第5章 まだ生まれてこない君の物語を掴み取って

 あれから約一ヶ月、索も前坂もあの後目ぼしい成果は得られず、中々充実したとは言い難い夏季休暇だった。

 前坂は他の友達と遊びに行ったり勉強したりと高校生活としてみたら満喫しているように見えるが、索は完全に一人ぼっちの夏だった。

 やったことと言えば、ライマスのスマホゲームで夏限定イベントをやり込んだことと、気分転換に秋葉原を聖地巡礼したぐらいだ。

 一応前回提出出来なかった『週末のガーディアン』の直しは全て終わっている。まだ応募していないのは現在進行形で書いている『カーテンコールとマクガフィン(仮)』がまだ出来ていないからだ。

 有難いことに雪宮先輩から合宿中のネタ話と資料(秀樹の盗撮写真)を頂き、話自体は順調に進んでいる。お陰様で締め切りまでには十分間に合いそうだ。

 正直なところ終わらせ方だけが未だ見えていないためラストのシーンは恐らく演劇部の大会の内容次第になるだろう。丸パクリっていうわけにはいかないから多少は脚色するつもりだ。

 学校の方は一昨日始業式が始まったにも関わらず完全に文化祭ムードだ。ようやくクラスの女子たちもエンジンがかかってきたようで、あちこちで「ちょっと男子、ちゃんとやって」という声が上がっている。

 お前らももっと早くからちゃんとやれよ、と言いたいが俺自身クラスの方にはあまり顔を出していないのと立ち位置的な意味で強く出られない。そんなこと言える権利があるのは恐らく優等生の田中くんくらいだろう。

 秀樹も「ちゃんとやってよ」と言われる側なのだが、最近寝不足気味なのかいつも以上に目つきが悪く『不機嫌ですオーラ』を出しまくっている。

 どうせ脚本について悩んでいるんだろう、とそれとなく部活のことを聞いてみるが、

 「アアー、ウン。ダイジョウブ。ダイジョウブ」

 と空返事しか返ってこない。

 どんだけ寝てないんだろう。「君の活躍に俺の将来かかっているんだから真面目に答えてよ」なんて言えるはずもなく、放課後部活の時間まではずっと寝かせている。

 さて俺と前坂が実行委員で何をやっているかというと、クラスや部活動の出し物や出店で必要な備品や発注するものを管理している。

 各代表者の出す申請書を読み通しては却下したり再提出させたり破り捨てたりしている。いやマジで今のところ一個も『許可』の烙印を押していない。

 「ええー細かくないっすか。学生の出し物にそこまで神経質になる必要なくないですか?」

 「俺も去年そう言ったんだけどさー『これは祭りだが遊びじゃねーんだ。時間がある限り妥協は許さん』ってゴリ先に言われたんだよ」

 ヤケにクオリティの高いゴリ先(そのまんまゴリラみたいにマッチョな体つきの生徒指導の先生)のモノマネを披露した後爽やかなスマイルを浮かべてそう言った。

 絶対この人演劇部だ。

 それから体育館ステージの裏方の仕事も始まった。といってもこっちは比較的量は少ない。期限までに申請した部活や有志団体の発表や準備にかかる時間などから計算しタイムスケジュールを組む。後は照明や音響のこともあるが、これは専門的に知っている人が各団体に使い方を教えるため問題ない。持ち込む大道具や小道具、楽器などパフォーマンスで持参する物も申請しなければならないのだが、こちらは凶器や爆発物でも書かれていない限り自由なので備品管理の時より審査が緩い。

 本番3日前くらいから場当たりやリハーサルを含めて段取りを確認するがそれまでこっちの仕事はもうほとんど残っていない。

 クラスの出し物は『英国風喫茶』に決まったらしい。男子はタキシード、女子はとても健全なメイド服になった。

 親衛隊2番隊隊長こと担任のなんとか先生はメンドくさそうに反対したが、優等生の田中君の理論武装と前坂の「英国風ですから!英国風ですからああ!」と半泣きの勢いで迫られ、最終的に承諾された。

 やはり前坂の涙は強いな。あんな小動物に迫られたら誰だって基準が甘くなるだろう。ていうか、担任の先生ことなんとかさんは二度もうちのメインヒロイン候補を泣かしたのか。これは切腹ものだぞ。有名なツイッタラーさんに晒してもらった方がいいのでは?

 まあ、前坂が嬉しそうにはしゃいでいるから許してやろう。

 本格的な準備期間に入ってからは前坂はクラスの方でもバリバリ働くようになった。

 衣装は全て自分たちで作らないといけないのだが、なんと都合がいいことにうちのクラスには手芸ガチ勢が5人もいた。そのうちの一人が前坂だった。

 「任せて!私下の兄弟が多いから縫い物は慣れているの!」

 雪宮先輩の真似なのか左手を腰に、右手を張った胸に添えて自身たっぷりにそう言ったが、相変わらず小さくて可愛いままで、クラスが和んだだけだった。

 みんなのサイズを採寸したり、デザインを考えているときは、フンスフンス、と少し興奮気味だった。

 そんなにメイド服着たかったんだ、前坂。君が楽しそうならそれでいいよ。

 あともう一人、俺の採寸の時に変なテンションの三つ編みメガネの女子がいた。

 「赤月君てさー、女装に興味ない……?」

 「ねえよ。絶対似合わないだろ」

 「そんなことないわよ。身体つきとかモロハマっているもの。一人くらいそういう男子がいても悪くないでしょ。そしてあわよくば男子とイチャコラしてきて!」

 「腐ってんじゃねーよ。確かに体は華奢だけど顔立ちゴツいから地獄絵図だろって」

 「大丈夫よそのくらい。メイクとカラコンとウィッグでどうにでもなるから。私もよく男装とかするしって、これは言っちゃダメだった……」

 メガネをクイッと上げながら執拗に迫られた。

 ああ、こいつ絶対コスプレイヤーだ。普段話しかけにくいからってこの機会に仲間増やそうとするなって。

 すると、その会話を聞きつけた前坂が横から

 「赤月君もメイド服着るの?」

 好奇心丸出しのキラキラした目で聞いてきた。

 「ねえ話聞いてた?しないよ?確かにメイド服好きだけどそういう方向じゃないよ?」

 「じゃあ、BL路線は?」

 「しねーよ、ここぞという時に濃いキャラ出てくるなよ」

 その後前坂の協力もあってなんとかメイド服姿を全校生徒に晒すという公開処刑は回避できた。

 それから一週間、前坂と4人の愉快な手芸仲間たちの活躍で劇的に準備は進んだ。

 衣装班、装飾班、飲食関係班に分かれて作業をする。当然衣装班には縫い物を得意としてない人(索を含む)もいたが、事前に前坂と(以下略)で作っていた衣装作りのマニュアル本が配布され、作業はスムーズに進んだ。

 型通りに布を切ったり指定されたところを手縫するぐらいは素人でもそれなりにできたが、複雑な縫い付けやミシンが必要になる作業は前坂と(以下略)の技術が必要になってくる。

 必然的に彼女たちの負担が大きくなるが素人は任せるしかない。そのためクラスの大半は彼女たちに感謝と称賛の声をあげていた。だが、その裏では

 「あいつら調子乗ってね?」

 「だよねー、ちょっと裁縫できるからって女子力アピール?必死すぎ」

 「ていうかメイド服ってなんなの?だるくね?」

 などよからぬ陰口も頻繁に耳にした。しかも男子に対して強気な口調で「ちゃんとやってよ」と言っているタイプの女子。

 自分たちが目立てず前坂たちばかり注目されているから不貞腐れているのだろう。見た目が派手で顔立ちが良いからかクラス内でも発言力が強いらしい。

 彼女らが陰口叩いている間は物静かな女子たちは首を縦にふるしかできないのだろう。

 クラスで浮いている索には別に聞かれてもいいのか、それとも聞こえていないとでも思っているのか、どちらにしろ頑張っているやつらが馬鹿にされるのは良い気分ではなかった。

 こういう時に「ちょっと女子!ちゃんとやってよ!」とか言ってやるのが正解なのだろうか。

 前坂たちが楽しそうに準備している。前までの「なんとなく」の空気で押し付けられた彼女ではなく、期待と尊敬を込められた裁縫と読書が好きな一人の高校生として青春を謳歌している。

 衣装班の人たちとは打ち解けて、前まで少し壁があったのに今ではすっかり仲良しになっている。その様子は微笑ましいのと同時にさみしくもあった。

 もしかしたら娘が結婚する時の父親ってこんな気持ちなのかなと思った。

 前坂や裁縫班の中心メンバーたちには影で悪口を言われている事に気がついていない様子だ。それなら俺個人がどうこうする問題ではない。おとなしく衣装作りに励み。事を荒立てるのはやめておこう、実害がない限りは。

 前坂は実行委員の方に顔を出せる時間が減ってしまったが理由が理由だし、仕方がない。

雪宮先輩には事情を説明し、前坂の分は俺がなんとかフォローする事で落ち着いた。

 小説の進捗についてはお互い自然と聞かなくなってしまった。前坂の小説を読む初めての相手になるはずだったのだが、彼女は何か締め切りに迫られているわけでもない。

 時間がある時、自分が描きたいと思う時に書けばいい。そういう書き手のあり方があって良いはずだ。

 ただ、ペンネームの件は忘れないでほしいな、と思いながらも口には出せなかった。

 「この文化祭が無事に終わったら聞こう」

 と若干フラグめいた事を呟いた。

 しかし、「青春とは嘘であり悪だ」とか「それでもホンモノが欲しい」などリア充がはびこる空間の隅っこでオタクにとってありがたい名言でもボヤいていようかと思っていた文化祭だが、こうして文章にしてみると案外充実しているものだ。

 雪宮先輩には何故か必要以上に仕事を振られるし、未だに三つ編みメガネの女子は腐りきったフィルターで俺のこと見ているけどな!

 衣装はほぼほぼ完成。

 装飾も一通り形にはなってきた。

 優等生の田中君が中心の飲食関係班の準備も抜かりはない。

 あと少しの間、平和でいて欲しかった。

 それは文化祭が始まる一週間前のことだった。


               *


 「あーもうほんとだりーわ」

 「なんなのあいつ。調子こいて。この前までパシリみたいなものだったのに」

 「マジそれな。あー早く終わんねーかな」

 ギャーギャー喧しい、陰口とは思えないような声量の陰口が一階の食堂前から聞こえた。

 一周回って自分のグループ以外の人に同調圧力かけているのかと疑いたくなるような物言いだった。

 予想通りうちのクラスの見た目が派手な生徒だ。飲み物を買おうと自販機の前まで来たら彼女たちもそこでたむろしてしたためタイミング悪くバッタリ会ってしまった。

 一応名前は頭に入っているのだが、貴様らのことなど一個も思い出したくない。だから仮にモブ1とモブ2とモブ3と呼んでおこう。

 最初に一番声のでかいモブ1と目があってしまい、見て見ぬ振りできぬ状況になった。

 次に左手でカフェオレのパックを持って壁によりかかっていたモブ2が口を開く。

 「あ、モブ男じゃん」

 指差した方向には索しかいない。どうやらそのモブ男さんという今の流れで非常にややこしくなる名前は索のことのようだ。

 「え、何?聞いてたの?キモ」

 ずっと携帯を弄っていたモブ3が索に問いただすがモブ1が割って入ってくる。

 「いやいや、あたしらが愚痴ってる時こいついつもコソコソしてたじゃん」

 気づいてたのかよ。ていうかコソコソはしてない。貴様らが俺のいるところで勝手に話していただけだ。

 なんて言えたら良かったが、ぶっちゃけ普通に怖いので黙っていた。

 「はっ、無視とかきっしょ」

 片手にスマホをぽちぽちしながらズバッと切り捨てた。

 久々に言われたなー、きしょいって。

 「ていうか何?これ地味女たちにチクるの?」

 デカイ声でモブ1が迫ってきた。

 「そう言えばあんたって前坂と仲良いんだっけ。もしかして気があるの?ロリコン?」

 「うーわキッモ」

 モブ1さん、その解釈は結構飛びすぎじゃないですか?あと3番、お前はさっきから「だりー」と「きしょい」と「キモい」しか言ってなくね?

 モブ女3人は気が強い原因なのか、見た目もスタイルも良く、身長は索より5〜8センチは高い。

 側から見たら不良に絡まれている中学生に構図だ。

 「まあ、いいや。どうせチクられんならそれはそれでやれる事あるし」

 「あいつらちょろいからすぐ便乗するもんね」

 「ほんとちょろいわー」

 どうやら良からぬ企みを思い付いたらしい。予想するに前坂たちに先制攻撃でちょっかいを出して、それをクラス全体を丸め込んでいびり倒したりするのだろう。

 なんというか、見た目や気の強さと裏腹に器の小さいやつらだ。貴様らの無駄に大きい胸には水と脂肪しか入っていないのか。

 「あーそうだ。前坂たちの衣装だけ着れなくして全部責任なすりつけるのとかは?」 

 「ちょっとそれこいつの前で言っていいの?」

 「いいんじゃね?どうせ何もできないモブ男だし」

 「きゃーっははは。マジそれな。まあ精々何とかしてみな。多分悪い方にしか転ばないけど」

 「じゃあねーモブ男」

 わかりやすい悪役っぽく高笑いしながらモブ女たちは教室に戻った。このあとマックにでも寄ってから稚拙な計画でも立てるのだろうか。

 今時そんなわかりやすい嫌がらせをする度胸のある高校生などいないだろ。どうせすぐ忘れて次の話題に映るだろ、とこの時は楽観的に見ていた。


 翌日、学校に着くと装飾班が組み立てていた看板が割れていた。

 教室内は殺伐とした空気に包まれていた。この空気の中で秀樹は爆睡しているのだからさすがとしか言いようがない。

 幸い、文化祭まで時間は十分にあるのでそこまで大ごとになるようなものでもない。

 だが

 「ちょっと誰だよ、あたしらが作ったの壊したやつ」

 声のでかいモブ1が言った。この一言でクラス全体が無意識に目的が犯人探しにシフトしていた。

 「昨日壊されたってことなら放課後残っていた人じゃないの?」

 「はあ、てことは衣装班じゃん。マジサイテー」

 モブ2とモブ3も続いて誘導する。

 「ちょっと待って。別に誰か意図的に壊したとかじゃ」

 「事故だとしても名乗らないのは問題でしょ」

 田中君が止めようとしてもすぐに喧しい声で周りの人間に何かの意図を伝えるように遮られた。

 「確かに、犯人がいるなら出てきた方がいいかも」

 「事故なら謝って済むしな」

 「とりあえず早く出てきて謝れよ」

 その意図が伝染したかのように皆便乗して犯人に名乗り出るよう言い始めた。

 なるほど、うまく考えたものだ。

 誰か一人に腹を立てているからと言って直接手を下す度胸など普通なら持ち合わせていない。だが一定以上のストレスと集団の力を得たJKは悪魔にでもなれるようだ。

 早朝に学校に来たのだろうか、自分たちで壊しておいてよくもまあそんな白々しい事が言える。

 こうなったらもう犯人探しはもう止まらない。

 そして恐らく前坂に誘導するためのタネは仕込んであるのだろう。

 「そういえば前坂さん、最後まで残っていたよね」

 「そうそう、なんか一着だけ衣装破れちゃって、それ直してたよね」

 「う、うん」

 半ば困惑気味に前坂は頷く。

 「えーじゃあその時になんかの拍子で倒したりしたの?」

 「悪いことしたら素直に謝ればいいじゃん」

 「え……でもそれは私じゃ」

 「言い訳しないでよ。だるいから」

 そうだそうだ、と民衆も騒ぎ始めた。

 まるで魔女狩りだ。

 本当に正義に酔った人間とはこうも愚かしいものなのか。看板が壊れたことに夢中で誰も衣装が破かれたことに気が付いていないじゃないか。

 どうせそれもお前らの仕込みだろ。あの後教室に戻って細工したのだろう。だが確たる証拠がない以上、俺がそう発言したところで自体が悪化する。

 もうこうなってしまえば終わりだ。

 たとえこの後素直に謝って平和的解決になったとしても、前坂が罪を認めたという事実そのものが問題になる。

 あの時あんなことしたから、だからこいつとは関わるな。そうやって噂に有る事無い事付け足して、噂は一人歩きし始める。

 そうすれば前坂は勝手に孤立する。周りから陰口を叩かれ、それを聞こえないふりしながら虚勢はって誰もいないところで悲しむ。心の底から楽しんでいたこの準備期間も全て辛い思い出の一部になる。

 それは実に不愉快で許しがたいことだ。

 大袈裟すぎるかもしれない、だが彼女たちがここまで行動に出た以上、そうなる可能性は十分にある。

 なら俺のすべきことはなんだ。

 俺は泣きそうな前坂を眺めながら、自称ぼっちの奉仕部で目も性根も腐ったとある主人公の事を思い出した。こういう時あいつなら……

 「なあ、さっきから盛り上がっているけどさ、実はそれ壊したの俺なんだよ。悪いな」

 そう言うとクラス全体の視線が索に向いた。

 あちこちで「はあ?」とか「なんだあいつ」と心底嫌そうな声が聞こえ、視線までもが痛いくらいに指してくる

 やはりな。どこかで「なんとなく」話しかけずらいって思われているのだと納得した。きっかけがあれば仲良くなれるかもと思った。

 だが違う。どうやら俺は明確に嫌われているようだ。いや、気づかない方がおかしい。これまでに遠回して色々ハブられてきた。

 その事実は素直に辛いし、傷つく。

 それでも「まあいいさ、そっちの方が都合が良い」と何度も自分に言い聞かせた。

 俺は初めて自分に嘘をついた。

 覚悟を決めよう

 本当は怖いし、絶対にこんなことやりたくない。

 だけど、俺が憧れた主人公たちは一度だって大事な友達を見捨てたりしなかった。今ここで前坂を見放すのはその憧れに対する裏切りだ。

 だから嘘をついてでも信念を貫くよ。

 「おーい、どうしたんだよ。聞こえなかったのか?俺が犯人だよ。なんか勝手に盛り上がっていたところ水指して二重の意味で申し訳ないな」

 役を演じるのはいつ以来だろう、こんなことになるならちゃんと部活に顔だしておくべきだった。

 「いや何言ってんの。そんなこと言われても前坂をかばっているようにしか見えないんだけど」

 「え、何?あんたらそう言う関係だったの?受ける」

 「はあーほんと空気読めねえ。きっしょ」

 確かにそうだ。このタイミングならそう見えても仕方ない。だが、この件から前坂を離れさせるには、奴らに前坂の名前を『後出し』される危険を避ける以上仕方なかった。

 「あーもう、そう思いたいなら勝手にそう思っていろよ。これ以上ギスギスしたら直すのにも支障でるだろ。犯人探しが目的なら俺で妥協してくれ」

 「いやそういう問題じゃないから」

 「ちゃんと反省してもらわないと困るんだけど」

 よほど前坂に責任を負わせたいのか食い気味に反論してくる。

 やはりそうだ。こいつらが前坂の名前を言う前に同じ行動したところで結局最後には前坂の名前が出てくる。

 最初と最後、どちらがより印象に残るかなんて自明の理だ。

 「てか必死すぎ。そんなに前坂の事が好きなの?モブ男」

 必死に決まってるだろ馬鹿野郎。足はずっとガクガクだし、背中だって冷や汗ダバダバだ。声も今にもひっくり返らないか細心の注意を払ってんだよ。

 「悪いけど俺にはもう思い人がいてね。前坂はお前らよりずっと魅力的な女性だが !それでも恋心って複雑だからね。まあ俺なんかよりもずっとふさわしい相手が彼女にいると思うよ」

 アメリカの通販番組みたいなノリで喋った。何人かクスッと笑っていて、それに対して敏感にモブ3が睨みつけている。

 「はっ、キッモ」

 「なんで前坂なんかおだててんの?意味わかんない」

 デカイ声のモブ1がボロを出した。タイミングはここしかない。

 どう足掻いたって俺が前坂を庇うという構図は拭いきれない。だからそれ以上に印象に残るアクションを見せつけてやればいい。

 人がいつだって心を動かせる瞬間なんてテンプレすぎるほどにお約束されている。

 「おだてるって、僕は本当にそう思っただけだよ。君みたいにルックスとスタイルが整っただけで自分が偉いと勘違いしているレディイよりも、心美しく謙虚な、それでいて芯のある女性の方が遥かに魅力的だ。それにさっきから君は前坂に敵意を丸出しだけど、それって嫉妬かい?自分が彼女より劣っていると理解しているのかい?だからこんな蛮行に走ったのか。実におろ……」

 「お前、まじでうるせーんだよ、いい加減……」


「人が話している時に遮っちゃいけませんってお母さんから教わらなかったのかー!」


 遮ろうとしてきた声を秀樹に負けず劣らずの声量でねじ伏せた。

 モブ女1も周囲のクラスメイトもぽかんとしている。

 声がでかいだけのガキ大将が、発声の基礎をマスターした俺に声量で勝てるわけがないだろ、馬鹿め!全国にはこれ以上の猛者がゴロゴロいるんだ。出直してこい。

 「それと、人の名前はちゃんと呼んであげるべきだと思うよ。金本音花(かねもとおとか)さん」

 索は爽やかそうにウィンクしながら言った。それと同時に後方に視線を送りある事を確認した。

 あまりにクサイ言動に寒気がしたのか、金本は血の気が引いた顔で三歩後ろに下がっていた。

 「君たちもそう思うだろ、大野早希(おおのさき)さんに三須井綾(みすいあや)さん」

 同じようにウィンクを投げかけ、両手を広げウェルカムなポーズをとりながら半歩近寄る。

 「え、待って。本気で近寄んないで」

 金本と同様モブ2こと大野はドン引きした様子で逃げるように離れた。

 だがモブ3こと三須井は、冷静を装っていた。

 「あんたさ、ピエロ気取るのは良いけど、大事なもの見落としてない?」

 見落としてなんかいないさ、見ることができないだけで。

 「そこまでして庇う理由はわかんないけど、それなりに大事なんでしょ」

 当たり前だ、何てったって俺の裸以上のものを見せた相手だぞ。そしてこんな俺に新しい名前とその存在の意味をくれる人だ。大事に決まっている。

 「なら何でその子のこと考えないかなー。ほんと気持ち悪い」

 ああ、知っているさ。守るとか何とか抜かしながら結局彼女が傷つくって知っていてやっている。それでも……

 「あたしさあ、あんたらみたいな空気読めない偽善者ってやつ?大嫌いなんだよね。ほんとキショい」

 ああ、知っているさ。あの3人の中で一番プライド高そうなお前が最後に残ることを。だからこうなるように誘導した。お前が俺の最後の切り札になるように。

 「マジでさあ、今からでも遅くないから消えてくんねえ?」

 俯いている俺の顔を覗き込むように三須井は吐き捨てた。

 俺の道化と自称ぼっちの主人公さんじゃまだ届かない。それならと、今まで読んだラノベの中で女子に対してのみ最も煽りスキルが高い青春ブタ野郎な主人公をトレースした。

 「なあ、おい!聞いてんのかよモブ男!」

 「そんなに苛々して、三須井、生理か?」

 「んな!」

 一瞬で三須井の顔が真っ赤になる。自分で言っておいてなんだが本当にこのセリフ最低すぎると思う。二度と言わないから、今だけ畳み掛けさせてくれ。

 「ちょっ、ほんとありえない!消えろクズ!ゴミが!」

 三須井が殺意の込もった目で索を睨みつけ、必死に罵倒を浴びせる。だがそれ以上にひどい言葉も怖い威圧もあるやつの隣にずっといた。今更三須井の殺意などちっぽけなものだ。

 「あー便秘の方だったか悪いな」

 全く悪びれなさそうに言ったその瞬間、スパーン、と気持ちの良い音が鳴った。

 時間差で左ほほが熱くなり、やがてじんわりと皮膚を覆うように痛みが走る。

 静寂が訪れて数秒、空気は一瞬にして張り詰める。

 ああ、待っていたよこの瞬間を。

 この展開を待っていた。この展開でなければならなかった。だからお前のくだらないプライドを利用した。

 三須井という人間などちっとも知らないし、知りたくもない。だが、「プライドが強い」という事実さえあれば、都合の良い展開に誘導できる。

 声量を抑えつつよく通る、張り詰めた緊張を貫くような声で

 「おい……覚悟出来てんだろうな……」

 先ほどの剽軽な態度とは全然違う、その目の色には怒気と殺意しか宿っていない。

 三須井は瞬時に「やってしまった」と理解した。

 自発的に暴力を振るうより、身を守るため、正当防衛として成立するため、など暴力を

振るう理由が明確化されている方が、人はその拳に力が入る。

 これで大義名分を得た。思う存分暴れられる。重く威圧するような呼吸で、動作そのものはシンプルかつゆっくりと。

 「今から本気でテメエにお返しをする」そんな意思が溢れ出していた。

 もちろん本当にやってしまえば最悪、索は退学になる。だから既に合図は出している。

 お前のその目なら気づいてくれるはずだ。誰よりも人の、物事の、自分以外の全ての本質を見抜いてしまう天才が、あの時あのタイミングで起きてくれたなら。

 一歩一歩全身に殺意を巡らせながら近づく。

 三須井は慌てて後ろに下がるも壁に追い詰められる。左右に逃げようにもすぐさま距離が詰められる。

 索は三須井を追い詰め、息を吸い込み、拳を振りかざす。その瞬間

 「何してんだ馬鹿野郎!」

 優しい怒鳴り声と同時に脇腹に鈍器にフルスイングで殴られたような痛みが走った。

 ああ、信じていたよ。お前なら俺をちゃんと『悪役』にしてくれるって。

 自分の脇腹にショルダータックルをかましてきた親友、白瀬秀樹。

 彼の特攻が合図となり、男子全員で索を押さえつけた。

 意識が遠のく中で前坂が視界に映った。

 予想通り、悲しそうに表情を歪ませ、頬には大粒の涙が溢れていた。

 ごめんな、前坂。

 俺こそ切腹ものだな。

 前坂の泣き顔を最後に、親友のタックルの味を噛み締めながら意識が途絶えた。


                *


 それから俺はこっぴどくゴリ先に叱られた。

 クラスメイトの証言を集めた結果、文化祭の出し物で揉めて喧嘩になりそうになった、ということに落ち着いたらしい。まあ実際にその通りなのだが……

 それからクラスの出し物の方は順調に進んだようだ。すっかり腫れ物扱いとなった俺が気まずいからと、ずっと実行委員の方で仕事していたため、その間はあの事件はなかったことにされていたらしい。

 金本、大野、三須井の3人は気まずそうに大人しく作業していたらしい。

 まあこれでよかったのだろう、と言いたいところだが思いの外俺のショックはでかかった。

 全く前坂と目を合わせられなくなった。実行委員も方も前坂は体育館からホールの仕事に変わっていた。

 有難いことにお節介な先輩が気を利かせてくれたようだ。そのお陰で放課後も文化祭当日も気まずくなることはなかった。

 ついこの間まで「案外充実しているかも」とかほざいていたが、最初の予定通り舞台袖から仕事しながら本番前にいちゃつくカップルを見つけては「青春とは(以下略)」を唱えていた。

 本当なら演劇部の公演も観に行きたかったのだが生憎シフトが被っていたため断念した。

まあ大会本番と同じ演目らしいし、その時に見れば良いさ。

 雪宮先輩からは

 「どうしてこなかったのよ!結構評判だったのに」

 とあざとい仕草でプンスカ不貞腐れていた。

 「大会は観に行きますんで、全国まで連れてってください」

 「え?今の告白?」

 「ある意味そうかもですね」

 「キャッ!でも私には秀君がいるから」

 「俺もあいつとは意識が飛ぶまでくんずほぐれつする仲なので」

 「ちょっとそれ詳しく」

 「タックルかましただけだからな?何ちょっと興奮してんだ姫織?」

 そんなこんなで、文化祭当日よりも準備期間の方が濃くて、色々思い出深いものになった。お陰様で友達は一人減るし、クラスメイトとはベルリンの壁が貼られているくらい距離を感じるようになった。

 まあ、それでも良いさ、と何とか開き直って見せようとカラ元気を振り絞る。

 落ち込んでいたって締め切りは待ってくれないから、『カーテンコールとマクガフィン(仮)』を可能な限り進めることにした。

 『全ては推しに逢うため!』

 部屋に筆ペンで掲げた文字が妙に懐かしく感じた。

 あれから挫折したり弄ばれたり自滅したり、色々あったけど、この原点だけは変わらないし、これから先も変わることはない。

 目を閉じ、すうっと息を吸う。

 そして自分に言い聞かせる。


 信仰を掲げろ、大丈夫、何だってできる。


 索は目を開け再び長い長い創作の旅へと出た。

 彼の心の支えであり、信仰とも呼べるまでに愛した作品『ライマス』

 その声優アイドルのユニットが解散することを公式的に発信されたのはそれから3日後のことだった。


                *


 「うう、えっぐ、えっぐ、うぐああああん、うっううっう。びゃあーあーあああん」

 「いや、同じネタ2回目はやめておこうよ。表記しずらすぎてコピペだぞ」

 「だっでえええええ、リーサ、俺どげっゴンずるバえにいいいい」

 「何でお前と結婚すること前提なんだよ。最初に言っていたこと忘れてね?」

 「いやだあああああ、ガイザンぢないでええええええ」

 「あーあーもう、色々台無しだよ」

 「解散ぢで欲しくないけどおおおおおお、でも限りある時間のながでえええええ、きらぎらしでるのがライマスだしいいい!それなのに続いてほ……欲しいっていうのはなんど言うがああ!彼女たちの青春の否定になるがらああああ」

 「泣きながら語り出したら終わりだな、これ」

 地獄絵図を見るかのような冷ややかな目線を浴びせ、秀樹は索に顔を洗ってくるよう促した。

 「俺だって悲しいっちゃ悲しいが……あいつがいると涙引っ込むなあ」

 有難いのかそれはそれで寂しいのか、複雑な感情に陥った。

 数分後、目を真っ赤に腫れ上がらせ、鼻まで赤くなった索が教室に戻ってきた。涙やら鼻水やらを大量に流したせいか顔が全体的にやつれていた。

 「お前、泣きすぎじゃね?ちゃんと水分とっておけよ」

 「わかった。お前、なんか最近優しくね?」

 「何?蹴られたいの?」

 「いや、そういうことじゃねーよ。どうせなら綺麗目なお姉さんに踏まれたいわ」

 カバンからペットボトルのジュースを取り出しながら索は言った。

 残っていた分を全部飲み干すと

 「お前、最近『武装』取れてねーか?寝不足か?」

 秀樹は鋭かった目をパチクリと丸く開いた。

 「あー確かにそうかもな。疲れも不安も溜まっているからな」

 眉間を摘みながら吐露するように呟いた。

 「おいおい大丈夫かよ、部長さん」

 「さあな、明日さえ上手くいけば、また納得のいく形が見つかるだろ」

 その表情はどこか遠くを見ているようだった。

 「姫織先輩が全国行くにはどうしても今年じゃないといけない。今年しかチャンスはもうねえんだ。なんとしてもあの人を全国の舞台に届けたい」

 いつもの刺々しいオーラは一切感じられず、その声色は落ち着いていて、力強い意志が込められていた。

 基本的に演劇の大会も地区予選は秋。そこから県大会、ブロック大会、そして全国大会は次の年の夏に行われる。三年生が卒業したためキャストが変更された、という話も毎年多い。

 数少ないチャンスの中で地区予選から何度もふるいにかけられ、全国の舞台を目指す。ある意味甲子園よりも遠い場所とさえ称されている。

 秀樹がこれだけ雪宮のことを想っているのも、彼女が信頼に足り得る役者なのだと認めているからだろう。

 この前雪宮は秀樹にことを「遠いなあ」と言っていたが、そんなことはないはずだ。

 「まあ地区予選くらいはいけるだろ。好評だったんだろ、文化祭で」

 「あー、まあ一応な。だがイマイチ役者が演出についていけてなかった。俺の役不足だ」

 「それで明日には間に合うのか?」

 「それをこれから確かめるんだよ」

 憂鬱そうな顔で時計を眺めた。時刻は午後16時を差し掛かった。

 「じゃあ、そろそろ行くか」

 「明日本番なんだし、お前はそんなに気張るなよー」

 「別に俺は出番ねーからいいんだよー」

 気の抜けた声で言い返すと秀樹はふらふらと一階のホールへ向かった。

 「じゃあ俺もぼちぼち帰るとしますか」

 何か体や頭を動かしていないと、おかしくなってしまいそうだから。

 索は手付かずだった帰り支度をしていると、机の奥の方に何かが引っかかった。

 「なんだこれ」

 手を深くまで突っ込んで感触を確かめると一冊の文庫本だった。それがなんなのかはすぐにわかった。

 「やっぱり」

 取り出したのは学園モノのライトノベルだ。中に何か紙切れが挟まっているようだが、今はまだ見るべきではない、と閉じたままカバンの中に仕舞った。

 その後、物憂いしい危うさのある表情と虚無感でいっぱいの心を背負いこんで家に帰ってきた。

 自分の部屋に戻ると、何も見ずにそのままベッドにダイブして、深い眠りにつこうとしたが上手くいかなかった。

 今日さえ乗り切ればいい。明日大会を観に行けばまた、適当なものを詰めてくれるはずだから。

 ああ、何も感じたくない。今にも心を手放してしまいそうだ。信仰がなければ人とはこんなにも無力なのだと索は悟った。 

 もういい、今日は休もう、眠ってしまおう。その間だけ苦しいもの全部忘れてしまいたい。だが目をつむればすぐに浮かんでくるライマスのライブ映像。虚しさと切なさに耐えきれないが、それでもアイマスを手放すことを彼自身が許さなかった。

 結局悶々とした苦しみと格闘しながら長い夜を共にしていた。

 明日、何か見つかるといいな。

 そんな確信近い声で楽観的に呟いた。

 翌日、予選会場は大いに賑わっていた。この地区が演劇盛んなこともあるが秀樹の存在が認められているからだろう。5月に行われた演劇祭で少しだけ有名になっていたらしい。

 高校演劇の地区大会は関係者以外でも予約なしで観劇に来ることができる。俺は家にいることさえも苦痛に感じているため、秀樹たちの出番が来る前から会場にいることにした。

 一度だけ中学でも見にきたことあるが、高校演劇特有の雰囲気はなんだか懐かしいものを感じた。

 午前中の部が終わりお昼休憩を挟んだ。最初から見ていたわけじゃないからなんとも言えないが、秀樹以上の作・演出ができたやつなどいなかった。

 面白い作品があったかと言えば、ありとあらゆるお伽話を合体させ現代の政治を叩きまくっているコント劇くらいだろうか。いい感じに尖りまくっていて、高校演劇だなって感じがした。

 我らが順徳高校は午後の部で3番目だ。それまでにやっていた劇は、つかこうへいの『売春捜査官』を脚色したのと、「自分たちの思い描く青春を詰め込みました」って感じのオリジナル脚本。どちらも非常に真っ当な芝居だった。

 俺は評論家ではないから偉そうに言えないが、前者はなんか演出の言いなり感が強い、どこか縛られている感じがする。

 後者はそれとは反対に、「なりきっている自分」に酔っている役者が多かった印象だ。モブ女たちにたてついた時の俺もこんな風に見えていたのかな、と思うと少しだけ胃が痛くなった。

 さて、そろそろお待ちかねの順徳高校演劇部の出番だ。

 さっき休憩時間の間に差し入れを渡しに行ったら、今まで見たことないくらいに真っ青な顔していた。

 「おーい、どうした。何震えてんだお前、カイロいるか?」

 「いや、ちょっと無理。吐きそう。カイロは欲しい」

 珍しく、というより久々に見る弱り切った秀樹は、普段の殺伐とした口調も佇まいも見る影もなくなっていた。

 本当ならいじり倒してやりたいところだが、マジでやばそうなので背中に貼るタイプのカイロを二枚貼った。

 「一体どうした。何を見たんだお前」

 「噂には聞いてたけどあの人来てんじゃん、最前列で見えちゃったよ。ヤバイヤバイ」

 「あの人って誰だ?ヴォルデモート卿か?」

 「違う、お前も見たろ、でっけーピンクパンサーのぬいぐるみ抱えている人」

 「あーいたわ。なんで演劇やってるやつってこうもクセ強いんだろーな、はは」

 「あれがある方が落ち着くとかなんとか。それより、あの人高三の時の劇作の最優秀賞とって今でも演劇の最前線で戦ってんだよ。無理、しんどい」

 「お前、相当キャラ崩壊しているけど大丈夫か?」

 「うるせーな、なんのために俺がここまで来たんだと思ってんだ」

 「知らん」

 「は?」

 「この半年間俺は俺のことで忙しかったし、テメーはなんか勝手にラノベの主人公かってくらい美味しいところ掻っ攫っていくし、そのクセメッセージ見ないわ文章が足りないわで腹が立つ。そのキャラ付け、半分は自尊心のためにわざとやっているとわかっていても腹が立つ」

 「このタイミングで無茶苦茶言うなあ。『武装』している時の俺かよ」

 「あとその中二病抜けてないところもなんかイラっとする」

 「べべべ、別に中二とかじゃねーし」

 「この前までは劇作の高みだとか高校演劇に一泡吹かせるとか言ってたのに今では先輩のためって。なんだこの青春ブタ野郎は」

 「ねえそろそろ泣いていい?」

 「だから、お前のやりたいこととかちっともわからん。それでも、お前の努力はずっと見てきた。正直お前がこの場で最高のものをぶちかますのが楽しみだし、それ見たやつらの反応が見てみたい」

 「お、おお……」

 「どうせお前のことだから抜かりないだろうけど、その間抜けズラ、部員たちには見せてねーよな?」

 「そのために抜けてきた」

 「おーし!じゃあさっさと戻れ部長。舞台に出なくたってお前が仕切らないとダメだろう」

 「いや、本番の時は舞台監督が指示出すんだけど」

 「ガチレスすんな!はよいけ!あとこれ、はちみつレモン作ってきたから持っていき。美味しいから」 

 「運動部の応援に来たお母さんかよ」

 バッグから取り出された厳重に蓋とラップで閉じられたタッパーを受け取ると、秀樹の表情から微かに緊張の色がほどけた。

 「まあいいわ、とりあえず礼を言っておく。じゃあまたとでな」

 「あいよー、お母さん見てるからねー」

 「そのネタ引っ張るのかよ」

 そう突っ込むと秀樹は調子をと戻したように控え室の方へと消えて行った。

 こういう主人公の背中押すポジションって普通ヒロインがやるものじゃねーのか?まあ面白いネタできたしいいか。

 今のうちにメモいておこうとスマホを取り出した時、ニヤニヤしながら秀樹の後ろを歩く雪宮先輩のような人がいた気がするが、見なかったことにした。

 きっと今頃手の平に人って文字を書いては飲んでたりするはずだ。気にせず客席に戻ろう……

 後ろを振り返るとまごうことなき雪宮先輩が親指を立ててサインを送っていた。

 あーあー、絶対盗撮しているよ。あの人自分の彼氏が弱っているところ見て興奮しているって、絶対。

 案外本番には強いタイプの人なんだなーとか思いつつ今度こそ客席に戻った。


                *

 

 席に着いてから、さっきまでのやりとりをあーだこーだメモしているとすぐに開演の合図が鳴った。

 俺の斜め前の席には一応顧問の先生と思われる男性が不機嫌そうにどかっと座っていた。

 必要最低限のこと以外一切関与しないと言っていたが、それでも内容はきになるみたいだ。

 他校の演劇部からの期待も高まる中新生、順徳高校演劇部の公演が始まった。

 タイトルは『言の葉の名前』

 開幕と同時に大きな爆発音がなりあちこちで鳴る。

 気の抜けていた観客の視線が一気に舞台に集中し始める。

 何人ものエキストラが舞台上を駆け回り、パニックを演出している。何かを話そうとした人たちが次々に爆発し倒れていった。

 ああ、なるほど。そういう世界なのか。

 舞台上に広がる世界で、話すことを禁じられら物語なのだと観客は察する。これが観客を物語に参加させる技量か。エキストラたちもやがてそれを理解し始め、何も喋ることはなくなった。

 国境や種族もバラバラな人同士、言葉を失えばどうなるだろうか。武器を持ち、独自の文化を持ち容姿も体型も価値観も様々で、話し合えたとしても理解できるかわからない人種の壁。

 エキストラたちはやがて殺し合いを始める。各々が持っていた個性溢れる銃で、刃で、武術で。

 そこに一人の女性が割り込んでくる。雪宮先輩だった。

 彼女は世界のあり方を知らないのか、必死に何かを訴えようとする。手を、口を必死に動かして戦いを止めようと奮闘する。

 その姿を見て誰もが気づいた。

 彼女はろう者だ。耳が聞こえないのだ。そして必死に何かを訴え続けているのは手話だった。何を言っているのか正確にはわからない。だが人々がなぜ争っているのか理解できず、それでもと涙を流しながら平和を訴えていることがわかった。

 そして生き残った登場人物たちで生活をすることになった。

 言葉もなく、お互いの価値観も違う中で身振り手振りだけで意思疎通を図ろうとする生活。何度も何度も喧嘩を繰り返しては他の者が止めにかかり、全員が少しずつ人種の壁を超えてわかり合う姿が描かれていた。

 ああ、秀樹。なんて皮肉屋で、なんて負けず嫌いで、なんて人を信じ続けるやつなんだ。

 言葉を求める俺に対してお前は、それがなくとも人を感動させることができると言いたげな。

 高校生に求めるには残酷なほどに難易度が高い台本。それをこれほどのクオリティまで高めると誰が想像できるだろうか。

 秀樹、お前は昔から何に対しても要領が良すぎた。人の言動、表情の細かい変化から声色の使い方まで見えてしまうお前は、その人が何を考え何を感じているのかすぐにわかってしまう。周りに才能だとか天才だとか妬まれ、誰からも努力を認めてもらえない。自分に向けられる他者の黒い感情を誰よりも悟っていたはずだ。だから才能という言葉を嫌い、痛みを跳ね除けるための過剰な自信と威圧感を身に纏う『武装』をした。

 そんなお前が、それでもなおお前は、人は触れ合うことでいつしか分かり合えると、そう訴えるのか。

 秀樹は決して言葉が達者な方ではない。うまく説明できない感情や感覚は今までにいくつもあった。だがどんな物事も細部まで届くその目が、彼の世界を色濃く映し出した。

 その目に対し、追いつかない言葉の力。だから彼はずっと努力してきた。たとえ戯曲の中で伝わらなくても、必ず舞台の上で完成させるために。その目も時間も全て一つの表現のために捧げる力。

 お前はホンモノだよ。もう既に一人の芸術家だ。

 上演時間約50分、俺たちは途方もない旅を、あるいは覚めきれない夢を見ていたのか、心地の良い浮遊感に包まれていた。 

 そして誰もが思った。次元が違うと。

 それは誰もが惜しみない称賛の声を投げかけようと、盛大な拍手が送られた。高校演劇の、しかも地区予選ではまず見られないであろうスタンディングオベーションの嵐。

 この感動を分かち合えたことに感謝するように、この作品と出会えた運命を尊ぶように誰もが笑っていた。

 ただ一人、索を除いて……


 全ての審査が終わり、順徳高校は満場一致で都大会へ進出を決めた。

 部員たちは全員そうなることを会場のリアクションからわかっていただろうが、それでも涙を流しながら喜びを分かち合っていた。 

 その様子を俺は一部始終見ていた。

 それはまるで『ライマス』の映画のラストにあったシーンのようで、自分の中に今まで感じたことがないような醜悪な感情が生まれていることを自覚した。

 『言の葉の名前』には間違いなく感動した。この大会で、どの高校よりも、今まで見た劇の中でも一番だ。

 故に思ってしまったんだ。俺には作れない、と。友達なのに遠い、それがこんなにも悔しいのか、と。

 それでも感動した事実だから、感傷に浸ろうと努力した。だが俺の心はすっぽり穴が空いたように感じた者全てが抜け落ちてしまって、後に残ったのは底の見えない虚無感だけだった。

 いつからだろう、純粋な気持ちで作品を楽しめなくなったのは。

 ふと、演劇部の方に目をやると、秀樹は今まで見たことないような笑顔で喜びを噛み締めていた。

 ああ、そうか。お前は手に入れたんだ。青春も実力も栄光も恋人も友人も全てを。

 なんて虚しいんだろう。俺に残っているものを数えようとしたが、何一つなかった。ようやく気づいた。俺は未だ、何も手にしていない人間なんだって。

 少しの努力とか、経験とか、勇気とか、そんなちっぽけの余り物を特別だと勘違いして、自分に酔いしれて、大事な友人を傷つけて。

 最悪だ。こんな醜い生き様を背負って、果てしない劣等感に蝕まれながら生きていかないといけないのだろうか。

 保護者や参加者の友人といった観客たちはゾロゾロと足を揃えて帰りの支度をしていた。変に残っていても片付けの邪魔だろうし、とそれに続くように会場を出ようとすると

 「索、ちょっと待っててくれ」

 秀樹が会場の外にいるようにと引き留めた。

 1時間ほどして参加者と思わしき人たちがゾロゾロ出てきた。

 「すまん、待たせたな」

 「いや、マジで待ったわ。この時期に外で待たされるのきついって。手がかじかんで『ライマス』のイベント全然走れねえじゃねえか」

 「そこは嫌でも『全然大丈夫だよ』とかいうところじゃないのか」

 「そういうのは彼女とやってろ」

 怪訝そうな視線を送りながら、首を振って駅まで歩くことを示唆する。

 「ていうか良いのか?俺相手で。部活の連中と感傷に浸りながら帰れよ」

 「それはやめておく。あまり今の出来で満足したくない」

 「というと?」

 「もちろんまだまだ上を目指す。この後色々直すしな」

 秀樹稚気の含んだ笑みを浮かべた。

 「はぁーストイックだねえ」

 いや、この場合は強欲過ぎると言った方が良いのだろうか。

 「ていうかまだ満足してないの?会場の反応見た?あれでまだまだとか侮辱しているの?」

 「なんで半ギレなんだよ」

 「思った以上に良い出来でムカついているだけだ」

 ため息を吐きながら吐き捨てた。本当にムカつく。素直に喜べない自分自身にな。

 「そうかそうか。じゃあ都大会は見にこない方がいいな。お前には刺激が強過ぎるからな」

 「え、脱ぐの?」

 「脱がねーよ」

 なんだよ、一瞬期待したじゃねーか。

 「ほんとわけわかんねーよ。部活の体制を全部変えて、大会では爆発的に認められて。マジでなんなの?ラノベの主人公なの?なろう系チート属やれやれキャラ?」 

 「自分でも出来すぎている自覚はあるけど、そこまで言うか」

 秀樹は顔を引きつらせながら小さく笑った。

 「でも、まだ満足してねーから。お前が大層な野望掲げるように、俺には俺でやりたいことが山ほどあるからな」

 まるで宣戦布告しているかのような物言いだった。

 俺に挑んでも得るものなんて何もないのに。

 「お前もお前で結構原稿進んでいるみたいだし、デビューするのもそう遠くないかもな」

 爽やかな口調で俺に笑いかける。

 飛んだ皮肉だ。

 全てを持っているお前が全てを持たない俺の前で未来を語るなんて。悪意が一切ないのが余計にタチが悪い。

 黒い感情がグツグツと煮えたぎる。

 だからつい、口が滑ってしまった。

 「天才様は随分とお気楽なようだな」

 一瞬で秀樹の表情が曇った。

 「どう言う意味だ」

 「いや、夢も友達も、心の支えである信仰すらも奪われた俺に投げかけるにしては随分と楽観的な言葉だなと思って」

 「それはお前の努力が足りないだけだ。お前だって見ていたんだろ」

 「ああ、見ていたよ。でも生まれながらに持った感性とか能力とかあるのも事実だろ。努力が実を結ばないとは思わないけど、これは明らかに早熟すぎるだろ」

 「本気で言っているのか?」

 「さあな、ご自慢のその目でよく見てみたらどうなんだ」

 両手を頭に組み、不貞腐れた表情を浮かべる索を秀樹はじっと見つめた。

 「そうだな。多感過ぎる自分の感情に振り回されていっぱいいっぱいになった思春期の中学生そのものに見えるな」

 秀樹は呆れたような表情で優しく鼻で笑った。

 「はっ、なんだそれ」

 「まあいいよ、認める。俺は生まれつき他の人より優れた能力があって、それを才能と呼ぶならきっと正しい」

 「え?」

 まさかそんな言葉を秀樹の口から聞くとは思わなかった、と索は驚愕した。

 秀樹は苦笑いを浮かべながら続ける。

 「別に驚くことじゃねえだろ。いつも自分にも言い聞かせているよ、俺は天才だ。他の奴らとは違うって」

 「マジか……」

 「マジマジもマジ。大マジだ。でもな」

 秀樹は睨みつけるような鋭い目を開いた。

 「それは俺自身を鼓舞する言葉であって、誰かから妬まれるための言葉じゃねーんだよ」

 ドスの効いた力強い声だった。だが不思議とそれは怖く感じられなかった。

 「人には誰だって他より秀でた能力があるものだ。それをテメエ利用してやればいいだけの話なんだよ」

 太く重い拳が索の胸を叩いた。

 「もしお前にしかない力があるとしたらなんだ?とても簡単な問題だ。答えてみろ」

 「……」

 さっぱりわからない。

 自分が他の人より劣っていると感じることがあっても優れているなどと思ったこともなかった。全く心当たりがない。どれだけ記憶を遡っても俺には隠された力なんてどこにもない。

 だが秀樹はその答えを既に知っているようだ。

 意地の悪そうな顔で俺の回答を待っている。

 「……愚直なところ?」

 「半分正解ではあるがその根本は違う」

 「いや、わかんねえよ。急にお前は勇者だって言われたってどんなチート系主人公も困惑するだろ。」

 「なんだ、もうギブアップか」

 間違えたペナルティだ、と言わんばかりに髪の毛をぐしゃぐしゃにされた。

 さっきから妙にテンションが高い。

 「いいよ、降参。早く教えてくれ」

 すると秀樹は一泊置いてから済ました顔で


 「愛、だよ」


 「……?」

 はて、聞き間違いだろうか。物語の終盤に出す答えならなんでも対応できる万能単語が聞こえた気がするのだが、

 「愛、だよ」

 「二回言うなよ!期待したこっちが恥ずかしいわ」

 索は顔を真っ赤にしながら地団駄を踏んだ。

 「なんでだよ、愛は素晴らしいぞ。いつの時代も不可能を可能にしてきたのは全て愛の力だ。そしてお前はその愛が人よりずっと濃い。それはなんだってできるってことだろ」

 秀樹は恥ずかしげもなく唐突にロマンチック理論を力説し始めた。

 「いや、そんな大袈裟な。誰にだって好きな人やら物はあるだろ。それだけで現実は限界を超えるは……ず……」

 あれ?おかしい?俺はそれが不可能なのだと思っているのか?そもそも俺が小説を書き始めた理由なんだ?この恋をちゃんと始めるためだ。そのために今まで自分を鼓舞してきた存在は?たくさんの物語から授かった大切なもの、その全てに応えたいと奮闘してきたのも、信仰さえあればなんでもできると信念を掲げたのも全て俺が物語のキャラクターに憧れ、愛していたからだ。

 「ようやく気がついたか。お前さ当たり前のようにやっていたから言わなかったけど、長文の小説を一個書き上げられるやつってそんなにいないんだぞ」

 「え?」

 「俺がセミナーに通っていた時もずっと真面目に受けてきた大人たちの大半が、実際に書いてみる講義でリタイアしていた」

 「そう……なのか」

 「ムカつくから放っておいたけど、お前結構すごいんだぞ。無意識にアニメやらラノベやらの最高峰と真正面から自分作品を比べられるし、プライドが邪魔して普通できねえぞそんなこと」

 「俺ってすごいのか……」

 「愛と執念に限定するがな」

 何かが繋がった気がした。

 自分が今書くべきこと、心の底から書きたいと思うこと。全身が自分自身の物語を作れと衝動的に訴える。

 ああ、これがゾーンというやつか。これから描く、名前のない物語に命が吹き込まれたように頭の中を駆け巡る。

 考えて考えて考え抜いてたどり着いた結果、それはとても単純な答えだった。

 「悪い、秀樹。先に帰るわ」

 「おお、そうか」

 どこか満足げに秀機は索の後ろ姿を見送った。

 急げ急げ急げ、残された時間はあとどれくらいだ?

 締め切りまであと9日。

 書けるのか?10万文字!

 いや、やるしかない。他のじゃダメなんだ!この物語じゃないとダメなんだ。

 物語というにあまりに独善的で傲慢な作品だ。それでも、ライトノベルを作る系のライトノベルでは、起死回生の一作は小説という名の壮大なラブレターだって相場が決まっているんだよ!

 だが、俺が俺のことを書くだけじゃダメだ。恥ずかしくて筆が鈍るし一人で突っ走ったら読者が置いてけぼりになる。

 だから、お前の力を貸して欲しい。

 索はカバンから一冊のライトノベルを取り出した。昨日机にこっそり入っていた学園モノのライトノベル。そこに挟まっていた紙切れを取り出す。

 そこには、生まれてすらいない作家の名前が記載されていた。


 ありがとう、前坂

 

 一呼吸置き、精神を整え、目の色を変える。

 視線は穴が開くほどにスマホの画面へと向けられている。

 早く、もっと早く。目まぐるしく動き出す登場人物たちに頭をフル回転させて言葉を当てはめていく。

 プロットも構成も会話の流れも技術も経験も全部無視して、衝動にかられるまま、思い描く世界を綴った。

 努力が身を結ぶ話、誰かの不幸を救う話、世界が平和になる話、そんなおとぎ話に憧れ、この世界がおとぎ話と同じだと本気で信じた主人公。

みんなから笑われ、避けられ、否定され、それでもなお世界を信じ続け努力する本物のバカだ。そんなバカが夢を叶える物語を書きたい。

 憧れた遠い存在の人に恋をして、その恋を実らせるために夢を追う。

 頭悪くてで無謀で浅はかでやり方も間違えている愚直なバカ。俺はそういうやつが頑張って夢を叶える瞬間が大好きだ。だからそんな幻想を信じ続けたやつが報われる話を作る。

 もっとだ、もっと早く。

平日も休日も関係なく部屋に篭って寝る時と風呂に入る時とトイレに行く時以外ずっと書いていた。おかげで頭はボーとするし、体のあちこちが血流悪くなってめちゃくちゃ痛い。飯もまともに喉通らないし、睡眠時間だってめっちゃ削って、それでも全然追いついてくれない。

 学校は体調不良ということで休んだ。別に嘘はついていないし、どうせ行ったところで俺の居場所はどこにもない。

 物語を綴るこの瞬間、それが俺がここに存在することが許される理由の全てだ。

 頭の中には書くべきことが溢れ出している。これを逃したらもう次はない。お願いだ、俺の身体よ。これが終わったらいくらでも寝るし、ご飯もちゃんと食べるから。今だけは無理させてくれ。もう一人の俺に身体を預けてくれ。

 今になってわかった。

 秀樹のように武装するやつも雪宮先輩みたいに理想のためにもう一人の自分を作り出すのも。それぞれに役割があって、表現者にとって自分を見つめ直すということは、もう一人の自分に感性を託すということだ。


 なあ、お前の目には俺のことどう映っているんだ。


 焦燥も葛藤も嫉妬も執念も愛情も憎悪も後悔も全て紡げ。

 絶対に俺にはできるはずないことだから。

 きっと自分の書きたいものが見つからなくてあたふたして、戦略とか技術とか不慣れなものにすがりついた。俺は秀樹のように自信を持てないし、雪宮先輩のように自分っていうものを表現しきれないし、前坂のように言葉で感情を自由にしてやれることもできない。

 だからこそ見せつけてやりたいんだ。

 見ているか世界!俺だってできるんだって。

 証明してやりたいんだ。

 推しへの信仰さえあれば何だってできるって。

 俺の好きだけがそれを叶えうる絶対的な武器だ。


 締め切りまで残りわずか。悩む暇さえ許してくれない。

 時間はあっという間に過ぎ去っていくのに俺の体力はガンガン削られる。

 次の締め切りまで待つか?

 絶対に嫌だ。たとえここで身体がボロボロになってもいいからこの物語を完成させる。

 神に請い願うよりも先にキーボードを叩け。

 祈るなら存在するかも知らない紛い物なんかじゃない。

 俺の『願い』と前坂が込めた『意味』、二つの意志が込められたまだ名前しかない、生まれてすらいない一人の作家。お前に祈るよ。

 今だけはもうこれを完成させられたら何もいらないから。

 才能も経験もチート能力もハーレムもお金も権力も何もいらない。

 あなたに会うための言葉さえあればそれでいい。

 だから……


 憧れに届くかもしれないこの作品に全てを捧げさせてくれ


 











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