第2話 満腹中枢

 井藤家に変化が訪れたのは、父が新たなプロジェクトとやらに巻き込まれてから二か月が経ったころである。

 最初は家に入り込んだ「植物」というなじみのない存在に戸惑っていた拓哉だったがすぐに慣れた。気にしなければいい、簡単なことだった。それを見越してかはわからないが井藤家の植物はだんだん増えていった。ハーブのような小さいものからはじまり、そこから植物の大きさも大きくなり小さな植木鉢のみだったのもいつの間にかあまり広くない庭に畑らしきものが出来ている。

 彩り豊かになった食卓を見て母はご機嫌だ。このプロジェクトのおかげで若干だが食費が浮き、少しの贅沢が出来ると言っている。母の徹底管理のもとに築かれている井藤家では外食なんて滅多にしない。クラスメイトとの当たり前の会話に入れなくなる機会が少しでも減るならと、拓哉は父と一緒に畑の手入れをするようになった。あまり外食しない。数えるほどしか行ったことないと言うと、友人はみんな不思議そうな顔をする。お前んち厳しいんだなと言われたりもするがいまいちピンとこない。彼にとってはそれが普通だからだ。けれど稀有なものを見るような目にさらされるのはあまりいい気分ではない。別に外食したくないわけではないのだ。どうせなら正樹んちのように毎週外食行ったりしてみたい。育ち盛り関係なく拓哉はそれを願っている。

 正樹は明るく前向きな友人である。そして家がほかの生徒と比べても裕福だとわかる。彼はそれを自慢するような人間ではないが、時々話される家の事を聞くと出てくるのはどことなく金持ちエピソードを彷彿とさせる。それがたまらなく羨ましい。自分も一度でいいから金など気にもとめず、いろんなものを食べてみたい。別に母の手料理が嫌というわけではないが禁止されていることはやりたくなってしまう。たしか心理学にそんな感じのモノがあったはずだ。禁止されればされるほどやりたくなってしまう心理効果。

 カリギュラ効果と言ったっけ。

 拓哉の心の中ではそんな欲望が肥大化していった。けれど母に面と向かって言う勇気はない。怖いわけではない。起こった母はめんどくさいのだ。

「ただいま」

中間テストが平和に終わり、無事に部活が続行できていた時。額ににじむ汗が少なくなり過ごしやすくなって、拓哉は機嫌がよかった。彼は暑いのが嫌いなのだ。

「母さん!ただいま」

玄関から声を掛けると小さく返事が聞こえてきた。どうやら庭の方にいるらしい。

 珍しい。母は収穫を手伝うことはあれど、あまり畑には近づかない。変なことをしてしまって植物を枯らしてしまうのが怖いらしい。屁理屈みたいだなと拓哉は思っていた。

 靴を脱ぎ廊下を歩いて、奥の方にあるダイニングへ行くと夕日が沈みかかった空の下に広がる畑の傍、母が立っていた。庭へ行ける扉は開きっぱなしである。

「拓哉、これ見て」

「………なに?」

「いいから」

母の意図が読めず眉をしかめながら拓哉もサンダルをつっかけ庭に降りる。青々としながら手入れされた畑には

「ん?」

大きな西瓜があった。しっかりと黒い模様が入っていてスーパーマーケットに並んでいても遜色ない立派な西瓜である。しかし季節的にはおかしい。もうとっくに旬は過ぎているし、西瓜が育つぐらい水をやった覚えもない。この畑は父の教えのもと生育をしている。そしてその教えも政府からもらったマニュアルのようなものに従っている。わりとなんでも育てられるとは聞いていたがまさかここまでとは。

「拓哉、西瓜なんて植えたの?」

「いや………植えてない。というか植えれない。そもそも種とかはなんの種か分かんねえんだよ。父さんのストレスからできた肥料を政府から送られた種と一緒に土に混ぜてる。んで育ったものを取って食ってる」

「そう………西瓜ができたのは嬉しいんだけど、季節が全然違うからびっくりしちゃって」

「ああ。俺も、まさか旬を超越できるとは思わなかった」

 その後はしばらく二人で西瓜を観察していた。とても美味しそうな西瓜である。



 その日の夜

「なあ、父さん。庭に西瓜なってたんだけどよ」

と、とりあえず父に報告してみた。母が横目で父の顔色をうかがう。拓哉の言葉を受けた父が「ああ」と声を漏らした。

「新しい部署に配属されてなあ。またいろんなことを少しずつ覚えていかなきゃいけなくなってね」

そう言うと弱弱しく笑った。

 拓哉は小さく首を傾げた。そのことと西瓜にどう関係があるというのか。しばらく思案した後一つの答えに至った。

 もしかして父のストレスが増加すると、畑に実る植物の種類が増えるのか?

 新しい職場。慣れない仕事。そりゃあストレスも増えるだろう。新たなこのプロジェクトはストレスを肥料にしてくれるだけであって、ストレスが発散されるわけではない。直接ストレスを抜き取って加工しているのではなく、人の抱えているストレスがどのくらいかを計測し、その結果に見合った分の肥料を出している。直接肥料にできるほどの技術はまだうまれていない。

 感情を、心の作用を抜き取るだなんてゾッとする未来だと、拓哉は父から聞いた時思った。

 テーブルの上に綺麗に切られて置かれた西瓜は、父の苦労とストレスの証であると思うと少々気分が悪くなる。だが捨ててしまうわけにもいかず口にした。シャクッとした食感と甘さが快く、そのおいしさが皮肉めいていた。



 その日から食卓に果物、野菜が増えた。そのどれもがおいしく、かつ採れたてを使っているからか新鮮でもっと食費が抑えられた。父の様子は特に変わっていないが畑が豪華なまま変わっていないのでストレスは減っていないのだろう。

 このプロジェクトが始まってから拓哉は新たな悩みを抱えることになった。ストレス源としている人間のストレスが増加すると、肥料にも影響が出て、実るものの種類が増える。要するに今の状態はストレスが可視化できている状態なのである。食卓が豪華になればなるほど、父のストレスが増加している証拠。

 覗いてはいけないところを覗いているようで嫌だった。

 親の人間的な部分を知ってしまったようで不快だった。

 この感情をどう片付ければいいのか、それが目下の悩みであった。かといって友人に相談をすることもできずに毎日をすごしていた。

 そんな拓哉の思いを知ってか知らずか分からないが、母は相変わらず規則正しい生活を愛していた。豊かな食事に加え、父の部署が変わったおかげで収入が上がったのである。父は大変な日々はとりあえず過ぎ去ったらしく、畑に実ったかぼちゃは少しばかりマズくなっていた。ストレスが減少した様子だ。

 こうしてしばらく新鮮な食材を手に入れることができてきた井藤家だったがまた変化が訪れることになった。

 拓哉に反抗期がきたのである。

 


  

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