第1章 崇高な目標のための不純すぎる動機を掲げて

「……きて……、起き……さい」

 うう、ここは一体どこだ。頭が痛い。

 「起きてください。勇者様」

 え?勇者?誰のことだ。体を揺するのはやめてくれ。脳に響くし、全身が筋肉痛のように筋張って思うように動けない。

 どうにか体を仰向けにお越し目を開けると水色の美しい髪に抜群のプロポーションを持つ、原材料不明の伸縮自在な羽衣を身に纏った、女神と思わしき人物がいた。

 「ようやく目が覚めましたね。勇者様」

 「勇者?俺が?君は一体」

 「私は女神の……ごめんね。真名は明かせないの。仮に存在Xとでも呼んでくれていいわ。あなたは会社のデスマーチ中にフルダイブ型のバーチャルゲームにダイブしてデスゲームに巻き込まれたのだけど、そのゲームがすぐさまオーバーロードしてNPCと共にこの空間に転移しちゃったの」

 「えーとつまり、俺は死んだっていうことか」

 「そう、でも安心して。あなたを生き返らせてあげるわ。異世界へ」

 「い、異世界?」

 「そう、残念ながら現実の世界に返すことはできないのだけど、全てがゲームで決まる異世界で生き返らせて、いいえ生まれ変わらせてあげるわ。その代わりに、その世界で進行する魔王軍を倒してきてもらいたいの」

 「そんな、俺なんかに魔王なんか倒せるわけ、」

 「大丈夫よ、あなたには特別な能力『死に戻り』の力と勇者の武器『成り上がりの盾』を装備させて最強のスライムにしてあげるわ。ついでに回避とか防御力にステータス全振りしてあとは平均値にしておくから。ガイドも私に任せて。異世界でもなぜか通じるスマートフォンで指示するわ。向こうに着いたらSOS団っていう人たちを探して。きっと力になってくれるわ」

 わ……訳がわからないよ。一体何が起きているんだ。いつの間にか死んでいて、よくわからない間に転生とか勇者とか。

 体が震えている。俺は怖がっているのか。事態を把握しきれず混乱している俺の手を存在Xは優しく握った。

 「大丈夫よ。だってあなたは元超人高校生だもの。ずっとぼっちで根暗で前髪伸ばしてロリコンで妹バカのライトノベル作家でいつまでも思春期症候群に陥ってもそこは変わらないわ。最初は怖いかもしれないけれど慎重に行動すれば必ず俺TUEEEEEEEEできるから」

 存在Xの言葉に強張った体が溶けていくように和らいだ。

 もう何も怖くない。

 やれやれ仕方がない、本気を出すとするか。

 「さあいくのよ勇者ナロー。全ては世界のハーレムと平和なスローライフのために。奴らの幻想をぶち壊すのよ」

 「はい!」

 「合図の言葉は……もう言わなくてもわかるね」

 すぅっと息を吸い、僕はあの言葉を呟いた。

 「『リセット』」

 この物語は3日前へと遡っ……


 「させるかこのクソ原稿がああああああああ!」


 「え?どうしたいきなり」

 物凄い声量で教室に響き渡る怒号と、原稿を机の上に叩きつける音に索は体をビクッと跳ねさせた。

 「どうしたものこうしたも、なんだこのゴミは!」

 「おいおい、人様が書いた傑作をゴミ扱いするなよ」

 「これがゴミじゃないならなんだ、放射能汚染物質かスペースデブリか?あ?」

 こめかみの血管を痙攣させながら怒り交じりの質問を投げかける。

 「俺の作品を酷評するついでに社会問題を突きつけないでくれ」

 秀樹(しゅうき)はため息をつきながら怪訝そうに索を睨みつける。

 「はぁ、とりあえずこの『堕天使契約の代償者』(イービルプライサー)の感想だけど」

 「おう」

 索は息を飲んで秀樹の言葉を待つ。

 「読者が序盤の状況把握についていけない、そのくせ展開が早い、登場人物の話し方や内面、人称に統一感がなくて混乱する、説明ゼリフが多い、キャラクターの設定を作者が与えすぎ、なのに肝心な情報を伏せすぎ、妙に伏線っぽいセリフ置いてなんの脈絡もなく主人公に納得させるな、それから……」

 簡潔かつ容赦のない批評が言葉のナイフとなって索を襲いかかる。索はグリグリと傷口を抉られるような感触を錯覚し、「ふぐう」という悲鳴にもならない気持ち悪い声を上げた。

 そんな様子を見向きもせず秀樹の批評は続く。

 「冒頭で出てくる女神もタイトルで『堕天使』ってネタバレしてね?女神は天使じゃないしなんなら堕天使をEVILってルビ振るのはちょっと無理あるだろ。そこらへん踏まえてさ、中途半端に完成していないシナリオ、一度も見直していない原稿を提出してくるな。思春期男子がノリと勢いと深夜テンションで書いた作品とも呼べない紛い物を読んで誰が楽しいんだよ。お陰様でこっちはあちこちむず痒いんだよ。」

 トドメの一撃を食らったように膝を地につけ、両手で顔を覆い悶えている索の姿を見て秀樹は少しだけすっきりした顔をした。

 赤月索(あかつきさく)、この春ピカピカの高校一年生をとなった、ただのオタク少年だ。

 身長は160センチあるかないかくらいの小柄な体型。顔立ちは体格にそぐわない大人だちした雰囲気を纏い、不細工ではないがどうにもアンバランスな容姿をしている。一言で表すなら『見た目に統一感のないチビ』

 そして彼の処女作の小説(3ページにも満たないが)を提出し、批評をもらっている相手が白瀬秀樹(しらせしゅうき)。

 無愛想で目つきが悪いが不思議とイケメンの部類に属するくらいには顔のパーツは整っている。スクエア型のメガネをかけ、賢そうな印象を受ける。体型は一八〇センチほどあり細身ですらっとしている。一言で表すなら『性格が悪そうなイケメン』

 二人は今、放課後の教室で作家と編集者の打ち合わせ紛いなことをしているのだが前文にある通りあまりかんばしくない様子だ。

 索は「やめてつかさい、やめてつかさい……」と芝居がかった情けない声を上げたまま顔を両手で覆いピクピク震えている。

 「まあ、こんなのは大して問題じゃない」

 「ええ、この期に及んでまだ酷い点があるんですか!」

 ワザとらしく上擦った声ですっとぼける索に秀樹はコメカミの血管が浮かび上がるも一度冷静に息を吸い直し、そして……


 「なんだこのパクリモンスターはあああああ!」

 

 ここまで読んでくれた読者、書いた作者本人すら自覚のある感想を咆哮のように索に浴びせた。

 「すみません。ほんとすみません。いろんな方面に向けてほんとすみません」

 「すみませんで済んだらJ●SRA●はいらねーんだよ。一体何十人の作家を侮辱して何十作もの作品を貶めたんだ。ほんとよくもまあこんなもの堂々と見せられたものだなあ。あいつらのせいでどれだけの劇団が罰金によって解散まで追い込まれたと思ってんだクソがあ!」

 「違うんです違うんです。作者は至って真面目です。なんかこう色んな異世界転生ものを取り入れてリスペクトに溢れた新しい作品を作りたかっただけで……っておい待て、J●SRA●に関しては完全に私怨じゃね?」

 まるで本能的に身を守るように索は土下座をして弁明するが秀樹には全く届かず、索の胸倉を掴み、鬼の形相で怒鳴りつけた。

 「パロディをリスペクトって呼んでいいのは⚫魂からき●すただけだボケェ!」

 「お前自分のことオタクじゃないって言い張りながら●☆すた見てたのかよ」

 「面白い作品を面白いって言って何が悪い。そうやって境界線が曖昧な癖に変にプライド高い上に群れに拘るのはお前らオタクの汚点だぞ」

 細く鋭い目をクワッと開き罵倒する。

 索は小さい声で「すみません」と言い身を竦めた。

 「百歩譲って青髪の女神とかデスマーチで死んだとかはまだいいよ。整理すればギリ押し通せるから。でもなんだ、この後半にかけての雑な情報の盛り方は?」

 「いや、なんか楽しくなってきちゃって」

 「だろうな、もう色々テキトーになってきてるもんなあ。むしろ趣旨が『どれだけパクれるか』になってるよなあ。なんだ?死に戻れて盾持った元超人高校生のスライムって。そんでその後からはもう異世界転生ものでもなくなってるし、その先はもうよく見るジャンルをあげてるだけじゃねーか」

 「ネタつきちゃって、特徴上げとけば勝手に面白がってくれるかなって……てへぺろ、ってイッダ!」

 目を逸らしながら開きなおって言い訳する索を秀樹は原稿用紙の束で……やると枚数が少なく薄すぎるのでキャンパスノートの角でぶっ叩き始めた。

 「やめてやめて、そのコンパスの針の次くらいに殺傷力ある箇所で殴らないで……ぎゃああああ!」

 「………」

 「無言で人の頭を殴打しないで。もっと慈悲深くなって。ほら初めてのことって大抵みんなやらかすんだから。初めての料理で手を切ったり、舞台の本番でセリフ飛んだり、行為中に思っても見ないタイミングで見切り発射したりさ。ね?」

 「最後のはよく知らんが、まあ世に出ていないものだし、俺がこれ以上咎める必要はないな」

 呆れた様子で秀樹は凶器(キャンパスノート)を手放し再び自分の席に座った。

 説明し忘れていたが二人は中学のころからの同級生で同じ演劇部だった。

 索は役者で秀樹は脚本担当。索はほとんど数合わせのようなもので幽霊部員であったが秀樹に関しては脚本を書いている歴はそれなりに長い。

 部活自体は連盟に登録していなかったため大会に出たこともなく、部員も4人しかいないため弱小という言葉がよく似合うものだった。

 だが秀樹は……彼自身はこの言葉を嫌うが、俗に言う『天才』である。発想力、表現力、何重にまで緻密に練られたテーマや構成、何より読んだ人を引き込む優れた世界観を持っている。

未だ公の場で作品を出してはいないが、彼の脚本が舞台へ上がれば必ず高校演劇界隈がどよめき立つ、と索は確信している。

 まさしく漫画の主人公か孤高のイケメンライバルキャラ並のハイスペックぶりであり、

彼を中心とした物語であれば面白い具合に展開したであろう。

 舞台の脚本とライトノベルでは畑が違うとはいえ物語を作るという能力に関しては圧倒的なものだ。そのため彼に添削を頼んだのだ。

 普段から外見と性格のキツさで秀樹を敬遠する存在は多い。そのため中学の頃から彼が本気で感情を剝きだすことなどほとんどなかった。この大バカ(索)を除いて。

 本人は全く自覚がないのか、いつもふざけてドヤされてはすぐに開き直って屁理屈を捏ねる。

 今回も秀樹にしばかれているが索は全く懲りていない様子で、

 「でも一周回って面白くなってない?そりゃあ迷走しているかもしれないけど、」

 「面白くない、いたって不快。ユーチューブの漫画広告くらい不快だ」

 キッと鋭い目つきで睨みながら切り捨てた。

 「それって最上位じゃないっすか!」

 「いいか、パロディっていうのはな一流かそれ以上の経験と知識があって初めて面白くなるんだよ。頭良い人が真面目にふざけるのが面白いのであって馬鹿が馬鹿やってもただの馬鹿なんだよヴァーカ!そんなこともわからずテキトーに名作の上部だけ救って独りよがりの笑いをドヤ顔で披露するやつなんかパロディを語る資格もポプ●●ピックをクソアニメと讃えることすら烏滸がましいんだよ。」

 「もうやめて、それ以上言われたら俺死んじゃう。オタクとしても人としての尊厳もなくなっちゃう」

 「そもそもお前がライトノベル書いたから感想くれって言ったんだろ」

 「だからって言っていいことと悪いことありませんかね」

 「容赦しなくていいって言われたし」

 「そうだね、全部俺が悪いね」

 「全くだ」

 半ば泣き声まじりに訴える索の姿を見て、秀樹は一度冷静になり、髪をかき上げながらため息混じりに索に尋ねた。

「ていうか、なんでいきなりライトノベル書こうと思ったんだ?」

 「えーと……言わなきゃダメ?」

 索は少しだけ顔を赤くしてバツが悪そうに目を逸らした。

 「ダメっていう訳じゃないが……え、なにその反応」

 「全然まともな理由じゃないしむしろ酷すぎるというか……なんか恥ずかしいし」

 もじもじしながら回答をためらいつつも秀樹の反応を伺う索。その動きは可愛い子がやれば小動物のようで愛くるしく見えるだろうが索がやってもただただ気持ち悪い動きにしか見えず、秀樹は心底嫌そうに表情を歪めた。

 「うわーすっごいわかりやすい顔。いつも以上にゴミを見るような目だな」

 「さっさと言え。どうせ聞いて欲しいんだろ、早くしろ」

 「わかったよ、でもお前からしたら本当に下らないし馬鹿馬鹿しいぞ」

 「いつもだろ」

 「そういうのじゃなくて……呆れるなよ」

 「呆れも笑いも怒ったりもしねーよ」

 索は恥ずかしそうにまとまらない言葉を拙くも募った。

 「この前さ、初めてライブというものに行ったんだよ。それがスッゲー楽しくて。でも俺がずっと恐れていたことが起きちゃってさ。推しの声優は、遠くてはっきり見えないけど確かにそこにはいて、そんでなんかめちゃくちゃ苦しくなったんだよ。好きなことでもさ知りすぎちゃうと、ほんとに遠い存在なんだなって辛くなるし純粋にアニメだけ楽しんでたあの頃には戻れなくなるというか……」

 「つまりあれか?よく聞く『ガチ恋』ってやつ?」

 「……はい」

 「で、結婚したいからアニメ化作家になりたいと、へー」

 「そんな簡単な言葉で全部まとめるなよ!」

 「発想が単調なクセに一々話が長いんだよ。簡潔に言え。作家になりたいんだろ」

 「それを言われたら何も言い返せない」

 ぐぬぬ、と歯痒い気持ちをぐっと抑え、それでも言い訳がましく他に言葉を並べるもの惨めったらしいからと納得し言葉を飲み込んだ。

 だが一箇所だけ気に食わなかったようで

 「あ、でも結婚するためにアニメ化作家はちょっと違う」

 「と言うと?」

 「確かに俺は推しと結婚したい。ワンちゃん狙いとかそう言うのじゃなく本気で。でも恋愛って相手の気持ちもある訳だからそれを目標に掲げるのはなんか違う。あくまで作家になるのは……憧れに追いつくため。俺が一方的に想っているとか、ファンとしてとかじゃなくちゃんと推しに、対等な立場で出会うため。それで、この恋をちゃんと始めるためだ」

 その瞳の奥に熱意を宿し、発した言葉一つ一つに確かな覚悟が纏っていた。秀樹は彼の決意に質量めいた何かを感じ、一瞬だけその微細な迫力に気圧された。

 だが、

 「うっわ……ほんとに気持ち悪い。リアルにそんな台詞吐くやつ初めて見た」

 冷静になってその言葉のチョイスのクサさに心身共に拒絶反応を起こしたのか、全身途轍もない鳥肌になっていた。

 「えっ……」

 索も冷静になったのか今にも布団にくるまって「うわああああああ」って叫びたい衝動に駆られていた。

 「うん、まあはい。いいと思います」

 疲れたのか濁りきった目で秀樹は冷ややかな視線を送った。 

 「まあいいや。とりあえずこれはボツ。今すぐにでもシュレッダーにかけてやり直せ」

 「はぁい」

 「とりあえずまずはプロットを書いた方がいい」

 「プロット?」

 「プロットっていうのは物語の設計図見たいなもので、特に書き方は決まっていないが話の流れや登場人物について簡単にまとめたものだ」

 「ああ、お前も脚本書く前にそんな感じのやつ部員に見せていたな」

 「そうそれ」

 「あと次提出する時はワープロで書いたもので頼む。字の汚さがひでえ」

 「えー、でも俺パソコン持ってないしタイピングも苦手なんだけど」

 「本気でライトノベル書きたいんだったら買っておいた方がいい。時間も手間も段違いだ。タイピングも覚えておいた方が将来的に役立つ」

 「でも筆に拘る作家もいるでしょ?」

 「いるにはいるがほとんど絶滅危惧種だ。俺もアイディア出し以外は全部ワープロだ」

 「うーん、わかった。とりあえずヨドバシ行って見てくるよ」

 そう言うと、索は帰りの支度を済ませ、処女作の原稿用紙は思いっきり破き丸めてゴミ箱にダイレクトに投げ込んだ。

 そして教室の扉をスライドさせ、「じゃあな」と軽く交わすと夕日の差す方へと消えていった。

 秀樹は索の後ろ姿を眺めながらあることを思い出していた。

 彼と知り合って約3年、その間にさっきと同じように覚悟を持って発言したシーンが2回ほどあった。セリフのチョイスは回数を重ねてひどくなってはいるが、言っていることはいつも真っ当だった。

 宣言通り挑戦はするもいつも散々な目に遭って、普通なら飽きるか不貞腐れるかの二択で終わるもの、彼は一度だって諦めることはなかった。過程も散々でその結果もみっともない、だが必ず成し遂げるまで挑み続ける。

 その執念が秀樹にとっては恐ろしくもあり、絶対的な才を持つ彼が唯一対等だと認める理由だ。 

 もしかしたら今回も……、と考えに耽るが、そういえば部活の時間もうとっくに過ぎていたな、と割と焦らなきゃまずいことを平然と思い出した。

 「ま、いっか。どうせ体験入部期間だし」 

 全てがどうでもよくなり、秀樹は帰り支度を始めた。

 「さて、今月はどこの劇団観に行こうかな」

 そしてもうすでに彼の頭の中は部活や索のことなどなく、観劇の話題にすり替わっていた。


                 *


 というわけで索はオタクの聖地もとい電化製品の宝庫、秋葉原駅に降りた。

 彼の通う高校、東京順徳高校から京浜東北線では8駅。通学定期券内に聖地があるため気軽に足を運べるという、オタクにとっては有難い境遇である。

 かと言って索自身も頻繁に訪れるというわけではない。高校生の限りある資金で買えるお目当てのものがない限り来ることはない。

 今回は特にアニメ関係のものを買いに来たわけではなく、パソコンを買いに来たはずなのだが、三ヶ月ぶりの到来に索も少し興奮をしている。

 「アーキハーバラー」

 秋葉原電気街口前で両手を高々と掲げ棒読みで口にする。

 なぜかはわからないがここに来ると彼はいつもルーティーンのようにやっている。

 「よし、行くか。まずは……メイトでウィンドショッピングだな!ふははははは!」

 もう一度言おう、彼はパソコンを買いに来たのだ。

 だが、頭の中はもう完全にスイッチされて、ヨドバシカメラを通り越し、アニメイト秋葉原店へと軽い足取りで向かっていった。

 赤月索と言う人間はツッコミ役(秀樹)がいなければ大体こんな感じなのである。


                 *


 ウィンドショッピングの様子は、オタク……というより欲しいおもちゃを眺めている子供のそれと同じなため割愛させてもらう。

 駅を降りてから一時間と少ししてからようやくヨドバシカメラについた。

 「じゅう……よんまん……?」

 目の前にあるノートパソコンの列と、その値札に記載されている0の数に索は驚愕していた。

 「ジャンプコミックス280冊買えんのかよ。ワンピース今から全巻制覇も夢じゃねーな」

 よくわからないカタカナやアルファベットの羅列で書かれた製品名、機種やスペックなども一応日本語で説明されてはいるが全く頭に入ってこない。

 どの製品も大体十数万は超えており、値段相応の価値があるのかもしれないが、索自身のパソコンのイメージが『適当に文字をカタカタするもの』と漠然としたままだったため、理解が追いつかないまま頭がショートしていた。

 世間的には『オタク=機械に強い』みたいなイメージがまだ残っていると思われるが、スマートフォンのある程度の機能で満足して、その他の機械系に全く触れたことがないケースというのは珍しくはないのだ。

 ショーケースに中腰で張り付き、気の抜けたような声でブツブツと「え、こんなにするの?これが社会では必需品とか世界おかしいんじゃねーの?」と、まるで何かを呪うような目で唱えながら愕然としていると、

 「お客様、どこかお加減でも悪いんですか?」

 何やら不安そうな顔をした女性店員が声をかけてきた。

 索は咄嗟に立ち上がり条件反射で「あ、すみません」と謝った。

 普段から女性と話すのに慣れていないというのもあるが、さっきまでの自分の姿が側から見たら完全に不審者であったという自覚もあるため、訳も分からず店員から距離をとりながら右足を上げ、右手を頭の上に、左手を胸前に運び手のひらを見せる、奇妙なポーズをとってしまった。

 わかりやすく言うなら『おそ●さん』でよく見られる「シェー!」のポーズに似たものだ。

 「いや、あの、はいなんでもありません」

 自分が心配されていることに気づき、慌てて元の体勢に戻りなんともないことを伝えた。

 「いえ大丈夫なら良いのですが……お客様何かお探しですか?」

 店員さんは半ば困惑しながら索に尋ねた。

 「えーと、ノートパソコンを買おうと思ったんですけど……」

 「そうですか。何かご希望のメーカーや機種はございますか?」

 「いえ、特に。というよりパソコンで何ができるのかもよく分からなくて」

 「何に使われるのですか?」

 「えーと、その……」

 小説を書きたい、などと思春期丸出しの少年がはっきりと他人に言える訳もなく、だが誤魔化そうにもすぐには理由が浮かばず、索は目を逸らしながら小さい声で

 「その、小説とか……書いてみたいなと……」

 「そうですか、良いですね」

 恥ずかしくて今にも逃げ出しそうな索を見て気を利かせて、店員さんは明るい声色で話し始めた。

 「私にも高校生の弟がいるんですけど、その子も最近劇の台本とか書くようになったみたいで、私がこの前プレゼントしてあげたんですよ。中古のですけど」

 「そ、そうですか」

 サービス精神全開の笑顔で話す姿にたじろいだ。

 先ほどまで目を合わせていなかったから気付かなかったが艶やかな栗色の髪にあう、知的かつ和やかな印象を受ける、まごう事なき美人だった。

 「でも用途が執筆だけですとそこまで機能は入りませんね」

 「はい、そうですね」

 「予算はどれくらいあるのですか?」

 「あんまりなくて、その今日は手持ち5千円とちょっと……です」

 桁違いの金額を先ほどから目の当たりにしていたため、何も知らずにきたのが恥ずかしくなる。

 「あーなるほど。確かにそれだと厳しいですね」

 「なんかすみません」

 「いえ、高校生だとそのくらいが普通ですよね。ではこちらの商品はどうですか」

 そう言うと店員さんはカタログを取り出して、パラパラとめくって索に見せた。

 「キーボード?」

 「はい。最近、と言うわけではありませんが今はスマホやタブレットに繋げられるのがあるんですよ。超小型のものや折りたたみ式のものもあって、お財布にも優しいですよ」 

 「す、すげえ。でもスマホで書けるんですか」

 「アプリでもマイクロソフトのワードはありますので、多少機能は少ないですが小説を書くだけならそこまでの不自由はないと思います」

 「そうなんですか」

 索はカタログを受け取り、ワイヤレスキーボードのページを見渡した。

 確かにこの値段なら今すぐ買えるし、小説を書くだけならわざわざ使いこなせないノートパソコンを買う必要もない。

 それに持ち運びもしやすいし、なんか近未来的でかっこいい。

 以下の理由から索は買うものを即座にパソコンからキーボードへシフトした。

 細かい機能については分からないため、全体的に安すぎない値段でデザインが良さそうなものという基準で『3E–BKY8–BK』を選んだ。

 名前はなんと読み上げるのか分からなかったため、直接指をさして「これをください」と頼むと

 「かしこまりました」

 すぐ会計に移った。

 そこから特筆すべきことは特になかったが、丁寧な接客に対して好感を持ったため名前は覚えておこうと、会計の間に胸元にあるネームプレートを確認した。

 胸がそこそこ大きかったとかそんなやましい理由ではない……多分。

 『日寄(ひよせ)』さんか。

 演劇やっている弟がいると言っていたのでもしかしたら秀樹の姉だったり……とか考えていたがそんな御都合主義はなかった。そもそも秀樹に姉弟がいるとは聞いていなかったが。

 「ありがとうございました」

 品物を受け取り、小さく会釈をしてレジを後にする。

 緊張したー、いい店員さんだったなー、などと先ほどまで固まって、まるで働かなかった頭が急に回り始めた。

 しかし美人だったな。推しと結婚すると決めていなかったら確実に好きになっていた。そして高校生のはした金を使いもしないケーブルとかにつぎ込んで通い始めたりとストーカー紛いなことしていたかもしれない。

 だが、そもそも推しがいなければ小説を書こうとも思わなかったわけで……と下らないことに思考を巡らせていると、

 「小説、頑張ってくださいね」

 その瞬間、索は顔を今までにないほど赤くした。それは嬉しさなのか羞恥心なのか、それとも両方か、不思議と嫌な気持ちがしていないのは確かだった。

 「はい、頑張ります。ありがとうございます」

 ぎこちない発音でお礼の言葉を返すと早足で出口まで向かった。

 「全く、あの人の弟って一体どんな人だ。実に羨ましけしからん」

 アニメの姉キャラや妹キャラばかりの偏った知識を持った索は未だに顔を赤くしたまま嫉妬の言葉を漏らし、駅のホームへ向かった。

 電車を待ちながら索はスマホでアップルストアを開き『Microsoft Word』をダウンロードした。

 電車が来る頃にはインストールは完了し、車内の席に座って細かい設定や、キーボードの接続を終わらせると、早速プロットの執筆に取り掛かった。

 書く内容や世界観などはすぐには思いつかなかったが、

 「うわあ、俺って気持ち悪……」

 ヒロインの容姿や設定だけは自分でも引くくらい細やか且つスピーディに書き上がっていた。

 これに対しては思わず、単純すぎる自分に引きつった笑顔を浮かべる索であった。


                *


 「というわけで書いてきました」

 「……はや」

 翌日の放課後、索は一気に書き上げたプロットをホームルームの直後に提出した。

 すると秀樹は何やら苦虫を潰したような顔をしていた。

 「何?その顔。早いのっていいことじゃねーの?」

 「あれを読んだ次の日だからな。もう少し休憩したかった」

 「一晩寝ましたよね?」

 もちろん、またあのうんこラノベを読まされるのか、という憂鬱さもあるのだが彼の不機嫌さの根本的な理由は違う。

 「まあ、いいや。とりあえず読んでみるけど」

 「はい、おなしゃす!」

 そういって索はクリアファイルに入った10枚ほどのB5サイズの原稿を取り出した。

 「ほんとフラッシュアイディアというか思いつきというか、あんまり練れてないから怒らないでね」

 「そこは保証しかねる」

 「ですよねー。とりあえず3つくらいに絞りました」

 「3つ?」

 「どうした?」

 「いや、なんでもない」

 秀樹は渡された横書きのプロットを目に通した。

 

 一作目

 タイトルは「血界聖戦(仮)」

 時は未来

 人々が原因不明の突然変異により特殊能力を手に入れた。

 能力の発現により「鬼」と呼ばれる無法者がのさばる中、それに対抗する能力者『英雄』が現れた。

 少年は「英雄」になるため、血液を爆発させる能力と特殊な呼吸を使い、英雄学院で奮闘する物語。

 


 二作目

 タイトルは「虚構捜査(仮)」

 主人公は超不幸体質の霊能力者にして妖怪と人間のクオーター。

 『境界を操るくらいの能力』の使い手である。

 人間の里に現れる妖怪を退治しては仲間にして百鬼夜行を築こうとしていた。

 ある日記憶喪失の幽霊と出会い、彼女の死因を探すため幻想の里へ向かう。

 だがそこにいる妖怪たちは皆厄介な能力を持っているため、主人公は力ずくで情報を集め始める。

 


 三作目

 タイトルは「ジュリエットは恋をさせたい(仮)」

 あらゆる分野で超高校級の天才たちが集まる寄宿学校『凡矢利高校』

 主人公は超高校級のイラストレーター、二次元にしか興味がない美術部部長。

 才色兼備のご令嬢、超高校級のギャルゲーマーであるジュリエットは彼に恋をするも互いの出身国は敵対しているため、彼女はギャルゲーの知識のみで自分に恋をさせようとする。

 そんな中、特別ビップ推薦で編入してきた転入生には「10年前の約束を果たしにきた」とジュリエットの前に現れて……



 「えーと、そのー、どうでした?」

 一通り読み終え、一息ついた秀樹に索はまじまじと見つめながら尋ねた。

 「あー、まあザッと見た感じどれも面白そうではあった。ザッと見た感じ」

 「え?まじ?」

 「あーまじまじ」

 秀樹は眉間をつまみながら無機質な声で返事をした。

 索は案外こういう感じでいけるものなのかと安堵の息を漏らした。だが、

 「ほんと、隠し方は昨日より段違いで上手くなった、いや前回が露骨すぎただけだが」

 「え?」

 秀樹の凍りつくような一言に索は冷や汗をダバダバと流した。

 秀樹は鋭い眼光で索を睨みつけ、口角をほんの少しだけあげて不気味に鼻で笑うと、息を吸い込み、そして……


「てめえ、パクるんなららせめてラノベだけにしとけや、クソボケえええええええええええ!」


 一日ぶりに秀樹の怒鳴り声が教室の中、というより比喩表現なしに校舎内全域に響き渡る。

 演劇部出身であるため一応発声の基礎は身につけているとはいえ、役者顔負けの声量はさすがとしか言いようがない。

 これによりまだ2階に残っていた一年生は慌てふためき、後日一体どこの運動部がやらかして叱られていたのかと話題になるが、それは全く別の話。

 「あーやっぱりバレましたか」

 「バレましたか、じゃねーよ。前回はまだ上手くやればネタとしてギリッギリ通用するかもしれない希望はあったけど、今回は完全アウト。全部アウト。信者に殺される」

 「え、そんなに?お前だって面白しろそうって」

 「ぱっと見だよ。こんなわかりやすいのすぐバレるわ」

 「え、でも……」

 「おい索、死にたいならそう言え」

 秀樹は索の胸ぐらを掴み、ヘッドバットを食らわせるくらいの勢いで引っ張ると超至近距離で警告した。

 「はい、ずびまぜん、ゆるじでぐだばい」

 索は何一つ隠すことのない暴力的な殺意を前に、喉を締め上げられながら必死に謝った。

 秀樹が手を離すと索はどさっと膝を勢いよく床に落とし、鈍い音が鳴ったと思ったら索は膝を抑えて悶絶していた。

 それでも秀樹の説教は続く。

 「はぁ……なんでこうもお前は人気作をパクるんだ。三作目とかもう隠す気なくなってるじゃねーか。気づいてくれないかな、みたいなイメチェン直後の彼女みたいなオーラ出てんだよ」

 「えっと、なんか楽しくなってきちゃって……いっだ!」

 秀樹は原稿用紙をクリアファイルに閉じ、細く丸め、その円形の端の部分が刺さるように、悶絶している索の頭めがけて振り下ろした。

 「痛い、痛いっす。昨日の数倍地味なんだけどベクトルが違うというか、後から疼きそうな痛さなんですけど。待って待って!俺今何でぶっ叩かれてんの?あとお前のせいで膝が一大事なんですけ……ぎゃああああああ」

 無意味な抵抗をする索を無視して、秀樹は左手を後端に添え、まるで勇者が魔王にとどめの一撃を喰らわせるが如く聖剣(クリアファイル)をぶっ刺した。

 「いってええ、めちゃくちゃ地味にいてえええ!」

 膝か後頭部か、どちらを抑えれば良いのかもわからず、とりあえず叫んで転がっている索を目の前にして、それでもなお秀樹の説教は続く。

 「一回さ、自分のやっていること見直せよ」

 「この状況を見てよく言えるなお前。暴力的かつ残虐な己のカルマを見直せ外道め」

 半泣きで一切迷いのない苦情を入れるが

 「あ?なんか言った?」

 「すみません、何も言ってないです。害虫か何かの戯言ではないでしょうか、あははははははははは」

 手足を組みながら座って索を見下す秀樹、その姿は傲慢という言葉を具現化させた魔王のようで、何も言い返せないほどの圧力を身に纏っていた。

 反射的に自虐ネタを挟みつつ、本日二度目の謝罪をしたが内心「いつか絶対ぶん殴る」と呟いていた。

 「それから一作目と二作目もだが……お前●滅と東●はほんとにヤバイ。絶対に手を出したらダメだ」

 「なんで鬼●と●方がダメな……あ、なんとなくわかった」

 先ほどまで激情していた態度とは打って変わって、冷たい声音で本気で忠告する。

 その様子に索もなんとなく伝えたいことを察した。

 「まあ、パクるの自体は決して悪いことじゃないんだけどな」

 「そうなの?」

 「ああ、完璧なオリジナルっていうのは現代じゃあほぼ作り出せない。一説によれば既に江戸時代で出し尽くされている」

 「ほー。じゃあ、」

 「だがお前はアイディアの根幹の部分をお前は委ね過ぎだ。『書きたいもの』じゃなくて『なんか売れそうなもの』を作ろうって考えが見え見えなんだよ」

 「うっ、バレたか」

 「面白い展開や設定はパターン化されているが、それでも新しい作品が世に出ているのは作家一人一人の感性を『オリジナル』の域まで昇華させているからだ」 

 「おお……なるほど?」

 困惑しながら席に座りなおした索に秀機は簡潔に砕いて説明した。

 「要は、自分の『好き』と『書きたい』を分けろ。お前はどんな作品を作りたい。どんな作品を読者に好きになってもらいたい。どんな作品をお前の大好きな声優に演じてもらいたい」

 「推しに……!」

 「そのために書くんじゃないのか?」

 「そうだな。それだと……やっぱエロいキャラか!」

 「欲望に忠実だな。いまいちお前の羞恥心の沸点が理解できん」

 「ラノベってRいくつまでオッケーだっけ」

 「知らん。てか俺らまだ15だぞ」

 「冴えかのの柏木エリは女子高生がけど思いっきりエロ本書いてた」

 「確かにそうだったな。あとそれペンネームの方な。本名は澤村・スペンサー・英梨々な」

 「やっぱお前オタクだろ」

 「うるせえ」

 そう言うと秀樹はスマホをいじり、知恵袋に質問を投げた。

 返事はすぐに来た。

 「あー、法律的にはなんか縛られているわけじゃないが、マナー違反だって」

 「何その曖昧な返答」 

 「知恵袋だし」

 「それもそっか」

 「そもそもエロい文章書くなら、エロいもの山ほど堪能しないといけないんだが……」

 「……やめておくか」

 「おう」

 秀樹は知恵袋に来た回答にベストアンサーとつけて適当に「参考になりました」とつけて返信した。

 「まあ、ヒロインだけ妙にキャラが作れているからそこから入るっていうのは案外悪い手ではないかもしれない」

 「え、やっぱり?」

 「容姿とか変に細かい癖に全部だだかぶりなのが意味わかんないけど。お前茶髪で優しそうな年上が好きなのか?」

 「ええ、いやあ。そういうわけでもないんだけどなあ。あはははは」

 わかりやすいほどに曖昧な返答で誤魔化す索。

 隠す必要はないが何となくバレたくないという理由で、強引に話を戻した。

 「とりあえず中身の作り方とかはニュアンスでわかったんだけどさ」

 「おう」

 「実際、小説ってどうやって書くの?」

 「さあな」

 「ええ?」

 「だって俺、お前の編集じゃないし。劇作家だし」

 「それもそうだけど、お前戯曲の書き方習いに行ってたじゃん」

 演劇部でずっと台本を書き続けていた秀樹だが、それだけでは成長できないと踏んだ彼は、すぐさま高円寺にある戯曲セミナーの15期生として一年間通っていた。

 毎週プロの講師を招いて二時間ほどの講義がある。

 通う年齢層は学生から社会人、高齢の方まで幅広いが、中学生で通う生徒はかなり珍しく、彼は最年少だった。

 「確かに通っていたけど……索、お前に執筆の真理を教えてやるよ」

 「お、おう」

 迫真せまる表情に、索は唾を飲み込んだ。

 内心、何かの修行の末に奥義を授かるシーンみたいだな、と割と軽いノリではあるものの、小説を書くにあたって最も気になっていた部分でもあるため、真剣に耳を傾けたのだが、

 「正しい書き方なんてねーよ」

 「ふぁ?」

 予想外の回答に思わず気の抜けた声を漏らした。

 「え、どゆこと?」

 「確かにいろんな作家から、自分はこんな風に書いてますー、みたいな話は聞いたし、次の週には『あの人の言ってたことあんまり信用するな』とか『あの作家商業的に成功して入るが大して面白くないくせに偉そうなこと言ってるな』とか講義自体はちゃめちゃだったけど、どの作家も口を揃えて最後には『ぶっちゃけ正しい書き方とかないね』って言っていた。まあ古本屋の本をトラック一台引っ張って買い占めた井上ひさし大先生も生前は同じようなこと言っていたみたいだしな」

 「納得したいんだがその前にツッコミどころ多いな」

 「作家ってよくわからない生き物ばっかりだよな」

 「お前が言うか」

 「ああ、それもそうだな」

 ケロッと澄ました顔で納得する秀樹を見て、索はどこか作家というのはエゴが強い強すぎる生き物なのだと悟った。

 「……まあ、なんでもいいや。話を聞いた限りだとアレか?自分が思うように勝手にやれと」

 「極論を言えば」

 「マジか!」

 「だがお前はダメだ。小説というよりは文章の書き方と構成の基礎がないと勝手もクソもないからな」

 「ふええええん」

 「キモ……」

 裏声で棒読みの気持ち悪い声を上げる索に冷たい視線でツッコミを入れる秀樹。

 索はその後、考え込むように黙ると、

 「そう言えば俺、あんまりラノベ読んだことねーわ」

 「は?」

 秀樹は思わず間の抜けた声を漏らした。

 「お前、そんなんでラノベ作家になりたいとか本気で言ってんのか?」

 「いやー、ラノベ原作のアニメとかコミカライズした漫画はめっちゃ好きなんだけど、活字読むのはどうにも好かないんだよね。途中で絶対飽きるし」

 ついに呆れて声も出なくなった秀樹。

 これまで作品の内容は悪い点がはっきりと見えていたから何も躊躇なく罵詈雑言を浴びせることができたが、今回に至っては違う。

 創作を志す者であるならば一度はそのジャンルの作品に対して心揺さぶられる何かを感じたり、作者に対して強い憧れを抱く、あるいは創作そのものが好きで、表現したい何かがあって初めて作品を作りたいという衝動に駆られるはず。

 少なくとも秀樹自身はその類の人間だった。だが索は、このバカは、好きな声優に逢いたい、そのためだけに作品を作ろうとしているのか(この地獄に飛び込むのか)。

 本当に馬鹿げている。

 創作をするという行為を完全に侮っていることも。

 これ以上ない参考資料(ライトノベル)を読まずに書こうとする浅はかさも。

 生まれながらの優れた感性と惜しみない努力を以って初めて、今劇作の高みへと登ろうとする秀樹からしたら悪い意味で考えられない状況だ。

 「はぁ、お前は本当に先が見えていないというか考えなしというか」

 思わずため息を漏らす。

 索自身も思い返してみれば、一応作家を目指す者としてあまり好ましくない姿勢だったと自覚があるため罰が悪そうに顔を歪める。

 「先人の知恵がなくてどうやって書くんだ?」

 呆れが一周回って悟らせるような落ち着いた声音で索に聞く。

 だがその目つきは相変わらず鋭く、言い方が優しくても普通に怖い。

 「いや、本当おっしゃる通りです」

 「読め。話はそれからだ」

 「はい……」

  返事を渋りながらも言い返しようもないほど当たり前のことのため索は首を縦に振った。

 特別ライトノベルが嫌いなわけではない。文章を読もうとしてもじっとしていられないため、活字自体に抵抗があるのだ。

 そのため成績も理系はそれなりにできるのに現代文と古文は壊滅的なのだ。

 改めて聞くと、本当にどうして小説を書こうなどと口にできるのか疑問になる。

 「アニメは何度も見返したり、考察やまとめサイト見まくってるんだろ。なら気になる原作から読んで学べばいい」

 「はい、そうします」

 「じゃあ、後は自分で頑張ってくれ」

 「え、もう協力してくれないの?」

 「最低限必要なことは言ったしな。一応ちゃんと書き始めたら読んでやるし適当に感想も潰えるけどそれ以上は専門外。俺は作家だけど講師じゃないんだ」

 「それもそうか」

 「それにこれ以上お前の面倒見ていると、ただの暴力&毒舌系解説キャラと思われるだろ。それだけはごめんだ」

 「ああ、うん。誰目線のことかわからないけどごめんね。でも暴力と毒舌は間違っていないと思うぞ」

 荷物をまとめながら秀樹は時計に目をやる。

 時刻は16時20分。体験入部は16時30分から始まる。

 今回は遅刻も無断欠席もせずに済みそうだ。

 「じゃあ俺部活行くから」

 「もう入部したの?」

 「まだ、事が順調に進んだら入るかもな」

 「それはそれはとても面白そうだな」

 索はいたずらを企む子供のような悪い笑みを浮かべた。

 「何想像しているのか知らんが、そんな大層な展開になるわけでもないだろ」

 「何言ってんだ。本気でちゃんとしたところで脚本書きたいならこんなクソみたいな高校(ところ)に来ないだろ」

 「言い過ぎだって」

 索の表情は、好きなアニメを見せて、先の展開にどんな反応するのかを伺う子供のソレと同じだった。

 白瀬秀樹という才能と惜しみない努力が完成させた逸材。その実力の高さは赤月索を除いて誰も知らない。

 まるで自分だけしか知らない特別な宝箱が世界の中心で開かれるような感覚。

 物語に憧れ続けた彼が、白瀬秀樹という才能が開花する瞬間をワクワクしないはずがない。

 秀樹は椅子から立ち上がり、ニヤニヤと気持ち悪い笑み浮かべる索を見ると、ふと湧き上がった疑問を投げかけた。

 「お前、演劇部入らないのか」

 「え?」

 突然の質問に面食らったように惚ける索。

 だが

 「いや、入らないけど」

 秀樹の真剣な声音に対してさも当然かのように答えた。

 訳あって中学の頃は籍を置いていたが、彼自身本当に芝居に対しての意欲がないのだ。

 本人曰く、興味がないわけではないが、自分の芝居を見ると羞恥心で液晶画面叩き割りたくなるからやらない、だそうだ。

 秀樹自身わかりきっていた回答のため動揺はしていないが少し寂しそうに息を漏らした。

 「あ、そう。見学とかも来ないんだな」

 「気にはなるけど、強引に押されたら断りづらくなるしな。あ、でも大会は見に行く」

 「オッケー、じゃあいいわ」

 そう言うと秀樹は教室を後にし、一階のホールへと向かった。

 ホールの前には緊張や戸惑いの見せる一年生たちと彼ら彼女の案内係と思われる二年生が並んでいた。

 秀樹は受付を済ますとちょうど時間になったのかすぐにホールの中へと案内された。

 疎らに席に着かされ、顧問の先生と思われる体格の良い男性の説明が始まった。

 秀樹はそれを適当に聞き流しながらカバンからクリップで挟まれた分厚い紙の束を3つ取り出した。

 

 お前には見て欲しかったんだがな……まあいいか


「それじゃあまずは初めて来た子には自己紹介しておうかな」

 その言葉を耳にすると秀樹の濁りきった目は、微かに、だが索よりもよっぽど醜悪で歪な形で笑った。

 

 こういう所に関してはあいつのこと言えねーな、俺も


そう思いながら秀樹は堂々とステージに上がり、実に痛快で不愉快な自己紹介を始めた。


                *


 索は再びアニメイト秋葉原店へ立ち寄った。

 アニメの出来の良さ、ラノベ自体の評価、書けそうなジャンル、可愛いイラスト、様々な要素から選び抜き、2種類×3巻+新人賞受賞作3冊、計9冊を買い物カゴに入れてレジへと向かった。

 貯めまくったカードのポイントも全て使い切り、ライブの軍資金やキーボードの代金など出費が重なり、彼の手持ち金額はゼロになった。

 「いいもん、賞金で取り戻すもん。将来への投資だから何も悲しくないもん」

 そう言い聞かせながら帰宅した。

 手洗いうがいを手早くと済ませ、制服から部屋着に着替えると、買ったばかりのライトノベルの封を開けた。

 まずはこれから、と超有名異世界転生もののシリーズの1巻を手に取る。

 主人公は魔法や能力ではなく頭脳戦で戦い世界を征服する話だ。アニメ化もされ、映画も号泣の嵐となり、その上作者が個性的すぎることで有名な作品だ。

 索はゆっくり息を吸い、これも推しに会うためだ、と覚悟を決める。

 何度も自身の胸に手を当て「作家になるんだ」と言い聞かせ、ようやくその1ページ目を開く。

 ライトノベルを読むだけなのに大げさすぎる儀式だが、その成果があったのか、はたまた作品は面白すぎるだけなのか、普段小説を読むには一ヶ月以上時間を有する索が一晩で読み切った。

 その日索は「何だか俺頭よくなった気がする、もしかして今なら掛けるのでは」と根拠もない自信が溢れ出していた。

 「よっしゃあやるぞおお!」

 深夜テンションの効果もあり、モチベーションも高まった。一気に創作意欲も湧きあがった索は早速スマホにキーボードを繋げて、ワードを立ち上げた。

 「あ、でもその前に……」

 アプリが立ち上がるまでの時間、索はノートのページを何枚か破り、それをテープで繋げて、毛筆のサインペンで力強く誓いの言葉を書いた。

     『全ては推しに遭うため!』

 「これでよし」

 そう言って索は5月中旬が締切であるMF文庫Jの新人賞に応募するための小説を執筆し始めた。

 こうしてようやく赤月索は邪心溢れる動機を掲げて作家を目指し始めた。


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