第2話 天変地異


 とりあえずそれは、まさしく天変地異であった。


 轟音が空気を慌しく波打たせる。

 地面が抉れ上がって、飛来物と衝撃波が押し寄せた。


 ワサワサと屋根のように生い茂っていた木々が爆風に一瞬で刈り取られて、丸裸になる。

 俺はたまらず地面に伏せたが、空も地も荒れ狂っててどこにも縋り付けるところがない。なすがままに揺さぶられた。


「──え、落ち、えっ──」


 雷ってこんなに威力高いものだっけ。


 押し寄せる閃光と轟音と爆風と振動と、少し遅れて砂埃と痛み。落ち着いて息も出来やしない。


 音と光に揉みくちゃにされて体がバラバラになりそうだ。

 顔を庇ったまま、めちゃくちゃに振り回される間、俺は意外と冷静だった。


 よく分からないが、この辺り一帯に雷が落ちまくっている。

 いや、何故?


 雷の音って、雷によって局所的に空気が熱せられて、それによって急激に空気が膨張して衝撃波が起こることで発生しているらしい。

 つまり雷は音だけでなく衝撃波を伴っているらしいのだが、それでもここまで物理的に余波が強いのはヤバくないか? 俺の体吹っ飛びそうなんだが。

 雷が直撃したらどうなるの? 溶ける? 高温で溶ける? それってどんな死体になるんだろう。穏やかではなさそうなので、その死に方はやめておきたい。


 さて、そんなことを考えている間に、どれくらいの時間が経っていたのだろう。


 閃光とか爆風とかは大体収まっていた。


「……けほっごほッ、……ぅえ、ぺっ……」


 ひゅっと息を吸い込んだ拍子に、砂が喉と鼻をくすぐる。

 堪らず激しく咳き込んだ。唾液と鼻水と涙がドバドバ生成されている。体内に入った砂を排出したいのだろう。しかし周囲の空気は余すところなく砂を含んでいるから逆効果だ。喉も鼻も目もカッサカサである。


 で、一頻り咳き込んで転げ回ったところで、改めて状況確認。


 周囲の薄暗い森はすっかり禿げ上がっていた。と言っても濛々と舞う砂煙のせいで未だ辺りは薄暗く空も見えないままだ。詰み感増したな。

 砂煙で曇って遠くの景色も見渡せない。しかし障害物は大分減った感じがする。木とかそれっぽい影があまりない。あまりないって言うか全然見えない。


 って言うかあまりの砂煙に目が開けていられない。手を握るだけでじゃりじゃりしたのが肌に付いてるってことが分かる。絶対これ服も髪も砂だらけだ。ああ風呂入りたい。


 とか思っていたら、不意にぶわりと風が吹いて砂煙が一掃された。


「──」


 目の奥に急に太陽の光を感じて、思わずぎゅっと目を瞑る。そして、寝起きみたいにゆっくりと薄目を開けた。


 見渡す限りの鮮やかな渓谷。

 そんな光景が俺の目に飛び込んできた。


 陽光を満遍なく受けて鮮やかな地層が惜しげもなく晒されている。断続的にうねうねと平地と谷が広がっていて、遥か彼方まで見渡せるものの四方八方どこを見ても地平線しかない。

 俺はそんな中で、間抜けにもぺたりと地面に座り込んでいたらしい。


 目まぐるしいな。

 真っ暗い森かと思ったら雷が落ちてきて爆風に晒されて、砂煙だらけと思ったら晴れ渡った渓谷のど真ん中で。


 もしかしてこれ、全部夢?


 その方が納得できる。だって全部に現実感がない。

 よしんば異世界転移の類だとして、こんなにコロコロ天変地異が起こるような過酷な地で生き抜ける気がしないので夢であってほしい。夢だとしておこう。


 俺は立ち上がって伸びをした。

 肩回りから背中にかけて、そして首がゴキゴキいっている。縮こまっていた筋肉が伸びる感覚。うーん、体が硬い。詰めていた息を吐き出すと同時に、脱力した。


 そしてやっと、この渓谷に俺以外に人がいることに気が付いた。


 思わずポカンと呆ける。


 へぇ、と思った。と言うかちょっと感心した。


 あの天変地異を一緒にやり過ごした同士がいたのかと。しかもこんなに近くに。

 なんだか謎な仲間意識っぽいものが芽生える。ちょっと話しかけて、このよく分からん出来事を分かち合いたい。いやぁ珍しい体験でした、お互い災難ですね、みたいな。……我ながら何だこの感想、呑気か。


 よくよく見ると、相手は子供のようだった。


 陽光を受けて、絹糸のような金髪がキラキラと光っている。しかし髪はほつれて薄汚れて酷い有様だ。

 というか、こんな場所に原因不明に突っ立っていた俺が言うのも何だが、何故こんな場所に子供がいるのだろう。まあいいか、所詮夢だし、俺が最も疑問を呈したいのはその部分ではない。


 その子供は、ひん曲がった鋭い角を側頭部に有していた。

 漆黒の大層立派な角だった。どうにもコスプレとかには見えない。奇妙だ。しかし似合っている。金髪に黒が映えて綺麗だ。そしてその奇妙な部分が一際目立っているだけで、よく見ればその子供はどこからどこまでも奇妙である。


 パッと見た身長から立てた推測では、10歳とかその辺だろうか。女の子だろう。

 薄汚れている金色の長い髪、零れ落ちそうなほど大きな目は炎のように鮮烈なライムグリーン、人形のように整った西洋人風の堀の深い顔立ち。陶器のように白い肌も傷だらけで痛々しい。


 さらに子供は見るからに痩せ細っていた。

 頬はこけ、元はワンピースであっただろう襤褸切れから覗く手足は、骨と皮だけにしか見えない。一目で栄養失調だと窺える姿。なのに同じく襤褸切れから垂れる黒い尻尾は艶々と陽光を弾いている。根元に行くほど太く、先端に行くほど細い、しなやかな尻尾だ。


 子供は呆然と空を見上げていた。疲れきったみたいな顔をして、俺がいるのは気付いているはずなのに反応ひとつ返してこない。

 傷だらけで痩せていて、表情まで死んでいる。俺も大概生気のない表情をしている方だが、子供はそれ以上になんだか疲れ切ってしんどくて泣きそうだった。


「……」


 ここまで見た時点で、俺は感想共有とか言ってる場合じゃないなと思い始めた。


 子供は明らかに追い詰められて、自殺でもしそうな雰囲気だ。

 これは俺が何とかしてやらなくちゃ、と柄にもなく思う。


 別に、俺は立派な人間ではない。人様に教え導けることなど何もない。

 ただ、間違いなく10歳やそこらの子供よりは長く生きているので、長く生きているなりにちょっと多く経験を積んでいる。この子供に何があったかは分からないが、しかし年長者として相談に乗るくらいはできると思うのだ。


 後から思えば、こんな意味分からん状況で何考えてんだお前って感じだが、言い訳をするなら俺はこれが夢だと思っていたし、であれば状況はおいておいて死にそうな顔をしている子供の話を聞いてやるくらいの甲斐性はあったし、なら状況はおいておいて夢でくらい勝手にするか、みたいな。


 つまり夢だし状況とかあんまり考えてなかったのである。


 俺は子供に声をかけた。


「死にそうな顔してんな、お前」

「……」


 子供は答えない。


「凄い痩せてるな。飯は? キャラメルあるけどいる?」

「……」


 やはり答えない。


 喋る体力もないのか、無視されているのか。

 まあ俺みたいな胡散臭い大人に話しかけられてもな。碌な用件じゃなさそうって思われたのかも。思えばいきなりキャラメルいる? って不審者か。知らない人から物を貰っちゃいけないという基本的な常識を弁えた子供のようだ。


 俺は子供に少し近付いてから、寝転がった。

 それでも子供はちらりとも視線も寄越さない。


 寝転がると視界を埋めるのは一面の空だ。

 綺麗に晴れた清々しい空で、なんだか馬鹿みたいだった。


「すげー綺麗な空……。さっきまで雷落ちてしっちゃかめっちゃかだったのに、その間も空はこんなに綺麗だったのかな……」


 馬鹿みたいだ。良い意味で。

 俺の憂鬱も悩みも、全部ちっぽけなことに思える。

 自然ってすごいなー。昼寝していいかな。


[……あんた、何]


 しばらくして、やっと、子供が口を開いた。

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