第3話 食べ過ぎ

 我慢の多い日々だったと思う。

 周りの友人たちと比べると自分の家庭は厳しい方に分類されると拓哉は思っていた。そしてそこから逃れたく思っていた。自由になりたいという衝動。それは父のストレスを直接的に感じるようになってから加速しだした。

 きっかけは特にない。

 反抗期が始まったのは然るべきタイミングがきたという事なのだと拓哉は解釈していた。もう親にも迷惑をかけ始めるため、自分をそのまま受け入れてくれるのは自分だけだと考えたから、この解釈に至った。慰めである。

 暴言を吐いてしまっても父は特に怒らず、「気が静まったらまた話そうか」とだけ言ってくれる。けれど暴言は傷つくらしく苦々しい表情は浮かべる。父曰く「傷つきはするけど、父さんが拓哉ぐらいのときはもっと激しかったからね」とのことだ。優しい。言い換えるならお人好し。そんな父にしばらく拓哉は甘えた。交わす会話は少なくなったが拓哉は父をわずかに信頼することにした。

 母よりは。

 自分の中に定めた予定を理想とする母にとっては、反逆を示す拓哉は不快でしかなかった。確かに拓哉の方が利がある状況はあったが、その後の母の対応は劣悪である。怒りきったまま拓哉を放置し、飯も与えず何もせず。

 拓哉は分かっている。親に暴言を振るなどいけないことだと。母の対応は当然のことだと。

 しかし脳内を占めるのは。

「母さんは怒るとあんなことをする」

その事実である。母はこんな人間だという新たな発見が、拓哉の反抗期を加速させた。ブレーキがなかなか効かず、拓哉も悪戦苦闘していた。自分の非を認識せずに今日も苛立つ母の背中を、拓哉は無言で見つめる。ものすごい勢いで井藤家は無言に包まれた。

 そんな日々がしばらく続き、期末テストが近づいてきた頃、庭に大きなリンゴの木が生えた。大きな、といっても成長期を迎え始めた拓哉と同じくらいの背丈のため、農家さんが管理しているリンゴの木と比べると小さめだろう。しかし立派な実を付けたそれは、また食卓に上げられた。拓哉の分は今日は用意された。

 しゃくしゃくと食べながら母に問う。

「このリンゴ母さんの?」

少し言葉を削ったが、何を言わんとしているかはわかるだろう。現に母が軽く顔をしかめる。今日は父の帰りが遅いため二人きりでの夕飯だった。新たなストレス源に母の名前が登録されてあったのを彼は知っている。

「………そうね」

固い声だ。緊張しているのか。

「俺のせい?」

歯に衣着せぬまましゃべる。

「………そう、かもね」

「そう」

知りたくもない親の内情を、この庭では知ることができる。その事実が今の井藤家を締め付けていた。まとめていた。母の定めていた秩序は、母の疲れと拓哉の反抗期により崩れていった。

 家庭崩壊、という言葉が頭をよぎる。が、すぐに打ち消す。こんなもんじゃないだろ。家庭が崩壊するなんて。

 赤い皮に歯を突き立てる。母は昔はリンゴの皮まできれいにむいていた。

 しばらくリンゴの木はそこにあった。その代わり父のストレスは減少していった。職場が楽しくなったらしく毎日充実した様子だった。母とは真逆である。

 日に日に拓哉の帰る時間が遅くなった。

 それに比例するかのようにリンゴの木は小さくなっていった。

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