第10話 弱いと強い
[……生き残りたかったからだよ]
[うん?]
[俺は強いよ。今日気付いたけど、この峡谷で一番強かった。でも、どんなに強くても、覚醒したら人間に討伐されるって、昔オババが言ってたんだ]
[へぇ?]
覚醒ってなんだろう。そういえば初めて会った時もそんな単語を聞いた気がする。その口振りから、良くないことだというのはなんとなく分かるのだが。
まあ覚醒というからには何かに目覚めるということなのだろう。
やや違う意味も含んでいるような単語なので、深く聞かないと分からなそうだ。
今度聞くとしよう。
[ハチは、弱いし魔法も使えないみたいだけど、俺の知らないことを知ってる。俺は強いけど、多分この後は強いだけじゃ生き残れなくて、じゃあどうしようって考えた時に、ハチが逃げればいいって言ったんだ。一緒に逃げるかって。だから俺はハチについてきた。ハチについていけば生き残れるかもしれないって思ったから]
俺ははたと瞬いた。
なんの話かと思ったが、ちょっと前に話した[アジャ公は俺よりも強いだろ? なのになんで俺のことを庇護者って思ってるんだ?]という問いに対する答えか。
俺はアジャを見下ろした。
眠いと何もかもが億劫になって、ただ穏やかな睡魔に身を任せたくなる。微かに口を動かすのも億劫そうに、アジャはむにゃむにゃしていた。
子供は疲れていると、入眠がわりと一瞬だ。
アジャだってきっと疲れていて、すぐにでも寝たいくらいなのだろう。ライムグリーンの瞳はすでに瞼に閉ざされて見えない。
それでも話し続けるのは、それだけ俺に伝えたい話なのだ。
[ふぅん]
[……あと、「キャラメル」、美味しかった]
最後のが一番大きな理由だろうなと俺には分かった。
そんなに気に入ってもらえたなら何よりだ。
キャラメルは単なる俺の糖分補給用で、それは俺の気分でハイチュウにもキャンディにも金平糖にもなる。
文章を書いてると頭を使うのだ。頭を使うと糖分が欲しくなる。今日は本当にたまたまキャラメルだった。
俺は小さく笑ってアジャの小さな耳元で囁く。
[「キャラメル」な、手持ちの分しかないぞ]
[えっ]
ねむねむしていたアジャが一瞬で跳ね起きた。
今日見た中で一番悲しそうな顔をしている。
マジか。そんなに好きなのか。
[えってなんだよ。俺が持ってるのこれだけだから、これがなくなったらおしまいだよ。……あー、でも、確か「牛乳」と「砂糖」と「バター」があれば作れた気もする……]
[作って!!]
[お前本当に「キャラメル」好きなんだな]
なんだかおかしくって、つい笑ってしまう。
アジャはちょっとムッとしたような顔で、ぽすんと再び俺の腕の中に収まった。
ぐりぐりと拗ねたように頭を押し付けられる。角が食い込んでわりと痛いが甘んじて受け入れた。
「じゃあやっぱり町に行かないとなー。「牛乳」も「砂糖」も「バター」も、多分町にしかないからなー]
[……明日、背中に乗っけてあげようか?]
[うーん、確かにその方が速そうだが、リアルに考えるとどうなんだろうな。飛ぶんだろ? 高度による空気の薄さとか寒さとか、そもそもしがみつき続ける筋力と持久力が俺にあるかとか……]
[ひんじゃく……]
[返す言葉もないな]
あやすようにポンポンと背を叩く。
アジャは呆れたようにため息をついた。
そしてまたうつらと目を細め、瞼が降りる。
[……ハチ、弱いんだね]
[まあ、そうだな、お前に比べたらな]
[……弱い]
[おい連呼すんな]
逆に聞きたいんだが、マグマの中でも泳げて氷の中でも眠れる最強生物より強い人間がいるなら教えてほしい。
俺は魔法は使えないし空も飛べない、身体能力も高い方じゃないし、耐久力があるかも微妙である。
でも、考えてみればアジャにはその全部があって、それなのに俺と一緒にいるのは酷く煩わしいことなんじゃないかと、ふと考えた。
分かりやすく例えると、きっと俺が一匹のてんとう虫と一緒に過ごすようなものだ。……ちょっと可愛く例えすぎたか? まあいい。
うっかりすると潰すだろうし、多分暑い部屋でも寒い部屋でもてんとう虫は死んでしまう。仮に意思疎通ができるとして、一緒に何かをやるのは酷く大変そうだ。
大体俺一人でやった方が早い。
もしかしたら、アジャはそういうやりづらさを感じているのかもしれなかった。
アジャがうとうとと頭を擦り付けてくる。
[……うん、思ったよりも、ずっとハチは弱かったから、ちょっとだけね、名前を許したの、間違いだったかなって思っちゃった]
[……まあ、お前が間違いだと思うなら間違いなんじゃないか?]
[……ハチ、怒んないの?]
[なんで? 俺は滅茶苦茶間違えるし、お前だって間違えるだろ]
[……そうかも]
[でも、間違えてるかどうかなんて、後からしか分からない。今のお前が、昔のお前の判断は間違ってたなと思うならそうかもしれない。でも、今のお前の判断を未来のお前も正しいと思うかは分からないけどな]
[……ハチの話はまどろっこしい。結局俺は間違ってるの?]
[さあ? 言っただろ、間違ってるかどうかは分からない。今はとりあえず、後悔しないように自分が正しいと思うことをすればいいと俺は思うぞ]
[……ふぅん]
アジャがすり、と俺の腕に懐いた。
体がほかほかと温かい。本格的に眠いのだろう。
[──というか、そう、まずそれだ。俺はお前を庇護するつもりはさらさらないぞ。もちろん相談には乗るし、俺が知ってることは教えるし、何かあれば大人なりに助けようとはする。でもお前の安全と健康を保証したりするのは無理だし、何も言わずに従われても困るから、俺を庇護者だと思うのは止めなさい]
[……相談に乗って、知ってることを教えてくれて、助けようとしてくれるなら、それは庇護者じゃないの?]
[全然違う。俺は責任は持てない]
[せきにん?]
[俺はいつでもお前と一緒にいるのをやめることができるってことだ。それはお前も同じ。俺たちは嫌になったら離れていいんだ。それが出来なくなるのが責任。庇護者は庇護する人たちのことを放り出して離れたらいけないだろ?]
[……なるほど]
アジャが目を閉じて半分寝ながら頷いた。
というか、うん。流石にこの状況でこの話を混ぜっ返すのは悪手だ。後で改めてしよう。多分、今話してもアジャは覚えてないと思う。
俺は目を閉じた。
瞼の裏に、さっきまで視界に入っていた黄緑色の炎が揺れている。暗い中でずっと眩しいものを見ていたから、残像が残っているのだ。
ゆらゆらと黄緑色の光が揺れる。
[……確かに、離れることは考えてなかった、かも。ハチがダメだなって思ったら、俺がハチを殺しておしまいだと思ってたから]
[え、なにそれ怖]
[……群れのリーダーは、決闘で殺されて、入れ替わるんだよ]
[俺下手したら今日にも殺される可能性あったってこと? 怖]
[……でも、ダメだなって思ったら、離れるだけでいいんだね]
[……まあ、そうだな。人間の場合は大体そうだ]
[……なんだか、曖昧だね]
[そうかもな]
[……ハチは、俺から離れる?]
[……どうだろう。考えてない]
[……俺も、殺すのは想像できたけど、離れるのは全然、想像、できないな]
[怖えよ]
黄緑色の光が揺れる。
いつの間にか意識は落ちて、残ったのは暗闇の中でパチパチと燃える黄緑色の炎だけになった。
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