第3章 起死回生のための協力者を求めて
学生時代、夏休みよりも夏休み前が一番楽しいなんて言葉をよく耳にするが、季節的には7月頭が一番心地悪い時期だったりする。
梅雨明けしたばかりの気候は身体中に纏わりつくような湿気が漂い、強い日差しはじりじりと体の水分を奪おうとする。
背中や脇の下は汗でベトベトするし制服も肌にひっついて気持ち悪い。
そのくせ帰宅時を狙ったかのようにゲリラ豪雨が襲いかかるわ、休校にならない程度の威力で台風も来るわで執筆に集中できるはずがない。
そう、全部夏のせいだ。全部夏のせいにしてしまえばいい。だからこれは決してスランプとかそう言うものではないんだからね!
と、誰にするわけでもない言い訳を立てて一週間。
充実した時間は一瞬にすぎると言うがダラダラ何もしていない時間も一瞬で過ぎていってしまうものだったりするものだ。
期末試験が近づいているため勉強だけはそこそこちゃんとやっているがそれ以外は、原稿どころか友人関係も全く進展していない。一応一人だけ話しかけてくれるクラスメイトはいるが基本的に単独行動。体育の授業の後にシーブリーズや汗拭きシートを使用していても誰にも「貸してくれ」とは言われないくらい重症になっている。
処女作を最後まで完成させたのをきっかけに索は完全に燃え尽き症候群に陥り、モチベーションは下がりきったままだ。
それとは正反対に秀樹はというと……
「はーい、おはようございます」
「「おはようございまーす!」」
「それじゃあ各自柔軟と体幹が終わったらいつもの発声練習。一度水分補給挟んだら大会用の台本の読み合わせを始めます」
「秀樹君、先生はどうしたの?」
「えー顧問の青林先生は18時ごろに見回りに来ます。それと基本的にこれからは部活にはノータッチで行くそうです」
「「やったー!」」
「それじゃあ台本もキャストもスタッフも自分たちで自由にやっていいんだね」
「はい、キャストに関しては俺と舞台監督の安藤先輩、演出助手の田中君でオーディションして決めます。詳しいことは基礎練の後にまた説明しますので。それじゃあ今日もよろしくお願いします」
「「よろしくお願いします!」」
といった感じで、一年生にして完全に部長の座についてしまったようだ。
以前までは顧問の先生が全て一人で配役から裏方まで本人の希望を無視して決めて、脚本に関しても自身のイメージを役者に押し付け、解釈違いの意見には威圧的な反論でねじ伏せていたらしい。一年生なんかはずっと筋トレや発声だけやらされて終わる。
そんな理不尽な環境のため先輩後輩の上下関係が厳しく、やめてしまう部員も少なくなかった。
台本も顧問が書くか既存のものを選ぶため、秀樹のような脚本家志望は入るべきではない。わざわざ部活で演劇をやる必要などないはずなのだが、
「だって、面白そうじゃん。乗っ取れるようにやれるだけやって、もしダメなら自分で劇団でも立ち上げるよ」
秀樹も索に負けず劣らずのどこか頭のネジが外れた楽観主義者であり野心家なのである。
そして実際にうまく行きすぎるほどまでに成功してしまった。
体験入部初日、秀樹は堂々と自分が脚本家志望であることを公言した。
組織内には必ずある、触れてはいけない暗黙の了解、そこに秀樹は無知を演じながらズケズケと踏み込んだ。
驚愕、義憤、疑心、不快、不安、好奇心、そして期待。
隠しきれない一瞬の表情の歪み、様々に交錯する感情の情報を秀樹は全て見抜き、誰からアプローチするべきなのか的を絞った。
そこから3日で先輩たちの人間関係についてある程度把握し、現状に不満が強い者から少しずつ懐柔する。
発言力の強い部員をまとめれば数は自然と集まり、その力は絶大になる。
部員全員の総意として顧問に過剰な干渉の禁止を突きつけた。
もちろん思いっきり反感を買ったし、怒鳴られもしたが、
「もし次の地区合同演劇祭でいい結果出せなかったら土下座して取り下げますよ。人望もなければたかが15のマセガキに実力も劣っているって証明されるのが嫌でなければ」
と、悪辣な笑みを浮かべて挑発した。
ぶん殴られてもおかしくない状況だが、わざわざ他の教師が多くいる時間帯を狙っての犯行だったため、引くに引けず顧問はそれを承諾した。
そして区内の高校生が参加する演劇祭で秀樹が作演出を担い、見事な成績を収めた。
ついでに順徳高校の白瀬秀樹の名前は地区内で一気に広まり、他校の演劇部から一目おかれる存在となった。
これだけでライトノベル一巻が欠けるのではないかと言うほど濃密で劇的な展開を見せる秀樹。
こうなることは予め予想はしていた索だが、今の自分の状況と比較するとあまりにも境遇が違いすぎて流石に欝屈した気分になっているようだ。
だからといって彼自身何かやれることがあるわけでもなく、毎日下校のチャイムと同時に教室を出て、家に帰るかアニメイトに寄るかのどちらかしか行動のパターンがない。
新しい小説のプロットも組み立て始めているが、すぐに「これは果たして本当に面白いのだろうか」という迷走に陥り、いいアイディアが出てもすぐにボツにしてしまうため中々前に進めていない。
最近は気分転換に図書室や喫茶店だったりと執筆する場所を変えてみたり、服装や聞く曲を決めてルーティーンを作ったりしたがあまり効果がなかった。
多分進まないだろうが今日はファミレスとかでやってみるか、とホームルームが終わると同時に教室を出ようとした時、
「赤月くん!」
窓際の席から声がした。
振り返ると小柄な女子が索に向かって小走りで駆け寄ってきた。
「どこ行くの?今日文化祭実行委員で会議あるよね?」
話しかけてきた少女の名前は前坂優香。
身長150センチほどの華奢な体格にとても艶やかな黒いストレートの髪。幼い外見にはどこか知性的な印象を受ける容姿をしている。一言で表すなら『目の細い小動物』
彼女が先ほど説明していた『索に話しかけてくれる唯一の人物』である。
「あー、先生がホームルームでそんなこと言っていたな。でもなんで俺に?」
「だって赤月君、うちのクラスの実行委員でしょ?」
「え?そうなの?」
索は先ほどまで全く知らなかった情報に鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「うん……あれ?知らなかったの?」
目を丸くして驚いている索を見て前坂は戸惑いながらも恐る恐る尋ねた。
「でも昨日クラスのグループチャットで赤月君がやるって決まってたし……」
「待って、俺はそのグループチャットとやらをまず知らない」
索はばつが悪そうに悲しい事実を伝えると前坂はしばらく「何言ってんだろうこの人」と言いたげに首を傾げ、
「ええ!そうだったの?」
驚愕の声を漏らした。
同情するべきなのか触れないでおく優しさを通すべきか、前坂はあたふたしながら考え、
「でもグループの人数とクラスメイトの人数一致しているよ?それにこの『AKI@リーサ親衛隊2番隊隊長』って赤月君だよね?」
「『AKI』って先生の名前じゃね。確かに俺リーサ推しだけど下の名前索だから。てかなんだそのツイッターのオタクアカウント見たいな名前」
「え!そうだったの!ライマスのキーホルダーつけているからみんなあの気落ち悪い名前、赤月君だと思ってたしすごいタメ語で話してた」
「それはそれで先生かわいそうすぎるだろ。いや自業自得感はあるけどさ」
「あ、違う違う。それより先にまずはごめんねだよね。色々失礼なことしちゃって本当にごめんね」
前坂は顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうに謝った。
その仕草は小動物のような外見と動きが相まって非常に可愛らしいのだが、謝られている自分に妙な罪悪感を覚えるためすぐに「気にすることないから」とやめさせた。
索の本音もグループに自分が入っていないことよりも先生の情報量の多さに引っ張られていたため全く気にしていなかった。
「えーと話をまとめると、俺は文化祭実行委員になっていて、今日がその委員会ってことで大丈夫?」
「うん、でも大丈夫?勝手に決めちゃったことだし今から代わってもらうとか」
「あーいや、いいよ。どうせ俺暇だし。それに今から俺と代わろうなんてやついないだろ」
実際問題、誰もやりたがらないからクラスでも浮いている索に押し付けられたはずだ。仮に前坂がクラスメイトを説得しようと試みても難しいだろう。
前坂優香は学級委員長でもある。だがそれにさしたる理由はない。一年生の間の係決めなど、誰もやりたがらない場合は『なんとなく』でしか選ばれない。なんとなく真面目そうで、なんとなく引き受けてくれそうで、なんとなく面倒なことを押し付けても許してくれそうだから。
その『なんとなく』と言う理由はのちに暗黙の了解とまで成り果てる。
彼女がなぜ、秀樹を除いて唯一索に話しかけてくれるのか。それは決して友情とかではなく、なんとなく話しかけたくないやつに『学級委員長だから』という名分で伝言係と化しているからだ。
直接イジメにあっているわけではなく、表面上その可愛らしさもあってか女子から人気があるようにも見える。故にその分少々質が悪い。
索もその事実を漠然とではあるが把握しているため、彼女に強く攻め立てることはしない。
「そっか。ありがとうね。本当にごめんね」
前坂は再び申し訳なさそうに謝った。
「いや、ほんと全然大丈夫だから。もう顔あげて。それでさ、女子の方の実行委員って誰なの?」
「ええと、実は私なんだ」
照れ臭そうにはにかみながら前坂は言った。
「学級委員もやってこっちも?大変じゃねーの?」
「全然大丈夫。運営側って興味あるし、前からやってみたかったの。それに学級委員って名前は偉そうなのに仕事すごい少ないから」
「そっか。それだとなんかごめんな」
「どうして?」
「俺みたいなあんまりやる気ないやつじゃ嫌だろ」
「ううん。むしろ赤月君でよかった。他の男子はこういうの恥ずかしがって真面目にやんないし、ちょっと高圧的というか私よりずっと大きくて怖いんだよね」
「それ、遠回しに俺が小さいって言ってないか」
「そ、そんなこと……あるかな。でもでも悪い意味じゃなくて、赤月君って私と話すときちゃんと目線合わせてくれるし、そういうのもあって小さいことも良いことだと思う」
前坂は慌てふためきながら索にフォローする言葉をかけた。手足は小さいのに一々挙動が激しく表情もコロコロ変わり、その様子は純真な天使かと見間違えるほど可愛らしい。
少し大袈裟で演技ではないがと疑いたくなるが、彼女の言葉にはしっかりとした芯があり、嘘偽りのない本心であることがよく伝わる。
「なんかありがとう。でも俺もこの体格のことそんなに気にしてねえから」
「あれ、そうなんだ。ならよかった」
「それで、会議って何時からなんだ」
「16時から生徒会室でやるみたい。プリント関係は後で配られるから筆記用具だけ持っていけば大丈夫だよ」
「わかった。ありがとう。あとさ今更かもしれないけど」
索は左ポケットからスマホを取り出した。
「連絡先交換していいか?実行委員会もやるならお前に押し付けたりせずちゃんと参加したいしな」
「え……?」
前坂は面食らったような顔をした。
「あれ?どうした」
「ううん、なんかすごく自然に連絡先聞いてくるんだって。なんか意外で」
意外とはどういう意味だろうか、と索は頭に疑問符を浮かべる。
「あまり人と関わらないからこういうの慣れていなさそうっていうか」
その言葉だけでなんとなく察したのか「なるほど」と膝を打ち、芝居掛かった気持ち悪い演技で返事をした。
「もしかして『でゅ、デュフデュフ……前坂さん……ぐふふ、れ、連絡先こ、こ、交換しようよ、ぐふ』とか想像してた?」
「大体あってるけど例えが酷すぎるよ」
前坂は「あはは……」と乾いた笑い声をあげた。
「まあ、どっちにしろ交換はしておきたかったしね。これから色々話し合えるといいね」
真っ直ぐな笑みを浮かべながら前坂はカバンからスマホを取り出した。
「それじゃあ改めて、これからよろしくね」
「ああ、よろしくな」
こうして索に高校生活初めての友達(とても可愛い女子)ができた。
*
一学期の間から文化祭の準備を始める高校はそこまで珍しくない。文化祭に力を入れているところでは文化祭が終わった次の月から準備を始めるという話もある。
索の通う順徳高校も行事には力を入れる側に含まれる。
だが索は文化祭実行委員といっても、どうせ生徒会のおまけ程度だろう、と甘く見ていたため実際の仕事量を目の当たりにして驚いていた。
当日の開会式と閉会式、後夜祭の運営、それからクラスや部活の出し物の見回り。体育館とホールを使う団体のタイムスケジュール管理など。これを各クラスの委員で分担して行うとのことだ。
それ以外にも事前準備の方もかなり作業があるようで、宣伝広報や会計監査、飲食店の衛生管理から物品管理まで、数えればきりがないほど仕事がある。
見えないところで様々な準備が必要とされるため。生徒会だけでは人手が足りないのも納得がいく。
最初は予想以上の仕事量に面食らっていたが、分割してやるとなると決して無理するほどのものではない。だがこれだとクラスの方で出し物をするとなるとあまり顔を出せなくなるなと少しだけ残念そうに肩を窄めた。
クラス内に友達がいないとはいえ、別に一人でいることが好きというわけではない。むしろアニメや漫画では最高潮に盛り上がるイベントだと認識しているため、何かしらのドラマを期待していた。
これをきっかけに交流が深められたら、という期待もわずかに抱いていた。
それは前坂も同じ考えのようで先ほどまで目に見えて上機嫌だったのが今では少しだけ様子が落ち着いている。
二人はせっかくなら一番裏方っぽく、なおかつ文化祭を楽しめる仕事が良い、という理由で体育館と備品の仕事に就いた。
初回の会議は説明と担当を決めるだけで終わり、あとは期末試験が終わってから本格的に始動するようだ。実に30分もかからなかった。
どうやら2年生の間では既に実行委員長が決まっており、彼女の進行が実に手際が良かったのが要因だろう。
簡潔で分かりやすい説明によく通る芯のある声と聞き取りやすい話し方。凛とした佇まいで、だが物腰の柔らかい言葉選びをするため、皆自然と彼女の進行についてきていた。
高校生でありながらもその技量に索は関心を示した。
役割分担も終え、程なくして解散になると各々部活動や、期末試験の勉強へと勤しむべくゾロゾロと生徒会室を後にしていった。
列の波が引く頃合いをみて索と前坂も席を立とうとした時、
「君、索君だよね」
鷹揚で優しい声色で誰かが索を読んだ。
索がその呼びかけに反応して踵を返すと、先ほどの精悍な印象とは打って変わって柔らかな表情の作りにおっとりとした雰囲気を纏った実行委員長がそこにいた。
「ええと、もしかして俺ですか?」
「うん、君のことだよ。索って名前結構珍しいよね」
突然索の名前を呼びながら距離を縮める彼女から索は不審そうに身を引いた。
「赤月君、知り合いなの?」
前坂も不思議そうな顔をして尋ねた。
「いや、この学校にいる知り合いはお前と性格の悪いイケメンのメガネだけだ」
「なんとなくわかったけど堂々ということじゃないよね」
「あ、それ秀君のことだよね」
「しゅう……くん?」
優しそうな垂れ目をにこやかに細め、嬉しそうに彼女は言った。
「あれ?聞いてない?私、白瀬秀樹君の彼女……って自分で言うのも恥ずかしいね。
索君のことは秀君からいつも聞いているよ」
「え……、えええええええええええ?」
あまりにも突然のことに索は堪えきれず大声を漏らしながら驚愕した。
前坂はこうなることを予見していたのか索がフリーズした一瞬のうちに指を耳栓がわりにはめてガードし、教室に残っていた何人かの生徒は嫌そうな顔で索の方に視線を送った。
「ほら、いきなり大きい声出すからみんなびっくりしてるじゃん。ごめんねーなんでもないよ」
朗らかな笑顔を浮かべてそう言った。
「あ、すみません」
咄嗟に謝った索だが、まだ情報を整理しきれていない。
「いや、それよりもあ、あいつが彼氏って、え?あの性格ひん曲がったバイオレンスツンデレの目つき悪い無自覚系中二病患者のあいつが?」
「否定はしないけど一応私の恋人ですよー」
むー、と唇を窄めながら索を咎めたが、その目は明るく笑っているように見えた。
「えっと……実行委員長ってあいつと同じ部活なんですか?」
「そんな役職名で呼ばなくてもいいって」
「あー……」
名前で呼ぼうにも索は彼女のことを知らない。
最初の挨拶で名乗ってはいたが、索は人の名前(キャラクターも含む)と顔を覚えるのに時間がかかるため思い出そうにも苗字すら出てこない。
気まずそうに目線を逸らし、前坂にアイコンタクトを取るが彼女は索の意図を掴めず首を傾げただけだった。
「あー!もしかして聞いていなかったな!」
「……すんません」
実行委員長は「はぁーもう」とわざとらしいため息を漏らした。だがその様子は不思議と嫌そうには見えなかった。
彼女は赤みのある明るいブラウンの髪をなびかせ、左手を腰に右手を胸に添えながら自己紹介をした。
「改めまして、私は雪宮姫織(ゆきみやひおり)。ご指摘いただいた通り演劇部の2年生です。よろしくね」
背丈は索とは変わらないのに、彼女の姿はとても大きく見えた。
先ほどまでの凜とした存在感は全くない、だがピンとした胸をピンと張り、所作のいたるところまで意識を巡らせ、他者に魅せるための動きをしている。
それは漫画やアニメの、主人公とメインヒロインが出会うワンシーンのように様になっていて、索も前坂も思わず見惚れてしまった。
なるほど、これほどの印象を与えたなら簡単に忘れることはないだろう。もしかしたらこの瞬間に恋に落ちてしまっても全く不自然ではない。
だが現実は残酷かな、雪宮姫織は親友の彼女という攻略不可能キャラなのだ。
「あ、帰宅部一年生の赤月索です。実行委員ではお世話になります」
我に戻った索が改まった堅苦しい挨拶をした。
それにつられたように前坂も、
「文芸部一年の前坂優香です、えーと……赤月君がいつもお世話になって……あれ?」
「俺はなってないな、うん。強いてあげるなら性格悪いメガネのあいつだな」
この時索は前坂がかなり天然なのだと悟った。
「えっと雪宮先輩でいいっすか」
「うん。好きなように呼んでくれていいよ。部活ではひめちゃん先輩って呼ばれているしそっちでも」
「いや、それはなんか悪いんで」
「私も雪宮先輩って呼びます」
「むう、釣れないなあ。まあいいや。二人はなんで実行委員になったの?」
雪宮は索と前坂の目を見ながら言った。
「私は裏方とかに興味あったので」
「俺はなんというか……勝手に決まってました」
「え、それ言っちゃうの?」
「それっぽ言い訳思いつかなかったし、嘘つく理由も特にないから」
「もしかして索君、いじめられている?」
「どうなんでしょうね、いじめられるほど認識されていないんすよ」
索は開き直って悲しい事実を自慢げに言った。
「でもやるからには真面目に取り組むんで、もし秀樹が良からぬこと聞いて注意喚起のために声かけたんなら心配はいらないですよ」
「ううん。バカだけど筋は通っている人って聞いているよ」
「えっ」
索は顔を青く染め、雪宮に尋ねた。
「他になんか言ってました……?」
「うーん、雰囲気で勘違いされやすいけど悪いやつではない、とか」
「うっわ……」
索は真っ青に顔を歪め、全身鳥肌が立っていた。
「どうしたの?なんでそんな嫌そうなリアクションしてるの?普通嬉しいと思うけど」
その様子を見かねた前坂が不思議そうに聞いてきた。
「いや、普段暴言暴力のフルコース食らっている仲で、実は影ではツンデレでしたって、ちょっと寒気がする。新手のDVみたいで体が受け付けねえ」
「男同士ってそんな感じなんだ」
「私的には結構な萌えポイントなんだけどね〜」
えへへ、と雪宮はわざとらしく照れたリアクションをした。
「あいつのどこに惚れてるんですか……」
「才能?」
「それ、本人に言ったらすっごい嫌そうな顔されますよ」
「うん、知ってる〜」
「なんでそんなに嬉しそうなんですか」
「それはまあ、そういうところも込みで好きだし」
満面の笑みでそう答える雪宮。どうやら彼女は本気で秀樹にベタ惚れしている様子だ。
曇り一つない剥き出しの好意を前にさすがの索も困惑した。
程よい距離感を保ちながらもお互いのことをそれなりに理解し合い、助け合いもふざけ合いもできる。言葉にすると恥ずかしいが、そんなフラットな関係かつ固い絆のある友人だと思っていた。
特別な恋愛感情とか決してあるわけではないが、いざ急に恋人ができるとなるとそれなりに複雑な感情にもなったりする。
その友人が今まで他者から好かれるような存在でなければなおさらだ。
マイナーバンドが急に人気が出始め、メジャーデビューしてしまった、そんな心境だった。
「ははは、そうなんすね。末長くお幸せに爆発しててください」
索は考えるのがめんどくさくなったのか、思考を放棄して乾いた口調で若干本音が混じった社交辞令を唱えた。
「はい、そうさせていただきます」
語尾にハートマークがつきそうな勢いで返してきた。
何故だろう、友達の部活の先輩が声をかけてきただけなのに、いつの間にか無自覚にピリつく三角関係のような構図になっているのは。
そのやりとりを蚊帳の外から見ていた前坂は
「なんで私までノロケ話に付き合わされているんだろ……」
気まずそうな様子で二人に聞こえない程度の声で呟いた。
どうにか話題を逸らそうと、前坂は雪宮に自分たちと同じ質問を聞き返した。
「えーと、雪宮先輩はどうして実行委員長になったんですか?」
「そうだなー、私も頼まれてやっている口なんだよね。演劇部ってだけで目立ちたがり認定されるから嫌になっちゃう」
その話には身に覚えがあった。
中学の合唱コンの司会や校内で行われる英語のスピーチコンテストなどで演劇部だからと無理やり頼まれたケースは何回もあり、その度に「お前人前に立つの慣れているだろ」と言われていた。そのくせ無難にやり過ごすと他のクラスの特出した生徒と比較され「なんかうちのクラスつまんなくね」などと影で言われ、そういう輩を何度も呪っていた。
だが雪宮姫織はそれとは全く異なり、確かな信頼と期待を持たれているように見える。
実際、先ほどまでの様子からかなりの場数を踏んでいることが予測できる。
「でもさっきはすごい堂々としていましたよ」
前坂は少し食い気味に言った。
「いやーあれはちょっと緊張して体とか声も強張ってたし。上手く誤魔化せてたならいいけど」
見え見えの謙遜だったが全く嫌な気分にはならなかった。
「いや、特にないです。指名した先輩たちも見る目あったんじゃないですか」
「そう?だったら嬉しいな」
満更なさそうに雪宮ははにかんだ。
「それで、俺を呼び止めた理由を聞いてもいいですか?」
「あー!そうそう。そのことなんだけど、昨日ね秀君からメッセージが来てたの」
「と言いますと?」
「索君がミーティングサボるかもって」
「……」
索と前坂はバツが悪そうに何も言わず目を合わせた。
「えーと、あいつ他に何か言ってましたか?」
「ううん、それっきり何も」
「……まじかよあいつ」
「白瀬君、全部気づいていたのに何も言わなかったんだね」
「まああいつはそういうやつだったな」
「もしかして秀君、索君がこれない理由を知ってるのに放置してたの?」
「……」
「……」
二人の沈黙を肯定と捉えた雪宮は乾いた苦笑いを浮かべた
「秀君、今大会用の台本でちょっと息詰まっているから多分それのせいだと思うよ。でも来てくれてよかった。これからよろしくね」
それから3人は連絡先を交換して、雪宮は部活動へと向かっていった。
*
文化祭実行委員会のミーティングが終わり、索と前坂は流れで一緒に駅まで行くことになった。
最近まで代り映えがしない毎日だったため、特別何かやったわけではないが不思議と充実感があって悪くない気分だった。
学校行事とかも説教的にやったらいいネタが見つかるかもしれないと空想に励んでいると気がついたら前坂がいなくなっていた。
「赤月君ちょっと待って」
声がした方に振り向くと3メートルほど後ろに前坂がいた。小さな足を忙しそうにバタつかせながら早足で追いついてきた。
「私歩くの遅くて、ごめんね」
「いや、こっちこそごめん。気をつけるわ」
索は歩く速さを緩めようと意識しながらまた歩き始めた。
「それにしてもビックリだね。あんな綺麗な人が白瀬君の彼女さんかー。でも白瀬君も普通に顔はいい方だしおかしくはないのかな。でもこんな短期間でそういう関係になったりするものなのかな」
前坂は言葉を探り探りで喋り始めた。
「先輩は結構本気みたいだけど、白瀬君は教室でもいつも通りだったし、もしかしたらさ、なんていうか」
「前坂、なんか勘違いしてない?」
「え?」
「俺と秀樹はそういうのじゃないぞ」
「え?違うの?でも白瀬君としか話さないし、さっきも複雑そうな顔していたし、なんか特別な意味があるのかなって」
早口でそういうと耳まで真っ赤に染めて両手でパタパタと扇いだ。
「あれ?なんか今日ちょっと暑くないかな」
確かに気候的には非常に暑いが多分前坂のそれは別の理由だ。
ちょっと無理のある誤魔化し方だがなんかかわいそうなので「日差し強いしな」と話を合わせることにした。
「じゃあなんで赤月君は他の人と話さないの?」
真面目な顔で心抉るような質問を投げてきた。キョトンとした表情から悪意がないことが伺えるため余計に辛い
「別に話したくないわけじゃないぞ。普通に友達とか欲しいかと言われたら欲しいし」
「そうなの?」
「そうなの。ただ1学期とかは色々忙しくて。今更きっかけなしに『友達になろうぜ』とかはキツイから」
「確かにきっかけなしで行くのは勇気いるね。でも赤月君の場合声かけられないと思うし、しばらくはこのままになっちゃうよ?」
「前坂って、俺のこと嫌いなの?」
半分涙目で否定の言葉を求めた。
「え、なんでそうなるの?全然好きとか嫌いとかはないけど」
「まあそうだよな。ていうかなんで俺そんなに避けられてんの?そこまではっきり言えるってことは何か理由でもあるのか?」
前坂は親指と人差し指で顎を挟みしばらく考えてから、
「うーん、多分キャラが掴めないからじゃないかな」
「……どういうこと?」
予想外の回答に反応が遅れてしまった。
「えーとつまり?」
「なんていうか、赤月君ってオタクっぽくないオタクって感じなんだよ。アニメとか好きな人はうちのクラスにも何人かいるけど、どういう性格かなんとなく振る舞いでわかるから話しかけ方もなんとなくでわかるの。でも赤月君の場合話し方はちゃんとしているし運動も勉強もそこそこできるから」
「それ遠回しにオタクのことディスってね?運動神経良いオタクって結構いるよ」
「え?もしかして嫌なこと言っちゃった?」
「まあ、大丈夫だけど」
「ごめん、普段から気をつけようとはしているんだけど」
アニメや漫画の文化が浸透しているからと言って、まだまだオタクという存在は完全に認知されているわけではない。二次元の文化に触れていない人間がその界隈にいる人間を固定化されたイメージで語っても特別おかしいことはない。
自分だって気づかないうちにそういうことをしているかもしれない。
前坂の様子を見ると、どうやら本気で反省しているようだった。
「じゃあ要するにオタクっぽい振る舞いしてにから話しかけにくいと?」
「うん、あと白瀬君と仲良いから」
「あいつも原因なの?」
「白瀬君、みんなから怖がられているから」
「あ、なるほど!」
今までで一番しっくりきた。
秀樹も索とは違う意味であまり人から話しかけられていない。それは見た目や言動のキツさ、普段から無意識に放っている刺々しい雰囲気など、明確な理由がある。
そんなやつと頻繁にいる個性の掴みにくい人間も、はたから見たら確かに絡みづらいなと納得した。
じゃあ俺の青春台無しになったの全部、きーみのせいきみのせい、じゃねーか!それでいて自分は勝手に少年漫画ばりの活躍に美人の彼女がいるとかふざけてんの?と索の内心ではグツグツと怒りが込み上げていた。
「あと赤月君、ホームルームの後誰も見向きもしないですぐ帰っちゃうから」
「それは……一応用事があって」
「でも帰宅部だよね?毎日何を急いでいるの?」
「いやあ、それは……」
習い事がある、だと追及された時素人丸出しの嘘でバレる。
家庭の都合、あんまりそういう誰かのせいにする嘘はつきたくない。
塾に通っている、と言えるほど頭が良い自信ない。
ただでさえ『小説を書いている』と友達に言うことすら恥ずかしいのに、人に読ませられるほどの物を書けていない。何とか誤魔化せないかと思考を巡らすも瞬時には思いつかなかった。
ああでもないこうでもないと考えながら視線を泳がせていると一周回って前坂と目が合ってしまった。その時あることを思い出した。
「そういえば、前坂って文芸部だっけ?」
「えっ、そうだけど。言ってたかな?」
「雪宮先輩の前で」
「ああ!そうだったね」
「文芸部って何するんだ」
「本を読んでみんなで意見交換したり、たまに朗読とか校内新聞の隅っこの文章とか書いたりかな。でも今はそんなに部員もいないし活動もあまりやっていなくて」
前坂は遠慮がちに説明した。部の紹介をするのにあまり気乗りしていない様子だった。
そんなこと御構い無しに索は前半の部分に食いついた。
「どれくらい読むんだ」
「ええと、月に寄るけど30〜50冊くらいは……」
「まじか」
どこか困った顔をしてながら前坂は答えた。
索からしたら短い期間でそれだけの量の本を読む文化はない。さらにアニメやオタクに関しての知識が薄いことからして、前坂が読むのは恐らく純文学だ。
このリアクションからして、本当にそれが好きな人の反応だとわかる。
これは『恥ずかしい』とか『照れ臭い』とか言っている場合ではない。今、自分がスランプに似た状態に陥っているなら、今まで通り一人で頭を抱え込んでいるだけでは絶対抜け出せない。自分と秀樹以外の誰かから感想もらって初めて見えるものがあるはず。
目の前に唯一それなりの親睦があって文学に良識ある人物がいるなら頼んでみる価値はある。
「俺さ、小説書いているんだよね」
「……!」
索の言葉に前坂は条件反射で反応した。
先ほどまでの少し自信なさげな様子から、敵意と好奇心が入れ混じったような視線を索に向け、すぐに我に返ったのかいつもの知性的な表情に戻った。
「それでさ、お前からアドバイスというか、感想が欲しい」
前坂はしばらく俯いて考え込み、
「明日の放課後、飛鳥山で良い?」
「……え?ハイキングでも行くの?」
「違う!」
前坂は駅方面にある緑が生い茂った20メートルほどの高さの山を指差した。
「喫茶店とかマックだと、クラスメイトに会ったら勘違いされそうだし」
俯きながらギリギリ耳に届くくらいの声でそう言った。
その後索は京浜東北線、前坂は南北線と別れた。
索は電車を待っている間に今日追加した前坂のアカウントにPDFファイルを送信した。
1分後に可愛らしいネコのキャラクターに『ありがとう』と書かれたスタンプが送られて来たのを確認し、スマホを左ポケットにしまった。
数分後品川方面の電車が停車しすぐさま空いている席に座った。
席と反対方面に映る景色を眺めながらボーと考え事に耽る。
明日あの処女作の感想を聞かせてもらえる。自分が読んでも全く好きになれなかったあの一作。
初めて人に読まれることに緊張を覚えた。それは期待しているのか怖がっているのか、中々形容し難い感覚ではあるが不思議と嫌ではなかった。
もしボロクソに叩かれても、それが次の傑作を生み出すためなら喜んで受け入れよう。成長のためなら、下らないプライドなどすぐに捨ててやる。この身に起こること全て作品のために捧げてみせる。
索はスマホを取り出し、今日あった出来事をメモし始めた。
突然文化祭実行委員にさせられたり、秀樹にモロ自分の好みのタイプの彼女ができていたり、前坂と仲良くなったり。
突然索親指がスライドするのを辞めた。
そして電車が発車して流れていく景色を見つめて、
「え?あれ山だったの?」
どう見ても大きめの公園にしか見えない飛鳥山に声をあげてツッコンだ。
翌日の放課後、例によって索と前坂は二人で学校を後にした。
一緒に見られるのが恥ずかしいというが帰るところを見られるのはそうでもないらしく索には基準がよくわからなかった。
だが歩いている時の前坂の様子はずっと何か言葉を探しているようで、特に二人の間には会話はなかった。
王子駅前交番前の踏切を渡り、駅中央改札口を通り過ぎると飛鳥山公園入り口に着いた。二人でモノレールに乗って頂上まで登る。モノレールといっても実際は20メートルほどの緩やかな傾斜をゆっくり上がるスロープカーのようなものだ。
頂上に着くいてからまたしばらく歩いた。相変わらず日差しは強く蒸し暑いが緑が深く生い茂り、木陰に吹く風が心地いい。
目的地に着くとどこか見覚えのある広い公園に出た。今時珍しく複雑な形をした遊具が豊富に設置してある。
昔来た事あったかなと目を凝らすと、
「あ、フィッシャーズが鬼ごっこしてた場所か」
いつもは小学生くらいの子が遊んでいるらしいが今日はなんだか静かだった。二人は木陰にあるベンチに座った。
「ここね、順徳の生徒もたまに来る時があるんだけど、大体運動部の人たちだし、みんな今の時間部活だと思うから多分誰もこないと思う」
「そうか。それは好都合、なのか?」
「うん。だって創作の趣味ってあまり人に言えるものでもないし」
それは誰に言っているのか曖昧な口調だった。
前坂はカバンの中にあるクリアファイルから自分で印刷して来たらしい索の書いた原稿を取り出した。その表情はどこか緊張しているようだった。そしてそれは索にも伝染していた。
決して異性と二人きりでいることへの緊張などではなく、彼女の言葉に期待と恐れを抱く緊張だ。
前坂が呼吸を整え徐ろに口を開く。
「とりあえず全部読んだよ」
「どうだった?」
「……面白い、とは言えないね」
「そうか」
力の抜けた声で返事をした。
「これさ、どの位で書いたの?」
「えーと、大体一ヶ月ちょい」
「えっ」
「いや、その後ちょくちょく直し入れているからもっとかかっているけど」
「これ、何作目?」
「初めてだ。だからまあ、色々足りないところがあるのは自覚している」
「……!」
前坂は下唇を噛み締め、膝の上に乗せていた拳に力が入っていた。
「あ、ごめんな。こんなの読ませて」
もしかして何か怒らせたのではないかと、索は咄嗟に謝った。
「ううん。全然怒ってないよ。それで感想なんだけど」
いくつもの付箋が貼られている原稿用紙をパラパラめくる。
「私普段こういうの読まないから上手く言えないけど、赤月君ってあまり理詰めで書くの得意じゃないよね?」
「どうしてそう思うんだ?」
「文章からとても無理して書いている気がしたの。例えば序盤の戦うシーンだけど、主人公や敵の強さとか能力とかは理解できる。でもその事実だけ伝えられて描写が上手く伝わらないんだよ」
「どういうこと?」
「うーん。私が赤月君のことを殴るとするでしょ」
「おお、随分物騒だな」
「いいから!それで文字に起こすとき殴ったって事実だけを書くより、拳の速さや重さ、触れた時の感触や音、そして赤月君のリアクションが書かれていた方がイメージがつかみやすいでしょ」
「細かく説明しろってこと?」
「あくまで想像力の手助けだからあんまり細かくしすぎると逆に窮屈になっちゃうから」
「なるほど……?」
「ごめん、今のは私の説明が下手だったかも。例を変えると、この物語は戦場では敵に情けをかけちゃいけないってそのまま書いてあるよね」
「そうだな」
「それをそのまま説明するよりも、主人公が必死に命乞いをする兵士を顔色一つ変えず倒していく方がより伝わると思うの」
「……あ!そういうことか」
まるでパズルのピースがハマったような感覚だった。
「人って説明された情報よりもその人の『印象』として残った情報の方がよく伝わるの。この人は短気な人ですっていうより実際に怒りやすいってところを見た方がわかりやすいようにね。だから読者にも説明じゃなくて『印象』として伝わるように情報を与えてあげるといいのかも。特に赤月君、自分が想像しているものを無理やり型に嵌めようとしている傾向があるから」
そこから前坂は一つ一つ丁寧に教えてくれた。どのシーンをどう描写すればよりかっこよく、面白く、読者に読みやすいのか、彼女なりの意見を教えてくれた。そこには自分が絶対正しいという傲慢さは一切なく、だがその様子はどこか自分自身を苦しめているようにも感じた。
なんとなくだが索は前坂の様子に違和感を覚えたが気のせいかと思い、アドバイスを一つ残らずスマホにメモしていた。
「理屈としてはなんとなく掴めてきたよ」
「理屈……うん、これを無自覚にできるように慣れていけば表現の幅は広がると思う」
「うう、慣れるまで時間かかりそうだな」
「これは書くためのコツみたいなものだけど、でも一番大事なのは自分の書きたいものを縛り付けないことだよ」
「それって直感で書けってことか?」
「意味としては間違っていない。書き手の場合、直感っていうのは『その物語におけるキャラクターの心情や行動のパターンの可能性を知覚する範囲を拡大する能力』だよ」
「えっと、なんて?」
「このキャラクターが次にどう感じどう行動するのか、それを瞬時にいくつもの選択肢をあげられるってこと。赤月君さ、小説書いている時勢いに乗っていることなかった?」
「あった。シャワーシーンとか特に」
「……もう!」
前坂は少しだけ耳を赤くして話を続けた。
「とにかく、そういう乗っている状態って理屈をごねるよりも先にまるでキャラクターが意思を持ったように想像力が働いているの。そういう熱のある状態って読み手側にも
伝わってくるものがあるの」
「俺のもそうだったりしたのか」
「……うんとても伝わった。赤月君が本気でやっているんだってことが」
澄み切った目で真っ直ぐ索のことを見つめながら前坂はそう言った。
不覚にも索はその姿にドキッとした。
「だからこそまだ足りない。もっと考えてもっとキャラクターの可能性を模索しないとだめ」
何かを堪えるような表情だった。
「でもそれだとさっきと同じじゃないか?」
「確かに理屈だけだと物語が面白くなるのは難しい。だって人が感動するのって人の感情に訴えてくる描写で、感情って理屈を超えた先にある一番人間臭いところだもん」
「そうだよな」
「だからこそなんだよ。いい?理屈で感情を支配する必要はないよ。理屈で感情を自由にしてあげるの。可能性を広げてあげればキャラクターはもっと自由になる」
まるで何かに祈るような声だった。
「アイディアっていうのは必ず何かに結びついて訪れるものなんだよ。神様は絶対に気まぐれでアイディアを与えてくれない。その発想にたどり着くまで考え続けるしかないんだよ」
勇気が込められた力強い言葉だった。彼女の説明はとてもわかりやすく丁寧で書き手側の視線も心情もよくわかっていた。
どんなアイディアも考え続けることでしか生まれない
それは考え続ければいつか……そんな意味に聞こえた。
なんとなくだが、わかってしまった。だから彼女の誠意に応えられるように意地悪で真摯に向き合うための質問をした。
「俺さ、プロになりたいって本気で思っている」
「そんな気がした」
「前坂ってさ、書くことに才能ってあると思う?」
才能を嫌う天才の側にいた彼にしか言えない問いだった。
「そんなのはないよ」
聞き飽きたとでも言いたげな声で断言した。
索にはそれが嘘だとすぐにわかった。そして確信した。
彼女もこちら側の人間(一人の書き手)であり、そして俺と同じ人種(持たざる側の人間)であることを。
「俺もそう思う」
だから、本心で前坂に賛同した。この世に生まれながらの才能などないと、全ては努力で道は切り開けると。昔放送していたいくつものアニメで教わりそれを心のそこから信じている。
前坂は嬉しそうな悔しそうな複雑な表情をしていた。
「頼む、力を貸してくれ」
自然と右手を前に差し出していた。
前坂はその手に一瞬戸惑うも自分の右手を差し出した。そして一度息を整えて
「私でよければ」
どこか覚悟の込もった声だった。
1日ぶりに果たした初めての握手。
俺たちは親友になれたような気がした。
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