雨の日のラブレター
島本 葉
雨の日のラブレター(完結)
目覚ましを、ベルが鳴る前に止めた。この時期の朝はなんとなく涼しくて、起きるのにもう2分、もう5分、とやってしまうわたしだが、今日はすっきり起きれた。頭もはっきり起きていて、気分がいい。得した気になる。
んくっ、と伸びをした所で部屋の様子ががいつもと少し違うことに気付いた。なんだろと思ってすぐに思い当たった。薄暗いのだ。カーテンがひかれたままの窓に目を向けると、はっきり、ざあざあと聞こえた。
「あめ、か」
嫌だな。せっかくいい気分だったのがぶち壊しじゃないか。それに。
「雨、すきじゃないのよねー」
たぶん多数派だと思うが、わたしも雨が好きじゃない。と言うか嫌いだ。うっとうしいし、何より濡れる。
おれ、雨好きだけどな。
学友であり、悪友であり、親友(?)の平原は、食べ物の好みを言う時のような口調で言った。わたしの嫌いなトマトを好きだと言った時も、たしかこんな口調だった。
「どうしてさ」
わたしのように嫌いな人間がいれば好きな人間もいるわけで、その点に関しては文句はない。しかし、雨好きの理由はまったく不可解だ。何がいいんだか。
「だってなー」
わたしの口調が挑戦的だったからか、平原はもったいぶって応えた。
「雨が降るとなんか落ち着くじゃないか」
「それだけ?」
「花粉が飛ばないからアレルギーが落ち着くし」
「いや、あんた普段から花粉症ないでしょ」
なんとなく落ち着くと言われても、雨好きの理由としては納得がいかない。結局大した理由がないのではないか? そう思っていると平原は少し言いにくそうにして。
「それにさ」
平原を見ると少しそっぽを向いている。
「雨が降るとさ、空気がきれいになるから」
何を言い出すんだろうこいつは、と思った。口に含んだコーヒーをごくんと飲み込んでしまった。
「空気中の埃とか塵とかがさ、濡れて全部下に落ちるじゃないか。ほら、あるだろ。晴れた日のカーテンの隙間から差し込んでくる陽射しで塵とかが舞っているのがわかるってこと。あれが嫌でさ」
こういう話し方は平原の癖だ。妙に説明臭く、なんとなく納得させられる。が、これに嵌ってはいけない。
「じゃあ、自分が濡れるのはいいの?」
反論を試みた。
「まあ、仕方ないかな。さすがにずぶ濡れってのは嫌だけど」
なるほど、と思った。別に平原の意見に納得したわけではなくて、そういう事か、という発見である。みんな大雨は嫌いなのだ。どしゃ降りの雨に濡れるのは誰だって嫌で、雨が好きと言ってる人たちは小雨が好きなんだ。軟弱な。要は「大雨嫌い」が、雨嫌いにつながるかつながらないか、なのだ。
「でもさ」
わたしは軟弱な平原をいじめたくなった。
「塵とか埃にまみれた小雨でも濡れていいの?」
言葉に詰まっているのがわかった。ざまーみろ。
ねえ、と追い撃ちをかけた。
「うるさいな、いいんだよ。雨は心を解かしてくれるからやさしくなれるって言うし……」
言った平原も、聞いたわたしも、照れてそれ以上会話にならなかった。
授業の合間に構内のカフェに行くと、平原がいた。カウンターでコーヒーを注文して向かいに座ると、平原はクリームソーダのアイスを突っついていた。
「よぉ」
なぜクリームソーダと思わなくもないが、ここはスルーして対面に座る。コーヒーに口をつけようとして、いったん置いた。
「ねえ、平原」
向かいでクリームソーダをすすっている平原は何も言わず、続きを目で促した。
「わたしさ、今日妙なもの拾っちゃった」
「妙?」
妙、と言っていいのかどうかわからない。とにかく普通は拾わないものだ。そう言うと、平原はもったいぶるな、と急かした。
「これ」
口で言うより実物を見せた方が早い。鞄からそれを取り出した。
「手紙?」
平原がのぞきこむ。わたしが鞄から丁重に取り出したのは、薄いピンクの封筒。最も、雨で濡れているのでビニール袋に入れてあるけど。
「ん、それはそうなんだけど……」
口ごもるわたしに、いぶかしそうな目が向けられた。
「ただの手紙、なわけないよな」
「ん」
だったら妙、なんて言わない。
「ラブレター、とか?」
平原は冗談のつもりだったようだ。しかし、冗談ではないのだ。わたしは真剣に、慎重にうなづいた。
お互い言葉が出ない。数瞬の沈黙ってやつがわたし達の間に流れた。周りから他の学生の声が聞こえているが、遠くでなっているラジオのようだ。そして雨の音。
「まじ?」
「マジ」
平原は、はーっと息をはいた。じっとわたしを見る。わかってる。変なものを拾うなと言いたいのだろう。
「変なもの拾うなよ、ばか」
やっぱりだが、余計なの言葉もついて来た。悔しいけど自覚があるので何も言えない。
「……ごめん」
上目使いで平原をのぞき見る。
「で、助けて欲しいんだけど……」
恐る恐る言うわたし。平原の目がじっとわたしを見つめる。ヘビとカエル。
お願い。
わたしは両手を合わせた。ヘビは一瞥をくれると手紙の方に目をそらしてくれた。
「差出人の名前はないな…。で、宛て名はしっかり男の名前、と。条件は揃ってるな」
それに薄いピンクの封筒、とっても女の子文字。これではラブレターでない可能性の方が少ない。
「どうすんだ?」
顔をあげたヘビはにらんでなかった。
「それを相談してるのよ」
今考えれば、拾わずに通り過ぎてしまえばよかった。今度こんな事があれば、間違いなくそうする。でも、拾ってしまったからしょうがない。まさか捨てられないし。
そう言うと、平原はバーカ、と言って笑った。
「この宛て名君は知ってる人?」
アイススプーンで、テーブルをとんとんする。わたしは持ち上げかけたコーヒーを戻して首を振った。
「知ってたらこんなに困らないと思う」
「だな」
平原はまた封筒に視線を戻して、何事か考えだした。じっと見つめられる封筒。
「で、でもね、もし知ってたとしても、この宛て名君に渡すのはどうかと思うの」
「どうして?」
平原がわたしを見つめた。
「だってね、ラブレターっていうのは女の子にとって、すごく勇気のいる物なのよ」
わたしはかわいらしく、すごぉーく、と発音した。平原の、わたしを見る目は変わらない。
「で? すごく勇気がいる物だから、何?」
平原もすごぉーく、と言った。かわいらしくと思ったかどうかは知らないが、わたしには憎らしかった。
「やっぱり、第三者が渡すのは反則でしょ」
わたしはあいにくラブレターと呼ばれるような物を書いたことはないが、恋する女の子の気持ちはわかる。平原はこっちを見ていた。
「まあ、そうだな」
一応納得の平原。
「じゃあ、差出人がわからなければどうしようもないな。開ける、ってのは論外だろ?」
「当然じゃない」
平原の目は開けろと言ってるみたいだった。その方が楽だし確実なのもわかっていたが、差出人の名前がわかったからといって、解決するものでもない。それに何よりいい気がしない。
「交番に届けてみるとか」
無責任な物言い。平原の目は真剣でないのでわたしの反応を見ているのだろう。
「交番はイヤ」
大事になるのは嫌だ。警官が好奇心で封を切らない保証はないし。
「じゃあ、選択肢は3つぐらいかなー」
平原はまたわたしを見つめた。
「3つ?」
声が震える。そんな様子に気付いているのか、平原は続けた。
「1つ目は、割り切って捨てる。嫌だろうけどこれが一番簡単だな。2つ目は──」
平原は、人差し指に続いて中指を立てた。
「切手を貼ってポストに入れる。名前しか書いてないから届くかどうかはわからないけど、差出人さんの想いが強ければ届くだろう」
無責任な言い方だが、わたしは平原が照れているのを知ってる。
「3つ目は落ちてた所に戻す」
「それって、拾わなかったことにするってこと?」
「そう」
言って平原はクリームソーダを飲み干した。
ざあざあ、と雨の音。くもった窓にはカラフルな傘達がぼやけている。
わたしの頭を平原の3つが駆け巡る。
どうしよう。
「あの──」
「おれ、トイレいってくる」
平原はさっと立ち上がって、店の隅に歩いてく。
平原の3つの提案。正直、捨てるのだけは嫌だ。拾った時にも頭をよぎったが、その選択肢は取りたくない。
ポストに入れるか、元に戻すか──。
「わたしだったら、どうだろう」
いつの間にか声に出していた。平原がいなくてよかった。
もし落としたのがわたしなら、どうして欲しいだろう。ポストに入れてもらう? いや、届くか届かないかわからないのは、あまりに不安すぎる。耐えられない。
それに、やはり差出人さんに返したい。
もとの場所に戻す?
もとの場所に戻したら──。
「ただいま」
平原が帰って来た。
「おかえり」
「そろそろ帰らんか?」
平原は、もう一度席につくことなく言った。わたしのことなど素知らぬ顔で、手をふいている。
外はまだ雨が降っていた。まだ、やみそうにない。けれど。
「うん、帰ろう」
わたしは傘を持って立ち上がった。
封筒を戻した場所には、ただ水たまりが広がっていた。
お願い見つけて、と願いを込めて置いた封筒。わたしなら探す。雨だろうが、何だろうが。きっとこの差出人の女性も──。そんな思いを込めてそっと戻した封筒は姿を消していて、ただ水たまりが広がっていた。
もう雨はあがっていた。
空気は湿っているけど、さわやかだった。雨が流した埃と塵と──。
こんな雨なら、案外、嫌いではない。
了
雨の日のラブレター 島本 葉 @shimapon
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