第41話 これからと、出会いの謎②


[削っちゃった?]


 俺は、努めて冷静に聞き返した。


 アジャが目をピカピカさせてほのかに笑っている。それは決していい笑い方ではなかった。


[削ったんだよ、神鳴りで。神鳴りが晴れた後、別に谷じゃなかったでしょ。あそこはもともと森の茂る谷底だった。岩壁を全部削ったの。まあ峡谷は長いから、峡谷を削ったって言っても俺たちの住む場所の周辺を削っただけだけど]

[わ、わあ……]


 嘘じゃん。あそこ、見渡す限り地平線だったぞ。

 お前、こわ。そりゃ大規模なスタンピードが起こるわけだわ。


 だってよく考えてみろ。

 アジャは、竜の峡谷を[底から飛んだら、全速力を出しても上に出るまで少しかかるくらいの深さ]の谷だったと言った。

 コイツが飛んだら、……ちょっと俺の中の比較対象が高速道路を走る車しかないんだけど、時速200km以上は軽く出るぞ。多分俺が運んでもらった時の速度が、それくらいだった。で、あの時は俺に合わせて大分遅めに飛んでもらったから、本気出したらもっと速いと思う。


 仮に、アジャの本気の飛行速度を時速千キロとすると、それで谷底からスタートして上に出るまでに少しかかるんだろ? 「少し」をとりあえず30秒と仮定して単純計算しても……ちょっと俺計算苦手だからフィーリングだけど、多分、一万メートル以上あるんだよ。

 一万メートル以上の深さの谷って何?


 比較対象として、世界一高い山のエベレストが高さ8849mらしい。


 そんでもって、それをそっくりそのまま削るって何? どんな威力だよ。そりゃあ荒野全土の魔物も逃げるよ。


 ていうかそれに巻き込まれて生き残った俺は何?


[ハチは、あの時俺の結界の中にいたよ。流石にあれを結界無しで放ったら俺の体も吹っ飛ぶし]

[え、それもどういうこと? 俺のことわざわざ助けてくれたの?]

[……いや、たまたまいきなり結界の中に転移してきたから]


 [わざわざ追い出さなかっただけ]とアジャは言った。


 What? 転移? 俺っていきなり転移してきたの?


 ……今まで深く考えてなかったけど、そこも謎なんだよな。俺ってなんでいきなり異世界にいたんだろう。


 アジャを見ると、アジャは目を伏せていた。ライムグリーンは、まだ酷く熱い。


[……オババが言ったんだ。私は堕ちるから殺せって。でも、でもね、話しかけてくれる人はいるから。現れるから。そしたら、話をしなさいって。言うんだよ。もう、誰の言うことも聞いてやるもんかって思ったけど。でもオババは言ってたから。……だから、うっかり追い出し損ねたんだ]

[こわ]

[あーやっちゃったなーって放心してたら、まんまと話しかけてくるし]

[人をそんな悪徳勧誘みたいに]


 でも、アジャの言う通り、俺はオババさんの言葉が無ければ初手の神鳴りに巻き込まれてそのまま死んでいたのだろう。オババさんの言うようにアジャに話しかけたから、だから俺はアジャに生かされた。


 ライムグリーンの瞳は怖いくらいに真剣だ。

 アジャが真っ直ぐに俺を見ていた。


[……ハチってオババになにか言われたの?]

[知らんわ。竜に知り合いなんかいないわ。お前が初遭遇だよ]

[じゃあなんであのときあんな場所にきたの]

[俺がむしろ知りたいよ]


 マジでなんでだよ。

 もしかしてオババさんが転移させたのだろうか。

 言ってること意味深だし。でもなー、普通に心配して言ったとも取れる言葉だしなぁ。


 だってアジャは、話さえすれば良い子だって分かる。味方になってくれる人は多いはずだ。


 そう、俺だって話をしたからアジャと一緒にここまできたんだ。最初のアジャは自暴自棄になりつつも話をする姿勢が確かにあった。逆に言えば、それが無ければ今のこの関係は無かった。


 俺たちはお互いにあの時何も知らず、一歩間違えば殺し殺されていたと思う。もちろん俺が殺される側だ。そうならなかったのはひとえに話し合う姿勢があったからだ。


 オババさんは何者なのだろう。


[……前にさ、転移魔法は肉の体を持った生き物には基本的に無理って言ったでしょ]

[言ったな]


 どうやってあの荒野から人間の町まで行くかって話をしたときに、言ってたな。

 ていうか、え、どういうこと? 俺って転移してきたんだよな?


[転移は、肉を持ってると難しいんだ。転移すると、肉に戻れなくなるから]

[……その肉って体のことだよな]

[うん。そんな感じ]


 体がない生き物とかいるんだろうか。

 というか転移すると肉に戻れなくなるって何。俺転移したらしいけど、俺の体どうなってんの? 無事?


[オババにできるとは、思えないんだよね]

[なんで?]

[今の俺は誰よりも、オババよりも魔法ができるよ。でも、俺でもハチを転移させるのはちょっと怖いから]


 すげーこと言うなコイツ。


[じゃあ未だ、俺があそこにいたのも謎なら覚醒者も謎なのね]

[うん]


 そっか。


 ……そっかぁ。


 結局この話の収穫は、とりあえずオババさんが何か知ってそうだと言うことと、そのオババさんはご臨終だということ。そしてアジャは覚醒者関連の情報はほとんど持っていないこと。以上であった。


 まあ、思ったよりは上々かな。アジャが情報を持っていないと分かるのも立派な収穫だ。

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