第54話 初めての対立


[! ハチ、大丈夫? 何かされた?]


 アジャはほとんど倒れ込むようにして床に座り込んだ俺を見て、慌てている。[あれ、魔力の動きからは何もされてないと思ったのに、ねえ、大丈夫?]と、先程の強い疑念と鋭い警戒をどこかにやって、俺を心配してくれている。


 俺はのろのろと顔を上げて、アジャを見た。ライムグリーンは真っ直ぐに俺を見下ろしている。

 そこには心配そうな優しい色があるのみで、さっきの鋭く悲しい感情は見当たらない。


 涙が出そうだった。死にたい。


[……アジャ公、ごめんな]

[え、な、なに、]

[ごめんな、お前の声に、返事しなくて。不安にさせたな]

[!]


 ライムグリーンが見開かれる。


[あの子と話したこと、話すよ。ごめんな、言い訳になるけど、決してお前を蔑ろにしたわけじゃないんだ。情報収集をしようと思ったんだ。お前の言葉は聞こえていたよ。無視して、ごめん。それで、ナイフを向けて、ごめん。あれは俺の意思じゃなかったけど、それでも、お前を傷つけたな]


 とつとつと好き勝手に謝罪の言葉を垂れた。


 謝罪なんて、究極的には自己満足である。ただ反省の意を示して相手の赦しを乞うだけ。俺は、そのとき正しく自己満足のために口を開いていた。


 どうやら、俺はアジャに疑いを持たれたことに、思った以上にショックを受けているらしい。


 アジャが、こぼれ落ちそうなほど目を見開いて俺を見下ろしていた。


[ハチ、]

[ごめん]

[ハチ、あの、]

[ごめ]

[聞いて、ハチ]


 アジャがピシャリと俺の言葉をはねつける。

 珍しいことだった。


 俺はパッと顔を上げてアジャを見た。

 アジャは俺と目が合うと、見開いていた目を伏せる。ライムグリーンが翳って暗くなる。


[ハチは、俺の味方でいいの?]


 ぐさり。

 窺うような言葉が胸に刺さった。


[その、つもりだ。アジャ公が信用できないというのもよく分かるが、]

[違くて。……ハチは、人間でしょ]

[……]


 人間だから、なんなのだろう。人間だからアジャの味方でいるのはおかしいと、そういうことだろうか。


 俺は眉を顰めた。


 俺はこれまで、アジャの味方だったつもりだ。そしてこれからもそのつもりだ。

 けれどもアジャはそうは思っていないのだろうか。


 それとも、『人間が魔王に味方する』のは、それだけありえないことなのだろうか。

 しかし、アジャは俺と少女の会話は理解できていないはずだ。『魔王』というキーワードをまだアジャは知らないはずである。


 ぐるぐると考えながら、俺はアジャの話の続きを待った。

 アジャは途切れ途切れに話す。


[……あの、おれ、俺ね、ハチがあいつに言われて何かを知ったのは、分かったんだ。それが何かは分からなくて、急に、きゅうに怖くなった。だって、人間は、……おれは、覚醒したら人間に討伐されるって、]

[うん]

[ハチは、人間で、知らないだけなんだ。人間だけど、知らない、から、俺と一緒にいるんだ。カーニャも、ヨンさんも、同じで、知らないから]

[うん]

[でも、知ったなって、思った。あのとき、知ったでしょ、ハチ]

[……うん]

[──覚醒者って、人間にとっては、やっぱり人扱いじゃないんでしょ?]


 それは、いつだったか俺が抱いていた懸念だった。


 俺は思わず目を逸らしてしまう。


 俺は魔王について詳しくは知らない。知らないが、少女の口ぶり的にその懸念が大体当たっていることは察しがつく。

 それに、なんか神がどうとか言われたし、俺は知らないが結構根が深い問題な気はする。少なくとも、カーニャやヨンさんに正体がバレた時にどんな反応が返ってくるかは、ちょっと想像がつかなかった。

 分からないが、しかし部の悪い賭けになるだろう。


 にしても、会話内容はアジャにはほとんど理解不可能なはずだ。よく雰囲気でこれだけ読み取ったものである。


 アジャが翳った瞳で、口角だけ上げた。


[あと、ハチは言ったよね]

[なにを]

[一緒にいると、それだけで覚醒者を匿ってた悪いやつだって、攻撃されるかも、って]

[……!]


 まさかの過去の自分からの流れ弾である。


 俺は焦った。これは、まずい流れだ。


[ただでさえハチは死にやすいし]

[おい]

[人間からの攻撃でも、死んじゃうかも]

[いや、俺に限定せずとも人間は人間からの攻撃でも死ぬけども]

[ほら]

[何がほらだよ]


 本当に何が[ほら]なのか。

 竜だって竜からの攻撃で死ぬだろうに。


 アジャの翳った瞳を覗き込んでみる。ライムグリーンの瞳はとても静かに凪いでいて、俺から見たらアジャの感情が読み取れなくて、俺は焦った。いや、俺はさっきからずっと焦っている。あるいは、俺が焦っているからアジャの気持ちが読み取れないのかもしれなかった。


 アジャがまた静かに喋る。


[ハチ、あのね、俺、怖かったんだ]

[えっと、]

[俺、ずるいんだ。さっきは、ハチがもしかしたら俺を殺そうとしてるかもって思って、怖かった。俺、大陸言語分からないから、騙されてるかもって思った。ハチが俺を殺すための嘘をついているかもしれないって]

[アジャ公、それは違、]

[うん、分かるよ。ハチがそのあとすぐに悲しい顔をしたから、違うのはすぐに分かった]

[それなら、]

[……でも、そうしたら、次は、ハチが俺のせいで、死んだり、後悔したりするかもなって、怖くなった]

[……]


 俺が、アジャの味方をしたために死んだり、酷い目に遭って後悔する可能性。

 それは、確かにないわけではない。


 未来がどうなるかは分からない。この先、俺がアジャと一緒にいることで死ぬよりも酷い目に遭ったりしたら、もしかしたらアジャと出会ったことを後悔したりもするのかもしれない。分からないが、全く無いと断じることはできなかった。


 けれど、今このままの流れに身を任せた方が、明らかに後悔するだろうと予想がつく。

 そう、きっと俺の後悔は目前にあった。


[ねえハチ、俺たちは嫌になったら離れればいいんでしょ?]


 ひどいブーメランだ。

 昔俺の話した言葉が、まさかここにきて俺の足をこれでもかと引っ張っている。


 俺はだからもう、なんというか、必死になった。


[アジャ公、それは違う]


 俺はしっかりと顔を上げて首を振った。ゆっくりと息を吸って吐く。俺はちゃんと落ち着いてこの会話に挑む必要がある。


[……順番に話そうか]


 そして俺はささやかに微笑んでアジャを見た。

 アジャもアジャで、神妙な顔をしている。


 これはそう、俺とアジャの対立であった。

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