第9話 群れの掟


 よく分からないが、アジャが驚いている。

 驚くアジャに続きを促すと、彼はおずおずとまた喋り出した。


[弱いって、認めて良いの? 決闘は?]

[え、ごめん、決闘とは? 竜の群れのルールは分からない]

[? 一番強い人が群れの庇護者になるでしょ? 人間は違うの?]


 アジャはきょとんと、本当に思いもよらない不思議なものにでも触れたみたいに俺を見る。


 随分と動物的なことを言うなと俺は思った。


 確かに、野生の動物だと群れのリーダーは大体一番強い個体がなる。

 それは強い個体がリーダーになることで生き残るためだし、ひいては強い個体を特別に扱うことで強い遺伝子を残し、種を存続させるためだ。


 そう考えると、必ずしも一番強い個体がリーダーにならない人間は動物として少し変なのかもしれない。


 俺は少し考えて、けれどアジャの言葉に感じた矛盾を素直に指摘してみることにした。


[人間は確かに、必ずしも一番強い人が庇護者になるわけじゃない。でも、それはアジャ公も同じなんじゃないか?]

[同じ?]

[アジャ公は俺よりも強いだろ? なのになんで俺のことを庇護者って思ってるんだ?]

[……むん]


 アジャは再び口をむにゅむにゅと動かして考え込んでしまった。


 アジャの心情を表すみたいにライムグリーンの炎がゆらゆらと揺れる。


 俺は目を細めた。

 黄緑色の炎が明るいせいで、真っ暗な周囲の様子はますます真っ暗で何も見えない。けれどそれは逆に、炎に照らし出されたアジャの顔はよくよく見えるということだ。


 炎のおかげで、冷え切った俺の体はじわじわと温まってきていた。


[……]


 アジャはしばらく考え込んでいた。難しいのだろうか。パチパチと炎の粒が弾ける音だけが暗い空間に散っていく。


 しばらく無言の時間が続いて、俺は少しうとうとと眠くなる。今日はいろいろあって疲れたし、炎が暖かいのがいけない。幻想的な黄緑色の炎が緩やかに揺れるのが、余計に俺を夢見心地にさせた。


 ……うん、時間はまだあるし、とりあえず今日は寝てしまってもいいのではないだろうか。難しい話は、また今度でもできる。


[アジャ公、今日はもうとりあえず寝ようぜ]

[……見張りは?]

[見張り?]

[……群れの掟で、必要なんだ]

[ええ……]


 察するに、ここは危険な土地だから、竜といえど寝る時に見張りが必要だということだろう。うーん、今日はすごく疲れたから、俺が起きていられるか心配だ。そもそも闇で辺りは見通せないし気付いても俺は戦えないから、二人で起きたまま夜を明かすことになるが……。


[ちなみに普段この辺り何がいんの?」

[だいたい雑魚だけど、ワイバーンとか火竜とか、喧嘩好きな奴がうろついてるよ。……まあ結界は張ってるし、そもそも俺が神鳴り落としたからしばらくは近寄りもしないだろうけど]

[なんだ、じゃあ問題ないだろ……]

[ええ……]


 アジャが呆れたように顔を顰める。

 いや、自分でワイバーンも火竜も近寄りもしないだろうって言ったんだろ。脅威が無いなら見張りなんて立てる必要ないだろうに。


 そう言うと、アジャはほとほと困ったような顔をした。

 けれどもすぐに何か思い直したのか、うんとひとつ頷く。


[……まあいいけど、群れの掟だと見張りは下っ端がやるものだし]

[何が……?]

[ハチは寝て良いよ。俺が見張り……]

[アージャ公、お前も寝るんだよ]

[えっ]


 小さな体を抱え込み、俺はゴロンと砂の上に横になった。


 地面はひんやりと冷えていたが、炎がチリチリと肌を炙る。

 アジャもあまり体温は高くないようで温かくはなかったが、俺はアジャを冷えた地面にあまり触れさせないように両手で抱えて抱き枕のようにする。やや角が邪魔だったが贅沢は言うまい。


 俺はトロ火のような意識でどうやってアジャを寝かせるか考えた。


[ハチ、はなして……]

[あのなー、お前はどうやら大事なことを知らないようだから教えておく]

[は?]

[夜寝ないと大きくなれないんだぜ]

[…………は?]


 本当に何言ってんだコイツ、みたいな目で俺を見るアジャ。俺は怯まずに続けた。


[アジャはまだちっさいな?]

[……竜の形になれば踏み潰せるくらい大きいけど]

[なら、ちゃんと成長すればさぞ立派になるんだろうな]

[……何が言いたいの?]

[子供は大きくなるのが仕事だぞ]


 俺の言葉に、アジャがキョトンとした。先ほどの「何言ってんだコイツ」みたいな顔よりは、いくらか無垢で幼い表情だ。


[……子供は大きくなるのが仕事、]

[竜は違うのか?]

[……さあ]


 アジャの黄緑色の瞳孔がきゅうと縦に引き絞られた。はくりと何事かを話そうと小さな口が開く。

 俺はそれを黙って見つめた。


[……俺は特別だから。他の子供はそうだったかもしれない]

[そうか。特別、ね]

[うん、特別。群れの大人はみんなそう言ってた]

[ふぅん。竜の特別は人間の俺には分からんからな……、希望があるなら接し方を改めるが]

[んー、このままでいい、よ]


 アジャもうとうとし始めているようだ。


 もぞもぞと俺の腕の中で居心地のいい場所や体勢を探し、ようやく収まりのいい場所を見つけたのか「ほぅ」と息をつく。

 体が弛緩して、ずしりと子供の重さが俺の腕にのし掛かった。


 こうしていると本当にただの子供だ。


[……多分ね、]

[おう?]


 おもむろにアジャが口を開いた。


 眠いのかむにゃむにゃと不明瞭だが、辺りは風の音と炎の音のみで静かだし、くっついているくらい距離が近いので問題なく聞き取れる。


 耳を傾けると、アジャは尚も不明瞭に喋った。


[……生き残りたかったからだよ]

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