさんの言葉が、心に沁みる。
「決まりだね」
最後に、ほらっちさんも手をあげてくれた。
「じゃ、僕は奥にいるんで、何かあったら呼んでくださいね」
そう言って、店長さんは店の奥へと引っ込んでいった。
「はい! ありがとうございました!」
また涙がこぼれてしまわないように気を張りながら、店長さんとみんなに対して、私は深々と頭を下げた。
「えーと、どこまでやったっけ?」
席に着いて、今の状況の確認を取る。
「今11ラウンドで、僕が3木取ったところ。で、織木さんの手番だね」
「織木さん、ゆっくりでいいからね」
ほらっちさんはまだ心配そうだ。あれだけ声をあげて泣いちゃったんだから無理もないんだけど、一応自分では大丈夫なつもりでいる。外から見たらどう見えるかはわからないけど。でも本当に、心の中はスッキリしてて、思考もクリアだ。やるべきことは、すぐに思い出せた。ごめん、待たせたね、羊さん!
「羊さん取ります。1匹は残して、ペットラバーで小麦と3飯もらいますね」
……仮に。
もし仮に、バドミントンをしていた頃の私が今の私を見たら、どう思うだろう。そんな、くだらないことを考えてみる。
うーん。そりゃまあ、さぞかしガッカリするんだろうな。何しろあの頃の私は、将来自分がボードゲームに熱中するような人間になるなんて、夢にも思っていなかったわけだし。
ごめんな、あの頃の私。あんたが思い描いていた理想の自分には、私はなれなかったよ。
だけど、私じゃなくて。
私を取り巻くこの光景にまで、目を向けてもらえたら。
アグリコラをしているときの、みんなの顔まで見てもらえたら。
きっと、呆れた顔で溜息をつきながら、こう言ってくれるような気がするんだ。
あんたはそっちで頑張りなよ、って。
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