Side story1 前坂優香は求め続ける
本の中には全てが詰まっている気がした。
絵もない、写真もない、音も感触も味も何もない。そこにあるのはただの記号。それなのにどうしてこんなにも言葉は人を豊かにするのだろう。
本の中でだけ人の顔が鮮明に見えた。登場人物だけじゃなく、本当の名前すら知らない作者の心の奥深くまで。
小説を読むということが私にとって人と触れ合うということだ。
私以外の誰かと会話するには情報が追いつかなくなる。
言葉だけじゃなく、声の色、顔の色、呼吸の色、目の色、仕草の色、何もかもがバラバラに合成された気持ちの悪い配色で、何を信じて良いのかわからなくて、とても怖い。
ほとんとも嘘も自分自身ではわからなくなるくらいにドロドロに交わっているのが人なのだとしたら、作品はそのドロドロした何かに濾過を重ねて作り出された美しい芸術なのかもしれない。
それなら綺麗なものしか見れない私はこの先小説を作り上げることができるのだろうか。
赤月索君は、嘘がつけない人間だ。正確には筋の通ったことをする自分が許せないのだろう。何か大きな信念に自分の体を強引に従わせようとする、そんな人だ。
とても歪な形をしているのに重ねられたいろはとてもシンプルで、きっとそれは人間として未完成なのだと思う。だからこそ彼の書く小説に興味があった。
それはとてもからっぽで、なのにとてつもない執念じみた何かがあった。
ああ、なるほど。君は自分に才能がないと思い込んだ上で足掻こうとしているのか。
本当に烏滸がましいにも程が有る。
彼に沢山の助言をし、何年振りなのか嘘もついた。
確かに物書きにとって『才能』の概念は明確にできない。それでもはっきりと線引きできることが一つだけある。
それは一回でも完成させることができるか否か。
ああ、なんて醜い嫉妬なんだろう。
これほどまでに小説に溺れ、物語を愛し、言葉を求め続けたのに、何一つ生み出せない私は紛い物だ。それでもと言葉を紡いだ先に私の求める終幕があるのだろうか。
執念のみで書き綴る者、赤月索。君が君の物語に真の意味で君の魂が共鳴した時、果たしてそれは『オリジナル』にたどり着けるのだろうか。
期待と果てしない羨望を込めて、君にこの名前を送りたい。
前坂優香は静かに筆を手に取った
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