第33話 人間の魔法


 それからしばらく俺たちは解体をしていた。

 しかし、唐突にアジャが滑り込んできたことで、俺たちは作業の手を止めることになる。


[ハチ!! どうしよう! せ、洗濯の魔法だけ見るなら、人間の方が高度かもしれない! 他の魔法とかの威力は雑魚だけど! でも洗濯がなんか! お、俺が知らない感じに綺麗に!!]

[お、おう、落ち着け]


 アジャは文字通り滑り込んできた。


 ワンピースの裾を翻らせながら走ってきた勢いそのままに素足でズシャアッとドリフトを決め、ピタリと俺の目の前できっちり勢いを殺して、それから俺に向かって捲し立てた。


 ちょっと芸術的なくらいのスライディングだったのでうっかり内容が右から左に抜けかけたが、気を取り直して聞き直す。


 そもそもアジャはこれまでどうしていたのかというと、別行動をしていた。


 しばらくここで過ごしてみて、普通に過ごす分には覚醒者バレの危険はあまり無いと思ったのだ。


 アジャは大陸言語が分からないので、他の人の会話から情報を得られない。逆に言うなら、その分、アジャ自身も余計な情報を漏らさない。

 今のところ見た目や仕草で不審がられている様子は特に無いし、であればちょっと好きに行動させても特に問題はないだろう。


 アジャはそれでもしばらくは俺から離れたがらなかったが、ここのところの俺は日中魔物の解体しかしていない。それを見ているだけなのは、流石に飽きるようだ。

 アジャは少しずつ、別行動をするようになった。


 と言っても、やはり言葉は喋れないので、ブラブラと散歩をする程度にとどまっているらしい。


 で、その散歩の過程で何やら目撃したのだろう。


 俺はアジャの言葉に再び耳を澄ませた。


[で、すまん、もう一回言ってくれ。なんだって?]

[人間の魔法は雑魚だけど、洗濯の魔法だけは高度!]


 随分な言い様である。


 鼻息の荒いアジャに向かって、俺はへろりと笑った。


[へえ。どんな感じだったんだ?]

[な、なんかこう、ふわって消える感じ……! 水が出ないで、汚れだけふわって……!]

[ふぅん]


 確かにそれは、アジャが使う洗濯の魔法よりも高度に見える。

 というか、そもそもアジャが使うのは多分洗濯の魔法じゃないしな。単純に水を出して消す魔法だしな。


 そう、俺は4日間荒野でアジャと過ごして思ったのだが、アジャの使う魔法に所謂生活に使うような魔法はあんまりない。攻撃とか防御とか、そんなんばっかりだ。


 もっと言うなら、アジャ本人がすぐに物騒なことを言う。察するに竜ってかなり根っからの戦闘民族なのだろう。


 対して人間の魔法は、何やら種類があるらしい。

 少なくとも生活に特化した生活魔法というものが存在するらしいことは、カーニャから聞いている。


 そう考えると、戦闘特化なアジャの魔法が生活面において人間の魔法に劣っているのは道理だと思う。


[汚れだけを選んで分解……? 選ぶ基準はどうなってる……? べ、別に分解なら俺もできるし……]

[対抗意識強いな。というか、物騒な魔法で対抗しようとすんのやめなさい]

[威力なら、俺の方が高いし……!]

[分かったから]


 ただの分解の魔法とか何に使う魔法なんだよ。威力とか言ってる時点でなんとなく察しがつくぞ、物騒だな。


 俺はぽんぽんとアジャの頭を撫でて嗜めた。


 にしても、こんなに取り乱したアジャは初めて見たかもな。

 気持ちは分からなくもない。魔法に関してはプライドがあるのだろう。


 俺は少し考えて、口を開いた。


[教えてもらったら? 人間の魔法使えるようになるのはアジャ公にとっても有益だし、仕組みを知っとくともっと高度なのも使えるようになるんじゃないか?]

[む……ううん]


 アジャはちょっと口を尖らせて考え込む。

 尻尾が上下にたしたしと動いていた。感情が落ち着かない時のアジャの癖だ。ホントに衝撃を受けたんだな。


 それなら尚更、アジャは人間の魔法を学んでみたら良いと俺は思う。


 それに、この提案にはちょっとの下心もあった。

 アジャの使う魔法は人間の使う魔法とは明らかに違う。だから人間の町では使用を躊躇ってしまうし、実際に俺はそれをアジャに伝えた上で使用を制限させてきた。


 でも、使うのが人間の魔法であれば人前で使っても問題はないと思う。

 すぐに人間の魔法を覚えて使うのは流石に無理だと思うが、いずれ使えればアジャの行動範囲はグッと増えるだろう。


 というわけで、俺はこの案に乗り気だった。


 ただ、アジャの反応はというと、あまり芳しくない。


[……言葉、分からないのに、大丈夫、かな]

[まあやってみなくちゃ分からんが、一緒に学べば良いだろ]

[……魔法って、他人には教えなかったり、するんだけど]

[聞くだけならタダ]

[……ハチって、前向き]

[失敗しても死にはしないって思えば大抵のことはできる気しないか]

[うーん……]


 アジャは同意しかねるようだ。

 綺麗な眉をクシャッと寄せて唸っている。


[……俺は、死にたくないよ]

[良いことだ]


 俺はただ肯定した。


 アジャは少しの間考え込むような仕草をしていた。

 けれど比較的すぐに、アジャは決心したように俺を見る。


[……魔法、教えてもらえるか頼んでみたい。ハチ、通訳、頼んで良い?]

[もちろん]


 俺はにこりと笑ってアジャの頭を撫でた。


 うん、こうして新しいことに取り組んでいけるのは凄いことだ。アジャの成長とポテンシャルを感じて嬉しくなってしまう。


『で、で? なんの話だったっスかー?』


 一旦話が落ち着いたことを察して、カーニャがぴょこっと話に入ってくる。本当に空気の読める子だな。


 俺はアジャの頭を撫でながら答えた。


『魔法について知りたいって話だ』

『魔法?』

『アジャが魔法を見て驚いたらしいんだ。カーニャ、魔法を使える人で教えてくれそうな人っていないか?』


 俺の言葉に、カーニャはうーんと首を捻る。

 しばらくそうして考えたのち、カーニャは口を開いた。


『魔法なら、スペルロールを確認して覚えるのが一般的っスけど……』


 スペルロール?

 初めて聞く名前である。察するに魔法の呪文を書いた巻物みたいなものなのだろう。


 ゲームでは魔法書を読んで魔法を習得するとかよく聞くけど、リアルに考えてみるとなかなか不思議な仕組みだ。教えてもらう方が早いだろうに。


『スペルロールに使い方とか全部書いてあるってことか?』

『いや、呪文だけっス』

『ん? それは初心者には無理ないか?』

『とりあえず呪文を唱えてみて、不発だったら才能ないって判断っス。まあ時間経ってからもう一回見たらできた例もあるっスから、よく分からないっスけど……』


 なんだそれ?

 なんだか随分と適当というか大雑把である。


 俺は首を傾げた。


『それって、大陸言語が分からなくても読めるものなのか?』

『読めないっスね。それに、多分まず魔力操作を習得しないといけないっス』


 魔力操作……は、多分アジャは大丈夫な気がする。

 そもそもアジャは魔法が使えるしな。


 というか、もしかしてそれ、俺も魔力操作ができれば魔法が使える? ……ちょっとソワっとしたが、今は関係ないのでおいておこう。


 アジャに簡単に今の話を伝えると、アジャは眉を顰めた。


[……? 読むだけで魔法を覚えるとか、ないと思う、けど……]

[そうなのか?]

[だって、えっと……。とにかく、ない、と思うよ]


 いい具体例が思い浮かばなかったようだ。アジャが首を振って[ない]とゴリ押ししてくる。

 俺は苦笑した。


[まあ、「マニュアル」読んで「運転技術」がすぐ身につくわけじゃないしな……]

[「にゅ、ぁる」……?]


 俺は顔を覆った。

 確かに、俺とアジャに共通の具体例がパッと出てこない。


 それにしても、確かに変な話だ。

 参考までにアジャに魔法の習得方法を聞いてみると、[ひたすら修練]と返ってきた。


 アジャがキリッと歴戦な表情をして[修練]とか言うのはなかなかシュールだが、さておき普通に考えたらそうだよな。教科書を読むだけで技術が身に付いたら、多分そんなに苦労はしないのだ。教えてもらってたくさん練習して、そして初めて技術は身になるものだと思う。


『そのスペルロール以外に魔法を勉強する方法はないのか?』

『うーん……。魔法のことなら、エルフが詳しいんスけど……。今みんな忙しいっスからね……』

『まあそれもそうか』

『ーーあ、一人心当たりがあるっス!』


 唐突に、カーニャがピコンと三つ編みを跳ねさせた。

 俺とアジャは顔を見合わせた。

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