続けたかったんだ

「あ、あれっ、おかしいな」


 なんで? なんで泣いてんの、私?


「え、ちょっと、織木ちゃんどうしちゃったの? 大丈夫?」


 くびきさんが心配そうに声をかけてくる。大丈夫です、と答えようとしたけど、大丈夫じゃなかった。

 変だな。おかしいな。なんで涙が止まらないの、私?

 ほらっちさんも甘菜ちゃんも石積君も心配そうに私を見つめて、おろおろしている気配が伝わって来た。気配が、と表現したのは、とてもみんなの様子を見ているような余裕が、私にはなかったから。


「すいません、なんでだろっ、意味わかんない」


 以前にも、石積君と甘菜ちゃんの前で泣いてしまったことがあった。でもあのときは負けて悔しかったからという、情けないけど明確な理由があった。でも今は理由がわからない。ホント、なんでこんなことになってんの、私。ただ、みんなで楽しくアグリコラをやってたただけなのに。まだゲームの真っ最中なのに。もう私の手番だよ? えーい、しっかりしろ、私!


 あ、ダメだこれ。しっかりできないやつだ。


「トイレ、行ってくる!」


 立ち上がって、急ぎ足でトイレに駆け込む。みんなの顔なんて、もちろん見られない。ドアを閉めて、すぐに鍵をかける。うなだれたまま、洗面台に手をつく。目の前には鏡があったけど、とても前を向くような気にはなれなかった。今の私、絶対酷い顔してる。こんな私の顔なんて、見たくない。


「ホント……意味、わかんないっ……」


 涙が、あとからあとから溢れてくる。止めたくても、止められない。まるで壊れた蛇口みたいだ。


「なんで……」


 理由は、本当はわかってた。ただ、わかりたくなかっただけだ。

 立っているのもつらくなってきて、その場に崩れ落ちるように、しゃがみ込む。


「なんで今、思い出しちゃうんだよぉ……」


 いつ以来だろう。最後にそうしたのがいつだったのかなんて、覚えてない。

 でも、確実に経験はあるはずだ。

 久しぶりに。

 本当に久しぶりに、声をあげて、私は泣いた。






 思い返してみると、バドミントンが出来なくなったことを嘆いて泣いたことは、これまでなかったように思う。もちろん、競技として続けるのが無理だと言われてからはそれなりに落ち込んでいた時期もあったのだけど、自分でも意外なほど立ち直るのは早かったように記憶している。たぶん、誰からも哀れまれたくなかったのだ。私は不幸なんかじゃない。ただ、馬鹿だっただけ。オーバーワークで膝を壊したのは、全部私の自業自得だから。哀れまれる資格なんてないし、自分で自分を哀れむなんて、もっと嫌だった。別にいいよ、たかだかバドミントンが出来なくなっただけじゃん、死ぬわけじゃあるまいし。人生長いんだもの、他に楽しいことなんていくらでもあるさ。自分にそう言い聞かせて、そう思い込むことで、ずっと自分の気持ちにフタをしてきた。


 だけど、アグリコラが楽しくて、みんなとするアグリコラがあまりにも楽しくて、思い出してしまった。

 バドミントンをしていた頃の、自分の気持ちを。

 夢中になってシャトルを追いかけ回していた、あの頃の気持ちを。

 それで、つい、フタを緩めてしまった。





 中学二年生のとき、私は初めて団体戦のメンバーに選ばれた。

 大会初戦、私はシングルス枠で出場。1ゲーム目は緊張かららしくないミスを連発して落としちゃったんだけど、2ゲーム目は開き直って強気に攻めた結果、なんとか取れた。

 3ゲーム目、展開はもつれにもつれてスコアは21-21に。バドミントンは21点を先取した方がそのゲームの勝者になるんだけど、互いに20点になった場合は、先に2点をリードするか、先に30点を取った方が勝ちになる。

 サービスは相手側、ショートサービスをネットすれすれに打ってきた。前でやり合いたくないので、ロブを高く跳ね上げて、相手を後ろに押し戻す。正直、もう体力と集中力の限界。2ゲーム目は前でやり合ってもなんとか互角にやれたけど、今は無理。思考だけは、かろうじてクリアだ。だったら、そこを武器にして戦うしかない。ロブは、わざと甘いコースに打ち上げた。エンドラインからは程遠い、相手にしてみればチャンス球だ。ここぞとばかりにジャンピングスマッシュを打ってくる。いいよ、気持ちよく打たせてあげる。来るコースはわかってるからね。あんたの好きなコースでしょ、ここ。クロスに待ち構えていた私は軽く返して、相手側のコートにシャトルが落ちた。これで22-21。


「羊子ナイス! いけるよー!」


 汗が目に沁みる。息が荒い。膝が笑い出しそうだ。チームメイトの応援を耳に入れて、なんとか心を奮い立たせる。サービスは私。ロングサービスを高く打ち上げる。さすがに同じ手は通用しないだろうから、今度はちゃんと厳しいコースと高さに打ち上げた。相手はドライブで返してくる。私もドライブで返す。ラリーが始まった。前に出たい相手は、1球ごとに距離を詰めてくる。しんどい。もう付き合えない。クリアして、ネットから引き離そうとする。あ、甘くなっちゃった。さっきはわざとだったけど、今のはわざとじゃない。ま、いいか。やっちゃったもんは仕方ない。逆に利用できないかな。相手は、またスマッシュの体勢だ。きっと、私と同じこと考えてるよね。さっきは読まれて返された。今日まだ返されてない球種――ドロップ、かな。たぶん、この辺。ドンピシャ。相手のコートに、シャトルが落ちる。23-21。


「やったじゃん羊子! どうよ、初勝利の感想は?」

「……吐きそう……」

「あっはっは! 喜んでるような余裕もないかー!」


 喜んではいたんだよ。本当に。吐きそうだっただけでさ。






 私は、バドミントンが好きだった。

 スマッシュを打ち込むのも、試合前に作戦を考えるのも、決めに来たショットを読み切って拾ってやったときのしてやったり感も、相手がミスをするまで意地悪く粘り続けるのも、全部全部好きだった。本当に本当に、大好きだった。


 私は、バドミントンを、もっと続けたかったんだ――。

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