第14話 飛びながら
景色が流れる。
まるでVRの映像でも見せられているみたいに、俺は極彩色の断層が前から後ろに結構なスピードで流れていくのを、高い位置から座って見ていた。
地面は土が剥き出しで、その土も強烈な太陽光によって赤く焼けている。地面は光を照り返して鮮やかに発色していて、その上で蜃気楼が地表を覆う。まるで熱気が立ち上るのが見えるようだ。眺めているだけで喉が渇く景色である。
けれど俺自身は大きな影に覆われていて、気温も快適だし気楽なものだ。揺れもなく、衝撃もなく、息切れも呼吸困難もなく、耳や頭の痛みもなく、まさに快適そのものだった。
俺は俺を運んでくれている黒いドラゴンを見上げる。すぐにライムグリーンの大きな瞳がギョロリと俺の方を向いた。
[? なに? 具合悪い?]
[いいや。元気だよ]
[そう? ハチは気づいたら死にかけるんだから、ちょっとでも何かあったら、すぐ言ってよ?]
グルグルと大型の動物が喉を鳴らすような声が降ってきた。竜の姿のアジャの声だ。
まるで俺がとてもか弱い生き物であるかのような口振りである。実際にこの状態に至るまで俺は何度も死にかけているので、なんとも反論し難いのが痛いところだ。竜に比べればか弱いのは事実だしな。
それで口下手な子供に一定時間ごとに[具合悪くない?]と気遣われていると思うと、情けないやらおかしいやら。
俺はクスクスと小さく笑いを漏らした。
さて、ここまでの経緯を軽く話そう。
俺を結界に入れて運んでもらおうという試みは、一応は形になった。
当初の予定ではなんか完璧に色々防げる結界を作ってもらってアジャに運んでもらう予定だった。しかし色々あって、結界自体は風圧だけ防いで運べるシンプルなものにして、アジャに低空飛行で急停止や急旋回せず、さらに俺に負荷がかからない程度にゆっくり飛んでもらう方法に、最終的には落ち着いた。
結局、まずは原始的な方法で頑張るしかないのだ。
ここに至るまでどれだけの実験を重ね、どれだけの怪我をして、どれだけの命の水をかけてもらったことか。
おかげで髪が腰の辺りまで伸びた。
[気を遣わせて悪いな]
[……それは、いいけど。この速度だと、人間の町に着くのに多分、二日、かかるよ。……平気?]
[二日なら餓死の心配はないだろ]
まあ現時点で死ぬほど腹は減ってるんだけどな。じきに空腹感は薄れるだろう。所謂、お腹が空きすぎて逆に空腹感がなくなるというやつだ。
速度については急な動きをされなければ、人間は時速300キロの新幹線や時速900キロの飛行機にすら乗れるのだから、わりといける気はする。
けれど、一度すごい速度で急停止されて結界にぶち当たって骨折した事件で、速度は控えてもらうことにした。
急停止や急旋回をしないで飛行してもらうと言っても、不慮の事態がないとも限らない。峡谷地帯を抜ければ命の水は掘っても手に入らなくなるらしいから、リスクは減らすに限るのだ。
一度シートベルト的なものがあれば大丈夫なのではないかと案を出したのだが、負担なく体を固定するのは大分難しいらしく、断念した。俺の付け焼き刃の知識では、いくらアジャの魔法があったとて、再現は難しいらしい。シートベルトのありがたみが身に染みるな。
[ところで、なんか景色変わってきたか?]
[うん、峡谷地帯は抜けたよ。……俺も、ここから先は、はじめてだ]
少し緊張したような硬い声だった。
今までは、なんだか深い山と谷がある地面を横にスパッと切り取ったような土地が続いていた。いや、平らな地面を川が削り取って谷になったような土地と言うべきだろうか。
地層は剥き出しで、見渡す限りに浅めの谷がうねうねと続いている。峡谷と言うにはなんだか浅いが、山と谷が幾つも幾つも迷路のように広がっていて雄大な自然を感じさせる。
アジャの神鳴りで吹き飛ばされたのか、川や植物などといったものは一切無かった。
それが、ところどころに植物の生える平らな荒野に様変わりしている。
相変わらず地面は剥き出しだが、ところどころに生える低木や多年生植物がくすんだ緑色で、それがあるだけで結構違うものだ。
ちなみにここまで、動物の気配が一切無い。
[何もいないな]
[逃げたんだよ。いつもは、砂トカゲがいるらしいけど]
[砂トカゲ?]
[雑魚]
にべもない言い方である。
[あとは、赤顔の巨鳥とか、砂ネズミとか、ワームの亜種もいるとか……]
[危険なのか?]
[全部雑魚]
[へえ]
雑魚らしい。
まあアジャにとっては雑魚なだけで、もし俺が一人で遭遇したら死ぬんだろうなと思う。
ファンタジーでトカゲと言ったら、大体は俺の知る掌サイズのヤツじゃなくて、竜の劣化版みたいなヤツだ。1から10で言ったら、少なくとも4くらいの強さはありそうである。そうでなくとも、少し戻れば竜の峡谷があるこの場所に生息する動物が弱いわけがない。
ついでに言うなら、俺は多分ファンタジーで雑魚と有名なゴブリンと戦っても負けるような気がするので、強さは関係なく野生動物に遭遇したらそこで終わりだろう。
ここに来てすぐにアジャに会えたのは、俺にとって一生に一回の幸運だったのかもしれないと今更ながらに考えた。
[アジャ公って結構色々知ってるんだな]
[そう?]
[この場所来たことないんだろ? なのに砂トカゲとか知ってるし]
[……砂トカゲは、狩ったことあるもん。他は、まあ、ほとんどオババに教えてもらった]
[オババ、さん?]
鸚鵡返しに繰り返す。
考えてみれば、アジャの話には結構な頻度で[オババ]なる存在が登場する。想像するに、アジャに色々なことを教育してくれたのは大体その人なのではないだろうか。
[……オババは、俺が生まれて、ちょっとしてから帰ってきた竜だよ。世界中旅してたから、物知りなんだ。……俺は、修練がない時は、いつもオババの洞窟に行ってた]
[へえ。可愛がってもらったんだな]
[……さあ? オババは、アジャシャガシィザはいなくなるべきだって、いつも言ってたけど]
[はん?]
思わず変な声が出た。
なんなんだろう。
オババさんはアジャのことを嫌っていたのか?
アジャは懐いているようだし、アジャの発言から推測するに結構アジャのことを気にかけてくれる存在だと思っていたのだが……。
俺は首を傾げた。
オババさんのことを話すアジャはなんだか平坦だ。それは決して悪い意味ではなく、多くの人には当然家族がいるように、いて当然な存在のような親しみを感じる。
また、アジャは大人の話をするときはちょっと苦々しい雰囲気を滲ませるが、オババさんの話だけは、特に悪感情を抱いている感じではない。
詳しいことは何も聞いていないが、アジャの言葉の端々から推察するに、アジャは竜の群れの中で冷遇されていたのか特別視されていたのか、とにかく距離は置かれていたようだ。
そんな中で、唯一アジャに寄り添ってくれていたっぽいのがオババさんである。
であれば、[いなくなるべきだ]というのも何らかの情をアジャに向けた上での言葉なのだろうか。それにしては冷たい言葉だが。
[……アジャ公は、オババさんのことどう思ってたんだ?]
[……俺は、好き、だったよ]
[──そうか]
それなら、いいか。
俺はただ頷いた。
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