林 常治④

きっと奴は諦められないからあの場に行ったのではなく諦める為にあの場に行ったのだと、俺は勝手に思う事にした。

人は大人になっても心のどこかにまだ子供の自分が居座っている。

そいつが現実を受け入れられずに「でも、でも」と訴えるのだ。

ベルにはきっと現実を見せて捻じ伏せる以外の方法が思いつかなかったのだろう。

でも、本当にそれで良かったのだろうか・・・。


何気ない会話でふと耳にした事だが、ベルは10代の頃に父親を喪っている。

それがどうにも、自らの来し方と重ねずにはいられなかった。

俺の父が亡くなったのは大陸からの流行り病が猖獗(しょうけつ)を極めた1919年―

当時は村ごと無くなるような一大事だったと祖父から何度も何度も繰り返し聞かされたものだ。今の様な医療もない時代の痛ましい出来事は聞くに忍びなかったが、長男の務めとして父の事は覚えていてやらなければと堅く誓った。

父は、どんな人だったのだろう―


「Don't you eat?」

横にいたベルが心配そうに覗き込んできた。

イカンイカン、こんな子供に心配をかけるなんて俺も気が緩んできている証拠だ。

ご飯は楽しく食べないと食べ物に失礼・・・

「What is this!?」

分厚い固そうなパンにこんがり揚がったフライが挟まって、それが白い皿の上にドンと鎮座している。

ハッとして見渡すもそれが3つ、スープもサラダも付け合わせもなし。

時刻は08:20(マルハチフタマル)


チャイチャナは既に半分食べ進め、ベルはパンを片手にポカンとしていた。

「Fried Chicken Biscuit. Do you want maple syrup?」

「アホかお前、朝からこんなん食うたら胃がびっくりして目ぇ回すわ。」

「Are you a pescatarian?」

「ペス・・・何や知らんけどな・・・葉物ないんか~?」

色々言いたい事はあったが、渋々キッチンへ。

冷蔵庫を漁ってレタスを2、3枚毟り取るとダイニングからベルが呼びかける。

「Forgot my beer! Please!」

「No, I don't want to! 」


戻ると既に食べ終えたチャイチャナがこちらを見てため息を付く。

「ありえない、酒を忘れるなんて。学校にも忘れた事ないのに。」

それは大学の頃の話だな?スルーしていいものか?

「少し心配・・・」

俺は酒の代わりに持ってきた牛乳を渡し、ベルはそれを笑顔で受け取った。こんなに晴れた顔をしているというのに、付き合いの長いチャイチャナは何かが引っかかっているらしい。


そんな雰囲気を察してかベルが頷いた。

「All right, you don't want to go home to your parents, do you?」

片や一方は思い切りしかめっ面をしていたが、朝から重怠そうな表情をしていたのはそれもあるのではないかと思う。

奴の家族も色々複雑なのだろう。

そもそも息子が女の恰好をしている訳だ、親が何も言わんはずもない。


「I'm introducing my girlfriend to my parents tomorrow.」

「・・・がーるふれんど?」

待て、整理しよう。

こいつは男だ、女の恰好をした男。

それに女の恋人がいる。

そもそもガールフレンドは女友達とも取れるか・・・いや英語圏のやつらは友達ならフレンドという言葉を使ったはずだ。

ここに来てからというもの理解が及ばない事ばかりだ。この世には女の恰好をした男と交際する女がいるのか。


「What kind of person is she?」

ベルは祝福の笑みを湛え、チャイチャナにうるせぇぞと小突かれていた。

もし俺に色恋沙汰があったとしたらベルに話すだろうか、いやない。

少しの間一緒に過ごしてみて分かった事がある・・・こいつは他人との距離感が狂ってやがる。俺やチャイチャナの前で平然と服を脱ぐわ、そのままハグするわ、俺のシャワー中にちょっと失礼と入ってきたこともあった。何より昨日今日会ったばかりの相手と同床せんのだ普通は。

段々と自分が狂わされている気がしてならない・・・俺は正気か?誰か診断を頼みたい。


午前中はガレージで出た不用品を車に積み込む作業。玩具の類が出るわ出るわ、この家の主は相当な子煩悩だったらしい。

夕食はチャイチャナが日本食を食べたいと言うのでスーパーに行く事になった。


「ゲイとオカマと買い物か・・・俺も焼きが回ったな。」

「おい。」

「アカン、心の中に留めておくつもりがつい口に出た。」

「こいつはゲイだが俺はオカマじゃねえ、ファッションだ。別に同性愛を否定するつもりはねーが、俺には可愛い彼女もいるんだ。」

「ふぅん女自慢したいんやったらベルにせえや。」


別に羨ましくなんかないけどな。俺のストライクゾーンは恐らくお前の彼女の年齢に3掛けた位だ。


「ステイシーにこういう話振るとなー小動物を見る様な生暖かい目で見てきて気持ち悪いんだよなー。」


ああ、わかる。容易に想像できてしまう。


「うちの娘も彼氏がどーのなんて話してけえへんし、ま、同じ理由なんやろな。」


そう苦笑いしていると、チャイチャナの真ん丸の目が俺を射貫く様に見据えていた。


「お前、結婚してんのか!?」

「オ、オレハドクシンムスメハヨウシ!」


ガッと掴みかかられ一瞬たじろいでしまう。が、俺には何もやましい事などないのだと気づいた。

ベルが仲裁に入ったのは良かったがアジア人2人で喧嘩は流石に目立ちすぎる。そそくさと人目がない冷凍食品売り場まで移動して、ほっと胸を撫でおろす。

なにせこちらは不法滞在の身なので喧嘩するにも立場が弱い。

娘については根掘り葉掘り聞かれたが、どう答えても信じ難いだろう。娘は結婚を控えた三十路手前、かたや俺はピチピチ花盛りの26歳だ。

料理、裁縫、掃除に着付け、重火器の取り扱いまで出来てこれがモテない訳があるか?いや、ない。


「I think he is unmarried. He look like someone a virgin.」

「アアン!?」


聞き捨てならない言葉が聞こえた。声の主はメリケン・・・やはり早めに始末しておくべきだったか。

だがまあ今日のところは脛を蹴る程度で勘弁してやる。


「俺は疲れた・・・ええからさっさと買い物済まして帰ろや。」


辺りを見回すと冷凍のラヂオ焼きがケースに並んでいる。日本食で庶民向け、その上調理の手間もないとくればこれはお誂え向きだ。値段は大袋が15ドル、確か今朝の新聞で1ドル82円ほど。高い・・・ラヂオ焼きなんてものは子供が1銭だか2銭だかを握りしめて買いに行くものだと思っていたが、アメリカでは一端の値がついているのか。

「I want to eat takoyaki.」

そうか、そういえば今はタコが入っているのだった、冷凍ケースを開けようとする俺をチャイチャナが静止する。

「No! I want to make takoyaki.」

「George can make it.」

アホベルがまた適当な事を...しかしまあ、作ってやってもいい。上手くいけばアメリカの地でたこ焼き屋開業フランチャイズ化ジャンジャンバリバリ一攫千金!

夢は膨らむばかりだ。


なんて事を考えていると二人が嬉々として調理器具コーナーから戻ってくる。手に大きな銅板を抱え、車で来て良かったなどと宣っている。一人冷静な俺は必死で止めた。つい先日ガレージを死ぬ気で片づけたのだから金輪際無駄な買い物は絶対に阻止しなければならない。

「ええか、素人がなん十個も一度に焼ける訳ないやろ?そもそもどこで火い炊くねん。」

「バーベキューグリルにのるってよ。」

それはそれで楽しそうだと一瞬過ったが、やはりここは家庭用のカセットガス式で十分なのだ。これなら熱も均等に入るしうるさいガキ共も楽しめて一石二鳥なのだから。

「So small and cute.」

ほらクソガキもこう言っている。

しかし材料を一式買うと痛い出費だった・・・早めに島に帰るか、それとも仕事を見つけるかしないとすぐに金が底をついてしまいそう。


その日の食卓は一層賑やかだった。

「オイシーオイシー!Best with sauce and mayonnaise!」

「どんどんいくでー食べやー。」

皿に積み上げたたこ焼きは瞬く間に男3人の胃の中へ収まったのだった。


チャイチャナが帰った後、じゃんけんで負けたベルに全てを押し付けて、食後のコーヒーを飲みつつソファで寛いでいた時だ。

「When is George going home?」

すぐに答えは出なかった。帰路の事など考えずに船に飛び乗ったせいで帰る算段が立たないのだ。例えば不法滞在で捕まったとして、俺が戻される場所はあの島か?それとも祖国か?祖国での俺の扱いはどうなるのか?ぐるぐると考えが巡る。

「Do you want to stay here forever?」

唐突な一言に俺がむせて喋れなくなっている事を察してかキッチンからけらけら笑う声がする。

「Worried about me? Don't worry, I won't die, you can leave.」

「・・・。」


一つ気がかりな事があった。ガレージを片付けて出た大量の玩具たち・・・あれは今、次の所有者の元へ行くためベルの車に積み込まれている。他人から見れば不要品を処分するだけ。でもあれは父親がベルに買い与えた、きっと大切な物だろう。

この90有余年いろんな人間を見てきたがコイツは・・・

「どう考えても早死にするタイプやなあ・・・。」

頭を抱えるほど早死にするタイプ。そして見るからに若ハゲするタイプである。俺には分かる。ハゲは防げないとしても生死の方はどうにかしてやりたいと思うのが人情というものだろう。

机に突っ伏している俺の背後にいつの間にか奴が立っていた。

「I'm going out tomorrow. You coming?」

「Where?」

「To meet my first love.」


(※この物語はフィクションです。実在の人物、事件、団体等とは一切関係ございません。)

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