Stewart Bell Roberts②
なぜこんな事になったのか。
僕はある事情から2週間のバケーションで南の島に旅行していて、予定通りに行けば、今頃はまだ南の島で遊覧飛行や土産選びをしているはずだった...
それが突然の体調不良から旅行は中止に、帰国後病院で検査を受けている状況だった。
ベッドから起き上がれないうえ下痢や嘔吐が続き、一時はここがどこかもあやふやだったが、友人に緊急連絡をしてすべて手配してもらったのでどうにかなった。
酒はやめろと口酸っぱく言われていたので頼るのは躊躇したが命には代えられない。
酒はやめられないが本当に感謝している。
看護師に、旅行中に食べたものや飲料水以外を口にしたか、利用した施設の衛生状態はアレルギーはドラッグはと尋ねられる。
ぐったりした思考のまま思い出してみるが、食べたものはどれも過熱済みであったし、食中毒の原因となる様な物は見当もつかない。
額を擦りながらうーんと唸っていると、そういえば酒を飲んでからの記憶がない。
「I'm just guessing, but … 」
まさかとは思うが―念の為STDの検査も受けておく事にした。
もう酒はやめた方が良いのかもしれない、滴下される液体を見つめながら一人ベッドで考えていると、医師から原因は酒の飲みすぎや生活習慣の乱れが複合的な原因であると告げられた。
ただ、寄生虫も少し…と専門書をパラパラめくりながらこういう類のものだとか、どういう症状が出るのかだとかを説明され、本当に生水を飲んでいないかもしつこく聞かれ、まあ全く頭に入ってこなかったのだが。
翌日には退院の許可が下りたのだった。
まだ少しばかりの休みも残っているし、家でゆっくりビール片手に映画でも見ながら余暇を過ごそう。
家の正面に大きなトラックが堂々と路上駐車しているのが頭にくるが、今はそれどころじゃない。
体はぼろぼろ、スーツケースを引きずりながらやっと家に帰ってきた。
ところで鍵 …鍵はどうしたんだっけ …
「I've had it …」
幸いな事に合鍵を玄関近くに隠していたので難を逃れる事が出来そうだ。
古典的だがこれが一番だとしみじみ思った。
2階建てのこじんまりとしたガレージハウス。
どうやら鍵は必要なかったみたいだ。
何故なら既に開いているから。
「 … … …」
最後の最後にダメ押しで突きつけられたこの不幸をどう処理していいか分からない。
よたよたと1階のガレージを抜けて鉄の階段を上ると、寛ぎのマイルームだ。
ドアを開ける前に『どうか何も起きていません様に、神様』と念じる。
部屋はどうやらいつも通りだ。
いや、床、床濡れてるからと意識の奥から呼びかけてくるが、限界なので見なかったことにしたい。
床には何かを引きずっていった様な跡がバスルームまで続いている。
警察を呼ぼうかどうしようか思考がまとまらないでいるとバスルームの奥から低い声で
「Could you give me a hand?」
どうやら男の声だ。
僕は今日死ぬのか?
「Come here.」
今度は少し大きい声
手伝うって何を?
「Sorry, Can you please come here?」
ぬっと見覚えのない男が顔を出す。
褐色の彫りの深い顔つきで、髪と髭が繋がった体毛の濃い人物。
しかもなかなかの大男だった。
アラブ人にもインド人にも知り合いなんて居ないんだけどなぁ、と体を震わせる僕を見て、怯えなくて大丈夫だから手伝ってくれないかと丁寧に繰り返す。
自分は強盗じゃないし、殺人犯でもない、前科はない、ここには友人に頼まれて送り届けに来ただけだと。
口調は穏やかで温和な雰囲気が漂っていた。
届け物?と聞くと、褐色の不法侵入者はバスタブを指さすのだった。
次の瞬間、僕は紙の詰まったプリンターの様な悲鳴を上げた。
「Oh, No!! dead body!?」
バスタブに人形?
え?死体?ほんとに?
眼の焦点が定まらず、口を魚みたいにパクパクさせていると、横に居る男が至って冷静な声で解凍するのは氷水の方が良いと思う?と肩をぽんぽん叩いてくる。
死体なら凍らせたままの方がいいだろう、腐ってしまうし。
バスタブには男の死体。
身体中キズだらけだが安らかな顔で、今にも動き出しそうなところが不気味だった。
横の男はマグロだと40度くらいの塩水だけど人間でも塩は必要なのか否か聞いてくるが、僕が役に立たないと分かり、勝手にお湯を張り始める。
目の前の状況について、恐る恐る男に質問を投げかけてみる。
答えはこうだった。
Q.この男は誰なのか
A.自分の恩師である
Q.なぜ死んだのか
A.出会った時には既に死んではいた
Q.なぜ冷凍されているのか
A.彼の家族がマグロのコンテナで送ってきたから
Q.死体を解凍した後はバラして捨てるのか
A.そんな事するはずない馬鹿
バスルームに二人、視線を交わさずに死体を眺めたまま淡々と話していた。
頭の中は落ち着いたというより思考停止状態だろうか。
病み上がりだから座っても良いかと尋ねると、温かい紅茶を入れてくれてどこからかブランケットまで持ってきてくれた。
紅茶をゆっくり口に含みながら、無事生き延びる事ができたらこの経験を元に本を出そうと思った。そうだ。それがいい。
空想上の本の装丁が全て決まった頃、バスルームから再び声がした。
体を拭いてくれと言うのだ。
シャワーでも暴発したのかとなるべく厚手のバスタオルを持っていくと、死体を横抱きにした状態の男が出てくる。
「Not me.」
まさか死体を拭けというのか …2歩後退るとベッドの縁にぶつかりよろける。
重いんだから早くしてくれと促されるので仕方ない、わしゃわしゃっと雑に拭くと男は顔を顰めて口であれこれ支持してくる。
耳の穴、脇、足指の間、尻の割れ目や局部の裏まで拭かされて、もう散々だ...。
男はベッドに死体を寝かせると、僕に貸していたブランケットを丁寧に掛けた。
せめて局部が隠れてくれたので見るに耐える状態になった気がした。
改めて見るとそれほどグロテスクな感じもなく、死体と言えば内臓が抉れているとか足が変な方向に曲がっているとか、そういうものだと思っていた。
「What’s the relationship between you two?」
どういう関係?...というのは?
男と見つめあったまま不思議な沈黙が数十秒続き、それはどういう意味だと口を開きかけた瞬間。
腕をやんわりと掴む冷えた感触にどっと汗が噴き出す。
「べる?」
不思議なもので人は本当の恐怖を前にして声は出ないものだ。
ひゅっと吸った息は吐き出されることなく頭のてっ辺から悪寒と共に走り抜けていった。
全身を巡る血液がたちまち冷えた様に感じる。
「あれ …右目が開かへん …」
右、右、と二人の男を交互に見る動く死体。
ベッドの逆サイドに居る男は安堵の表情を浮かべ、今にも泣きだしそうだった。
僕も多分別の意味で泣きそうだった。
「Oyassan …!Don’t overdo it.」
「すまんすまん」
二人で何やら会話し始めたのをぼんやり眺めていると、不意に手を取られ、
右目の上へスッと置かれる。
「Keep warm, OK? I'll bring something clothes, so please wait.」
そういうと早足で部屋から出て行ってしまう。
ガンガンと鉄階段を踏みつける音がしたのできっと外に出たのだろう。
...さて、二人きりになってしまったが。
男はしきりに具合は大丈夫か、と話しかけてくるが僕よりも今の今までくたばっていた君の方が大変そうだ。
掌で温められたおかげで徐々に右目が開いてくる。
白濁した右目、酷い火傷の右半身。
「George...?」
そうだ、あの夜出会った。
「You went to eat dinner together, didn't you? But I can't remember what happened after that.」
その後何があったか、どうしてジョージがここにいるのか。
「待て、も、ゆっくり話せ …Please say more slowly.」
もう一度同じ言葉をゆっくりと繰り返す。
「...覚えとらんのかあほんだら。」
ジョージの黒目だけがこちらをキッと睨みつける。
ガッと肩を掴んできたので反射でビクッと体が跳ね上がった。
親しくもない人間から心底軽蔑するというような表情を向けられたのは初めてだ。
真意を探るべく怯えながらも彼の表情を見ると、小さくため息をついて怒っているというより呆れている様子だった。
掴んできた左手も力なくシーツの上に落ちた。
「ま、ええわ」
まだ右半身が動かないらしくシーツの上で「Alu」と呼びかけている。
アルとは多分先ほどの男だろう、象の様な足でまたガンガンと階段を踏み鳴らし上ってくる音が聞こえた。
手には砂色のバックパックと大きめのジムバッグ、中には着替えが入っているらしい。
着替えを一式取り出しながらまた二人で話している。
この二人もまたどういう関係なのか、恩師と言うにはジョージの方がやや年下に感じるが、アジア人は幼く見える事もあるのでややこしい。
「おやっさんはこれからどうします?うちに来てもらっても構いませんが。 」
「んー...いや、お前んとこ嫁さんおるやろ。俺はしばらくここに泊めてもらおかな。」
「この人、大丈夫なんですか?」
なんだ?大男が親指でこちらを指してくるが?
「大丈夫やって、な?」
そしてようやく起き上がったこっちの坊主頭は肩をばんばん叩いてくる。
家主を置き去りに話はまとまった様だ。
口を出して藪蛇になっても困るし、ここは気配を消してやり過ごすことにした。
アルと呼ばれていた大男は粗方荷物を片すとそれらを車に放り込み始めたので、やっと僕の平穏が、休日が戻ってくるのだろうと胸を撫でおろす。
当然ジョージもトラックに乗るものだと思っていたが …
乗らないの?と尋ねるも一向に動く気配がなく、腕組みしてトラックを眺めている。
エンジンの掛かる音が僕の心をざわつかせる …何とかしてジョージを助手席に乗せようと促すと、やれやれという顔でポケットから1枚のコースターを取り出して見せてくれた。
そこには名前、住所、そして
『Let's live with me. 』
とヨレヨレの文字で書いてある。
酷い字だが紛れもなく僕の名前、僕の住所 … …僕の字。
西日に焼かれて露になった表情は、まるで悪戯が成功した時の子供の顔だった。
目を奪われている間に、生暖かい風を残してトラックのエンジン音が遠ざかっていく。
僕のバケーションが終わった。
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