Stewart Bell Roberts④

「Daddy...?」


「アカン、ベルがまだおネムや」

「お前がダダ捏ねて出発が遅くなったせいだろ」


車の外から二人が覗き込んでいる。


こうなったのは出掛けにジョージがチャイチャナの服装に文句をつけ始めたからだ。

スカート、ヒール靴、メイクにアクセサリーありとあらゆるものが許せないらしい。

対してチャイチャナは「うちの爺ちゃんみたいな事言うな」と一蹴した。

彼も彼で譲れない拘りがあるのだ。

そんなこんなで待ちくたびれた僕は車内で眠りこけてしまっていた。


二人は仲の良いことにまだ口論を続けている。

やれやれ・・・助手席側に体を伸ばして見上げると、キャップ帽を目深に被ったジョージと目が合った。

「You're always angry, why?」

「I'm not angry, uh... just scared of face.」

顔が怖い?僕はそうは思わない。

「It's the voice that's angry. You look so cute.」

足でも攣ったのだろうか、後ろに2、3歩よろめいた後、下を向いて固まってしまう。

どうしたのと声を掛けると開きかけていたドアを乱暴に閉め、踵を返して後部座席の方に座ってしまった。

もしかして僕はまた気に障る事を言ったのだろうか。

空っぽの助手席に座る花束もどこか寂しく見えた。


暫く沈黙が続いた後、僕がラジオで流れた曲を口ずさんだのをきっかけに、二人も堰を切ったように歌い出す。

チャイチャナが軽快なT-POPを歌うと、ジョージもそれに合わせた。

シャイだと思っていたジョージは意外と人前で歌うのが好きなようだった。

「Oh, Death metal is good.」

ジョージが歌ったのはタクロウ・ヨシダという日本人、恐らく著名なヘヴィメタル・シンガーの歌だ。

歌詞の説明を聞くと男性が女性にプロポーズをする内容だそうだ。

メタルでプロポーズとは、日本音楽の自由さ懐の深さを感じる良い曲だと思った。

鬼気迫る歌声に車内はライブハウス並みに大盛り上がり、チャイチャナは途中で二度吐いた。

だが、無事目的地に到着だ。


未舗装の道をずっと走ってきたので、すっかりお尻が凝り固まってしまった。

「Is your butt safe?」

「俺の尻に構うな、あっちいけシッ」

ジョージが構ってくれないので車を降りてとぼとぼと前を歩く。

道...と言うより雑草がないだけの簡素な山道だ。


ケヴィンがここに眠っている。

そう思うだけで気が逸る、しかし体は重く一歩先の地面がぐにゃりと歪んで見えた。

やっと辿り着いた目的地は鳥の声も川のせせらぎも聞こえない、細い木が沢山どこまでも並んでいる場所だった。

寂しい場所だ―

もう何年も人が訪れていない錯覚に陥りそうな程、外界から隔絶されたこの場所に立っている。

背の高い木を見上げていると足がもたついて、眼と地面の距離が一気に近づいた。

「おい!」

恐らく失神しそうになった僕を間一髪でチャイチャナが受け止めてくれたのだろう。

「I'm okay. The flowers are safe.」

折角持ってきた花をここで潰してしまってはケヴィンに申し訳ない。

やっとここまで来たのだから。


「In the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Spirit.」

「...Amen.」

墓を拭いてもこれはただの石だ、花を飾ってもケヴィンの目には映らない。

真新しい綺麗な墓の前で十字を切る間も、妙な浮遊感と頭がぼんやりする感覚が残っている。

ぼんやりしたまま車に戻ってみても、実感がなくて。

僕が本当にやりたかった事はこんな事なのか・・・?


「I want to meet Kevin.」

やっぱりケヴィンに会ってくる、会わなければいけない、僕がこの先も生きていくために。

車の荷台に積んでいたシャベルを取り出し、走り出した。

しかしすぐにチャイチャナに肩を抑えられ地面に這いつくばる事になる。

「Sorry.」

「Let go of me!」

もがいても彼の力に敵うはずはない、土を握りしめて泣く姿はさぞ滑稽だろう。


そんな時、手を差し伸べてくれたのは意外な事にジョージだった。

二人は僕の知らない言葉でいくつかやり取りすると、チャイチャナだけが車に戻って行く。

後部座席で窓の外を見る彼は怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。


墓地の土は固くて、重くて、掌にマメが出来ては潰れていった。

さぁ、これで1フットくらい掘り進んだのではないだろうか。

「How deep is the grave?」

ジョージは約2mだと答えた。だから...6フィート半か...。

とはいえ掘ったのはまだ直径12インチ、車のタイヤ程の大きさだ。この分だと丸1日は掛かりそうな気がする。


それから1時間懸命に掘っても深さは1/3にも達していない。

額にパチッと水が滴って、空は不穏な影を落とした。

「Give it to me.」

チャイチャナが僕のすぐ真後ろに来ている事に全く気が付かなかったから、心臓が口から飛び出しそう。

僕はシャベルを渡すか悩んだ。僕が勝手にやっている事で二人にこれ以上迷惑を掛けたくなかったから。

「I don't mind a criminal record or two.」

ジョージがそう言うとチャイチャナも頷いた。

彼らは交代しながら瞬く間に残りを掘りあげていった。

時間にして1時間ほど。僕が掘っていた固い土は彼らにしたらゼリーの様なものかもしれない。

「You are a genius at digging holes.」


棺と対峙するだけでがくがくと膝が揺れる。

父の葬儀を思い出すからだ。

丁寧にエンバーミングが施された体はただ眠っているだけの様に見えて、土の中に埋めてしまうのは酷く罪深く感じた。

僕が棺を家に置くと言って譲らなかったので、親戚一同は参ってしまっていた。

幽霊もゾンビも全然怖くなかった、もう一度会えるのなら何でも良い。どんな姿でも。

愛していた、愛している、父もケヴィンも今でもずっと。


「I want to take him home... I really want to go home with Kevin...」

「Kevin's daughter will be in trouble if the tomb is lost.」


彼がケヴィンに妻子が居る事を知ったのは僕よりずっとずっと前だった。

貧乏だったのは別れた奥さんと娘に生活費や学費を送っていたからだそうだ。

そう、帰りの車内で話してくれた。


ところで、日本語では誰かが自分より先に死んでしまう事を"先立つ"と言うらしい。

英語だと"outlive"で残された自分が生きる事なのに・・・とても不思議だがこれは多分、人間が生まれ変わる輪廻転生という仏教の教えに起因するのだろう。

ただ、僕は生まれ変わりは信じていないし、亡くなった人はその日その場所で時計の針が止まったみたいに取り残される様な気がしていた。

置いていって、生きている自分だけが是も非もなく先に進んでしまうのだ。

そして翌朝にはまたパンを食べている。生きるために。


そう話すと、ジョージが呟いた。

「There's nothing i can do for a dead person.」

今まで何人も見送った。好きな奴も、嫌いな奴も、と。


●●●


「娘がいるなんて聞いてねーぞ!何で黙ってた!?」

「オ、オレハドクシンムスメハヨウシ!」

チャイチャナがジョージの胸ぐらを掴んで叫んでいる。

相も変わらず仲良く喧嘩している二人を見ると、兄弟の長男というのはこんな気持ちかもしれないと微笑ましくなった。

さて、問題なのはここがスーパーマーケットの魚介売り場という事だ。

「Take a deep breath and relax. Relax.」

促されるまま深呼吸をした彼は少し冷静さを取り戻した。

「fishy...」


どうやらジョージの娘の件で揉めていたらしい。

僕もその事は気になっていた・・・まだ小さいだろう娘を残して遠く離れたアメリカまで来ている事に心配もあった。

「How old is your daughter?」

「Huh? You have met my daughter.」

ジョージの娘に会ったことがある?僕が?

記憶を辿ってもそんな少女に覚えはなかった。

いくら僕がゲイとはいえ女性だけ記憶から削除するだとか、そんな失礼な人間ではない。

「She took care of you, didn't she?」

「...?」

待ってくれ、思い出せるのは一人だけだ。

店で僕を介抱してくれた背の高い女性・・・ジョージが何度も頭を下げていた記憶がある。

「Your daughter!?」

「Yes.」

「How old!?」

「29.」

「You!?」

「...26.」

いや計算がおかしいだろう!


はっと我に返ると店員とお客さんが遠巻きに白い目を向けている。

無論、僕たちにだ。

だから養子だと言ってるだろうと彼は言うが、それにしたって妙な関係だと思う。

「もういいよ、関西人が言うことだぜ?嘘か本当かわかんねーじゃん。」

「あ?なんや、関西人が嘘つきだとでも言うんか?」

またピリピリとした空気に逆戻りしてしまったようだ。

二人は喧嘩するのに僕には分からない言葉を使うので、どうしていいか分からない時がある。

「What does he say? Teach me Japanese next time.」

「He says you're attractive.」

えっそんな、やっぱりジョージは僕の事を追ってアメリカまで・・・?


「お、お前・・・お前、最ッ悪な嫌がらせを思いついたな!オカマはこれだから嫌や。」

「お前こそ本当に26か?言ってる事がうちの爺ちゃんと同じなんだよな。」

「うっ・・・」


ジョージが僕のことをそんな風に想っているとは...いや、思えば兆候はあった。

要所要所で味方をしてくれるし、気遣ってくれるし、夕飯のサーモンの香ばしい皮をくれた。

あれは全くいらないなと思ったけれど、日本人の求愛行動なのかもしれないな。

だから僕のこと好きなんだろうなと薄々感じてはいた。


しかし、一つだけ問題がある。

「I don't do the bottom...」

そう、僕はボトム側はやらないのだ。

これはどちら側にもなれるゲイならではの悩みだが、この部分の折り合いが付かずに諦めた恋もあったほど。

「Is that the kind of relationship you guys have?」

チャイチャナは一転して機嫌の良さそうな笑みを浮かべ、ジョージを小突いている。


「Never ever.」

「What did you just say?」

「Never ever ever.」


じゃあ、あの一夜の出来事は?スタッフルームのお楽しみは?

「Why did I get hemorrhoids?」

「知らんがな。」

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