第44話 人間はすぐ死ぬ


 アジャはこちらをじっと見ている。ライムグリーンの瞳は心配そうな色を帯びていた。


[……大丈夫?]

[アジャ公、]

[知ってるよ。これが当たったら、人間は死ぬ。……大変だね。いつも結界とか張っといたらいいんじゃないかな]


 アジャが平坦な声で言う。


 思わず、気が抜ける。


[……はあ。それができないんだよ、大半の人間は]

[ふぅん、貧弱]

[はいはい]


 俺は深く息を吐いて、その場に座り込んだ。


 アジャはゆっくりと一つずつ木材を地面に置いていく。ズゥン…と洒落にならない音がしているので、アジャが間に合わなかったら俺はマジで命無かったな。


 ざわざわと騒がしい音が場に湧き出してきていた。

 周囲に、怒号を上げた冒険者たちが集まってくる。『無事か!?』という声に俺は手を振って応えた。


 これは立派な大事件である。アジャがいなければ人が死んでいた。ということは順当に行けば確実に人が死ぬ事件ということだ。


 後処理は責任者に任せよう。俺はなんか、一気に疲れた。


[ところでハチ、なんでカーニャ突き飛ばしたの?]


 その言葉に、カーニャを見る。

 カーニャはこっちを見てびっくりした顔をしていた。俺に突き飛ばされた体勢で地面に倒れ込んで、辺りにはカーニャが持っていた解体道具が転がっていた。


 意味もなくカーニャを突き飛ばしたことを理解して、俺はサァーっと青ざめた。


 まずい、女の子になんてことを。




 ーーーー




 カーニャも流石に怖かったようで、しばらくは気が動転していた。

『こ、こんな怖い庇われ方したの初めてっスよ』とか『な、なんで?』とか『おかしいっスよ』とか呟いていて、即座にやってきたサイラスさんにしきりに宥められている。


 逆にアジャは英雄扱いだった。


 会う人会う人、おそらく初対面の人にすらすれ違うたびに声をかけられ、指笛を鳴らされたりちょっとしたおやつなんかを貰ったりしている。

 言葉が分からずとも褒められていることは分かるようで、アジャはその度にドヤ顔を披露していた。いやホント凄いよ、お前。


[アジャ公はよく間に合ったな]

[ん……。実は、魔法使った]

[ふぅん?]


 アジャの言葉に俺は首を傾げる。


 曰く、あの瞬間アジャは少し離れたところにいた。


 アジャがもともと使う魔法──便宜上、竜言語魔法と呼ぶ──を使えば、あの落下物の処理はどうとでもできたらしい。

 しかし、問題は人間の魔法ではそれができない(できないかどうかは知らないが、アジャはその魔法を知らない)ことだった。


 結果、アジャは走って物理で受け止めることにした。アジャのパワーと身体強度をもってすれば造作もないことのようだ。この小さな体のどこにそんな筋肉を秘めているのか大いに疑問である。


 で、受け止めることにしたものの、ギリギリ間に合わなかったようで。


[咄嗟だったから、杖使うの忘れて……]

[そういえばお前杖必要なの?]

[要らないよ。でも、人間は使うから、一応]


 だよな。二人だけの時に結構竜言語魔法使ってもらってたけど、杖とか一度も使ったことなかったもんな。


 そして周囲に合わせて自主的に杖を使うなんて、アジャも人間に紛れるのが板についてきたな。ナイフとフォークを使うのを嫌がっていたとは思えない成長ぶりだ。


 俺はアジャの頭を撫でた。

 彼の尻尾はご機嫌に地を這い、揺れている。


 けれど、しばらくして尻尾は力をなくしてぺとりと地に落ちた。ライムグリーンが落ち込んだように足元を彷徨っている。


[カーニャ、大丈夫かな……]

[あー、死ぬかも知れなかったとなると、ショックだろうな……]


 普段は歳不相応な図太さと逞しさを見せる彼女だが、今回ばかりは相当ショックだったようで、カーニャはサイラスさんに宥められてもなお動転していた。

 すぐに別室に連れて行かれたが、確かに心配だ。大丈夫だろうか。


 アジャが俺を見上げる。


[……ハチ、俺、まだ大陸言語は喋れないから、ハチ行って、慰めてきてくれる?]

[紳士的な気遣い、だと……!? お前ホント最近爆発的な成長を俺に見せつけてくるね? もちろん任せろ]

[ハチは最近、テンションおかしいよ。それと、俺、多分カーニャに男だと思われてないよ]


 アジャが呆れた顔をした。


 俺のテンションがおかしいのは大体アジャのせいだ。だってアジャ、ここに来る前はおそらく今みたいな気遣いはできなかったじゃん。

 それに、男だと思われてなさそうだとか、そういう機微に聡くなったのは絶対成長だと思うんだよな。


 アジャは最近、言葉が分からなくとも雰囲気で色々読み取るスキルを急激に磨いていると思う。それにヨンさん辺りとなら、すでに俺を介さずにある程度の意思疎通が可能だ。

 カーニャが以前、『なんでヨンさんの方が先にアジャコウと喋れるっスかー!?』とやきもちを焼いていた。


 これって凄いことだと思う。凄いことだと思うから嬉しいし褒めたいんだけど、生憎俺は嬉しさを表現するのも褒めるのも、今まであんまりやってこなかった。

 それでも頑張ってやろうとするから、結果変なテンションになりがちな気はする。知らんけど。


[……人間は、すぐ死ぬね]


 ふと、アジャの声が聞こえる。

 見下ろすと、アジャはどこか遠い目をして周囲の人々を眺めた後、同じ瞳を俺に向けた。ライムグリーンが妙に凪いでいる。


 俺は少し考えてからそれと目を合わせた。


[お前だって死ぬときは死ぬんだろ。だから俺と逃げたんじゃないのか]

[まあ、そう、だけど]

[じゃあ一緒だろ]


[そう、かな……]とアジャは俯く。

[そうだろ]と俺はなんでもないように答えた。


 だって、そうだろ。同じ人間でも生まれてすぐに死ぬ人から100歳を超えて大往生して死ぬ人まで、様々である。死因だって十人十色だ。


 アジャは[そっか]と頷いたあと、[じゃあ人間が、じゃなくてハチが特別、死にやすいのか]と続けた。

 否定したかったが、アジャと会ってから幾度となく死に掛けているのは事実なので、俺は大人しく口を噤んだ。


 さーてと、カーニャのところに行こうかな。

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