そしてもう一つのプロローグ

あれから四ヶ月が経った。本当の本当にギリギリで原稿は間に合い、なんとか投稿することができた。

 こんな修羅場潜ったのは初めてで、もう二度とやりたくない。次からちゃんとスケジュール立ててやろうと心に誓った……のだが最近全然書く気になれない。

 前回以上の燃え尽き症候群に陥って、未だに抜け出せていない。授業中も基本的に上の空だし、秀樹の都大会も行く気になれなかった。

 小説を書いているときは埋まっていたはずの心の穴も生活が戻ればぽっかり穴が空いたままだ。その穴に虚無感だとか得体の知れない脱力感だとか、不衛生極まりないものに撫で回されている気分だ。

 前坂との仲は相変わらずのままだ。いつかあいつがくれたペンネームでデビューできたら、また話すきっかけにはなるかもしれない。

 あと、『ライマス』の解散ライブのチケットを巡って色々やっていたが、あえなく惨敗した。悲しみにくれた俺は一度メルカリでチケットを売っていないか見たら、数十万ほどの値がつけられていた。一瞬だけ迷ったが冷静になって、

 「転売なんて誰が買うかよブァーカ!」とスマホに吐き捨ててやった。

 さて、前置きが長くなったが実は今日、応募した賞の選考発表がある。これに名前が乗れば最終審査まで残り、自動的にデビューが決まる。

 ホームルームが終わると索は急いで家に帰った。

 学校内でも電車の中でも結果は見られるのだが、公共の場で過剰に喜んだり落ち込みたくないということで自室で見ることにしたのだ。

 手洗いうがい、着替えを済ませスマホを手に取る。

 応募サイトまで飛び、あとは結果を見るだけ。

 親指で液晶に触れればそれで嫌でもわかる。だけど指が思うように動いてくれない。

 動悸は嫌なリズムで加速し呼吸も乱れ始める。

 無理もない。全てをここに捧げたんだ。

 選考が通っていたからといって、リーサと結婚できるかなんてわからない。できない確率の方が大きいくらいだ。

 愛する『アイマス』が解散しなくなる訳でも前坂とまた友達になれるかもわからない。それでも奪われた全てに抗うように、愛する作品に応えるために書いたんだ。

 届け。誰かに届いてくれ。

 この抗いが、見苦しくて独りよがりなせめてもの抵抗が無駄なんかじゃないって証明してくれ。

 息を飲み込み、左手で右の親指を強引に動かしてバタンを押す。

 当選者の欄に自分のペンネームがないか何度も見返す。

 ドクンっ!と血管が波打った。

 落ち着け、まだ落ちたって決まったわけじゃない。

 もう一度上から順番に指差しで確認する。

 ドクンっ!また強く波打った。

 大丈夫、画面を拡大しているから横にスライドすればあるかもしれない。大丈夫だ。大丈夫だから、きっと無駄なんかじゃ……


 索の魂を削って作り出した小説は呆気なく落選した。

 動悸が加速し、呼吸もリズムが狂ったように早くなる。 

 脳の酸素が体に行き渡らなくなり、体は酸素を求めて過呼吸になる。

 その上、目の奥が火傷しそうなくらい熱くなり、嗚咽と共に大粒の涙が流れ始めた。

 身体が完全にパニック状態になった。

 気持ち悪い。フラフラする。まともに立っていられないし、体も痙攣してまともに動けない。それから……

 お腹の奥深くからこみ上げてくる何かに危機感を察知したのか、急いで索はトイレに駆け込んだ

 「ウッグ……ぎ、げえええええええ。おうっええええええ」

 胃の中から何かを出そうとするが、大量の唾液以外は何も出てこず、ただただ吐き気に襲われ続けるだけだった。

 やがて思考もまともに機能しなくなり、意識が遠のいていく感覚を思い出した。

 その後、索は脱水症状で倒れ、母の和恵が帰ってこなければ大変なことになっていた。

 救急搬送され、検査も受けた結果命に別状はなくすぐに退院できた。

 和恵から何があったのか問いただされたが、悪いもの食べてゲーゲー吐いてたいだけ、と無理やり通した。

 身体の方はすぐに回復したが気力の方はどうにもならなかった。

 全身がねっとりとした虚脱感と孤独感にまとわりつかれ、毎日憂鬱に苛まれ続けている。

まるで無限に広がる闇の中に落とされ、今もなお底の見えない憂鬱に沈み混んでいるような気分だ。

 もう何もしたくない。

 もうこんな気持ちになりたくない。

 誰か助けてくれ。

 そう言ったって、誰もこの空白を埋めることはできない。

 ああ、本当に愚かしい。

 憧れの存在に近付こうと信仰だとか尊敬だとかで勝手に心の支えにして、いざ挫折するとすぐに折れそうになる。

 なんて弱々しくて惨めなんだ。

 こんな俺に憧れを語る資格なんてないんじゃないか。

 いっそ全てを諦めてしまえば楽になれるのだろうか。


 それから俺は三日寝込んだ。

 本当に何もしていなかった。

 秀樹が認めた唯一の才能も呆気なく砕かれ、誇らしげだった愛もすっかり萎れた。

 もういいや。

 そう思い、スマホに入っている原稿のデータに手を伸ばした。

 諦めてしまうなら、消してしまった方がケリがつくだろう。

 だが、身体は、本能はそう簡単に許してくれなかった。

 削除のボタンがどうしても押せない。

 無自覚のうちに、いやあの時は本当に傑作なのだと思っていた。そして今でも……

 ほんの出来心だった。自分の書いた小説を四ヶ月立った今、再び読み直した。

 本当に読んでいて呆れる。文章は稚拙だし、展開も突飛すぎてついていけない。よくこんなので応募しようと思ったなと鼻で笑った。

 こんなのでデビューできるはずがない。現実は物語みたいにそう甘くないし、少しの努力だけじゃ主人公みたいにはなれないんだ。

 そんなのわかっている、わかっているんだけど……

 気がつくと僅かな雫が頬を伝った。やがてそれは熱を帯び、とっくに枯れ果てていたはずの涙が溢れ出した。

 小説と呼ぶにはあまりに未熟で素人丸出しの駄作かもしれない。

 それでもこれは、俺が求めていた小説だった。

 面白い、心の底からそう言える。

 どこまでもまっすぐで、理想を信じ続ける者には勇気を与え、心の底から応援したいと思える主人公がそこにいる。

 ああ、これはまごう事なき、俺の作品だ。

 最高だ、なんで誰もわかってくれないんだ。どうしてこんなにも心揺さぶられるのに認めてくれないんだ。

 ああ、ようやく書けた。俺だけの作品を。

 愛している、愛しているんだよチクショウ!

 俺の物語はこんなにも眩しいものだったんだ。

 憧れに近づけたのかな?いや、まだだ。

 絶対にお前を認めさせる。この作品で必ずデビューしてやるんだ。

 俺だけの物語で無謀な夢も叶えてやる。そして……


 この愛が、信仰が、本物だと証明してみせる。

 

 空っぽだった心は満たされていく。

 ずっと探していたパズルのピースが次々にはまっていくように。

 索は声を上げて泣いた。自分の書いた泥臭くて、けれど何よりも美しくて輝かしい、この世でたった一つしかない『唯一無二』(オリジナル)にすがりつきながら。

 索はそのまま泣き疲れ寝てしまった。悲しみと憂鬱の果てに見つけた希望を抱きしめて。

 彼が寝返りを打つと同時に一枚の紙切れがヒラリと宙を舞った。

 そこに記載されていたのは


   『美作綴(みまさかつづる)』


 今この瞬間誕生した、一人の作家の名前だった。


 これは主人公、赤月索の果てしなくどうしようもない物語の……

 そして、生まれたばかりの小説家、美作綴のどこまでも痛々しい物語のプロローグだ。


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君に逢うための言葉を探し続けて 御伽ハルノ @Harunootogi

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