第31話 異なる言語


 さて、そんな感じで俺とアジャが言葉についてあーだこーだと話していると、カーニャが小さく笑う気配がした。


 二人して会話をやめて、カーニャを見る。

 カーニャはやはりニコニコしていた。決して嫌な感じではない、柔らかい笑顔だ。


『二人とも仲良いっスねー』

『なんでそうなるんだ?』

『内緒話してるみたいっスよ』

『そうか?』


 顔が近いって話だろうか。


 確かに、俺とアジャが話すときは顔が近い。


 アジャの言葉は必然的にあまり大きな音は出せないので、聞き取りづらい時がある。特に食堂とかの人が多い場所ではかなり聞き取りづらい。俺はぐっと耳を近づけて聞き返してしまうことがよくあるので、アジャも話す時は顔を近づけてくれるようになった。確かにそういう意味では内緒話をしているように見えなくもない。


 ……一方で、アジャは問題なく俺の言葉が聞き取れているようなんだけどな。竜は耳が良いから問題ないのだろう。


『それだけじゃなくて、言葉が違うの、秘密の暗号みたいっス!』


 カーニャがにこにこと両手を広げてはしゃぐ。


 まあ、言いたいことは分からなくもない。


 それに、俺も実質そういう風に言葉を使っていることもある。例えば、サイラスさんに知られたくない話を堂々と本人の目の前でアジャに話したり、みたいな。


 俺とアジャにしか分からない言葉なら、それはこの場において実質俺とアジャにしか通じない暗号に他ならないのだ。


『……まあ、間違ってはないんじゃないか。言葉なんてみんな暗号みたいなもんだし』

『そうっスか?』

『身内の間でしか通じない意思伝達手段だって考えると、言葉が暗号っていうのも間違いじゃない』

『ハチさんの言うことは難しいっス』


 難しいかな。

 まあ、言い方は難しかったかもしれない。

 俺は少し考えた。


『うーん、そうだな、カーニャにとってアジャ公の喋る言葉が暗号であるように、アジャ公にとっては大陸言語が暗号なんだよ』

『あ、それは分かるっス。私も、みーんながアジャコウの言葉を喋ってたら、何も分からなくて、……怖いと思うっス』


 お、と思う。


 カーニャは優しい目をしてアジャを見ていた。


『だから、アジャコウにはいっぱいニコニコするっスよ! 言葉が分からなくても笑顔はきっと伝わるっス!』


 そう言って、カーニャがにこーっとアジャに笑顔を向ける。アジャは何を話しているかは分からないものの、好意的な表情であることは受け取ったのか、カーニャに向けてはにかんで返した。


 確かに、表情は伝わっている。


 思えばカーニャは、かなり最初からアジャに親切にしてくれていた。もともと世話焼きな性格なのもあるのだろうが、アジャに対しては殊更配慮してくれているようだ。

 それはきっと、最初の頃からアジャの気持ちを想像して、思いやってくれているからこそなのだろう。俺は温かな気持ちになった。


『カーニャは優しい子だな』

『そっスか?』

『そうだろ。そうやって相手の立場に立って考えるのって、すごく難しいことだと思う。誰にでも簡単にできるようなことじゃない。それができるのはカーニャが優しいからこそだ』

『ふーん……』


 俺の言葉に、カーニャは小さく鼻を晴らした後、嬉しそうにくふくふと笑い出す。

 どうやら褒められたのが嬉しいらしい。


 カーニャは普段男の子っぽい服装や言動を好んでする節があるが、時折こうやってちょっと可愛らしい仕草もする。そういうところが余計に中性的な印象を与える感じだ。


 カーニャはひとしきり笑った後、パッと笑って俺を見上げた。


『褒めてくれてありがとうっス。ハチさんって、誑しっスね』

『そうか?』

『そうっスよ。アジャコウと話せば絶対同意してくれるはずっス』

『どうだか……』


 俺は呆れたように息を吐く。


 まあ確かに、俺は全く見も知らぬ土地で生きていくために、他人に好感情を抱かれるような態度を心掛けてはいる。人脈は力なのだ。


 だから誑しと言われるのは俺の思惑通りではある。が、普通に人聞きが悪いのでやめてほしい。


[……なんて?]


 アジャが俺の服の裾を引っ張って、今の話の通訳を求めてきた。

 俺は少し考えて答える。


[んー、カーニャがアジャ公と早く話してみたいって]

[……ハチのまとめって、雑だよね。言葉は分からないけど、それは分かる……]

[そうか?]


 アジャのジト目を受け流してすっとぼけた。


 しかしなぁ、カーニャがアジャにとても心を砕いている話は話せるようになってから自分で聞いてほしいし、俺が誑しらしい話は特段話す必要性を感じない。

 結果として雑になるのはいつものことだ。


 俺は[少しずつ聞き取れるようになろうな]とアジャの頭を撫でる。サラサラと金の髪が俺の指をすり抜けた。角を触らないようにだけ気をつけながら撫でていると、アジャもうりうりと頭を押し付けてくる。


 意外とアジャも、頭を撫でられるのは気に入っているらしい。


[……うん。早く、話せるようになりたい]


 アジャがライムグリーンの瞳をピカピカさせた。瑞々しい期待の滲んだ瞳である。


 俺は眩しいものを見るように目を細めた。

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