第3話 ツノのある子供


[……あんた、何]


 ポツリと落とされた声は子供なりに低くて、おやと思った。綺麗な顔立ちだし髪が長いから女の子かと思ったけど、男の子か。


 そして、零れた言葉は俺の知らない言葉だった。

 ということは、俺が今まで声をかけた言葉はそもそも意味を理解されていなかったということになる。なるほど。夢だからご都合主義で言葉は日本語かと思っていた。不覚だ。


 彼の言語は発音が結構複雑で、でも綺麗だ。鼻から抜けるような音が多そう。どこか歌うみたいな響きの言語だった。母音の読み方に規則性がないのも発音の難しさに拍車をかけている。微かに音を変化させることで、意味に少しずつ変化を持たせている不思議な言語。


 俺は少し調整して、それから彼と同じ言葉を使って返事をした。


[名前? 八郎右衛門司郎だよ]


 うん、ちょっと難しい。んふふーみたいに、含みながら笑っているみたいな音が鼻から漏れる。ちゃんと通じたかな。


[……ハチローエモンシロー……]


 通じたらしい。


[おう。お前は?]

[……アジャシャガシィザ]


 アジャシャガシィザ。

 聞こえたままの韻を口の中で繰り返す。俺も人のことは言えないけど、随分変な名前である。


[ふぅん。アジャシャガシィザ、ね。お前、何があったの?]


 とりあえず聞いてみた。

 聞いてから、随分抽象的な聞き方だと思った。

 まあいいか。悩み相談にはこれくらい当たり障りない方が喋りやすいかもしれない。


 子供は相変わらずこちらを見ない。ただ空を見ていた。

 ほつれた髪がふわふわと風を孕んで踊る。漆黒の角と尻尾だけが変わらず艶々して浮いていた。元々、角と尻尾以外は色素の薄い少年だった。


[……何って? 知ってるから来たんじゃないの。殺すの? 利用するの? ……好きにすれば。どうせ今の俺じゃ抵抗できない]


 意外と擦れたご返答。

 彼はちょっと病み系か。いや、人には程度はどうあれ病む時もある。たまたま今がそういうときだったんだろう。あるある。


 というか、彼はなんでここにいるんだろう。

 今になって当然の疑問がちょっと現実的に首をもたげた。


[いやすまん。気付いたらここにいたから何にも分からん。殺されたり利用されたりするようなことしたのか、お前]


 ふわふわと当たり障りなく聞き返す。


 やっと子供はチラッとこちらを見た。

 ゴミでも見るような目だったが。


 特に気を悪くするでもなくへらっと笑い返すと、ライムグリーンの瞳がきゅうと細まった。眉がぎゅうっと中央に寄り、さっと背けられる。それでつんと小さな唇を尖らせて、しばらくむぐむぐと動かしていた。

 喋るか喋らないか考えているのだろう。


[……やってたら、何]

[いや、内容を知らないから特に何も言えないが。何が理由で何をしたのかなと]

[……ふん。俺だって、やりたくてやったわけじゃ、]

[嫌だったのか]

[……そう、かもね。……誰がこんなこと好きでやるもんか。……でも、これしかなかったんだ]

[ふむ。お前は何をしたんだ?]


 抽象的な会話が続く。


 子供がはく、と息を吸うのが見えた。


[……。見ただろ。神鳴り。……群れの大人がみんな壊してこいって言うから、それが俺の役目だって言うから、だから言われた通りみんな壊してやった]


 神鳴り。


 ひょっとして、さっきの雷のことだろうか。

 そうか、あれはこの子供がやったのか。


 やけにすとんとその事実は俺の胸に落ちた。

 そりゃあな。一所にたくさんの雷が落ちるとか、自然には起こらないよな。よく見たら、彼のライムグリーンの瞳はさっきの迸る稲妻たちと同じ色をしていた。


 目の奥が黄緑色にチカチカする。


[ああ、さっきの雷。あれお前がやったんだ]

[そう、俺がやった]

[ふぅん]


 ふぅん。


[それが俺の役目だって、みんな言うんだ。だからやってやったんだ]

[そうか]

[すごいだろ。褒めてくれても良いよ。実力があったからできたんだ。俺が、特別だったから]

[そうか]

[もう、ここ全部更地だよ。馬鹿みたい。俺のこと利用できると思ってた大人も馬鹿みたいだし、結局覚醒しちゃった俺も馬鹿みたい]

[……うーん、大人に、嫌だって言ったか?]

[そんなの……ッ!!]


 カッと子供がライムグリーンの目を釣り上げた。

 怒らせてしまったらしい。


 彼は俺に向かって怒鳴った。


[言ってどうなるの!? どうにもなんなかったからこうなったんだ!]

[言ってないのか?]

[だから、言っても意味ないんだ!!]

[そっか。なら仕方ないな]

[え、]


 俺があっさり引くと、不意を突かれたように子供が語気を弱める。


 まあ、嫌だと言えば意外とどうにかなることもあるのだが、しかしこの子供がどうにもならないと思うならそうなのだろう。

 俺はその場を見ていないので判断できないし、今更そんなことを言っても遣る瀬無いだけだ。


 俺はこくこくと頷きながら同意を示した。


[いるよなー、言っても分かってくれない奴。そんな奴とは、付き合わなきゃ良いのにって思うけど]

[……そんなの、できるわけない]

[まあそうだよな。嫌だからって全部拒否なんてできないもんな。お前そんなに小さいのに世知辛い世の中で生きてんなー]

[……意味、分かんないし]


 子供がぷいっと顔を背ける。


 ……これは、ウザがられてしまったかもしれない。

 俺は困ったように頬を掻いた。

 あれ、今更だけどこれ、俺が子供にダル絡みしているみたいな構図? やっぱり?

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