Stewart Bell Roberts⑤

アメリカは巨大な田舎だ

と誰かが言っていた。

ジョージアだって栄えてはいるが、西海岸と比べたら田舎だと感じる事もある。

だが僕はホスピタリティ溢れるのどかなこの町が好きだ。


「Take over driving , Just a little.」

「No,Absolutely not.」

ハンドルに半ばかけられた指をチッチと舌打ちしながら退けた。

隣の彼は若く見えるが僕より少し年上、車の運転がしたい様だがいかに閑散とした道路でも無免許運転は許されない。

「ぐぅ…」

「だめ、かわいいかおしても No!」

「は?してへんわ。ハーおもんな。」

車の後部座席はチワワ一匹乗れない程に玩具が積み込まれているので、今日のジョージは大きいお尻を畳んで助手席に収まっている。ブスッと口を尖らせ窓から入る風に目をしぱしぱさせていた。

今朝から少し調子が悪そうだったから朝食は軽めにシリアルを出したのだが、あまり好みでは無かったらしく揉めた。まあ、他人が一緒に住めばそういう事も度々起こるだろう。


「Are you okay?」

「………。」


でも無視は良くない。

無言の時間が長く続いた事をラジオの時報が告げている。

こんなに人気がないのならちょっとくらいハンドルを譲ってやっても良かったのにと、同じ風に吹かれながらそう思った。


もう少し行くと見慣れた屋根が見えてくるので、この無言の時間も終わるだろう。採光窓に止まった鳥が羽繕いをしているのも見えた。ここに来ると誰かに見守られている気がして、少しだけホッとする。


車を降りてみると教会の周りはいつになく賑わっていた。クロスのかかった机には食器や衣類、家電や玩具が並んで活気がある。一人の女性が子供服をシスターに手渡し、目覚まし時計を手にとって大事そうに鞄に仕舞った。今日は家庭から出た不要品の交換会をやっている様だ。


「Stewart. Oh,sorry sorry sorry hey Stewart!」


雲海から突き出た山の如く、その人は立っていた。

僕たちを見つけるや否やその巨大な体躯を精一杯折り畳んで人を避け、こちらへ歩いてくる。身体は巨大なのに動作がちょこまかとしていて面白いと子供にも結構人気があるそうだ。数メートルの間にも代わる代わる声を掛けられるが、彼は一人一人の目をしっかり見て応えている。

「Sorry, sorry, I meant to greet you... oh, hey Lloyd, the child is now two years old? Hey Smith, hope your mom's lumbago is ok...? Remilia, don't lose heart.」


隣の連れを見ると、ポカンと口を開け目はパチクリして、まるで動物園で象を初めて見た子供だ。

「Hey there, Stewart! Welcome and welcome to you and your friends.」

「It's been a while.」

「え…この、人が、お前の…?」

ジョージは何か言いたげだったが、大きな掌で背中をやんわりと包まれると促されるまま教会の中へ。

キャソックの上からでも分かるくらい筋骨隆々の神父と共に奥の部屋へ入ると何人かのシスターが忙しなく働いている。一人のシスターが背後から近づき、その柔らかく白い手が僕ら二人の頭を撫でた。

「はうわっ…」

「Excuse me.」

椅子を倒さんばかりに驚くジョージ。急に頭を撫でられたらそりゃびっくりするだろうな、僕は慣れっこなので構わないが。彼女のこの癖は老若男女問わず出るもので、僕たちが孫ほども歳が離れているのは関係ない。


彼女が僕の初恋の人。


「Your friend?」

「Yes, he's staying with me.」

「Are you a student? Where did you come from?」

珍しく興味を持ったのか前のめりで聞くダリダに、こちらも前のめりで返すジョージ。ダリダの発音にはびっくりしていた様子だったが、ああ、と言うと身振り手振りで伝え始めた。

右拳を軽く前に出して人差し指を上げる。

「(EX...)」

両拳を胸と腹に当てとんとん叩く。

「(Soldier...)」


「I am a former Japanese Ground Self-Defense Officer and was in charge of humanitarian aid in island countries. I retired due to injury...(自分は元陸上自衛官で島嶼国にて人道支援の任に当たっていました。怪我で退役しましたが…。)」


「Well, that's a lot of work...thank you for your hard work.」

まあ!と大袈裟に歓喜して見せたダリダにジョージはたいそう気を良くした。


嘘だ。

君は漁師だろう、よくもそんな嘘八百を並べられたものだ。昔話で盛り上がる二人に割って入る事が出来ず僕はわなわなと拳を震わせた。

そして、一通り質問をして満足したのかダリダはヒラヒラと仕事に戻って行ってしまった。


それは、兎も角として。


「Where did you learn ASL?」

家族や友人に耳の不自由な人がいるのだろうか。

「There was a time when I was deaf. それで、なんやったっけな…そうや、何かの活動で来てる外人に教わったんや。The volunteer staff told me.」

「How did you go deaf?」

「……んーと。」

「Sorry, it's okay.」

ジョージが言い淀むので僕はそこで話を止めようと思った。だが彼はカップの紅茶を一口飲んで、それから指文字を作った。


W


A


R


「War?」


聞き返しても彼は知らん顔で紅茶をすする。

あの平和そうな島で戦争?

内戦があったという事なのだろうか?

それで、彼は巻き込まれて怪我をした?

何故と聞きたい事が多すぎて、でも僕の好奇心が彼を傷つけてしまったらと思うと何も聞けなくて。


戸惑う僕に彼は言葉を選びながらぽつり、ぽつりと語った。

戦争は日常を少しずつ浸食するように始まった。穏やかに挨拶を交わしていた同僚、隣人、新聞の記事も段々と信じられなくなっていき”敵は確かに存在する”という考えが常に頭にはあった。自分が赴く場所も苛烈を極めると覚悟はしていたし、後悔はしていなかった。いや、後悔や恐怖を悪だと思っていたのかもしれない。

自分が力尽きて、ようやくこの地獄が終わったのだと思った。気が付いた時には耳がほとんど聞こえなかった。人は口の動きを読む事も出来るので不便はあるが大した問題じゃない。ただ、海の音が聞こえないのはショックだった。


ここまでがジョージに聞いた話。

でも楽しい話もあった。

初めて見た飛行機の話。

横浜からニシキタイテイという飛行機が島と島を結んでいたそうだ。

あんなに大きくて綺麗な飛行機を見られて、日本に生まれて良かったと思ったのだそうだ。


「So, do you know what this is?」

小指、人差し指、親指を伸ばしてみる。彼女に伝えようとして覚えた手話だが、実はまだ一度も使った事がない。

「そんな事ばっか覚えんでええねん、アホ。」

背中をペシッと叩かれたが気にせず続けた。

「Difficult to move fingers smoothly, Try George.」

ジョージは何度やっても上手く出来ないらしく、お茶を飲み干して行くぞと席を立った。


そこへ司教が戻ってきた。僕たちが運んできた大量の玩具を一緒に荷下ろしする為だ。沢山の玩具が机に並ぶと広場のあちこちから子供が集まってきて、目を輝かせながら手に取っていく。一つひとつに父との思い出があって、今でも昨日の事の様に感じるのだ。父子が何度もお礼を言って、ベンツ型の乗り物を抱えて行った。腰にぴったりくっついた男の子と一瞬目が合う。どうか…どうかいつまでも幸せでありますように。


「おい行くぞ。」

「Oh, by the way, Sister said you could take something with you.」

折角ガレージを片付けたのだが、こういうイベントは久々だ。僕とジョージで一つずつ持ち帰る分には困らないだろう。

二人で歩き回っていると、ある事に気がついた。動物のぬいぐるみを見かける度にジョージが見ている。ほらまた。

「This one?」

一つ手に取って差し出すと、ジョージはあからさまにキョロキョロと周囲を気にしていた。

「いや...。」

帽子を深く被り直したジョージを見るに、ああやはりこれが欲しいのだと確信した。

「If you are shy, I'll take it instead.」

ふわふわで真っ白な体に赤いマフラーが映えたシロクマ。ひとかかえ程もあるこのぬいぐるみは、州の土産物としてはポピュラーな企業マスコットだ。

「ふーん…ほなお前はそれにすれば…」

僕はぬいぐるみを持つのを恥ずかしいとは思わないが、隠したい人も居るのだろう。勿論これは帰ったらジョージにあげるつもりだ。

「I'll take this one then. Thank you.」

シスターに礼を言って振り返ると、何とジョージの手には大きなラジカセが。

「俺はこれにしよ。」

赤いラジカセを抱えてフフンと嬉しさを滲ませる。

「What, you don't want this?」

「Hold this.」

「You...yes...good for you.」

先程見た子供のようにラジカセに目を輝かせているジョージを見たら、もう仕方がない。1980年頃に流行ったのだという赤くて横長の大きなラジカセは、ジョージに言わせればこれでも当時小型化した方なのだと言う。僕もハイスクール時代にはiPodやSHUREのイヤホンが喉から手が出るほど欲しかった。子供の時に買えないと、反動で大人になって買い漁る様になるから要注意だな。


帰りの後部座席にはぬいぐるみとラジカセがシートベルトに収まって、ガランとした車内の寂しさを紛らわせてくれていた。

ジョージは復路の間中、聖堂で聞いたAmazing Graceを口ずさんでいる。

あの曲が流れたという事は、教会に近しい人に悲しい出来事があったのだろう。そんな事を知ってか知らずかジョージはしんみりと歌い上げる。

シスター同様、音程がめちゃくちゃでテンポも合っていないその歌は懐かしくて何だか涙が出そうになった。

「良い歌やったな...。」

彼女の歌は、この祈りが神に届くと、生きる罪がいつか許されると、そう心から発せられている様な歌だった。

「I can sing that song in ASL too.」

「Keep your hands! アハハやないねんお前ほんまええかげんにせえよ!」

何て良い日なのだろう。

こんな日がずっと続けばいいのにと心から思う。



(※この物語はフィクションです。実在の人物、事件、団体等とは一切関係ございません。)

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