土の中の二人

@Ko-bun

Stewart Bell Roberts①

ハリケーンのせいで外出も出来ず、ままならないバケーションの幕開けとなった。

昼間は悪天候だった事もあり、砂浜には二組のカップルがぽつりぽつりといるだけだ。


予約した自然遺産を巡るシーカヤックツアーは天候が許さず、買い物に行けば観光客が少ないので格好の餌食になってしまう。

その結果がこれ、

メタリックエメラルドの海にカラフルな海水魚のデジタルアート、とてつもなくとてつもない32ドルのスイムウェア。

まぁ誰に見せる訳でもなし…。

そんな事をぼんやり思いながら、いくつかあるパラソルから一つを選んで荷物を下ろす。

流木をどかすのさえ億劫でちょいちょいと足蹴にして適当に寛げる場所を作った。


波が穏やかで落ち着いた良い場所だ。

紹介してもらった事を宿の主人に感謝しつつ、バケツにぎっしり詰まった氷の中からビールを取り出す。

遮る物がなく、自分の住む場所とは比べようもないくらいの絶景。見渡す限りの空と海。

そして鳥と、波と、木の揺れる音。

湿った空気と心地よい風についついビールが進んでしまう。

ビーチベッドに横たわり、波の音だけを聞いていると世界に一人取り残された様な気分になってとても心地良かった。


そうして少しずつ空が染まっていくのを眺めながら、さっき通りで見かけたバーの看板のスペアリブの事を思い出していた。

先ほどまで居た二組のカップルは夕食にでも行ったのだろう、もう砂浜には自分しか残っていない。

酔いも回ってこのまま此処で寝てしまおうか、そろそろ食事に行かないと店が閉まってしまうのではないか…。

4本目のビールを空け5本目に手を掛けた所で、海から何かが上がってくるのが見えた。

夕焼けを背に黒い人影が段々と近づいてくる。


手には長い棒の様な物…銛(もり)だろうか…まさか密漁ではないだろうが、ぐっと喉がせり上がってくるような緊張を感じた。

近づいてくる人影は徐々に鮮明さを増し、男性だろうか…背は高くはない、が腕や足の太さから鍛えられた体躯が浮かび上がってくる。

身体には無数の傷キズきず…

不用意に関わりたくない気がして、目を瞑り息を止め気配を消す。


男がパラソル群を通り、すぐ横を過ぎる瞬間にちらと目線をやると背中全体に入ったタトゥーが見えた。

夕陽の残り火に照らされて一瞬見えた背中は蛇が這いまわった様な悍ましい陰影を描いていた。

どうやらシュノーケリング用マスクで視界が狭く、暗い砂浜ではこちらに気が付かなかったらしい。

氷が溶け缶ビールがガランと音を立てなければ絶対にやり過ごせていた。


「お?お客がおったんか、すまんすまん」

声を掛けられたが、異国の言葉で分からない。

「Good evening...」

手首を少し上げただけの挨拶に留めた。

あまりフレンドリーに接して長居されても困るからだ。


「Good evening, Where are you from?」

会話を続けられてしまった…続けるなよ。

仕方ないので「from the U.S.」とだけ答えたがすぐに

「ふぅん…What state are you from?」と返ってくる。

そんな調子で僕がジョージア州で広告系の仕事をしている22歳という個人情報が漏れてしまった。

焦ると余計な一言をつけ足してしまうのが悪い癖だと思った。


それより先ほどから気になっているのは彼の背中の方だ

「I thought it was a tattoo on your back.」

「tattoo? ああ、これか。This is a burn.」

たまに母国語が出てしまうから聞き取り辛かったらごめんと彼は付け足して答えた。


火傷は背中のほぼ全てと体の右半分に渡っていて

つい「It's amazing that you survived...」と驚いた。

ぱっと見ただけでも全身の30%以上、医学に明るくない者でも生命に関わる範囲だとわかるだろう。

それを聞くと彼の口角がにっと上がり、「生きてられる訳ないやろ」と

これは僕に聞かせる為でなく多分独り言だ。

意味は勿論分からなかった。


肩を小刻みにクックッと震わせながら手を顔にやった時に、ようやくマスクを着けっぱなしだと気づいた様子で

ストラップに手を掛けながらぐっと顔が近づいてくる。

「I'm a zombie.」

「whoa!?」

僕は勢いよく仰け反り、ビーチベッドから落ちた。

幸い低かったのでどこも痛くはないが、情けない声を上げてすごくみっともない。


彼の顔半分は火傷になっていて

それに右目は白濁していて

ただ別にそれが怖かった訳じゃない。

鼻先が付きそうなほど顔を近づけられたから反射的に避けようとしたのだ。


それを知ってか知らずか彼は

「ウケる…Sorry, sorry, are you scared of my face?」

口では謝っているが笑っている。

顔を両手で覆い隠しながら笑っているのだ。

ちょっと殴っても良いだろうか。


このアジア人は自分をからかって遊んでいる

「Are you trying to make me mad?」

精一杯低く、かつ不機嫌な声を出したつもりだが、ベッドに這い上がろうとしても砂が邪魔して力が入らず、芋虫の様に転がってしまう。


「Me? No, no, that's not.」

彼は恐縮しつつも笑うのをやめなかったが、ぐっと手首を掴んで引き起こしてくれた。

僕より背は低いが体幹が全くブレない。

まるで木の幹にロープを掛けている様な感覚だった。


この男は僕が行き場のない怒りを流木に当てているのを見て、またちょっと笑っていたので、脛をサンダルのまま小突くとわざとらしく痛がるのだ。

「Okay, I get it...」

もう何だか馬鹿馬鹿しい…。

トルコアイス屋で腹を立てる人間が居ない様に、これはそういうショー、いやアミューズメントマシンなんだと割り切る事にした。


ただ一つ誤解を解いておきたくて

「I love zombie movies, so I'm not scared.」

とだけは伝えたのだった。


ただでさえ良い事がない1日だったのに、至福の時間まで邪魔されてしまった。

憤慨している僕を気にも留めず、アジア人はベッドの端に座る。

咄嗟に少し避けてしまったのは「どうぞここに座って」という意味ではない。

「Did you get in water? there are few people today.」

「The sea was rough and I couldn't swim.」

昼間の海は大型船も出ないような大荒れだったのだが、まさか1日海に居たのだろうか...

きっと海が好き過ぎるのか、すごく馬鹿なのかのどちらかだろう。

二の句を継げずにいると、ふと腿に指の感触がした。


「I saw this.」

驚いて視線を落とすとスイムウェアに描かれた魚の一つを指さし

「This seems to be called "Maml".」と言った。

アジア人にしてはぐいぐい来るが、もしかしたら島育ちで人懐っこいだけかもしれないな。

何にしても悪気は無さそうなので、それは食べられるの?と聞くと

美味いが今は食うと捕まるからなぁ…と頭を搔いていた。


その後もウミガメはUel(ウエル)、アオウミガメだったらメロブ、オウムガイはKedarm(ケダーム)と一つ一つ指さして教えてくれたが、指の感触が気になって話が入ってこない。

それに生き物の感想が「美味い」「食える」「食うのはやめておけ」の3種類しかないのもいかがなものか。

スピアフィッシングをする位だから食べる為に潜っているのだろうと思って質問したのを、どうやら僕が食べたいと思ったらしい。


そういえば、夕食をどうするか考えなければ。

目の前に居るゾンビ男は現地人だろうが、良い店を知っているだろうか?

うーん、いや、でも。ぼったくりの店に連れていかれるのは勘弁だな。


「なんや、腹減ったんか?」

え?という顔でゾンビ男の顔を見ると

「Are you hungry? Me too, Me too.」

ああ、と風になびく彼の腰網を見ると

「今日はたまたまや…」と腕組みして俯いてしまった。

言葉は分からないが、その素振りと言葉の抑揚に悔しさと羞恥が滲み出ていて少し可笑しい。

終始相手と目を合わせない所を見るに、恐らく日本人だろう。

指摘すると「I think my face is scary.」と言って余計に顔を背けてしまう。

なんだなんだ、可愛いところあるじゃないか。

5本目のビールも飲み干したところで、知り合いの店を紹介すると言うので付いていく事になった。


ゾンビ男は岩陰に無造作に置かれた砂色のバックパックを拾い上げ、視線で促すと歩き出した。

そういえばゾンビ男(仮)の名前をまだ聞いていない。

「 Zombie man, I didn't catch your name. 」

するとちょっと間を置いて、バックパックに縫われた布をとんとんと指さす。

読んでみろと言うのだ。

残念だが、僕は日本映画にハマった時に漢字はよく勉強したんだ。

「Ah,ハヤシ?」

1文字目を確認すると、僕が漢字を読める事に嬉しそうな様子でうんうんと頷いている。

Two treesでハヤシだ。これは簡単。


残りは2文字、「常識(ジョウシキ)」という単語の上の文字。

3文字目は「政治(セイジ)」の下の文字だ。

「ハヤシ…Umm…ジョウ…George, Is this correct?」

「George? George Hayashi?」

「That's right, should be right.」

ふふんっと得意気な顔で答えると、これまた上機嫌の男は

「ジョージ…そうやそうや、俺は林ジョージ」とへらへら笑っていた。

それから、店で食事しながら飲み直したと思うのだが記憶はここまで。


次に気が付いた時、僕は病院のベッドに居た。

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