第17話 穂積理音の我儘
※今回は、穂積理音視点の話です。
終業式後のホームルームを終え、1年間過ごした教室を後にすると、少しばかり、しんみりとした気持ちになった。
もう、この教室を使うことはない。来月には、別の教室で別のクラスメイトとの学校生活が始まる。
あと1年なんだなぁ、と思う。
ボクの卒業まで、ではない。ボクはまだ1年生だ。
だが、栗花落先輩と日下先輩は1年後には卒業してしまう。
ボク一人を残して。
同級生に友達がいないというわけではない。それでも、先輩2人の抜けた穴は大きすぎて、きっと埋めようがない。
敬愛する栗花落先輩。
絶対的なカリスマ性を持つ、完全無欠の風紀委員長。
ボクだけではない、多くの生徒が、彼女に魅せられていた。
そして、日下先輩。
どうしようもない遅刻常習犯で、どうしようもなく優しい、大切な先輩。
この1年で、ボクは先輩への感情の名を知った。
「好き……だ」
こぼれる。
溢れ出る。
抑えようのない思い。
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
彼の言動一つ一つに、心が乱される。
それなのに、目が離せない。
見ていたい。
そばにいたい。
けれど、ボクはもう一つ知ってしまった。
たぶんだけれど。
栗花落先輩も、彼のことを好きなのだろう。
もしかしたら、ボクが彼と出会うよりもずっと前から。
それでも、ボクはこの想いを捨てられない。
ボクはいつから、こんなに欲深くなったのだろう。
2人のどちらも失いたくないなんて。
自分で自分が嫌いになりそうだ。
そして、そんなボクを日下先輩が好いてくれるはずもない。
恋というのは、こんなに苦しいものなのか?
教えてくれ。
助けてくれ。
「日下先輩……っ!」
「……よぉ、穂積」
まるで、ボクの小さな叫びを聞きつけたかのように彼は現れた。
いつもそうだ。こういう時、隣にいてくれるのはキミだった。
「……って、お前、泣いてる?」
「え……?」
言われて、頬に触れる。
濡れた感触。
いつの間にかボクは、泣いていたらしい。
「わからないが、俺で良ければ聞くぞ?」
大きな彼の手が、ぽんぽん、とボクの頭を撫でた。
「日下先輩は優しいな。だが、ボクは我儘な人間になってしまった。こんなボクでは、キミにも、栗花落先輩にも合わせる顔がない」
「ん? お前、そんなに我儘か?」
「我儘なのだ」
「……お前がそう言うなら、そういうことにしておくが、それでも良いんだよ。我儘も言っていい。俺はそんなことでお前を嫌いになったりはしないし、栗花落だって同じはずだ」
また、彼の手がボクの頭を撫でる。
ならば、言ってもいいのだろうか。
この溢れる、感情のすべてを。
「ボクは、キミが好きだ。
栗花落先輩のことも好きだが、その”好き”とは違うのだ。
キミへの”好き”は、苦しいのだ。
キミが誰かと楽しげにしているのを見ると、胸の奥が痛くなる。
キミの隣を、ボクだけのものにしたいと思ってしまう。
ボクは――最低なのだ。
ボクのキミへの”好き”と同じ”好き”を、栗花落先輩も抱いている。
それに気づいても、ボクはキミの隣を譲れない。
栗花落先輩を尊敬しているのに、その先輩にすら、ボクはキミを譲れない。
でも、ボクは、キミのことも、栗花落先輩のことも、大好きなのだ。
どちらも、失いたくないのだ……!
ボクはずるい。ボクは我儘だ。
こんなボクは大嫌いなのに、キミを好きなのだ……」
ボクの支離滅裂な告白を、彼は最後まで黙って聞いてくれた。
そして、笑った。
「ホント、お前は真面目だよな」
彼の手が、またボクの頭に触れる。
撫でられるのかと思ったら、すっと抱き寄せられた。
先輩の胸に頬を寄せていると、ぐちゃぐちゃだった感情が落ち着いていく。
「お前が栗花落に俺を譲れないと思っても、それは栗花落を好きだという気持ちを否定するものじゃない。というか、譲られると、俺が困る」
「困る?」
「独占欲はお互い様だってことだよ」
なぜ先輩が困るのだ? お互い様とは、どういうことだろう。
「先輩も、誰かを独占したいと思ったりするのか?」
「……思ってるよ」
ボクを抱き寄せる手に力がこもる。
「思ってる」
熱を帯びた声に、落ち着き始めていた感情が掻き乱される。
「穂積。俺の隣はお前のものだ。だから、お前の隣は俺にくれないか」
「先輩……」
それはつまり、先輩が独占したいのは――
「それと、我儘があるなら、俺に言ってほしい。できることは、全部叶えるから」
それならば、もう一つだけ。もう一つだけ叶えてほしい、我儘がある。
「日下先輩。ならば、さっそく我儘を言っていいだろうか」
「お、おぅ」
先輩が身構える。
「ボクを名前で呼んでくれないか」
日下先輩は少し驚いた顔をした後、視線を彷徨わせ、頬を掻いた。
顔が赤い。
だが、口を真一文字に引き結び、ボクを見つめて言った。
「理音」
と。
そして、もう一言、とびきりの言葉をくれたのだ。
「……好きだ」
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